第30話 窮鼠が猫を噛んでも結末は同じ

 すべての呪術師を戦闘不能にするのに3分もいらなかった。

 祓わなければいけない怪幻と比べて、剥影はくえいで縛れば動けなくなる呪術師の対処のなんとたやすいこと。


 存分に暴れたわけだが、胸の内から湧き上がる情動はとどまるところを知らない。

 いまなお激しく、脳内から、「殺せ、殺せ」と俺を急かしている。


「……あの野郎、逃げられるとでも思ってるのか」


 叔父を投げた庭へと視線をやれば、そこに彼の姿はもうなかった。

 かわりに、点々と続く血の跡が、彼の消息を記している。


 痕跡をたどった先にあったのは豊川の屋敷の倉庫だ。

 この時期、空気を入れ替えるために開け放っているはずの扉は施錠され、やつの根城へとその役割を変貌させていた。


 だから、呪力を込めた拳を振り抜いて、正面から突破する。


「はぁ……はぁ、惣司ぃ……ッ」

「鬼ごっこは終わりだ。今日この場所があんたの墓標だよ」


 呪力は時間が経つほど、俺の体へ馴染んでいく。

 肉体という殻の内側に全能感が満ち満ちる。


「はぁ、はぁ……かかっ、なあおい惣司。窮鼠猫を噛むって知ってるか?」

「あ?」

「獲物も追い詰めれば、天敵を討ち取らんと決死の抵抗を見せるってことだ」


 それくらい知っている。


「だからどうした。必死になれば俺を超えられるとでも思っているのか? だとしたら思い上がりも甚だしい」

「いいや? お前がつけあがっているだけだ」


 ……なんだ。

 その謎の自信はどこから湧き上がる。


「古来、術式が確立される前、呪術師は怪幻に劣る虚弱な兵士だった」


 ふと気付けば、叔父の手には、一辺5センチ強の漆黒の立方体が握られていた。


「彼らが怪幻と戦うために生み出した原初の呪術を知っているか?」


 黒いひつぎが光輪を展開する。

 ギアが駆動するような音をかき鳴らし、内側から黒い瘴気があふれ出す。

 黒雲のような煙には、バチバチと紫電が飛び散っている。


「これこそがその禁術――!」


 超常の柩を握る指先から、彼の皮膚が赤銅色に染まっていく。

 髪色が蛍火色に燃え上がる。


 やつの顔がぼこぼこと形を変えて、肉質が硬化して、全身が肥大する。


「怪幻との……同化だッ!」


 叔父が思い切り拳を振り抜いた。

 呪力を纏った拳打は衝撃波をばらまいて、倉庫を木っ端みじんに破砕した。

 その波状攻撃の範囲外へと回った俺を、異形とかした叔父が睨んでいる。


「くははは! 素晴らしい、この力! 惣司、オレは貴様を超えたぞ! この、『若松わかまつ童子』の力でなッ!」

「『若松童子』だと?」

「そうだ! オレと『若松童子』は一心同体! 『若松童子』を祓わない限りオレは殺せん!」


 則宗さんから天明の飢饉の話を聞いて、俺もそれを引き起こした元凶の怪幻を調べた。

 そしてたどり着いたのが『若松童子』。

 福島県会津藩に現れた、金烏門きんうもんの長い歴史の中でも最悪に分類される正真正銘の怪物だ。


「卑怯と言うなよ?」


 言わねえよ。

 お前を仕留めれば怪幻も滅びるなら話は早い。


「どんな術でも好きに使え。だが――」


 呪力が神経を覚醒させている。

 知覚が拡張されたように広がって、目に映る世界の解像度が何倍にも膨れ上がっている。


「お前の生殺与奪は俺が決める」

「ぐっ、ほざけぇぇぇ!」


 爆風が、巻きあがった。

 触れれば爆ぜる空気の塊が荒れ狂い、あたり一帯を更地へと作り変えていく。


「どうだ、オレは手に入れたんだ! 惣司、貴様すら凌駕する、圧倒的な力をッ!」

「どこを見ている?」

「なっ」


 攻撃の隙を縫って叔父の背後へと回り込み、掌底突きを背中へ叩きつける。


 おおよそ人だと思えない形状へと変貌を遂げているが、素体は人体だ。

 背中を強打すれば衝撃は肺へと到達し、身体機能を制限する。


 悲鳴を上げて膝を崩す叔父に、休む暇を与えず連撃を重ねる。


「ぐあぁぁぁぁっ!? 何故だ……オレが同化したのは、史上最悪の怪幻なんだぞ!」

「だからどうした?」


 たとえ力が強くても、叔父には戦闘経験が足りていない。

 大技を使えば隙ができる。

 だから普通、俺たちは隙の小さい攻撃で、相手の行動を制限し、次の一手を読み、回避できないタイミングで勝負を仕掛ける。


 だが叔父は、そんなことも知らずに力任せに拳を振るだけ。

 すなわち、振り下ろすか、薙ぎ払うか。

 当たらない攻撃に脅威などない。


「最強は、俺だ」


 小さく入れたフェイントに、視力がよくなった叔父が大げさに回避行動をとった。

 間合いも読めないなら、それは過ぎた力だ。

 呪力の使い方を教えてやる。


「――ッ!」


  ◇  ◇  ◇


 男、菊地則宗の時間が止まったのは11年前。

 幼馴染にしてライバルだった無二の親友を失った時だ。


 彼の時計の針が再び動き始めたのは1年前。

 より正確に言うなら11ヵ月と2週間前。

 親友が、彼と血を分け合った兄弟によって謀殺されたと知った時。


 以来、則宗は桜守の当主の座を、彼の忘れ形見である惣司へと渡るよう、裏で根回しをしていた。


 一般家庭に、現桜守当主の不始末を押し付けたのも、現当主の問題を発覚させて糾弾するためだ。


 いや、一般家庭という表現は適切ではない。

 あの一家の父親は土地開発公社に勤めていて、当時、惣司たち一家が住んでいた一軒家の売買契約をしつこく迫っていた。

 だから、惣司の両親が死んで、惣司が桜守家に引き取られるようになって、彼は喜んだ。


 大切な友人の死を、喜んだのだ。

 それが則宗には許せなかった。


 平常であれば理性で抑えられる程度の殺意だ。

 だがその行き場の無い衝動は、計画の犠牲者の選定にねじ込めるほどに強烈だった。


 もっとも、その計画は惣司の手によって破綻させられることになる。


 そして同時に、則宗には形容しがたい焦燥が襲っていた。


(一般人と戯れに配信活動だと……!? 惣司のやつ、何を考えてやがる)


 嫌な予感がした。


 彼の親友は一般人と恋に落ち、呪術を捨てた。


(惣司、お前もなのか? お前もまた、俺のそばを離れていくのか?)


 認めたくなかった。

 あの日、親友の葬式で誓ったのだ。

 命に代えても、惣司を守ると。


(お前は天才なんだ。俺やあいつをしのぐ、最強の呪術師なんだ)


 それを捨てるなんて、馬鹿げている。


(逃がすかよ、惣司。お前の障害になる物は、俺が全部ぶっ壊す。だからお前は、呪術師として生きていけ)


 さしあたり、目下の標的は明白だ。


 親友を謀殺した桜守家。

 いや、不当に追放した、金烏門きんうもんという時代遅れの呪術機関。


 旧時代を破壊して、新たな時代を創造する。

 そして惣司に、決して振り払えない楔を打ち込む。


 計画は完璧、のはずだった。

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