第28話 死ね

 頭にカッと血が上った。

 そう気づいたときには、俺は叔父を畳に叩きつけていた。


 馬乗りになって、彼の襟首を片手でつかみ、もう一方の手は拳を固めて、思い切り振り上げていた。


「……ッ!」


 息が熱い。喉が焼けただれそうだ。

 腹の底に溶かした鉛のような異物がぐつぐつと沸騰していて、呼気がいまにも発火しそうだ。


(落ち着け、落ち着け。いまのは則宗さんの推論だ。あり得た可能性の一つに過ぎない)


 振り上げた拳を解いて、叔父の口に張り付けた口封じの札を引っぺがす。


「説明してくれますか、叔父さん」

「お、おおお、落ち着け惣司。やつの言葉に惑わされるな!」

「俺は冷静ですよ。冷静じゃなかったら、あんたは今頃ひしゃげたトマトだ」


 引っぺがしてからわかったが、この人の口から出たどんな言葉も俺には信じられない。


「惣司、これを使え」


 則宗さんが俺に小瓶を投げた。

 受け取ってみればそれが何かわかった。


「真実薬ですか」


 真実薬とは読んで字のごとく。

 しばらくの間、聞かれたことに真実を答えてしまう、呪具だ。


 その性質上、金烏門きんうもんの規律において、一般人への使用は禁止されている。

 だがあいにく、目の前の相手は呪術師で、両親の仇かもしれない相手だ。


 使用にためらいは無かった。

 聞きたいことを聞き出すのに一滴あれば十分だろうと思ったが、三滴も垂らした。


「答えろ、親父とおふくろを殺したのはお前か」

「うっ、ぐ、違う」

「聞き方が悪かったな。親父とおふくろを殺すための計略を練った。あの親父ですら討伐を諦めた怪幻をけしかけたのはあんただ、そうだな?」

「うっ、ぐ……がぁ!」


 理由は容易に推測できる。


 偽りの功績で桜守当主の座を手に入れた叔父には、その座がとても不安定なものに思えただろう。


 いつその座を失脚させられるか。

 気が気でなかっただろう。


 冷静に考えれば、親父を殺したからって、彼の当主の座が盤石になるわけではない。

 だが、一抹の不安を拭うくらいにはなる。


 問題は、この男が、それを実行に移したかどうかだ。


「く、くはは! 馬鹿ほどお人好しな兄だったよ! やつの行動を調べあげ、その移動先で『怪幻に襲われている、助けてくれ』と言えば、すぐさまやってきた! オレが仕組んだ罠とも知らずに、とんだ間抜けがいたものだよなぁ!」


 すとん、と。

 胃に冷たいものが落ちた。

 脳内で大事な何かがちぎれる音がする。


「嫌いだったんだよォ、あのクソ野郎が。たった数年俺より早く生まれたってだけで偉そうに。あいつがいたせいで、オレがどれだけ惨めな人生を送ったと思っている!」

「もういい、喋るな」

「才能を持って生まれると、欠陥品が愛おしくなるのかねぇ。呪術の心得もないブスに惚れて桜守の名を捨てやがった! オレがどれだけ欲していたかも知らずに!」

「黙れっつってんだろッ!」


 呪力で身体能力を強化して、叔父を思い切り当て身投げした。

 勢いよく転がり込んだあいつが畳を削りながら、障子を突き破り、縁側から飛び出して庭へと突き刺さる。


「親父はテメエらに非道な仕打ちを受けながらも戦った! あんたを守るためにだ! おふくろは親父が怪幻と戦っている間、ずっと身を挺して俺を守ってくれた!」


 二人は誇りをもって気高く生きたんだ。


「二度とふざけた口利けないようにしてやる」


 ……呪力がやけに体に馴染む。

 心は苦しいのに、体はいつも以上に調子がいい。

 いまならなんだってできそうだ。


「いかん! 惣司! 殺すなッ!」


 すぐそばで誰かが声を荒げて叫んでいる。

 この声は誰の声だったか。

 どうでもいい。

 やるべきことは明白で、そのために足を進めればいい。


「させません、影縫いの術ッ!」


 それなのに、誰かが俺の邪魔をする。

 多分、干支烏の誰かだ。

 黒い影が俺の足にまとわりついて、俺の歩行を妨害している。


 邪魔だなぁ。

 こんな欠陥だらけの術式で、俺を縛り付けられるかよ。


「いかんっ! その術を解け! いますぐにだ!」


 術式へと干渉し、束縛を内側から破壊する。

 着想は認めてやるが練度が足りない。

 この手の術はな、こうやって使うんだよ。


完式かんしき呪術じゅじゅつ――剥影はくえい


 周囲にいる生物の影が切り離される。


 影とは本来、生まれてから死ぬまで生涯を共にするパートナーだ。

 物質の変形と影の形には切っても切れない因果関係が存在する。


 その因果関係を、逆転させる。


 まず、最初に影の形があって、それに物質が従う。

 俺の改良した術式はつまり、そういうものだ。


 これで邪魔者は消えた。


 怨敵との決着に、専念できる。


「ひっ、来るな……来るなぁ!」

「安心しろよ。すぐに俺の手の届かないところへ行ける」


 これが最初で最後の贈り物だ。

 地獄への片道切符をくれてやる。


「死ね」

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