第21話 師匠

 伊勢市豊川町の屋敷の庭園を歩いていると、ドタドタと縁側を走る音が聞こえてきた。


そう兄ちゃぁぁぁぁぁん!」


 着地を一切考えていないおてんばなお嬢様を、俺は両手を広げて抱きとめる。

 呪術の三大名家の一つ、菊地家令嬢の八重やえちゃんである。


 ごろごろと喉を鳴らす子猫のように頭をすりすりと俺にこすりつける彼女を抱きかかえた状態から、ゆっくりと地面に降ろす。


「八重ちゃんは今日も元気いっぱいだね」

「うん! そう兄ちゃんが来るのずーっと待ってたの!」

「ははは、遅くなってごめんね? ところで則宗のりむねおじさんはいる?」


 八重ちゃんは最初「いるよ」と言いかけて、慌てて、

「いないの! もうちょっとしたら来ると思うの!」

 と言い直した。

 それから付け加えるように、

「だから八重と一緒に遊ぼ!」

 と俺の手を掴んで、枯山水の方へと引っ張る。


「八重」


 屋敷の奥から、ダンディな声が響いた。

 八重ちゃんがびくりと身を震わせて、悪いことをしていたところを見つかった子どもみたいに慌てふためいている。


 急いで俺の後ろに隠れる八重ちゃん。

 彼女が怯えているのは俺の背後にいる、先ほどの声の主。


「お久しぶりです、則宗のりむねさん」


 彼は菊地家当主の実弟。

 名を菊地則宗のりむねという。


 年は三十代だったはずだが、彼の頭髪には白が混じっている。

 目は垂れ気味だが猛禽類のように力強い生命力を感じさせる。


 この穏やかな外面で粗暴な内面を覆った彼こそが、俺の師匠である。


「息災で何よりだ。惣司」

「師匠の腕が良かったので」

「世辞を覚えたか。それも学校の成果か?」


 則宗のりむねさんは学校に通っていない。

 生粋の呪術家系の人間の中には、そもそも戸籍登録していない人間も多いのだと聞いた。

 彼も戸籍を持たない人間の一人。

 日本にいながら存在しない人間。

 さながら幽霊のようなものだとは彼の談である。


「来い、話くらいは聞いてやる」


 それだけ言って立ち去っていく則宗のりむねさんの背中はとても大きい。


 俺の師匠ということは、彼もまた戦闘系の呪術師なのである。


 親父がまだ呪術師だったころには切磋琢磨しあった仲だと言っていた。

 実力は折り紙付きで、未だ衰え知らずの傑物だ。

 彼と会う時は、いまでも全身の筋肉が強張る。


「八重ちゃん」


 裾をぎゅっと握る少女の頭をぽんぽんと撫でる。


「また後でね?」

「うん」


  ◇  ◇  ◇


 屋敷の奥にある黒檀の部屋へとやってきた。

 数日前にも爺さんとここで話したばかりだというのに、また来ることになるとは。


(ここってもっと重要な会議用の部屋じゃなかったっけ)


 そんな部屋にホイホイ連れ込まれる俺って何なんだろうなと思いながら、則宗のりむねさんと向かい合って座布団に座る。


 頃合いを見計らったように吉埜さんが現れて、お茶だけ出して引き返していった。

 毎度思うんだが、なんでそんなドンピシャのタイミングで行動できるんだろう。

 未来予知とかの能力が天雉にはあるのかもしれない。

 なにそれ俺も欲しい。


「惣司」


 則宗のりむねさんの渋い声がして、思考を中断する。


「見せろ、呪具が一般家庭に出回っていたのだろう?」

「はい。こちらがその呪具になります」


 俺は先日、下級生の依頼で無力化した、お札付きの封印器具を取り出すと、静かに差し出した。

 則宗のりむねさんはすぐには取り上げず、品定めする鑑定士のように物品をしげしげと観察している。


「内側にいた怪幻は観測できた範囲で三種です。花魁おいらんのような怪幻、琴古主ことふるぬしらしき怪幻、そして大煙管おおきせるのような怪幻です」

「琴古主か……」

「は?」


 俺が領域内部で見た怪幻について話せば、則宗のりむねさんが反応を示したのは琴の怪幻だった。


則宗のりむねさん、領域の主は花魁のほうです」


 彼はようやく、お札の貼られた封印器具を取り上げて、それを底から見上げた。


「惣司、琴古主はどんな妖怪だ」


 何故そこまで琴古主に拘るのか。

 そんな疑問を抱きながら彼の問いに答える。


「音色を満足に聞いてもらえなかった琴の付喪神です。江戸中期の妖怪画集『百器徒然袋』に描かれていて――」

「では『百器徒然袋』が刊行された年は」


 俺は口を噤んだ。

 そんな細かいところまで、俺は把握していない。

 けれど則宗のりむねさんは「勉強不足だな」とからかうようにたしなめながら、正解を教えてくれた。


「天明4年だ」

「はぁ」

「この意味が分かるか?」


 いえまったく。

 と即答したいところだが、考えずに答えれば拳骨が飛んでくる。

 映画に出てきそうなダンディなナイスガイな則宗のりむねさんだが、他の呪術師の例に洩れずそういうところは前時代的な部分がある。


「天明といえば天明の飢饉ですかね」


 日本史の授業で勉強した単語を適当に上げてみた。

 確か長い江戸時代で最悪と呼ばれる飢饉だったはずだ。


 思考を放棄するよりは沈黙。

 沈黙するよりは思い付きを口に出してみる。

 そんなあてずっぽう。


「そうだ」


 それが、まさかのクリティカルヒットだった。


(合ってんのかよ)


 豆鉄砲を食った鳩のような顔をしてしまいそうになるのを、力んで堪える。


「これは金鵄きんし以外には公開されていない情報だが、惣司ならいいだろ」


 金鵄きんしとは桜守・菊地・天雉の直系血族を指す言葉である。


「や、俺はただの天狗あまつきつねなんですけ――」

「聞け」

「うぃす」


 金烏門きんうもんにおける上からの命令は絶対なのである。


(というか、則宗のりむねさんも金鵄きんしでは無いよな)


 この組織ガバガバじゃねえか。

 と、思いがちであるがこれで内と外の切り分けはきちんとしている。

 要するに身内の人間には内密の話として割と秘密が出回るが、外――金烏門きんうもん以外の人間にはきちんと秘密を守っている。


「七曜星の減光現象が確認されている」


 なるほど、さっぱりわからん。


「天明2年から天明4年。この時期にも七曜星の減光が確認できたと当時の天雉が記録に残している」


 天明2年から天明4年ね。


(ん?)


 『百器徒然袋』の刊行が天明4年。

 そして天明の飢饉が示す範囲はおおよそ天明2年から天明8年にかけて。

 つまり、『百器徒然袋』は天明の飢饉中に刊行された書物にあたる。


 そして天明の当時に、現代と同じ七曜星の減光が確認されている。


「まさか、天明の飢饉は」

「そうだ。始まりは一匹の怪幻が領域を現実世界に侵食させたことに起因する、未曾有の大災害だ」


 金烏門きんうもんの歴史は、日本の歴史の裏側だ。


「その歴史を、繰り返そうとしている輩がいる」


 則宗のりむねさんが、呪具から目を離し、俺へと鋭い眼光を向ける。


「教えてやれ惣司。お前がいる時代に事を起こそうとする不埒者に、誰が最強かを」


 ……末端構成員には荷が重いんじゃないですかねぇ。

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