第18話 プランBは失敗だ。プランAで行こう。

 封印器具は怪幻が展開している領域まるごと封伐する機巧である。

 形状は多くの場合直方体で、破損耐性や内側から外部への突破を封じる術式が埋め込まれるのが一般的だ。


 だが、この世の一切は諸行無常。

 物である以上いつかは滅びる。

 平家物語にもそう書かれている。


 壊れてしまえば内に潜む怪幻は解き放たれてしまう。

 だからこの手の器具には、壊れる予兆があった場合、前もって対処できるパスが埋め込まれている。


「惣司くん、それは?」


 俺の手に握られた長い羽根を指してアリスが小首をかしげた。


「封印器具の鍵みたいなものだな。素材は雉の尾羽」

「そんなのがあるの? だったらどうして呪具を使って封印を解こうとしているの?」


 いい質問だ。


「これが複雑な仕組みでな」


 この尾羽の鍵は時代を(当時から見て)数千年先取りしたセキュリティシステムによって構成されている。


「まず、この尾羽は一本一本に別々の番号が割り振られていて、誰の尾羽かが特定できる」

「ふんふん」

「そして尾羽に刻まれた術式は本人の呪力でしか起動しない」

「なるほど! メールアドレスとパスワードで会員登録してるサイトみたいなものだね?」


 その通り。

 恐ろしいのは、このシステムが金烏門きんうもんでは三千年前から起用されている点だ。

 確か、金烏門きんうもん成立メンバーの一人によって立案され、また別の成立メンバーによって実用化されたと聞いている。


「あれ? でもちょっと待って? それって呪術師全員が善人って前提のシステムだよね? もし裏切り者が出たらどうするの?」


 アリスがそう問えばコメント欄で、「確かに」だとか「まーた呪術機関のやらかしか」とか「これだから闇組織は」などと金烏門きんうもんへの誹謗中傷があふれた。


「それも対策してある」


 金烏門きんうもんには呪術師の所属を管理している部門があって、そこに登録されている呪術師以外の尾羽では封印を解けなくなっている。

 規律を破った呪術師は帳簿から除名され、尾羽と呪力で封印解除が出来なくなる。


「現代風に言えば、規約違反したユーザーはアカBANされてIDとパスワードでログインできなくなるようなもの」

「ほほー! そうやっていい呪術師だけに封印解除の権限を与えてるってことだね!」

「そういうわけ」


 ちなみにこの帳簿の管理者は三大名家の当主間で決定されるらしい。

 天狗あまつきつねの俺には関係ない話だな。


「さて、それじゃあ封印の内側へと侵入するわけだが、外で待ってても――」

「レッツゴー!」

「危機感が無さすぎる……」


 死地へ赴くというのに呆れたものだ。

 アリスは俺の腕に自身の腕を絡めて放さない。


「行くぞ」


 解――


  ◇  ◇  ◇


 視界がぐるりと捻転すると、そこは燃え盛る古い屋敷だった。


 弦が震わせる楽器の音色が、べん、べべべべん、と悲しく響いている。


 三味線だ。


 その音色に交じって、女の、すすり泣くような声が聞こえてくる。


「なにゆえ、あちきを捨てて他の女と祝言を上げようとしんした。あちきと一緒になってくれると言ったのは、嘘でありんしたか」


 灼熱の屋敷の中心で、女が、視線を下に落として三味線を弾いている。

 べっ甲の髪飾りをふんだんに利用した髪型は、江戸後期の花魁おいらんを想起させる。

 確か、横兵庫と呼ばれる髪型だ。


 着物は華やかな色柄で、金糸銀糸の刺繍が施されている。

 帯は『心』という字を表現するように前で結び、その豪華さを前面に押し出している。


「誰が認めんしょう……あちき以外の女と結ばせてなるものか……!」


 べん、と力強い三味線の音が鳴り響く。


「桜守くん、あれって」

「ここの怪幻みたいだな」

「で、でも、前に会った怪幻とは全然違うよ⁉ なんか、前のとは違って、なんていうか」

「人間っぽい?」

「そう! それ!」


 ここまで怪幻とは何かについて説明したことはあったけれど、どのように怪幻が生まれるかを口にしたことは無かったかもしれない。


「怪幻は人間の欲望が生み出す魔物だ」


 初めはただの概念だ。

 形は無く、夢まぼろしのような、霞に似た存在にすぎない。

 だがそこに、欲望を一点に集める核が生まれれば話は変わる。


 さながら雲のようなものだ。

 空気中の水蒸気が雨雲になるためには核となる粒子が必要になる。


「廃村にいた『夜叉の鎧』は、村を滅ぼされた村民の外敵を滅ぼしたいという願いが鎧に宿った」


 廃工場にいた怪幻は、労災事故でばらばらになった人の遺体に、もっと繁栄したいという欲望が募ったものだと思っている。


「要は欲望を受け止める器があれば、それは怪異になりうるんだ」

「じゃ、じゃあもしかして、あの、女性は、もともとは」


 俺は頷いた。

 彼女の想定通りだろう。

 本当に、残念だけど。


「誰でありんすか」


 俯いていた女の怪幻が、おもむろに顔を上げる。

 涙で化粧が崩れ落ちた顔が、二つの、白目の部分まで真っ黒な瞳を見開かせる。


藤吉郎とうきちろうさん……?」

「は?」


 いや、俺の名前は桜守惣司だ。

 藤吉郎というのは彼女が慕っていた男の名前だろうか。


 だとすれば、存外楽に解決できる案件かもしれない。

 呪力に頼った戦法に頼らずとも、彼女の未練さえ解消してやれれば、欲望が満たされれば、怪幻としてこの世にとどまり続けることはできない。

 人として、最期の安穏を送ってもらえる。


 その方法も試してみるかと考えていたのは一秒にも満たないわずかな時間だ。

 その短時間に起きた変化は二つ。


 一つは化粧の崩れた怪幻と対峙したアリスが俺の裾にしがみついたこと。


 そしてもう一つは、

「おのれ! 貴様が、貴様があちきの藤吉郎さんを奪う女狐か!」

 悲しみに涙を濡らしていた怪幻の顔色が、カッと燃え上がったことだ。


「俺は、藤吉郎じゃないッ!」


 プランBは失敗だ。

 プランAで行こう。


 呪力を込めた拳で、思い切り掌底突きを繰り出す。


穿天燕せんてんえん!」


 相手は元人間ではあるが、妖怪変化に堕ちた相手に情けを掛ければ足をすくわれる。

 俺より場数を踏んだ呪術師でも、人の外見の怪幻は祓えず、どころか返り討ちにあった先輩もいる。


 だから、手心を加えず、全力で拳を振るった。

 それなのに、

「何ッ⁉」

 打ち出した掌底は、怪幻をとらえることなく空中でぴたりと静止した。


 体の前側で結ばれた帯が伸長して、俺の腕を掠め取っている。


「もう逃がしはしない。あちきと共に逝きんしょう、藤吉郎さん」


 ぐん、と奇妙な引力を感じ取った。


(なんだ、この怪幻に吸い込まれる……!?)


 違う、吸い寄せられているのはその前方の空間。

 俺の腕に絡みついた、花魁おいらんの豪奢な帯だ。


「桜守くん!」


 と、そこにアリスが割って入った。

 それと同時に、彼女の身の危険を嗅ぎ取り、第2回呪術配信で作った式神「護狗まもりく」が起動する。


 ぬいぐるみを引き裂くような破裂音が響いて、彼女の帯から解放される。


 すかさずアリスを抱えてバックステップ。

 帯を警戒して、余裕を持った距離へと後ずさる。


「そんなに、あちきが嫌なのか?」


 ガタガタと屋敷がうめき声を上げている。

 ふすまが次々に部屋を仕切っていき、屋敷全体を迷路のように作り変えようとしている。


 だから、俺たちと怪幻の中間に現れたそれをぶち破った。


 そこに、燃え盛る空室があった。


「桜守くん、逃げられたの!?」

「いや、この領域は封印されたままだ。逃がすかよ」


 明らかに、つい先刻までより空間が広がった屋敷をぐるりと見回して、俺は女の怪幻の呪力の残滓を追いかける。

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