第16話 大切な物は何でしたか?

 下級生の女子から呪具のタレコミを受けて彼女の家に向かった。


 伊勢市駅から近鉄鳥羽線で3駅。

 朝熊町は伊勢神宮の鬼門を守る金剛證寺こんごうしょうじのある景色のいい町だ。


 その綺麗な街並みに、景観をぶち壊す格好の女性がいた。

 フリルやレースをふんだんに取り入れた黒やピンクのコーデに、露出させた白い足にガーターベルトを巻いている。


「あ、桜守くん、やっほー!」


 卯月アリスだった。


「どうしてここにいる」

「えー、だって呪術に関係するお仕事なんでしょ? アタシたち、運命共同体でしょ? 来るでしょ!」

「来るなって言っただろ」


 人の家の不幸をむやみに晒すものじゃない。

 だから来るなと言いつけておいたのだが、俺が言葉足らずだったな。


「すまない。いますぐ立ち去らせるから……」


 と、言葉を向けた下級生の瞳に俺は映っていなかった。


「は、はわぁ! アリスちゃんだぁ! いつも配信見てます!」

「ありがとう! あ、嫌だったら全然断ってくれて構わないんだけど、もしよかったら桜守くんが呪具のお祓いする様子を配信させてもらえないかな?」

「わ、私が呪術配信に貢献できるんですか⁉ 嬉しいです!」

「えへへー、やったぁ! それじゃあ今日はよろしくね?」

「はい! よろしくお願いします!」


 許可するのかよ。


「それじゃ、桜守さくらもりくん、配信始め――」

「始めるな。まず親を説得するところからだ。そんなところをネットにさらすな」

「ご、ごめんね?」


 先行き不安だ。

 アリスを連れて呪具の無力化の説得に成功できるだろうか。

 自信が無いぞ、さすがに。


「お、お母さんに紹介してきますね」


 と、一個下の彼女が言えばアリスの首がぐるんと回る勢いで力強く反応を示した。


「彼氏ってうそぶいちゃダメだからね⁉」

「言いませんよ!?」

「ならOK!」


 ぐっと親指を立てて笑顔で見送るアリス。

 そんなでまかせ言うのはお前だけだと内心でツッコミを入れておき、親に話が通るのを待つ。


「お待たせしました! おあがりください!」


 彼女に招かれて、俺は敷居をまたぎ、家へと足を踏み入れる。


(濃密な呪力だな。まだ一週間は持つだろうけど、あんまり時間もない)


 一度交渉に失敗すれば再度交渉を受け入れてもらえるようになるまで時間が掛かる場合が多い。

 呪術なんてオカルトめいた話をするわけだから正しい反応なのだが、いい気はしない。


(一回勝負、最悪の場合無理やり破壊することも考えないといけないな)


 末期症状の呪具の気配に眉間に力を入れていると、持ち主であるこの家の母が俺たちを迎えてくれた。

 それはもう、満面の笑顔で。


「うふふ、この子が友達を連れてくるなんて初めて!」

「お、お母さん!」

「お茶は緑茶と麦茶と紅茶、どれがいいかしら?」

「だから、お母さん、桜守先輩に来てもらったのは大事な話があったからなの! 真剣に聞いて!」


 母親は鬼気迫る娘の様子に驚いたように目を開き、それから俺とアリスに視線を向けた。

 どんなふうに見えてるんだろうな。

 怪しい二人組であることに間違いないだろうな。

 信用面でマイナススタートなのは間違いない。


「あのね、ちょっと前に、開運グッズ買ったでしょ? あれ、やっぱり良くないものだと思うの」


 そう切り出すと、彼女の母はすごい剣幕で、

「なんてことを言うの!」

 と頭ごなしに否定した。


「あれを買ってからいいことばかりなのよ⁉ お父さんもすぐに帰ってくるし、あなたもこうして友達を連れてきてくれた!」


 ようやく、ようやく、普通の家庭らしい暮らしができるようになったのよと、彼女の母は瞳孔を絞った。

 怯え、不安、警戒、そんな悪感情が混ざった瞳の色をしている。


「その幸せを、どうして受け入れられないの!」


 彼女の母が怒鳴りつけた。

 その時、俺が見ていたのは彼女でも母親でもない。


(この瘴気の……この流れ)


 母親の脳天から染み出た薄く黒い霧が、部屋に飾られた木箱へと流れていく様子だ。


(呪具の場所はそこか)


 交渉が決裂しそうなら、どうにか中身だけでも持ち出そうと考えていた。

 だから、彼女の母親の表情の変化に気付くのが遅れた。


「……ごめんね。強く怒鳴りすぎたわ」


 怒り心頭に発していた鬼神のごとき表情は鳴りを潜め、代わりに、菩薩のような穏やかな顔色で娘さんの頭を撫でていた。

 あまりの変化に、彼女は少し怯えている。

 だがその悪感情もまた、部屋に安置された呪具へとなだれ込んでいく。


「そういうことか」


 腑に落ちた。

 話に出てきた押し売りの人が、この家庭を呪具のアンチ先に選んだ理由が、いまわかった。


「桜守くん、な、なにが起きたの」

「俺はこの土地が陰気の溜まりやすい場所なのかと推測していた。でも、間違いだった」


 家庭崩壊寸前だったのではないか。

 そう仮定を立てれば納得できてしまう。


 彼女は俺に、呪具の無力化を頼んだわけではない。

 母親の、呪具への依存の解放を頼んできた。


「問題だったのは家族関係の不和だ。呪具がなくなれば家庭が崩壊するかもしれない。そんなリスクを呑めっていうのは難しい話かもしれないな」


 呪具によってこの家族は形を保てている。


「で、でも! 呪具をどうにかしないと封印が破れちゃうんでしょ!?」

「そうだ」

「どうにか、ならないの?」


 呪具を壊すも破滅、放置するも壊滅。

 どちらかの最悪な結末は受け入れるしかない。


「俺にできるのは、怪幻を祓うことだけだ」


 俺にそれ以上語る気はなく、黙って呪具を取りに行こうとした。

 それを、アリスが引き留めた。

 俺の袖をつかみ、立ち上がるのを妨害している。


「待って、桜守くん」


 アリスは小さく、首を横に振った。

 俺はこの家庭を救うことを諦めた。

 だけど彼女は、違った。


「アタシが、どうにかしてみる」


 瞳は少しも、揺らいでなどいなかった。


 やいのやいのやっている親子の間に割り込むように言葉をはさむ。


「あの! さっきから話してるグッズって、もしかして家族の思い出の品ですか?」


 母親は少しだけ目を丸くして、穏やかな様子で答える。


「そうですね。あれのおかげで私たち家族は……」

「他には無いんですか?」

「え?」

「家族写真とか、いろはかるたとか……おそろいの食器とか」


 アリスが貼り付けた笑顔の裏で、表情筋が緊縮している気がした。

 言葉にするなら、そう。

 踏み入っていい心理領域を探っている様子。

 緊張感がかすかに空気に滲んでいる。


 だから、母親の方も少し警戒している気がする。


「それって、必要?」


 アリスは一つ息を呑んで、呼吸を止めて、まっすぐと母親の目を見つめた。


「必要です」


 母親が、わずかに、たじろぐ。


「話に出てきた開運グッズが本当に大事な物ですか? 家族団らんの思い出よりも大切な物なんですか?」

「あなたにっ、何がわかるの!」


 激高し、顔を赤くして鋭い言葉が突き立てられる。

 それでもアリスは臆さず、というより、怖がる思いにふたをするように、勇気を振り絞るように、食い下がった。


「あなたが、逃げていることです」


 逃げる、というのは道具に頼らずに家族と向き合うことを指しての言葉だろう。


「オカルトな道具に頼って不幸を消したって、母娘の溝は、深まるばかりですよ」


 アリスが涙ぐみながらそう言えば、下級生の母親は、何も返せなかった。


「いまからでも、大切なものを、家族の思い出に切り替えませんか?」

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