第15話 呪具
野球部との硬式テニスバトルは狙い通り引き分けに終わった。
野球部からもう勧誘しないという約束を取り付け、下級生の手芸を手伝う必要もなくなった。
予定を埋めずに済んだので、吉埜さんに連絡して怪幻討伐の斡旋をしてもらおうと考えていた放課後のこと。
「さ、桜守先輩!」
昼休みに俺の教室を訪ねてきた下級生の女子の一人が、教室の出入り口の外から俺を呼んでいた。
昼のくだりを知っているクラスメイトはともかく、知らない同級生は告白だとでも勘違いしているのか、からかう視線をよこしたり、直接的にヤジを飛ばしたりしてくる。
そんなんじゃねえよと否定しながら、席を立って話を聞きに行く。
「昼の話? 俺はテニスで負けなかったから、手芸に参加する気は無いぞ?」
「ち、違います! あの、桜守先輩に見ていただきたい画像があるんです」
手芸の話なら断ろうと思ったが、どうやら別の話らしい。
見るだけの手間とつきまとわれる手間なら前者の方が圧倒的に楽なので、素直に応じる。
「これなんですけど」
スマホを取り出した彼女が提示したのは、桐の小箱に入った、お札でぐるぐるまきにされた不穏な小物だった。
写真を見ただけで、本物だと直感した。
「呪具だ」
「え?」
呪具とはそのまま、呪われた道具のことである。
「これはいまどこに」
「わ、私の家に」
「どうやってこれを手に入れた」
「あう、えっと、数ヶ月前に家に押し売りがやってきて、家の陰気を沈める魔除けだって、母が断れずに」
古来、呪術師の歴史は護国の歴史とともにあった。
だがしかし、すべての呪術師が、滅私奉公をよしとしていたわけではない。
私利私欲のために呪術を使いたいという人間や、
彼らの中には、偽りの歴史に終止符を打つと息まいて、怪幻を利用しようとする者もいるという。
「実際、これが来てから不幸なことが起こらなくなったんじゃないか?」
「え」
「夫婦仲が好転した。片頭痛に悩まされなくなった。近隣住人から迷惑行為を受けなくなった」
「す、すごい! どうしてわかるんですか!?」
あくまでたとえ話だったんだけどな。
クリティカルに当たってしまったらしくてちょっと気まずい。
「桜守先輩が言った通りなんです。ただ、その」
「胸騒ぎがする?」
「は、はい! もしかして桜守先輩はエスパー!?」
「違うから」
否定しつつ、予感が正しかったと確信する。
「怪幻はわかるか?」
「はい! アリスちゃんの配信見ていたので!」
「この写真の被写体はもともと、怪幻を封印するためのものだ」
下級生の女子が「え」と声をもらす。
気持ちはわからないでもない。
開運グッズと言われて買った物品が怪物を封印する物だったらビックリして当然だ。
「で、でも、確かに悩みの種は軽くなったんです」
「写真に映っているお札が陰気を吸い込んでいるからだ。だがそれにも限度がある。許容量を超えて陰気を吸い取ればどうなると思う?」
答えは単純。
「怪幻の封印が解かれる、ですか?」
「正解」
その不吉を予感して、彼女は嫌な胸騒ぎを覚えたのだろう。
いい勘をしている。
もしかすると呪術への適性があるのかもしれない。
もっとも、
「た、大変じゃないですか!」
「そうだ。一刻も早く呪具を無力化したいんだが」
「何か問題が……あ、もしかしてお金ですか? た、確かにうちは決して裕福な家庭ではないですけど……」
「いや、そうじゃない。呪術師は赤字を恐れない」
「だったら、呪術師が人手不足、とかですか?」
それはある。
けれど、この話は緊急を要する問題であり、山奥の怪幻やら廃工場の怪幻なんかよりよっぽど優先されるべきだ。
だから人手も気にするべきポイントではない。
「違う。問題は、君のお母さんだ」
「え?」
この道具は怪幻の封印を解くために仕組まれた罠だ。
だがその返礼に、この一家は、不幸が遠ざかったという成功体験を得てしまっている。
「この数ヶ月、この呪われた道具の甘い汁を吸ってきたんだ。俺が危険性を説得して納得してくれるかどうか」
陰気を吸っている呪具がなくなれば、彼女の家庭は再び不運な出来事に苛まれる。
そうすれば、呪具への依存心は強まり、その心の隙はさらに強い陰気を生み出すだろう。
既にはまっているのだ、負のスパイラルに、抜け出せないほどどうしようもなく強烈に。
「わ、私が!」
小さな勇気を振り絞るように、一歩足を前に出し、下級生の少女が顔を上げて俺の眼球をのぞき込む。
小さいけれど確かな意志の炎が、彼女の瞳に宿っている。
「私が、お母さんを説得してみせます、だから、桜守先輩、お願いです」
ハムスターのような小動物の印象を与える彼女の瞳に、肉食動物のように力強い底光りが灯っている。
「母を、この呪具から、解放してください……!」
……解放?
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