第14話 テニヌ

 で、昼休み明けの5限目、体育。


「どうしてこうなった」


 天気は快晴。

 俺はテニスコートで、昼休みに部活に勧誘してきたクラスメートとネットをはさんで対峙していた。

 今日はダブルス。

 相手は野球部同士でペアを組んでいて、しかし俺の相方は文化部の男子。


「桜守、約束は守ってもらうぞ!」

「俺たちが勝ったら野球部に入る。俺たちが負ければ下級生たちの要望に応える」

「正々堂々勝負だ」


 どうしよう、約束した覚えが無い。

 というか俺の勝利条件なんだよ。

 どうあがいても損するじゃねえか。

 それに、自分たちは野球部同士でペアを組んで、俺にはもやしっ子を押し付けてどこが正々堂々なのか?


 いろいろツッコミどころはあるが、まあ。


「先に聞いておきたいんだが」


 グリップとガットを確認してラケットの強度を確認しながら問いかける。


「野球部全員まとめてかかってこなくて大丈夫なのか?」

「てめえっ」

「ぶっ潰す!」


 試合開始ラブオールの合図が鳴って試合が始まった。

 野球部のサービスゲームで始まった試合。

 相手のジャンプサーブが、鋭角にコートギリギリを攻める。


「しゃぁおらぁ完璧なコースだ!」

「これは勝ったな!」


 と、野球部たちがげらげら笑っている、その中間を打ち抜く。


「え?」


 硬式テニスのボールがしゅるしゅると摩擦音をかき鳴らして、コートの端の金網を抉っている。


「すげぇぇぇぇ!」

「何だ今のリターンエース!」

「桜守すげーじゃん!」

「いまの絶対取れないと思ったのに!」


 テニスコートは数に限りがあるので、外野で試合以外をやっている同級生たちがやいのやいのと騒いでいる。


「桜守ー! お前すげえよ!」

「テニス部に入らないか⁉」


 という声が聞こえてげんなりした。


(まーた面倒くさいことに……)


 爺ちゃんが病床に伏していてそのお見舞いに行かないといけないからと言ってもろもろ断るか、なんてことを考えていると、コートの向こう側で野球部の密談が聞こえてきた。


「お、おいマジかよ」

「だだだ大丈夫だ。想定内だ」

「声震えてんぞ」

「大丈夫だって! いいか? ダブルスはレシーバーが交互なんだぞ?」

「そ、そうか! 桜守がレシーバーじゃないときにサービスエースを取り続ければ、サービスゲームで負けは無い……!」


 しまった!

 そういえばそうだ……!


(俺の相方が相手のコートにボールさえ返してくれればどうにでもなるんだが)


 野球部が放ったジャンピングサーブはスイートスポットでボールを捉え、対角線ギリギリを貫いた。


「しゃぁおらぁ!」

「ナイッサー!」


 野球部二人が声を掛け合って、外野から「汚えぞ!」とか「正々堂々戦え!」なんてヤジを飛ばされている。


「ご、ごめん桜守くん」


 相方がしょんぼりした様子で頭を下げる。


「大丈夫。俺がレシーブする時に失点は無い。チャンスは無限回あるから、まぐれでもなんでも、相手のコートにいつか返してくれれば――」


 励ましの声を掛けながら、思いついた。


(ん? この試合、勝つ必要あるか?)


 負ければ野球部に入部。

 勝てば下級生のお小遣い稼ぎのための手芸に参加。

 勝っても負けても俺に得は無い。

 だが、損しない試合結果は存在する。


(チャンスは無限回じゃない。このままシーソーゲームを続けて授業が終わればそれで終わりだ)


 見えたぜ、勝利の方程式。


「楽しんでいこうぜ」

「桜守くん……うん!」


 野球部が再びサーブを取り仕切る。

 今度のサーブはタイミングが合わず緩い。

 リターンエースをねらってくれと言っているような甘い球だ。


「ふっ」


 体のひねりを利用して、コンパクトなスイングで返球する。

 ただし、コート限界いっぱいではなく、全力で走れば届く位置に向かって。


「返した!」

「さすが野球部だぜ!」

「執念が凄い!」


 体勢を崩しながら、どうにかロブを上げた後衛野球部。

 高く弧を描くボールの放物線上へと跳躍し、俺はラケットの真ん中でボールを捉える。


 ゆっくりと、やさしく、包み込むように。


 崩した体勢からでも、歯を食いしばり、死ぬ気になれば返せるボール。

 後衛野球部が、食らいつく。


(そうだよな。お前らが勝つためには、俺がレシーブの時にどうにか得点するしかない。返球に必死になるよな!)


 ふらふらと返ってくる黄色いボールを、スライスを掛けて返球する。

 頑張れば追いつける速度とコースを狙いすまし、打ち抜く。


 ラケットの先端がボールを捉えるはずだった。

 しかしその硬球には、ラケットから逃げる方へ回転が掛かっている。

 すんでのところで、野球部員の間合いから紙一重で逃れるように、ボールが空を滑る。


「ふ……ぐぅっ」


 それを、アキレス腱から手首まで、限界まで体を伸ばして、無理やりでも返球する野球部。

 緩く返ってくるテニスボールを、コートの反対側へとロブで打ち上げる。


「ふっ、このっ!」


 全力ダッシュでボールに追いついた野球部後衛が、フルスイングで返したボールは一直線に飛び、前衛の野球部の後頭部を打ち抜いた。


「いってぇ!」

「わ、わりぃ」

「おう……って大丈夫か? めっちゃ苦しそうだぞ」

「大、丈夫」


 筋肉には有酸素運動用の遅筋と無酸素運動用の速筋の2種類が存在する。

 それらの大きな違いは持久力だ。

 速筋の使用量には限度がある。


 歩幅を小さく走るピッチ走法と違い、惣司の返球は、最後に大きく足を踏み込まなければ届かない物ばかりだ。

 この時大腿筋には全体重の運動量を受け止める役割が求められ、必要以上に速筋を酷使してしまう。


「ふっ、おらぁ!」


 そのうえ、ジャンピングサーブのような跳躍は、速筋へとさらに負担を掛ける。

 惣司に左右に走らされた野球部員の動きは、最初と比べて明らかに精彩を欠いている。


「わ、わぁ」


 だから、文芸部の彼でも、なんとか返球ができてしまった。

 もっともコースは甘く、前衛の野球部が簡単にボレーできてしまう。


「よし、貰った――」


 そのボレーを、間髪入れずに打ち返す。


 ボールは前衛の頭の真横――仮に反応できても絶対に返球できないコースを通り、相手のコートへ返される。


「うぉぉぉ!?」

「何だ今の!」

「つい寸前まで棒立ちで突っ立ってなかったか!?」

「詰め速えぇ!」


 15-40。

 マッチポイントである。

 これはあれだな。


「You guys need some imagination」


 想像力が足りないよ。


 リターンエースを決めてさくっと1セット目を奪取。

 次は俺のサービスゲームだ。


「うぉぉぉ! 桜守のサーブやべえ!」

「200キロ超えてるだろ!?」

「しかもコートギリギリついたぞ!」

「なんだあのコースえぐすぎるだろ!」


 サービスエースを取った後は、


「ああああ! ダブルフォルトか!」

「惜しいぞ桜守ー!」

「次一本!」


 ダブルフォルトを決めて点を譲り、


「出たぁぁぁ! 桜守の殺人サーブ!」

「この犯罪者ぁぁぁ!」

「人殺しぃぃ!」

「殺してない殺してない」


 再びサービスエースを獲得する。


 これを授業終了直前まで繰り返す。

 デュースとアドバンテージをひたすら続け、授業終了まで秒読みになった。


(そろそろだな)


 あえて、サービスエースは取らずにダブルフォルトで点を譲り、相手にセットを譲る。


 ちょうどその時、教師から試合終了の合図が発せられた。


「じゃあ、この勝負は引き分けってことで」


 俺は野球部に告げた。


「あ、ああ。わかった」


 野球部の彼らは憔悴しきった様子で答えた。


「もう、二度と野球部に入ってくれなんて言わない。約束する」


 だから俺は、こう答えた。


「それがいいと思うぞ」

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