第7話 出・演・交・渉

 人型の怪幻が展開していた領域が溶けていく。

 景色が切り替わり、本来の工場の内側が視界いっぱいに広がっている。

 警戒を解く前に周囲の気配を探る。

 領域に踏み込む前に感じていた禍々しい気配は消えていた。

 怪幻の残党はどこにもいない。


 そこまで確認して、ようやく、仕事を達成したと言える。


「じゃあな。次も助けられるとは限らない。もう変なところに立ち寄るなよ」

「あー、待ってよお兄さん!」

「なんだ」

「さっきの話、考えてくれた? 呪術配信の話!」

「いまの話聞いてた?」


 次も助けられるとは限らないって言ったよね?


「怪幻ってのは残忍な化け物だ。俺の両親も怪幻に殺されてる」


 女性が息を呑んだ。


「呪術師なんて関わるもんじゃない」


 俺の本心であり、忠告だ。


(おふくろも、親父と結ばれなければ、いまもどこかで生きていたかもしれない)


 呪術師に近づくことは、死に近づくことだ。

 褒められたことではないし、推奨もできない。


「それでも」


 立ち去ろうとする俺の袖を、女性が引いた。

 触れれば折れてしまいそうな細い指なのに、がっちりとつかんだその手は俺を放さない。


「それでもアタシは、お兄さんとの縁を失いたくない」

「死ぬぞ?」

「死なないよ。アタシ、運がいいからさ!」


 彼女は太陽のように笑った。


「ねえ、お兄さん。アタシ一人が心霊スポットに近づくのをやめたとして、みんながみんなやめると思う?」


 無理だな、と答えた。

 怖いもの見たさに危険な場所に赴く人ってのは後を絶たない。

 後悔ってのは、死に臨んで初めてするものだ。

 決して先には立ってくれない。


「でもね? アタシたちならそれを、配信を通じて日本中に危険性を伝えられるの。手の届かないところの不幸を未然に防げるかもしれないの」


 彼女の目は必死だった。

 口で語る以上に雄弁に、呪術専門の配信を行うことへの拘りを語っている。


「だから、ね? 一緒に、配信しよ?」


 ぐいと、袖を引く力が強められた。


「配信してくれないと、視聴者引き連れて心霊スポットツアーしちゃうぞ!」

「おい」

「みんなの旅費はアタシが持つからどしどし応募してねー」

「おい待て! お願いか脅迫かどっちだ!」

「お願い! 視聴者のみんなにも家族がいるの!」

「やっぱり脅しじゃねえか!」

「どうしても、ダメ?」


 話を受けるメリットは、ある。

 怪幻の恐ろしさが伝えられること。

 心霊スポット巡りの欲求を、配信で満たせれば怖いものを見たいという衝動を緩和できる可能性があること。

 そして何より、金になる可能性があること。


(今回の怪幻も、俺に財力があれば呪力を使い果たさずとも倒せたはずなんだよな……)


 呪力を使い果たした呪術師なんて一般人だ。

 いまこの瞬間、さっきと同じレベルの怪幻に襲われればひとたまりもない。

 そういう意味でも、資金はそのまま命綱になる。


「わかった」

「ほ、本当に!?」

「ちょうど呪力も切れた。怪幻のいるスポットを訪問されて死なれるのも寝覚めが悪いからな」

「わー! ありがとう!」


 女性は俺の背中に腕を回すと、華奢な体でぎゅっと抱きしめた。

 それから、「あ、そうだ」と思いついたように顔を上げた。


「じゃあ、そろそろ教えてよ! お兄さんの名前」

「ああ、そういえば言ってなかったな」

「うん! あ、それとも本名がバレると呪いの材料にされるから明かせないとか!?」

「なんだその縛り」

「無いの!?」

「無い」


 少なくとも現時点では聞いたことがない。

 それに、俺の本当の名前の話をするなら母方の姓の方になるはずだ。

 桜守の姓を名乗る時点で偽名を使ってるようなものである。


桜守さくらもり惣司そうじだ」

「サクラモリ、ソウジくんか……いい名前だね!」

「いい名前か、そうだな」

「どんな字を書くの?」


 桜守とは桜を守る人のこと。

 惣は長男を表す文字。

 司は役目を担う人。


「親父がどうしてこんな名前を付けたのか、俺は知らない。聞く前に、永遠のお別れがやってきたからだ」


 両親が死んだのは俺が5才の頃。

 まだ平仮名も読めないガキだった。

 名前に意味を込めると知ったのは、もっと大きくなってからのこと。


 親父は、呪術師の長男に生まれながらその責務を果たせなかったことを悔いたのだろうか。

 自分のようにはなるなと言いたかったのだろうか。

 いまとなってはもうわからない。


「確かな事実は、親父が俺に、長男としての役割を期待してくれていたことだ」

「だから、桜守くんは、命を賭けて呪術師をやってるんだね」

「や、それは一族に呪われるのが怖いから」

「えぇ……?」


 さっきも言ったが、呪術師なんて関わるものじゃないのだ。本当に、切実に。


 そうこうしている間に、女性――卯月アリスはスマホを操作し終えて、しきりに頷いていた。

 何をしていたのかと聞く前に、彼女が答え合わせを執り行う。


「はーいみんなー! 呪術専門の配信チャンネルを新しく開設したよー! URLを固定しておいたから、見てる全員登録してね!」


 卯月アリスが俺の腕を絡めとり、カメラにツーショットを収めている。


「記念すべき『呪術配信』第一回は、このあとすぐだよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る