第5話 卯月アリスの領域配信

 かつてない速度で同接――同時接続数が伸び続ける配信状況を確認しながら、卯月アリスは「これだ!」と胸を躍らせていた。


(カイゲン? っていう怪奇現象はみんなにとってもワンダーランド! 反響がいいし、呪術師の話も面白がってくれてる!)


 例えば怪異を蹴り飛ばした時は、


・ええええぇぇぇぇ!?

・3メートルはある化け物蹴り飛ばすとかwww

・本当に人間か?

・SUGEEEEE!

・かっけぇぇぇぇ!

・寺生まれってスゴイ


 例えば怪異の討伐報酬とお札の値段を聞いたときには、


・3千円www

・この不思議世界をお祓いして3千円て

・お札1枚でタダ働きwww2枚で赤字www

・呪術師はwww奉公wwwえ?


 と、彼が怪異を祓うたび、口を開くたび、コメントが嵐のように流れていく。


 彼が堅物で、アリスが胸を押し付けたりしても性に飢えた獣のような態度を取らないのも視聴者的にはよかった。

 アリスに対して恋愛感情が無いとわかるから、推しに変な虫が付いたというような意見はほとんど上がっていない。


(いやそれはダメでしょ⁉ ちゃんとアタシの魅力に悩殺されてよ!?)


 筋肉に触るなどのスキンシップを取っても、照れる様子はない。


「ところでお兄さん。好みの女性のタイプは?」

「唐突だな……自由奔放が過ぎるって言われない?」

「よく言われますけど、それがアタシの魅力かなって」


 招き猫のような手のポーズを取り、ぺろっと舌を出してウインクする。


「そうか」

「無関心ッ! で、どんなタイプが好みなんです?」

「好みか……」


 工業都市を散策していると、遠くの方で、異形の化け物がうごめいていた。

 アリスがそれに気付いたのは、男が何かに気づいたかのように足を止め、近くにあった配管をはぎ取るという奇行に走ったからだ。

 何をするんだろう、と眺めていると、投擲の構えを取り、一息に振り抜いた。


・パイプが化け物に突き刺さったぁぁぁ

・100メートル以上距離無かった?

・ほぼ水平に飛んで行ったなwww

・化け物に突き刺さらなかったら1キロくらい飛んでたんじゃないか?

・こっちもこっちで化け物で草

・日本にはこんなヤバいやつがうろうろいるのか……

・熱い風評被害www

・こんなやつが何人もいてたまるかwww


 アリスは感動していた。


(あ、アタシがいるから、接敵する前に安全を確保してくれたんだ……)


 男はそのことを鼻にかけない。

 アリスに優しくする男性は少なくない。

 ただしその優しさには多くの場合、下心が付いて回った。

 だがこの男は、根っからの善性で、見返りを求めることなく、アリスに気を配っている。


「黒髪を親からの贈り物だからって大切にしてて」


 アリスは一瞬だけ何の話だっけとなって、好みのタイプの話だと思い至った。


「背は高くて、奥ゆかしくて」


 アリスの両親は日本人で地毛は黒だが思い入れはなく、いまは金色に染めている。

 背は平均より少し上程度。

 積極的に、ぐいぐい、彼に話しかけていて奥ゆかしいとは真逆。


「規律や風紀を重んじていて」


 アリスは中学時代を保健室登校で済ませた。

 校則とか、学年行事なんかが嫌いだった。


「待ってください!? あえてアタシの逆要素をならべてません!?」

「そんなこと無いけど?」

「嘘です! そんな大和なでしこ絶滅危惧種です! この世界に存在しません! コメントもそう言ってます!」


・黒髪のエピソードでほぼ全滅だろwww

・なんか生々しいwww

・委員長タイプかな?

・いまどきそんなコテコテの委員長いねーからwww


「いるよ……」


 男は口ごもるときに、耳を少し赤くした。


(あ、これ好みのタイプ挙げてから思い当たる知り合いがいて照れてる反応だ)


 イコールで、たった一つの真実が浮き彫りになる。


(アタシこの人の趣味の真逆じゃん!?)


・アリスちゃんドンマイwww

・恋愛関係に発展しなさそうで安心して見れる

・俺はアリスちゃんがドストライクだよ!

・アリスちゃん俺と結婚しよ


「慰めが胸に痛い……」


 髪の毛の先をくるくると指先で絡める。


(黒髪に戻そっかな、でも、背はもう止まってるし、いまさら性格を取り繕うのも……)


 どうすれば仲良くなれるかを必死に考える。


(や、反応見るに片思いっぽいし、こっぴどく振られて好みが反転する可能性もある、かも?)


 少なくとも、いまから奥ゆかしい女性を取り繕う無理より可能性があると見た。

 その路線で、現在の思い人以上に気に入られるのは難しいだろうとも考えた。


(だったら、その奥ゆかしい誰かが恋愛関係に発展させられずにこまねいてる間に、積極的にアタックを繰り返し続ける!)


 嫌いと言ってくる人を嫌いになるのは簡単だが、好きと言ってくれる人を嫌いになるのは難しい。

 そのことをアリスは配信を通じて知っていた。


 今後の方向性を確定させたところで、アリスは足を止めた。

 すぐ隣を歩いていた男が、突然、立ち止まったからだ。


「お、お兄さん? どうしたんですか?」

「来る」

「来る?」


 男は、空を覆うような工場の絶壁を見上げていた。

 アリスが釣られて見上げてみるも何も見えない。

 だが代わりに、何かが飛来する、風を切る音が響いている。


「うわぷっ!?」


 不意に体に力が加わって、後方へと引っ張られた。

 腰に腕を回した男がアリスごと、ついさっきまでいた場所から飛びのいたのだ。


 情熱的、とふざけている余裕は無かった。


「キ、キヒッ」


 自分達が先程までたっていたコンクリートの道路。

 そこに、化け物が、クレーターをつくって立っていた。


 体長はおよそ2メートル。

 体躯だけで見れば、これまでに見た怪異よりよほど小ぶりだ。

 だが、それから放たれる異様な寒気は、これまでのどんな怪異より濃密に死の予感を振りまいている。


・人!?

・いや、顔のパーツがおかしい

・てかデケェ!

・なんだあの全身に刻まれた禍々しいタトゥーみたいな痕

・なんか、画面越しなのに寒気がする……


 その怪異は、大まかに見れば人だった。

 だが唇は潰れていて、むき出しの歯茎に、上も下も同じサイズの臼歯を取り揃えていた。

 コーンロウのような頭髪の網目に無数の眼球を取りつけていて、胸には大きな穴が開いている。

 そして何より、人体で言う丹田――へその位置から全身に向かって、どす黒い紫の紋様を禍々しく這わせている。


「キヒヒ、獲物が2匹、キヒヒヒヒィッ」


 化け物は両手を地面につけて四本足の獣のように構えた。

 その手足でバチバチと黒い稲妻が弾けて、あたりの、コンクリート製の壁や地面を紙のように切り裂いていく。


護狗まもりく


 目の前に黒い雷が迫って、間一髪のところで、まん丸の狛犬が突然現れた。

 綿を詰めたぬいぐるみをカッターで八つ裂きにするように狛犬が張り裂けて、紙くずになってその場にはらりと舞い落ちる。


(な、に……これ、さっきまでと、全然違う)


 息が苦しい。

 肺が押しつぶされそうだ。

 背中に大粒の汗が噴き出して、視界がちかちかする。

 目の前に広がる現実が、あまりにも空虚なものに思えてくる。


「大丈夫」


 ぽんと頭に手が置かれた。

 皮の分厚い、ゴツゴツした、男らしい手だった。


「あの程度の怪幻に後れを取るほど、俺は弱くない」


 だから、安心していろ。

 男の落ち着いた声音を聞いた途端、胸の中にあった不安が一気に雪解けした。

 ああ、大丈夫なんだって、そう思えた。

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