第4話 伊勢湾廃工場

 卯月アリスは長い髪を手慰みにしながら考えていた。


(あの人と出会ったのは伊勢の山奥にある心霊スポット。不思議な力を持っていて、怪奇現象を消滅させたり、紙に命を吹き込んだりできるんだよね)


 山のふもとに降りると、彼女がこれまでまたがっていた狛犬のような白い動物は、もとの小さな紙切れに戻ってしまった。

 現物が残っているので、夢や幻ではない。

 配信アーカイブが残っているから、狐につままれたというわけでもない。


(てことは、同じように心霊スポットを巡ってたら、また会えるかもしれないってこと!?)


 それはもちろん、山奥で鎧に襲われたように、一歩間違えれば死ぬ危険に身をさらすということである。

 だが、頬を紅潮させる彼女に、危ないから身を引くという考えはない。


(危なくなったら、きっとまた助けに来てくれるよね! だってあの人は、アタシの王子様だもん!)


 卯月アリスは片手にスマホを持ち、ネットの海へと漕ぎだした。

 検索ワードは伊勢と怪奇現象。

 そこに、真新しい記事が一件、目に入った。


 伊勢湾廃工場で連続行方不明。


  ◇  ◇  ◇


「なんだこの廃工場」


 死体でも埋めているのかと疑いたくなる禍々しい空気が漂っていた。

 工場の外を一周回っただけでも、体長3メートルを超える怪幻が数匹うろついていた。

 今回の怪幻は、哺乳類のような肌でだるだるのぜい肉を包み、背筋にびっしり毛を生やした、六本足の怪異だ。


(何匹いんだよ)


 厄介なことに、そいつらを祓ったところでこの息苦しくなるような空気は晴れていない。


「恨むぞ爺さん、3千円じゃ割に合わねえ」


 物に取りついた悪霊を祓うのとは話が違う。


(怪幻が群れをつくってる、ということは)


 ため息の一つをついて、俺はけだるさを覚えながら扉を開いた。

 瞬間、世界が切り替わった。


 工場の中に、立体構造の工業都市が生えていた。

 違法建築待ったなし。

 工場の上に工場が立ち、水平方向に拡張され、工場間を人一人が余裕で歩けるほど太いパイプでつながれている。

 コンクリートの壁面には無数の排気口と換気扇が取りついていて、そこかしこにある配電盤からは何本ものケーブルが伸びて都市内に張り巡っている。


「やっぱ領域が展開されてるじゃねえか」


 外から見た内装と、実際に足を踏み入れた世界が大きく異なっている。

 振り返れば背後にも工業都市は広がっていて、入ってきたはずの扉すら消失している。


 怪幻が生み出す、非現実と現実の間に存在する超常空間を、俺たちは領域と呼んでいる。


「扉も消えてる。これは、呪術を知らない人が迷い込めば出れないだろうな……ん?」


 と考えている間にも、建物の陰から3メートル級の怪幻が飛び出して、俺を背後から狙っていた。

 不意を衝くだけの知恵がある。

 狡猾な怪幻は総じて力量が高いと決まっている。


 だが、悲しいかな。


「動きが直線的すぎる」


 右足に呪力を溜める。

 凄まじい勢いで飛び掛かる怪幻が間合いに入ったタイミングで、回し蹴りを振りぬく。

 つま先が怪幻のこめかみを捉えて、工業都市に立つ工場の一画へと蹴り飛ばした。


「お前ごときに使うはらい札がもったいない」


 はらい札1枚使うだけでタダ働き確定なのだ。

 領域の主以外に高い金を払ってやるつもりはない。


「さて」


 魔物を一匹祓ったことで、俺は工場の一つへと視線を向けた。


「出て来いよ、そこに隠れてるやつ。抵抗する間も与えられずに死にたくなかったらな」


 呪力の残り香のような物が漂っていた。

 実力の低い怪幻が気配を消そうとして消し損ねた痕跡だろうとあたりを付けて、にらみつける。


 だが、予想外にも、そこにいたのは怪幻ではなかった。


「お前……!」


 まず、最初に見えたのはフード付きのパーカーを被った、目の大きな女の顔だった。

 口に鮮烈な紅を引き、そして白い足をミニスカートで惜しげもなく晒している。

 ある意味で現実らしくないその女性と、俺は一度出会っている。


「こんにちわー! 卯月アリスだよー! また会えたねお兄さん! やっぱりアタシのピンチに駆けつけてくれたんだね!」


 片手に配信用カメラ、片手に送狗おくりくの式神の型紙を持っている。


(あの呪力の残滓、俺の呪力かよ!)


 面倒くさいことになった。本気でそう思った。


(帰れって言おうにも、出口が無い。領域を脱出するためには主を倒さないといけないが……)


 ちらりと、女性を見る。


(『夜叉の鎧』に殺されかけてた時にも無抵抗だったし、呪術の心得は皆無だろう。民間人一人の護衛が任務に追加か……本気で割に合わねえぞ)


 一度痛い目にあっているのに、凝りない人だな。

 そんな事を考えながら、俺は一枚の札を取り出した。


「持ってろ」

「これは?」

「護符の一種だ。怪幻から姿を隠す効果と、ある程度までの攻撃を防ぐ効果がある」

「怪幻?」

「怨霊、物の怪、妖、悪神。その手の怪異をひっくるめた総称だ」

「あ! じゃああの廃村でアタシを襲った鎧も!」

「そういうことだ。生きて帰りたけりゃ離れるなよ」

「はーいっ」


 肌が密着するレベルで女性が俺の腕に腕を組む。

 パーカー越しに脂肪の塊が押し当てられる。


「くっつくな」

「えー、アタシ怖いー」

「ならなんでこんな場所に来た」

「えへへ、ここに来たらまた会えるかなって思って」


 そんなことに命を張るんじゃない。

 命ってのはな、安くないんだからな。

 ただし呪術師の命を除く。


「それよりお兄さん、さっきのカイゲン? は蹴り飛ばしてたよね? 鎧の時みたいにお札を使わないの?」

はらい札だって安くないんだよ……」

「そうなの?」

「1枚で3千円する」

「う、うーん。高い、けど、それであの化け物を倒せるならお値打ちのような……?」

「あのなぁ、『夜叉の鎧』の討伐の報酬が5千円。今回に至っては情報が間違ってて3千円だ」

「安っ⁉ 命賭けの仕事なのに⁉」

「呪術師は奉公なんだよ」


 腕を絡める女の腕を引きはがす。


「普通は呪術師の仕事はボランティア。他に専業があって、休みの日に社会貢献するんだ」

「へえ! じゃあお兄さんも専業があるんだ!」

「学生」

「え?」

「学生」


 二度言うと、女性は俺の体をペタペタと触った。


「収入が無いわけ。だから、赤字覚悟の札に頼った脳筋ゴリ押し戦法はできない」

「大変だね……」

「そう。だから密着するのやめて」

「でも、筋肉はアタシに触られて喜んでる」

「喜んでない。勝手に筋肉と会話するな」


 好き勝手する余裕が無くなるように、少し速足で移動する。

 女性は名残惜しそうに声を出して、慌てて追いかけた。


「アタシもね、実は高校生なんだー」


 そう言う女性の方を見る。

 髪飾りや化粧品、マニキュアに配信用カメラ。

 ずいぶん金がかかっていそうである。


「学生の財力で揃えられるコーデなのか……?」

「えへへ、知りたい?」

「闇バイトとか、よくないと思うぞ」

「違うよ!?」


 違うのか。

 というか闇バイトは呪術師の方だったな。


「じゃじゃーん! アタシのパーカーもミニスカートもマニキュアも化粧品も、ぜーんぶ配信収益で買ったものなんだぁ」

「え」


 女性はスマホを操作すると、俺にだけ見えるように合計収益額を提示した。

 そこに記載されていたのは、9桁目前の日本円。


「配信ってそんなに儲かるのか⁉ 俺たちが命賭けて数千円を稼いでるのに⁉」

「アタシは特別だよ。運がよくって、応援してくれるみんなと会えたから」

「そうなのか、そうだよな。配信でそんな金額、普通稼げないよな」

「普通はね? でも、お兄さんも特別だと思うよ?」


 そう言って、女性は俺に配信用カメラのレンズを突きつけた。


「ねえお兄さん! アタシと一緒に配信しない?」

「配信? いや、俺は運が無いから」


 なにせ親は事故みたいな事件で他界しているし、引き取られた先が逃げ場のない呪術師の一族。薄給でこき使われるわ、任務先で民間人と鉢合わせるわとことんついていない。


「大丈夫だって! アタシ、運はめちゃくちゃ強いから」


 それはそうだろうな、と思う。

 普通の人は怪幻に二度遭遇して生き延びるなんてできない。

 呪術師が駆けつける前には死んでいる。


「あとは、お兄さんの特別があれば十分だって!」

「俺の特別?」

「そ」


 パーカーの袖で手首まで隠した女性は、配信用カメラと反対の手で送狗おくりくの式神の型紙をひらひらさせていた。


「一緒にやろうよ! 呪術専門の配信チャンネル!」


 女性は「名前は、そうだなぁ」と呟いて、こう言った。


「その名も――呪術配信!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る