第3話 呪術機関

 伊勢市の豊川町の南東部に、歴史の趣のある大きな屋敷が立っている。手入れの行き届いた庭園の色とりどりの花々や枯山水を通り抜ければ、立派なヒノキの柱が立ち並ぶ、白い壁が美しく輝く屋敷が見えてくる。


そう兄ちゃぁぁぁぁぁん!」


 縁側をドタドタと、小動物のような女の子が駆けてきて、勢いよく跳躍した。

 着地を一切考えていないおてんばなお嬢様を、俺は両手を広げて抱きとめる準備をした。

 次の瞬間、鈍器で殴られたような衝撃が上体を打ち抜いた。


八重やえちゃん、また大きくなったかい?」

「うん! すぐに惣兄ちゃんと同じくらいおっきくなるよ!」

「ははっ、それは楽しみだ」

「むー、また子ども扱いする!」


 俺の腰ほども無い、幼い少女の名前は菊地きくち八重やえ。呪術の三大名家の一つ、菊地家のご令嬢である。


「八重さん、惣司さんが困っているでしょう。離れなさい」

「えー、惣兄ちゃんは困ってないよね?」

「いいから、離れなさい。ごめんなさい惣司さん」


 化粧の薄い、艶やかな黒髪を伸ばしたお姉さんは天雉あまきじ吉埜よしのさん。若くして奥ゆかしさのある女性だが、風紀を乱す振舞いには苛烈な姿勢で対処する。


「俺は大丈夫ですよ」

「私の気が気でないんです……」

「え?」

「なんでもございません。桜守の御隠居様が奥でお待ちです」

「ありがとう。行ってくるよ」


 呪術の三大名家が集う、伊勢のとある屋敷。

 紀元前十一世紀に端を発する、日本を陰から支えてきた呪術機関。

 俺たちが所属する組織の名は、金烏門きんうもんという。


  ◇  ◇  ◇


 屋敷の奥には黒檀こくたんで作られた部屋がある。

 近づくだけで肌がしびれるような凛とした空気のする部屋に足を踏み入れると、美しい模様が彫り込まれた立派なはりが、圧迫的な無音を保っている。


「来たか、惣司」


 外陣げじんの奥にある深紫色の座布団に、老齢の男が腰かけていた。


「暇なのか爺さん」

「暇ではない、が、あちこち動き回るだけの体力も残っておらん」


 彫の深い顔。

 額から頬まで大きく裂けた痕のあるいかつすぎる男。

 泣く子も黙るようなこの老人が、俺の爺さんだった。


「惣司、お前はいずれ桜守を継ぐ」


 ボケたか爺さん。


「現当主は叔父だし、叔父には息子がいるぞ?」

「お前にも桜守の血は流れておる。力のあるお前が当主になるのは当然だ」


 祖父母に引き取られ、桜守姓を名乗ってはいるが、根っからの桜守の叔父と比べればやはり気後れする部分がある。


(あまり叔父さんの不興買いたくないんだよ)


 桜守当主の手取りと権力争いを秤にかければ、どう考えても木っ端の構成員でいた方がマシだ。

 なんせここは呪術の一族。

 一般家庭の遺産相続とは違って、恨みつらみがそのまま不幸となって襲い来る。

 そこまでして厄介事に首を突っ込みたくないというのが俺の本音だ。


 そういう理由で、色よくない反応を示していると、爺さんが続けて口を開いた。


天雉あまきじや菊地もお前を当主にと考えておるぞ」

「は?」

「ほれ、吉埜や八重はお前の許婚いいなずけになろうとしているだろ」


 首をかしげざるを得ない話だ。


「吉埜さんは呪術のいろはもわからない頃から親切にしてくれてた。八重ちゃんはまだ子どもだろ」


 吉埜さんは時系列がおかしい。

 ここに来た頃、俺は一般家庭で育った、腫れ物みたいな存在だった。

 そのころから優しくしてくれていた彼女に打算があったとは思えない。

 優しい人なんだ、本当に、根っから。

 親切を好意と履き違えるような勘違い野郎にはなりたくないものである。


 八重ちゃんは……わからないな。

 彼女自身にそんなつもりがなくても、菊地の人間が俺に懐くように仕向けている可能性もなくはない。

 しかし俺から見れば妹みたいな存在だ。

 許婚になるイメージがまるでわかない。

 本気で許婚にしようとしているなら、菊地の当主はよっぽどのロリコンなんじゃないかと疑ってしまう。


「惣司、お前……」


 爺さんがあきれた視線を向けていた。


「お前はあれのように、呪術を捨てるなんて真似をするではないぞ」


 あれとは爺さんの長男坊であり、俺の親父のことだろう。

 どこか遠くを見つめる爺さんの瞳が、俺にかつての親父の姿を重ねているのが、なんとなくわかった。

 だけど俺は親父じゃない。


「孫の恋愛に口を出すもんじゃないぞ」

「ぬ!? 許さん! 許さんからな! お前は呪術の家系と縁を結べ! 天雉あまきじや菊地が嫌なら干支烏えとからすの縁者でもいい!」


 干支烏というのは俺たちの所属する組織金烏門きんうもんにおける、三大名家に次ぐ、十二の有力な血脈のことである。

 ちなみにさらにその下には天狗あまつきつねと呼ばれる末端構成員がいる。俺も立場は天狗あまつきつねである。


「あーうるさいうるさい。どうせ学業と仕事で忙しくて恋にうつつを抜かしてる暇なんてねえよ」

天雉あまきじとの縁談を進めてやろうか?」

「いらん!」


 吉埜さんは女性だ。

 前時代的に、血が男から男へ受け継がれると考えている呪術家系においては長男ほど人生に縛りがない。

 俺の親父と違って、吉埜さんは一般男性と一緒になっても糾弾される話ではないのだ。

 天雉あまきじとしては呪術の家系と縁を結べれば嬉しいんだろうけどな。


 吉埜さんには親切にしてもらって、俺自身が好意を抱いているのは認める。

 だからこそ彼女には本当に好きな人と生涯を共にしてもらいたいと思っている。

 家の政略道具にされるような結婚をしてほしくない。


「へたれめ」


 何とでも言え。


「まあよい。それより惣司、次の任務だ」

「はぁ? 帰ってきたばっかだぞ」

「よろこべ、金烏門きんうもんは万年作業が山積みだ」


 どう考えても構成員の縁者しか受け入れない排他的組織なことが原因だと思う。


(求人でも出せ、と思わなくもないけど、いつでも解体できる規模じゃないとダメらしいんだよな)


 どうしてダメなのかというと、俺たちがあくまで天皇の陰だからだ。

 陰が強くなりすぎて、本体である天皇に反逆できる規模を持つのは禁止されているらしい。

 反逆の傾向が見えればいつでも解体できる。

 その範囲内でしか金烏門きんうもんは勢力を拡大できないのである。


 そしてそのしわ寄せは、俺のような、なまじ実力のある木っ端の構成員に押し寄せる。


「伊勢湾岸にある廃工場へ向かえ。住民が時折姿を消すと噂になっている」


 いかつい爺さんがタブレット端末を操作して、任務概要書を表示する。

 そうそう。こういう風に価値観も近代化していけ。

 技術の近代化と結婚観の近代化にそれほど違いは無いだろうと思いながら、資料に目を通す。

 手当は3千円だった。


「なあ爺さん、いくら何でも薄給すぎないか」

「呪術師は奉公だ」

「にしても」

「やれ。金に不満があるなら自分で案件取ってこい」

「うぃす」


 金烏門きんうもんにおける上からの命令は絶対なのである。


(夜逃げしてやろうか。いや呪われるよなぁ)


 そう思いながら、俺はスマホに任務情報を転送する。


(親父とおふくろの死も、呪術師の仕業って可能性も――いや、さすがにそれは考えすぎか)


 葬式で爺さんに初めて会った時の印象は、抜け殻だった。

 あの悲しみは演技で出来る物ではない。

 それに、呪術師としての才能がどれくらいかもわからない俺を連れ戻すためってのが目的なら、手が込みすぎている。


「はあ、呪術師なんてクソだなぁ」


 豊川の屋敷を後にして、俺は伊勢湾へと向かった。

 ぼやいた恨み言が晴れる予感を、この時の俺はまだ、持っていなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る