第2話 卯月アリスの廃村配信

 卯月うづきアリスは伊勢の山奥にある廃村を訪れていた。

 趣味と実益を兼ねた仕事である。


 趣味とはすなわち観光地巡り。

 ため息が出るほど美しい絶景スポットを巡り、その記録を残すのが彼女の趣味だ。

 そして実益とは、

「みんなー、卯月アリスのお茶会にようこそー! アタシはいま、三重県伊勢市の山奥に来ていまーす!」

 配信サイトを通じた配信収益のことである。


・アリスちゃんこんにちわー

・配信アリがとう!

・アリスちゃん今日もかわいい!


 彼女を称賛するコメントに愉悦を覚えながら、人当たりのいい笑顔に変換して配信を続ける。


「みんな見えるかな? この廃村は有名な心霊スポットなんだって!」


 戦国時代、そこは合戦の駐屯地として使われていた。

 だから、伊勢を攻め落とそうとする戦国大名に狙われ、井戸に毒を流す工作にあった。


「なんでも戦国時代の亡霊がいまもさまよっていて、村を訪れようとする人を呪いで追い返しているとか! そこで!」


 アリスがガオーポーズでイタズラっぽく笑う。


「卯月アリスがこの廃村の秘密を解き明かしてみせます! 不思議な国の世界を、今日も楽しんでいってね!」


・はーい!

・アリスちゃん無理しないでね

・頭痛とかめまいがしたらすぐに引き返してね


 コメントと景観を交互に見ながら、物々しい雰囲気を放つ廃墟の並ぶ古い町並みを歩いていく。


「わあ……この家なんて酷いですね。扉はなくなってるし、部屋も刀傷? だらけでボロボロだよ」


 アリスがレンズに収めた廃屋は、強盗殺人が起きたような惨状だった。部屋中に鋭い刃物を振り回したような傷跡が残っており、タンスも戸棚も、見るも無残な廃材と化している。


「あの戦国時代っぽい鎧も傷だらけだね」


 その、ふすまの八つ裂きにされた家屋の居間のさらに奥に、戦国甲冑が一つ、鎮座していた。

 床几しょうぎに腰かける武将のように厳かに、部屋の奥から、じっと玄関を見つめている。


 もちろん、見つめているというのは物の例えだ。

 甲冑に兜はあれど、顔は無い。

 当然、眼球が埋め込まれているはずもない。

 だからその鎧に視線など存在するはずがないのだ。


・ホラゲだったら次に来た時いなくなってるやつ


「あはは、まさか。現実にそんなことあるわけないじゃん」


 アリスは何事も無いように笑ったが、背筋は凍り付くような思いだった。

 足元を見れば、自分の影から黒い手が伸びて、くるぶし、ふくらはぎ、太もも、腰と這いずり回ってくる気がしてくる。


「なんだか、霧が出てきたね」


 深くはないが、村の奥は白く霞んでわからない。

 村を探索している間にそんな霧が立ち込めてきた。


 立ち止まろうか、村の端まで歩いてみようか。

 アリスがそんなことを考えていた時だった。


「あ……れ?」


 そこに、一軒の家屋があった。

 扉の無い、強盗殺人が起きたような廃屋だった。

 部屋中に鋭い刃物を振り回したような傷跡が残っており、タンスも戸棚も、見るも無残な廃材と化している。


「こ、ここって、さっき、戦国鎧があった――」


 インテリアの傷のつき方に既視感があった。

 拭いきれないほど強烈なデジャブが襲ってきた。


 霧に迷って同じところをぐるぐる回ってしまったのだろうか。


「無い……さっきあった鎧が、なくなってる」


 同じ間取り。同じ刀傷。

 だが一つ、部屋の最奥に座していたはずの鎧だけが、忽然と姿を消している。


 ぞくぞくと背中が粟立った。

 背後に、突然、心臓を押しつぶされるような重圧が広がって、アリスが振り返る。


 そこに、肉体の無い鎧が浮かんでいた。

 腰に差した鞘に収められていた日本刀が、鯉口を切られ、鈍色の刀身をおもむろに顕現させる。


「う、そ……」


 刀を上段に構える鎧武者の姿が、アリスの瞳に映し出されている。


「キャアァァァァァ!」


 アリスはその場を飛び出した。


「嘘、なんで、どうして⁉ なんなのよアレ!」


 手に持ったカメラを鏡代わりに背後を確認する。

 宙に浮かんだ戦国鎧は、緩慢とした動きで、再びアリスを正面に捉えようとしていた。


 だからとっさに、視界の隅に映った、人一人通れるかどうかという細い路地へと飛び込んだ。

 長い年月手入れされていなかった路地には何ともわからない雑草がぼうぼうに生えていた。

 惜しげもなく晒した白い足に、おぞましい、雑草の感触が蛇のように這いずり回り、嫌な悪寒が脳を芯から震わせる。


 入り組んだ路地裏を飛び出したところに、くたびれた木造家屋が一軒、ぽつんと立っていた。

 重度の緊張と普段はしない全力疾走で、アリスの息はとっくに上がっている。

 村から逃げ出ることと、身を潜めることを比べて、彼女はそのボロい家屋へ飛び込んだ。

 部屋の中央に掘り炬燵ごたつを見つけ、そこに身を隠し、じっと玄関の方を見つめる。


「なんなの、なんなのよ、アレ……」


 霧はどんどん深くなっていた。

 雨風を凌げるかどうかもわからないこの廃屋は、家の外同様、真っ白な霧に包まれている。

 呼吸を取り入れようとするたび、湿った空気が、口腔を嫌な感触で凌辱していく。


・アリスちゃん逃げて!

・やばいやばいやばい

・警察呼ぶから伊勢のどこにいるか教えて!


 心細さから逃れるように向けた視線の先で、コメントが嵐のように踊っている。

 あまりにも流れるのが早い。

 一瞬すぎて、ほとんど何も読めない。

 そんな中、ただ一つ、読み切れたコメントがあった。


・足跡追ってくるかも


 威圧感が、質量を纏ったようだった。

 目で見なくても、肌ではっきり感じ取れた。


 ぼろい家屋の扉が、室内へと弾けとんだ。

 埃が白煙のように舞い上がり、その向こうにいる、濃密な殺気を放つ存在の影を映している。


(あ、死ぬんだ)


 死というものを、初めて身近に感じた。

 全身の血の気が引いた。体温を失ったかのような寒気の後に、体の内からマグマを流されるような熱に全身を刺激される。


 もう、渇いた笑みしか浮かばない。


 そんな時だった。


 青白い光が、肉体の無い鎧武者の横腹を打ち抜いて弾き飛ばした。

 部屋の奥の壁に鎧が激しく叩きつけられて、重厚な金属の質感をしていたそれが、黒い霧になって空気へ溶けていく。


「大丈夫です、か?」


 そこに、男がいた。

 アリスより15センチは大きいが、細身の男性だ。

 しかし軟弱に見えるかと言えば筋肉はよく締まっており、狼のような魔性と力強さを鋭い眼光に秘めている。


・ナイト様来たぁぁぁぁ!

・うぉぉぉ!?

・誰か知らんがナイス!

・アリスちゃん無事で良かったぁぁぁ!


 瞬間、運命めいたものを感じ取った。

 この縁を手放してはいけないと、直感が、うるさいくらいに騒がしく警鐘を鳴らしていた。


「助けてくださりありがとうございます! アタシは卯月アリスと言います! お兄さん! いまのいったいなに!? あ、配信中だけど大丈夫?」


 掘り炬燵から這い出て、慌てて彼へと駆け寄った。

 彼の手をぎゅっと握れば、皮の厚く、男らしい力強さを感じて胸がドキッとした。

 先ほどまで青ざめていた顔色が、見る見るうちに紅潮していく。

 甘い吐息を胸の内に抑えておけない。


「アリスの不思議な国へようこそ! お茶会をたのしんでいってね!」


 彼ともっと仲良くなりたい。

 そのためならどんな手段だって使ってやると、アリスは朱唇に指先を妖艶に這わせた。


「それでお兄さん! お名前は?」

「まずカメラ止めようか」

「ダメです! エロ同人みたいなえっちな話はNGです!」

「しねえよ」


 男は首の裏をガシガシして、

送狗おくりく

 と、懐から四本足の獣の形に切り抜いた、指三本サイズの和紙を取り出した。

 先ほど鎧を弾き飛ばしたような青白い光が真白い和紙に柔らかに灯る。

 質量保存の法則を無視したように、ただの紙が受肉するように膨らんで、狛犬のような白い狗が現れる。


「すっごーい! これどうやったの!?」

「ここは一般人が立ち寄るべき場所じゃない。こいつがふもとまで連れていってくれるから山を下りろ」

「ねえ教えて!」

送狗おくりく、まかせたぞ」


 送狗おくりくと呼ばれた白い犬は首肯すると、そのままアリスを背中に乗せた。

 アリスがまだ聞きたいことがあると降りようとするが、不思議な力で縫い付けられたように離れられない。


「え、ちょっと待って! せめて名前だけでも!」

「ここであったことは忘れた方がいい」


 アリスを乗せた送狗おくりくは、霧の中を、ギアを上げるように少しずつ加速していく。

 二人の姿は霧で朧げになり、やがて完全に白いカーテンの向こうに消えてしまう。


(……あは)


 山の中を駆けていくアリスの顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


(カッコいい人だったな……また会いたいな)


 そんな粘着質な執着心が炎のように灯った。


(アタシの運命の人だ……)


 じくじくと疼く官能は収まってくれそうにない。

 いつか絶対、もう一度巡り合う。

 予感なのか決意なのかわからないものを胸に抱き、アリスはドロドロの恋心を募らせた。

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