第14話 誉

 広場へ着くと、ちょうどケルビムが背丈のある石に何かを彫っているところだった。


「ケルビム!!なんだいこれは?!」

「ああ、エメメ女史、おはようございます」

 ケルビムは呑気に挨拶をしてきた。一応返したものの、これにて解決とはいくまい。ケルビムはまだこの場を離れるつもりがないようなので、エメメは彼が石に刻んでいるものを見ることにした。


 まだこの地域で、書き言葉などという高尚な文字列は生まれていない。それでも彼の成した文字というのは、"言葉"よりも"文章"のかたちにまとまっている。

 薬草の使い方や、生活のアレコレをまとめているみたいだった。

「それ、その文字は何?」

 エメメはケルビムの文字が、エメメ達の使うものと明らかに違うことを尋ねる。

「これは象形文字を進化させて、ひとつの形が固有の意味を持つよう改良したものです」

 彼の製作らしかった。


「もう少し見ていかれますか?」

 ケルビムは石板を離れ、迷路のような道を案内し始めた。


 内部には、意外にもすでに多くの人がいた。なんと水場があったのだ。朝の水場に人がいなかったのはそういうことか。

 赤土が乾ききったような薄い茶色の砂と岩にはところ狭しと紋章のようなかたちや先ほどの文字が刻み込まれ、これまで音で行っていた"記録"と"伝達"を視覚的に表していた。

 ひらけた中央には、クババが乗ってきた四角い飛行体が停められている。その飛行体に刻まれた絵と文字は、ケルビムが作ったものによく似ていた。


「それでここは結局なんなのよ?」

「ここは公園よ。みんなの憩いの場」

 そこで聴き慣れた声がして、飛行体の裏から赤い髪のクババが現れた。

 下ろしていた長い髪をくくり、服も簡素なサラシを巻いているだけ。まるで違って見えるが、少なくともそれが彼女の美しさや存在感をかき消すことはなかった。


「これからは水場はここも使えるわ。それに夕方と朝には日陰になるから、みんなで集まるときにも使えるわね」

 クババは前々からみんなで集まる水場の周りに陽を遮るものがなかったことを気にしていた。

「まさか、そのためだけにこんなに深く……?!」

「まあそんなところね」

「なんて子だい」

 クババは人の声をよく聞いていた。傾聴がどうも向くらしく、そこから話を広げたりするのも得意だった。だからエメメも、祈祷師の仕事の時はよく連れて行く。


 祈祷師の仕事といえば祈願かお祓いである。ただお祓いといっても突然祈祷をして始めるのではなく、人の話を聞き、例の話を聞き、どうしたいかを話し合うところから始まる。エメメはぜんたい人の話を聞くのが得意ではないから、クババは重宝している。

 改めて、このクババという、無垢な少女のような祈祷師を不思議に思った。

 なんて、美しい心をしているのだろうかと。


 思えば、エギラのことも火事のことも、一番気にかけてくれているのはクババだった。何年もここに住んできたわけでもないのに、熟知しているし、なんだか彼女に任せておけば安心できるまである。

 その理由のない安心感が本物であることは、長年生きて人を相手にしてきたエメメが一番良く知っている。


 少し経つと、この集落は完全に目を覚ます。すると突如現れたこの公園に驚きつつ、好奇心でやってくる。相変わらず不用心な奴らだと思った。


「へぇ、これが新しい文字ねぇ」

「あら見やすいんじゃないの?」

「子どもにも教えなきゃ」

 文字は結構いろいろ言われていたものの、もとの文字の存在もあり拒絶反応はそこまで激しくなかった。薬師から訂正があって薬草板を書き換えたりする羽目になったものの、手応えは抜群だとクババは感じている。

 

 クババは公園の南側に設置した簡単な住居で、この公園の名前を考えていた。クババはネーミングセンスなど欠片もないしそのことは自覚しているが、名前をつけるのが好きだった。

 この土地の特徴とかを踏まえて当たり障りない名前にすればきっと……。

「却下」

「ええーーっ!!」

 ケルビムに相談したらいつものごとく即却下。

「なんでよ!!」

「なんでよじゃありませんよ!なんですかこの名前は」

 クババが刻んだ石板には、"憩住集こてりゃ"と書かれていた。

「みんなご協力してつくった、集まって話せる憩いの場よ?!そーゆー意味よ?」

「読みにくいんですよ」

「!!じゃ読みは"こすず"で」

「急に古風。……そういう意味じゃないです」

 あいも変わらず懲りない人だ。

「あら、名前ならこの土地の名前を使いなさいよ」

 するとどこからともなくエメメとライース、エギラとアエディが帰ってきて言った。


「横から突然ごめんね。ここはね、昔からギョベクリ・テペ太鼓腹の丘って呼ばれてんだ」 

 エメメはやはりさすがここのことなら何でも知っている。ケルビムはクババの壊滅的なネーミングセンスにはもう頼らないことを密かに決める。ただクババにそれを察されたことには気づかないが。


 その広場はギョベクリ・テペの名を冠し、クババを含む多くの人間の憩いの場になった。水場があり、日陰もありで、数日もすれば雑貨や食べ物を交換して売る店は殆どこの周辺に移り、商店街のような一帯が出来上がった。


「クババちゃんはすごいわねぇ」

「ねぇ。こんなに生活が楽になるだなんて」

 クババはこの地域に住む老人たちによく可愛がられていた。昔の文化を何より大切にしてきた、封建的で有名なこのギョベクリ人たちをだ。クババが刷り込んだ術語による信心も手伝って、クババは支持を広げていっていた。


 それはよい傾きを生み出してくれるであろう。

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