第10話 ギョベクリ・テペ

 ボイドでの長居はよくない。

 クババのもつ術語はその強い魔力ゆえに実は追跡が容易い。万一、クロノスにこの計画が知れ渡っていた場合に危険だ。だからクババは、惜しまれつつもまた飛行船に乗り込んだ。


 一度乗組員をふくむすべての付着物を光の分子にまで分解して速での星間航行を楽にするワープを使えば、地球はそれほど遠くない。ものの一〇数分で、青い惑星が先に見え始めた。


「ほんと、うらやまし」

「何がです?」

「綺麗すぎない?あの星。私の瞳に中途採用したいくらいの紺碧こんぺきね」

 クババの瞳は少しくすんだ水色。髪の赤と補色の関係にあって目立つ割に特段きれいとも言い難いこの色は好きじゃなかった。

 

 地球には大気があった。比率としては、酸素三、窒素五、二酸化炭素二割といったところか。生態系は生産者である植物、微生物とそれを捕食する草食動物、その上に肉食捕食者という、クババたちの世界とおおむね共通している……とセラフィムからのFAX。

 

「じゃあ大気圏突入いくわよ」

「空の生態系への配慮をとセラフィムからいただいていますよ」

わかってるわよ」


 大気は目に見えないだけで物質。だから当然抵抗がある。クババの半生を刻んだ外装は地上に降りるまでに少し削れた。

「ふぅ、鬼門は突破したかしら」

「ええ、今はこの星も安定期ですし」

「よかった。じゃあ次はニンゲンを探さないとだわね」

 クババは操作にも慣れてきた。あちこち飛んでいく。

 

「あそこなんかどうかしら?」

 クババが指した先には、わりと大きいのではないかと思われる集落があった。

 のちのトルコにあたる、西側の土地だ。今は乾季らしく、カラッとした風が吹いている。

「あれがニンゲン」

 集落には、少し毛の薄い猿のような二足歩行の生き物。すでに高い知能を持って発達しており、火や言葉の原型のようなものを使っていた。


 クババはレバーを操作して、そこから少し離れた丘に降り立った。

 新緑の芝が眩しい。暑いが、爽やかな星だ。


 人間たちは戸惑っていた。

 突然空から四角い飛翔体が飛来したかと思えば、そこから見たこともない髪色をして頭には輪を浮かべた人間らしいなにかが降りてくるのだから。

 だけど、積極的に攻撃したり、威嚇したりすることはない。察する力があるゆえの落ち着きだ。クババたちが何か危害を加えてくることはないと、彼らはわかっていた。


 クババは術語の力をんだ。

 その魔力は龍の形になり、空に高く昇って輪を作った。

「天に授かりしあまねく奇跡よ、今此処に在りて救いたまえ。悪しきを払うてこの身捧げん」

 クババは古い呪文を唱える。


 やがて術語は光を失い、人々の魂に入り込むようにして消えた。


「ねぇ、みんな聞いて!!」


 そんな"ニンゲン"に、クババは話を聞いてもらうことにした。


「私の名はクババ。今の見た?!あれは私の力なの」

 人々は興味津々、クババに少しずつ身を乗り出す。ここで彼女のカリスマ性が発揮されるとは。


「私はみなさんと暮らしたい」

 クババは言い放った。

 

 しばらく、人々は顔を見合わせて考え合った。すると群衆の後ろから、一人の老婆が躍り出る。


 皆が麻や毛皮の粗末な腰巻きという格好の中で、ひときわ目立つ、ひのき色の着物をまとった小さな老婆。彼女は集落の祈祷きとう師で、名をエメメといった。

 エメメは抜けた髪を振りながら、クババを舐めるように見た。

「暑苦しい服だね。あんた、不思議な力を持ってるね。生きてきて長いけど、あんな美しい魔力を持つ祈祷師ははじめてだ」

 べつに私祈祷師では……。

「どうだ、私の世継ぎになってくれたら、このムラに迎えるというのは」

 老婆の低い声を、クババは聞き逃さない。

「いいんですか?!」

「ああ、勿論。それに、綺麗な目だね。澄みきらない、濃い色の目は人の真心を表すからね。澄み切った目のやつはたいてい偽善者さ」

 エメメはにこりと笑った。


 横皺が多いのは、これまでよく笑う人生を歩んできた証だった。

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