第2話 ストロマトライト

 セラフィムはその日、久々に夜なべした。


 ただひたすらにノリと勢いで生きながら、純朴で真剣な女王クババからの依頼で始めた研究。すべてを生んだ神であるクババ、その介入なしに発生した生命を調べ観察する。


 セラフィムはパソコンから目を離し、メガネを取った。机を蹴ってキャスターチェアを転がす。

 曖昧な境界線を少しずつこちらへ向けながらまわる青い球体は、車一台ほどの部屋のど真ん中にある。これが宇宙空間だ。


 無を限りなく再現してから、自然発生を待った宇宙空間。自ら結合し物質を生成しながら生きる宇宙空間は、それそのものが生命活動を行う生命体だ。

 だけどちっとも、そのなかでおきる未曾有の事象が解き明かせない。


「先輩、コーヒーです」

「サンガツ」

「えっなんJ?」

 研究室を出て照明の眩しさに視界を絞っていたら、口裏を合わせたように後輩のバルバスがコーヒーを淹れてくれていた。

「明かりくらい点けたらどうです?身体に悪いですよ」

「いや、実験空間の兼ね合いで暗くしないとならないんだ」

「はあ……」

 セラフィムはコーヒーを一口飲む。濃いコナ・ブラックが彼を現実に引き戻した。


「ちょっと出てきます」

 セラフィムは研究所を出た。都会も田舎も平等に存在するこの国の丘の上にある建物。屋上に登らずとも景色はいい。裏手にまわると小さく街が見えた。


 クババのセンスと自分の仲間の手柄で動くこの世界。

 セラフィムも見たことない、クババしかその記憶を持たない”無”の空間。その中にここがある。

 宇宙空間に知的生命が生まれたら、同じく宇宙をそう捉えるんだろう。輪廻……どこへいっても、物事の真理は同じだと思った。


 わからないものは仕方ない。

 だったら、目の前の計器の指し示す数値を、ただまとめて、後のために取っておけばいい。

 今解き明かす必要はない。

 

 セラフィムは研究室へ戻った。

 何やら計器が反応している。


 セラフィムたちが目星をつけた地球はすでに誕生から四二億年を迎えていた。いつの間にやらカンブリア紀もオルドビス紀もシルル紀も見送り、デボン紀に突入している。セラフィムは時世を確認してパソコンへ向かった。


 それが教えてくれたのは、酸素……Oの気体発生だった。典型元素第一六族元素。

 実験開始直後に確認できた生命にとっての毒だが、細胞共生進化でミトコンドリアを得てエネルギー源としての活用に成功しているアレ。大気には紫外線を遮断するものがないから水がなければ死ぬのが今の生き物だが、もう少し大気が厚くなれば陸上進出も早いだろう。

 

 酸素を供給しているのはストロマトライト。初期生物のシアノバクテリアや緑藻類がもととなる塊で、太陽光から光合成で酸素を発生・放出する働きが確認できる。


 翌日には生物も大きな進歩を迎え、その結果をクババに報告しようと、セラフィムは連絡を入れた。


 翌朝。

 モーニングルーティンなんてそんなもの一切ないクババは、スヌーズを繰り返す目覚ましを止め、爆発した髪を櫛で梳かし


 バキッ


「……やだ櫛が髪に負けたわ」

 クババは折れた櫛を麻の布で包んだ。

 街で発達した宗教の関係でクババたちには、その本来の力を失った死んだものを麻で包むという習慣があった。


「クババ様お早うございます」

「heyyy」

 クババではなくケルビムが雇っているお手伝いさんはクババより遅く寝てクババより早く起きる。城と言ってもケルビムとクババが暮らしているだけで質素なのに、ここまで尽くしてくれるなんてありがたい。


 昼過ぎになって、またセラフィムの研究室へ向かうと、今日は彼の後輩で副所長のバルバス・ラトエが出迎えた。

 ラトエといえば有名な工芸の家系だ。手先の器用さと目利きはすごいらしい。セラフィムより穏和で良き。


「太陽系以外もバランスが保ててきましたが、特に太陽系は発達が良いですね。地球のハビタブルゾーンも安定している」

 バルバスは画面をこちらに向けた。


「シアノバクテリアが遺したストロマトライトが葉緑体から光合成で酸素を生みだしたのですが、大気圏上層部にオゾン層を形成することに役立っています。さらにそれが紫外線を吸収することで生物の陸上進出が可能になるとともに植物が先に出ていくことによりさらなる酸素の充実が見込めm

「それは同じ言語かしら?」

 やはりクババには難しい。この人たちがいてよかった。


「……要するに、いつ動物が陸で生活してもおかしくないのね?」

「いえ、actually既に生活しています」

「それは同じ言語かしら?」


 バルバスがカメラを切り替え、焦点を合わせている間にも時間は進む。


「ぎぃやあああああああああっ!!!!デカい虫ぃぃっ!」

 カメラに映ったのは、羽を入れれば軽く七〇センチはあるようなトンボ。メガネウラというらしい。メガネくらい表でかけてやれよ。


「あとは……」

「くぁwせdrftgyふじこlpしゅヴェあ〜〜ッ!」

「それは同じ言語ですか?」

 次にカメラが捉えたのはアースロプレウラ、ヤスデ的ビジュアルの生物。虫嫌いなクババはとりま発狂した。

「こんなところいけないわ!しばらく出張は禁止ね……!」

 クババは身震いする。クババたちの世界にはないが、進化の過程でこういう見た目になることは他の惑星でもあり得るらしい。

「足がそんなにあって絡まらないのかしら」

「なら行って見まs

「絶対いや」

 バルバスの提案には即答した。


「もう少し早めて実験しようかしら……」

 帰りの車の中で、クババはそう漏らした。ケルビムは苦笑したあとで、クババに尋ねる。

「クババ様。クババ様はなぜ、このような実験を行うのですか?」

 クババは押し黙る。

 ガタガタと少し硬い愛車エンビリコスのアシ。


「わたしは知りたいの。わたしが何かを」

 

 クババは自分の正体を知らない。

 クババは、果てしなく暗く、冷たく、何も起こらない無の空間に気づいたら居た。誰の力も借りずに言葉や息のしかたを覚えたクババが遊び半分に念じてできたのが、この温かい世界だ。


 自分を知りたい。

 ただそれだけだった。

 そしてそれは、この世界の持つ切り札になる。そう、信じたい。


「そうですか」

 斜陽の中で、ケルビムはそれだけ言った。


 次に地球で遊べるのはいつごろかしらと、窓の外を眺めた。

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