第12話 復興
おじいちゃんの日記
私は昔の戦争の出来事を細かく覚えとった。昔の勢いで書き留めたのを覚えている。
唯一救いなのは人を殺してなかったことだ、逆に命を救う衛生兵をしていたからな、それだけが誇り。
でも人生という奴は常に犠牲が伴う、理不尽に死んでく者が至るところにいた。
それでも自分の心に従ったつもりだ。
だからこれを読んでるお前も自分の心に従え、無理をするんじゃないぞ。
昔は愛する人がいた、小中高と恋愛を重ねお互いを愛し合った存在だ、でもでも理不尽に戦争に奪われたんだ、なぜ私だけがと不幸に思うこともある。
人生において色んな人と出会い大切に生きることを誓った、それでもやけになることもある、乱れることもな。
当時、愛する婚約者と伝票で連絡していた。
でも私の愛する婚約者は東京の空襲で焼けた、その通達を聞いたときはお世話になった村を飛び出した。
山口県から東京まで物凄い旅路だった。やく2,3週間かけてなんとか早く着いた。
遅かった、亡くなる寸前まで私を待っていたと医師は言っていた。
医師「最善は尽くしたんですが酷く焼けていて腐食も進んでいて」
当時の私は話も聞かずにわんわん泣いていた。
もう、戻らない。あの頃には。愛し合った日々。積み重ねてきた日常。全てを失った。
愛する人は手になにかを握っていた。手はすんなりと開いた。そこには焼けた花びらと焼けた指輪が。
記憶の片隅にしっかり覚えていた。
戦争が終わったら結婚しようと渡した指輪とユリの花束だった。
当時で薔薇は高くケチってユリにしたのを覚えている、指輪もしかり。
それでも愛する人は涙を流しお互いを誓った。
涙が枯れるまで泣いた。
宿舎から退出命令も出て焼けた花びらと指輪を持ち亡き愛する人を最後にした。
戦争で帰る家も焼けて無くなり漠然としていた、とりあえずは祖母の家に居座った。
しばらくは復興作業や手当てで一杯だった。
でも悲劇は続いた。長崎と広島に原爆が投下されたのだ。
その一報を受け山口にあるお世話になった村が心配になった。
そしてまた2,3週間をかけ旅路にでた。
そこからは言葉にすることもできない。道中で焼け焦げた人が横たわっていた。
私達のしたかった事がこんなこと?といつも疑問に思っていた。たくさんの人が涙を流し愛する人を失っていった。唯一救いの私だけじゃないを糧にとにかく前に進んだ。
進みながらも困る人を助けて救っていった。医師の知識もあったから治療もした。どんどん助けられる人に少しでも笑顔になって貰いたくて最善を尽くした。進んでいくうちに村の手前まで着いた。なんとか放射線をくぐり抜けなるべく端へ端へと進みようやく2ヶ月間をかけて着いたのだ。
空は薄暗く黒色の雨が降ることがしばしばあった。
放射線の知識は当時なかったが反射的に触れないように厚く服をきていた。
それが救いになったか放射線にさらされることがなかった。
人の恐ろしさが垣間見えたのが当時の心境かもしれない。
村に着いたらひたすら復興作業にあたった。
放射線の危険や爆風による被害もあった。黒い雨だって危険にさらされていたのだ。それでも諦めず最後まで無我夢中だったのを覚えている。
きっとなんとかなるさと言える日がくるまで
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