第5話  文学と哲学ーーー構造主義を巡って



 私は小説を書くときに、キャラを詳細に

設定し、プロットを組み立てて、建築物や

織物を構築するように作る方だ。

 

人間の内部を掘り下げて、その中核を

追求してゆくことは苦手である。だから、

逆に三島由紀夫とか太宰治のような作家には

興味がある。

 

 自分のように、まるでレゴブロックを

組み立てるように書いていくと、ある時、

その構造物がまさに自分を表現していることが

見えてきて、ロラン・バルトが言っていた

エクリチュールによって組み立てたテクスト、とはこれの

ことか、と分かってきた。


自分って結構いやなやつだな、とか

エッチがやっぱり好きだな、とかね。


 また、レゴブロックで途中まで金閣寺を

組み立ててきたのに、五重塔に変えてみようか

とか、金閣寺を変形させたらもっと面白い、

と気づいて、ああ、これが脱構築か、

デリダが言っていた「差延」ってこういうこと

なのか、などと今まで学んだ哲学の意味が

見えてきたように思える。


 だから、ニーチェとかサルトルみたいな実存主義的

で、まるで卵を手で持って黄身の中心の温度や

色をとことん推察するのは自分には向いていない。

 むしろ、昔子供の頃のように一日中プラモデルを組み立てて

その戦車やスーパーカーを見ながら、もっと面白い

もの作ってやるぜ、と並べて悦に入って眺めて

いるのだ。

 

 だから、固定客の人に楽しんでもらえて、

自分も楽しければ、読者を一千人超えにして

やろうとかいう野望はない。

 

 やはり、プラモデルが一番近いのかもしれない。

ガンプラとか、どんどんベターなもの作ろうとする

人いるけど、これって脱構築なのだろう。


 



                      

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