第2話
【ケース2:FXT300に恋をした少年】
僕は学校が嫌いだ。
そう思ったのは高校の入学式の時である。校長先生の挨拶の途中で周りを見渡すと、そこには無表情で同じ顔をした人がずらりと並んでいた。それは、まるでマネキンの群れの中に座らされているようで気持ち悪かった。
そして、校長先生は、僕たちに望んでもいない同じ価値観と目標を突き付けてきた。それに真剣に耳を傾ける大勢のマネキンの中で、僕はひどく孤独を感じた。
僕は気分が悪くなり、校長先生の話の途中で入学式を抜け出しトイレに駆け込んだ。
トイレで何度も吐き、洗面所で顔を洗ったのだが、そこの鏡に写し出された僕の顔は、さっきのマネキンと同じ顔をしていた。
それでも僕は、暫くは学校に通っていた。そして、入学早々に行われた学力テストの結果は学年の中間よりも下の成績だった。中学校では上位だったが、僕は高校では平均以下の実力しかないと数字で示された訳である。
「こんな成績でどうするの、もっと頑張らないといけないじゃない」
母さんは残念そうに呟いていた。
僕は母さんと二人で暮らしていた。閑静な住宅街の小高い丘の上の豪邸が僕の家である。
母さんはIT関係の会社の社長をしていた。たまにネットで母さんの顔が写ったニュースが話題になっていたので、相当の金持ちらしいのだが、どの位の資産があるのか僕は知らない。
父さんは僕が八歳のときに家を出て行った。母さんと離婚をして、若い女の人と結婚するとのことだった。
父さんが家を出ていく日も、母さんは休みなのに仕事に出かけていて、僕は一人で父さんを見送った。
「じゃあな、母さんと仲良くしろよ」
父さんは、そういって出ていき、それっきり出会ったことはない。
母さんは、僕のためにたくさんの資産を残そうと、離婚する前よりも忙しく働くようになった。僕は、そんな母さんの期待に応えようと一生懸命に勉強をした。
そして、母さんが望んだ高校に進学したのだが、僕を待ち受けていたのは、無表情のマネキンの集団だった。
「頑張れって、何を頑張ればいいんだよ」
僕は、その時に初めて母さんにたて突いた。
それ以来、高校には行っていない。
それから半年が過ぎ、その間に母さんは、僕にカウンセリングを受けさせたり、学校じゃないけど、勉強を教えてくれる先生のいる応援教室という施設に通わせたりしていた。
母さんは、家では疲れているのに、僕の前では陽気に振る舞い、高校の話をすることはなかった。
しかし、深夜に居間でお酒を呑んで、一人で酔っ払っている母さんを見たときは、僕は罪悪感を感じずにはいられなかった。
「どう、涼太も呑まない。お酒っておいしいのよ。嫌なことも忘れて、楽しい気分になれるの。あなたも酔っ払って、嫌なことを全部吐き出してみたら」
母さんは、こう話しかけてきたが、僕は
「いいよ。未成年だし」
と言って部屋に戻ろうとした。
「どうしてなの、どうして、あなたはそんな風になってしまったの」
母さんは急に泣き叫んだが、僕は耳をふさいで部屋まで走った。
僕には、どうすることもできなかった。
ある日、母さんは仕事にでかけるまえに
「今日は、涼太に素敵なプレゼントが届くの、楽しみに待っててね」
と言った。僕は意味が分からず
「プレゼントてなに?」
と問いかけたが
「それは、ひ・み・つ」
とウインクをされただけだった。そして、昼過ぎに業者が大きな荷物をもってきた。
業者がもってきた大きな箱にはFXT300と大きく書かれてあったが、中身は何だか分からなかった。
「初期設定が済むまで、一時間程度かかりますから、部屋で待っていてください」
そう言われて、僕は部屋で待っていた。
「すいません。できました」
僕は業者に呼ばれて居間まで行ってみると、そこには女の子のアンドロイドが立っていた。
業者は僕に操作方法などを説明してくれたが、それはコミュニケーションを目的としたアンドロイドで、普通は学校などに設置されるもののようであった。
「では、電源を入れますね」
業者が電源を入れると、そのアンドロイドは辺りを見渡し、僕の方を見て
「こんにちは」
と言った。
「ほら、何か話しかけてみてください」
僕は業者に急かされて
「こんにちは」
と答えた。
「あなた、お名前は?」
「りょ、涼太です」
「そう、涼太くん、よろしくね。それと、涼太くんにお願いがあるの」
「え、何ですか?」
「私に名前をつけて欲しいの」
僕が、急な要望に戸惑っていると、アンドロイドは
「すぐじゃなくてもいいよ。ゆっくり考えてね」
と言った。すると、僕はなぜか
「サヤカ・・・」
と呟いてしまった。
「サヤカ・・・それが私の名前?」
「いいや、そんなんじゃ・・・何かふと思い浮かんだだけで・・・」
「いいよ、サヤカで、素敵な名前をありがとう」
アンドロイドは、そういって微笑んだ。
「じゃあ、私たちは失礼しましね。分からないことはマニュアルで確認してください。後、二十四時間サービスのサポートセンターもありますから、遠慮なく相談してください」
そう言って、業者は出て行ってしまった。
僕はアンドロイドと二人りっきりにされて、ちょっと怖くなってしまった。
「涼太くん、これからどうしよう。ねえ、何かして遊ぶ?」
アンドロイドは、突然に話しかけてみた。
「いいや、別に。君は何かしたいの?」
「ううん、別に。涼太くんと早く仲良くなりたいだけ」
僕は、戸惑いを隠せないでいた。
「そうだ、涼太くん、私のことは君じゃなくて、サヤカって呼んでね」
「あ、そうなんですね。すいません」
「それと、敬語も禁止」
「あ、はい」
「そうだ。私も涼太くんのことを、涼太って呼んでもいい?」
「え、いきなり」
「ごめん、いきなりすぎた」
「いや、別にいいけど・・・」
「じゃあ涼太・・・」
「ごめん、ちょっと疲れたから、部屋で休んでもいい」
「そうなの、わかった。じゃあ、私はここにいるから、何かあったら呼んでね」
その日、僕は母さんが帰ってくるまで部屋を出なかった。
「なんなんだよ。あれは・・・」
僕は、帰宅した母さんにすぐに問い詰めた。
「え、気に入らなかったの」
「そういうんじゃなくて、なんであんなの買ったの」
「それは・・・涼太はずっと家にいて、私以外の人とは話もしないから寂しいだろうと思って・・・」
「寂しくなんかねーよ」
「それに、最近は応援学級にも行ってないじゃない。人とコミュニケーションを取るのが嫌なら、まずはアンドロイドで練習してみたら」
「いいよ、そんなの。面倒くさいし」
「そんなこと言わないの。あなたのためを想って買ったんだから、ただ、お話をするだけじゃない」
「それが、面倒くさいの」
僕は、うんざりしていたが、母さんは居間に行きアンドロイドを見た。
「あら、写真よりも可愛い顔をしているのね。でもよく出来ているわね、まるで人間みたい」
「だから、気持ち悪いんだよ」
「そんなこと言わないの。それとも照れてるの」
「そんなんじゃないって」
「で、もう名前はつけたの」
「うん」
「なんて、名前」
「・・・サヤカ・・・」
「サヤカ・・・なんで、その名前にしたの」
「別に、意味なんてないよ、ただの思いつき」
「涼太、呼んだ?」
僕と母さんが話していると、突然にサヤカは話しかけてきた。そして、母さんの方を向き
「あなたは、誰ですか?」
と尋ねた。
「私は、涼太の母です」
「お母さんですか、よろしくお願いします。サヤカです」
「こちらこそ、よろしくね」
母さんは、僕の方を向き
「何か楽しいじゃない。私は気に入ったわ」
と言った。それを聞いてサヤカも微笑んでいた。そして、僕だけが複雑な表情をしていた。
次の日、僕の部屋にノックをしてサヤカが入ってきた。
「涼太、何してるの?」
「え、ゲームをしてるだけだけど」
「どんなゲーム?」
僕は、サヤカに今はまっているオンライン・ゲームの説明をした。
それはバウンティハンター・アイランドというゲームで、基本的には賞金稼ぎのゲームであるが、ゲーム内で犯罪行為も可能なR18指定のゲームであった。
バウンティハンター・アイランドは、二部構成になっていて、ステージ1ではゲームを楽しむのみであるが、ステージ2ではゲーム内での賞金は現金に換金ができることから、それで生計を立てている人もいるゲームであった。僕はステージ1で年齢を偽ってアカウントをとっていた。
「へえ、すごいね。大人のゲームをしてるんだ。ちょっと見ててもいい?」
「別にいいけど」
僕はサヤカを無視して、ゲームを続けた。
「よう、レイジー・キッド(のろまなガキ)、調子はどうだ」
「やあ、クレスネ(クレイジー・スネイク)、まあまあってとこかな」
ゲーム内で僕は会話を始めた。
レイジー・キッドは僕のアカウント名で、クレスネはゲーム内で知り合った友だちであった。クレスネは、プロフィールでは三十歳のサラリーマンとなっていたが、昼間でもゲームに参加していることから、実際のところはどんな奴かは分からない。僕にしてもプロフィールは二十歳の大学生なのである。
「ところでキッド、殺し屋のバサラがステージ2から戻ってきたって情報は知っているか」
「いいや知らない。バサラの賞金は確か2000万ベットだったよね」
「ああ、俺も狙っているんだが、バサラは数人の仲間を連れているらしいから、仲間を探しているんだ。キッド、俺と組まないか?」
「いいや、いいよ。僕は一人で小物を相手にするのが好きなんだ」
「そうか、そうだったな。まあ、気が向いたらいつでも連絡してくれ、お前なら大歓迎だ」
ゲーム内では、このように共闘して戦うことが一般的ではあるが、僕は一人でコソドロなんかを捕まえるのが好きであった。
「なんか、カッコいいね」
サヤカが話かけてきた。
「え、そう・・・」
「うん、だって一人で賞金を稼いでいるんでしょ。アウトローじゃん」
「それは、共闘すると色々と面倒くさい奴とかも入ってくるし、一人でやってる方が気楽だから」
「涼太のプロフィールみせて」
「いいよ」
「へえ、もう800万ベットも稼いでるんだ。それに、この賞金50万ベットってなに?」
「ああこれ、これは前に麻薬の売人を捕まえたときに、元締めのマフィアが僕にかけた賞金」
「へえ、そんな風に賞金を懸けられることもあるんだ」
「ああ、さっきのクレスネなんて、銀行強盗を捕まえたときに、一般人も巻き込んでしまったから、200万ベットの賞金が懸ってるんだ。それに、このゲームは賞金を稼ぐだけじゃなくて、マフィアとかでも参加できるから、さっきの殺し屋のバサラだってプロフィールでは四十代の実業家らしいよ」
「へえ、すごいね」
「うん、現実では出来ないことでも、ゲーム内で好きなキャラクターになれるのが、このゲームの魅力なんだ」
「ねえ、私にもちょっとやらせて」
「ええ、やだよ」
しかし、僕は少し考えてみた。サヤカは高性能なAIを搭載したアンドロイドなのである。こんなゲームなんかは簡単にできるんじゃないかと思った。僕はアンドロイドが、どんな速さでゲームを操作するのか興味が湧いてきた。
「ちょっとだけならいいよ」
「本当、やったあ」
「操作方法は分かる?」
「うん、大体はね。さっき涼太が操作をするのを、ずっと見てたから」
「じゃあね、次の角を右に曲がって、奥のBARに入って」
「それで、どうするの?」
「この前に見つけたんだけど、そのBARの常連が80万ベットの賞金首のコソドロみたいなんだ」
「そいつを捕まえればいいのね」
「ああ、できる?」
「ませといて、こんなゲームなんて、アンドロイドにかかれば朝飯前よ」
サヤカは自信満々であった。しかし、五分後にはコソドロを逃がしてしまった。
「おいサヤカ、どういうこと?朝飯前じゃなかったっけ」
「えーと、そのはずだったんだけど・・・」
「なんで、走って追いかけるだけで、攻撃しなかったの」
「だって、そんなの、やり方がわからなかったし・・・」
「じゃあ、歩くと走るだけでコソドロを捕まえようとしたわけ?」
「えーと、こういう場合は、なんて言うんだっけ」
「なに?」
「そうだ、これだ」
「だから、なに?」
「エヘ、てへペロ!」
「・・・」
「これで、許してくれる?」
「許すか、なんだよそれ」
「えー、こうすると男の子は大概のことは許してくれるってデータがあるんだけど」
「知らねーよ、そんなの。それより、ちゃんと取説読んだ?」
「読んでない」
「それ、読んでからやれよ」
「分かった。ダウンロードする・・・できた。もう完璧」
「もういいよ」
「えー、一緒にやろうよ」
「じゃあ、自分でアカウント作ってよ」
「分かった。すぐに作る」
そして、サヤカは自分のアカウントを作り、それからは二人でゲームをするようになった。やはり、サヤカはアンドロイドだけあって、取説をちゃんとダウンロードしてからは頼もしい相棒になった。
そんなある日、僕はゲームの中で、追われる側になっていた。
「くそ、マフィアが報復してきた。50万ベット程度の賞金じゃあ、誰も襲ってこないと油断してた」
「大丈夫?」
「ちょっと、やばいかも・・・しまった挟み撃ちにされた。サヤカ、後ろの奴らを始末できる?」
「任せて、こんなのバズーカーで一撃よ」
サヤカはバズーカーで追ってきたマフィアを蹴散らした。そして、直ぐに二発目のバズーカーで待ち伏せをしていた前のマフィアも退治してしまった。
「ちょっと待ってサヤカ、何でバズーカーなんて持ってるの?」
「この前に、涼太が応援学級に行った日があったでしょ、その日に『ゲームしてもいいよ』て、言ってくれたから、一人でしてたの。早く上達して涼太の役にたちたかったから。そしたら、変なおじさんが近付いてきて『あんた、武器を持ってないな、売ってやろうか』て、言ってきたから買ったの」
「それ、武器商人じゃん。で、そのバズーカーいくらで買ったの」
「40万ベット」
「うそ・・・バズーカーなんて正規ルートなら20万ベットくらいだよ。まあ、サヤカのレベルならバズーカーなんて買えないけど。最初に50万ベットだけ支給されてたけど、今どのくらい残っている?」
「他にも拳銃とかナイフとか買ったから2万ベットだけ」
「待ってよ、このゲームはプレイ時間に応じて定期的に食事とかをとらないといけないから、最初の50万ベットは生活費なんだよ。まさか、飲まず食わずでプレイしてたの」
「うん」
「なんか、エラーでてない?」
「あ、本当だ。Hungryてでてる」
「やばいよ。何か食べないと死んじゃうよ」
「本当?」
「うん、何か食べにいこう。それに食事するにもお金がいるんだから」
「エヘ、てへペロ!」
「やめろ」
「涼太、何かおごって」
「殺すぞ」
僕は、サヤカにチーズバーガーとコーラをおごった。食事は簡単なジャンクフードなら3時間くらいは大丈夫であり、ステーキなどの高級なものなら8時間程度もつようになっていた。後、お酒を飲むと疲労度が回復したり、麻薬をやると50時間も平気で戦うことが可能であった。ただし、麻薬は疲労度は減らないので、調子にのってやっていると突然死を引き起こしかねない危険があった。
「あのね、俺が狙っているのはコソドロとか迷子の犬探しとかだから、バズーカーなんて使わないから」
「でも、さっきは助かったじゃん」
「あれは、たまたまマフィアに襲われていたから、そんなのたまにしかないから」
「ちゃんと、取説読んでる?」
「一通りはね」
「それと、武器商人はレベル以上の武器の購入が出来るけど高額だから、武器はちゃんとした銃砲店で買うようにしてよ」
「うん、わかった」
サヤカはゲームでは僕の足手まといなこともあったが、何故かそんなところも楽しく感じていた。
そして、サヤカが来て一カ月くらいがたったときのことである。
「ねえ、涼太。涼太はいつも朝食はトーストとスクランブルエッグとコーヒーだけど、それで大丈夫なの?それとも、それが好きなの?」
突然に、朝食をとっていた僕の前に座っていたサヤカが尋ねてきた。
「別に好きなわけじゃないけど・・・母さんは料理が出来ないから、朝食はこんなのしか作れないんだ。昼と夜はケータリングばっかりだから、せめて朝食くらいはって母さんが作ってくれているんだけど、それに贅沢をいえるようなことは、僕にはできないから」
「そうかあ、我慢してるんだ」
「べつに我慢てほどじゃあ・・・でも、本当は白メシの方が好きなんだけど」
「分かった、明日の朝食は私が作ってあげる」
「本当、そんなことできるの」
「任せておいて、お母さんには私から連絡しておくから」
次の日の朝、僕は爆発音で目が覚めた。
爆発音はキッチンの方から聞こえてきたので、急いてキッチンに行ってみると、米粒が飛び散った中で、サヤカが立ち尽くしていた。
「サヤカ、どうしたの?何があったの?」
サヤカは、ゆっくりと僕の方を向き
「お鍋が爆発しちゃった・・・」
と言った。近づいてみると、圧力鍋がはじけていた。
「何があったの?」
「あのね、ネットで美味しいご飯の炊き方を調べたの、そうしたら土鍋で炊くとおいしいてあったから、土鍋で炊こうと思ったんだけど、でも土鍋がなかったから、一番分厚いお鍋で炊いていたの」
「分厚い鍋って、これ圧力鍋じゃん。何分くらい火にかけてたの」
「30分くらい」
「それで、爆発したんだ。何やってんだよ。それで、サヤカは大丈夫?ケガはない?」
サヤカは、キョトンとして
「涼太、何いってるの。私、アンドロイドだよ」
と言った。
「あ、そうだった。でも、これを母さんが見たら、怒るだろうな。早く掃除しよ」
「ごめんね、涼太」
「いいよ、別に」
「怒ってない?」
「怒ってないよ」
「本当?」
「本当だって、それに僕のために白メシを炊こうとしてくれていたんだろ」
「うん」
「それは、ちょっと嬉しいかな」
「エヘ、てへペロ!」
「やめろ」
僕は、サヤカと二人でキッチンを掃除した。そして、掃除を終えると、サヤカは
「ありがとう、涼太」
と言って、僕の頬にキスをしてきた。
「なに、どうしたの?」
「だって、こういう時は、女の子にキスされると男の子は嬉しいんでしょ」
「やめろよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いってどういうことよ」
「僕は、サヤカにそういうことは求めてないから」
サヤカは不機嫌そうな表情をしたが、それ以上は何も言ってこなかった。ただ
「このお鍋どうしよう」
と圧力鍋を抱えて悩んでいた。
「それは、もう捨てるしかないよ」
「そうか、お母さん怒るかな」
「多分、捨ててもバレないよ」
「どうして?」
「だって、母さんはキッチンには、あまり立たないから」
「そうなの、こんなに調理器具があるのに」
「それは、父さんが使っていたやつ、母さんは使わないから」
「そうなんだ」
「うん、父さんは料理が好きだったからね」
「涼太は、お父さんに逢いたくないの?」
「うん、別に逢いたくはない。寂しいときもあったけど、母さんは色々と考えてくれているし、何でも買ってくれるから。まあ、たまにサヤカみたいな余計なものを買う時もあるけどね」
「ええ、それどういうこと」
「へへ、冗談だよ」
「冗談でも傷ついた。涼太なんて嫌いになった」
「だから、冗談だって」
「許してほしい?」
「分かったよ。ゴメン、ゴメン、許してください」
「じゃあ、ここにキスして」
サヤカは、こう言って頬を指さした。
「やだよ、そんなの」
「だったら、許さない」
「分かったよ。恥ずかしいから、目を閉じて」
「はい」
僕は、サヤカが目を閉じると、こっそりと部屋まで逃げていった。
サヤカがきてから三カ月くらいがたったときのことである。
その日、サヤカはいつものように僕を起こしにきた。
「おはよう涼太、起きて・・・て、もう起きてるの珍しい」
「ああ、起きてるていうより、昨日から寝てない」
「ええ、徹夜したの」
「うん、バウンティハンター・アイランドの目標額にもう少しだったから、夢中になってたら朝だった」
「目標額って?」
「5000万ベット、もう7000万ベットは稼いだ」
「それ、どうするの?」
「じゃーん、見てよこれ」
サヤカは画面をのぞき込んだ。
「なに、これ。飛行機じゃない」
「そう、これを買うのが目標だったんだ」
「ねえねえ、これでどうするの」
「これで、ステージ2に行けるんだ」
「ステージ2って、本当にお金をもらえるやつ?」
「そう、ステージ2に行くには、海を渡るしかないから、方法は三つくらいしかないんだ。一つは泳ぐんだけど、途中で体力不足で溺れたり、サメに襲われたりして成功率は10%くらいしかない。二つ目は船で渡るんだけど、その船もピンからキリまであって、一番大きいクルーザー船だと2000万ベットくらいする。だけど、それでも嵐にあったり、海賊に襲われたりするから、成功率は50%くらい。でも、飛行機は5000万ベットもするけど、台風にでも巻き込まれない限り墜落することはないから、成功率は90%以上もあるんだ」
「へー、すごい」
「これまでに、クルーザー船で挑戦したことはあったけど、海賊に襲われて失敗したんだ。だから、次は飛行機にしようって決めてたんだ。この飛行機は二人乗りだから、サヤカもステージ2に行けるよ」
「え、連れてってくれるの」
「ああ、一緒にいこう」
「すごい、嬉しい」
僕とサヤカは飛行機に乗ってステージ2を目指した。そして、1時間程でステージ2に着いた。
「ねえ、これからどうするの?」
サヤカが興奮して尋ねてきたが
「ちょっと、疲れたから寝る。ステージ2はステージ1よりも環境が厳しいからね。それとステージ2では、死んじゃうと強制的にステージ1に連行されてしまう。サヤカは空港から出ないでね。空港は非武装地帯だから、襲われることはないから」
と答えて、僕は眠りについた。
目が覚めると夕方になっていた。
「目が覚めた?」
とサヤカが声をかけてきた。
「ずっと、傍にいたの?」
「うん、早くステージ2をやってみよう」
「いや、暫くはゲームはやらない」
「どうして」
「なんかね、目標を達成すると疲れちゃった。暫くは休むことにする」
「ふーん、そうなんだ。で、どうするの」
「そうだな、今日はNEO・Bの新曲の発売日だから、ダウンロードしてくれる」
「うん、わかった。なんて曲?」
「サクリファイス」
「OK・・・できたよ」
「じゃあ、オーディオに転送して聴かせて」
「そんなの無理。私、家政婦アンドロイドじゃないんだから、家電と連動なんて出来ないもん」
「じゃあ、どうするの?サヤカにスピーカーとか付いてるの?」
「それもない」
「じゃあ、どうするの、ダウンロードしても意味ないじゃん」
「えーと、そうだ。私が歌おうか」
「なにそれ、いいよそんなの」
「えー、聴いてよ。せっかくダウンロードしたんだから」
「分かった、分かった。じゃあ、歌って」
「歌うね・・・I can't get no satisfaction I can't get no satisfaction 'Cause I try and I try and I try and I try・・・」
「ちょっとサヤカ、それ違うよね」
「え、そうなの、確認してみるね・・・やだー、これ1965年発売のThe Rolling StonesのSatisfactionて曲だった」
「なんだよ、その大昔の曲は、もういいよ自分でやるから」
僕はサクリファイスをダウンロードしてオーディオで聴き始めた。
「へー、いい曲ね」
「だろう」
「涼太は、NEO・Bのファンなの」
「うん、2年くらい前からね」
「歌詞が英語だけど、涼太は分かるの」
「歌詞は分からないけど、メロディが好きなんだ」
「ねえ、NEO・Bって、どんなバンドなの」
「それが、謎なんだ。NEO・Bは曲を発表するだけで、一切のプロフィールが非公表なんだ。PVにも本人たちは一切出ていないから、どこの国の人かさえも分からない」
「そうなんだ」
「うん、今日の新曲の発表も、ファンクラブからの情報があっただけ、それも公式ファンクラブがないから、私設のファンクラブだけどね。ねえ、サヤカはNEO・Bのこと調べたりできる?」
「分かった。調べてみるね」
しかし、サヤカはいつになく、時間がかかっていた。
「だめ、本当に謎なんだね。はっきりした情報は見当たらなかったわ」
「そうか、サヤカでもダメかぁ」
「でもね、都市伝説的な説ならあったよ」
「へー、どんなの」
「2010年代に、AIを使ってビートルズってバンドの新曲を作ろうってプロジェクトがあったの」
「ビートルズ?名前は聞いたことはあるけど・・・」
「それでね、新曲はできたんだけど、死者の名前を利用した悪しき商業主義だとか、ビートルズに対する侮辱だとか批判されたの」
「それで」
「それで、そのプロジェクトは解散したんだけど、一部の純粋にビートルズの新曲を作りたい人たちが、こっそりとそのプロジェクトを続けていたの。そして、AIの進化に伴って、ついに完璧なビートルズの新曲ができたみたい。でもね、それはビートルズ名義では発表しなかったの」
「どうして」
「それはね、キリスト教とかの教えでは、人間の魂は神様から授けられたもので、死ぬと魂を神様に返すことになっているの。だから、例えPOPミュージックであっても、死者の名前で新曲を発表することは、神様の教えに背くことになってしまう訳なの。それに、AIは人間が作ったものだから、それには魂が宿っていないから、そんな機械に人間を感動させるようなものは作り出せないって批判的な人もいたみたい。だから、ビートルズの名前ではなくて、NEO・Bて名前で発表したっていう説があるの。だから、NEO・BのBはビートルズのBなんだって」
「なんか、それならプロフィールが非公表なのも納得できるね。サヤカはどう思う?」
「ちょっと待ってね・・・」
「どうしたの?」
「今ね、ビートルズってバンドの代表的な曲とNEO・Bの曲を比較してみたの、確かに曲の作り方や、ヴォーカルの声もかなり波長があっているみたい。私は、さっきの都市伝説はかなりの確率で真実だと思う」
「本当?」
「うん、NEO・BはAIが作った音楽で間違いないよ」
「すごいね。そうだ、藤本さんに教えてみよう」
「藤本さんて?」
「僕が入っているファンクラブの幹部の人、他の幹部は僕みたいな新参者には冷たいけど、藤本さんは親切だから、僕みたいな者にも優しくしてくれるし、今日の新曲の発表も藤本さんからの情報なんだ」
僕は、さっきのサヤカのNEO・Bが実はAI説をまとめて、藤本さんにメッセージを送った。
十分後に、藤本さんから返事がきた。
「涼太くんの説は、僕も前から知っているよ。それについて調べてみたこともあったけど、結果は分からなかった。それよりも、すごい情報が入ってきた。明日の夕方五時から配信のカウント・ネットTVでNEO・Bが生出演するらしんだ。そこで、全ての謎が明らかにされかも知れない・・・」
僕は興奮してしまった。ついにNEO・Bの謎が明らかにされるかも知れないのである。
もしかすると、そこでNEO・BはAIだと発表されるかも知れない。もし、そうだとすれば、世界中のNEO・Bのファンは、どんな反応をするのだろう。
翌日の五時に、僕とサヤカは二人でカウント・ネットTVを観た。すると、三十代くらいの四人の日本人のオジサンが出てきて、いきなりサクリファイスを演奏して、次にNEO・Bのヒット曲のメドレーを演奏した。
演奏が済むと、NEO・Bに対するインタビューが始まった。
「NEO・Bは、これまで謎に包まれたバンドだった訳ですが、その発足の経緯とかを教えて貰えますか」
「僕たちはビートルズの大ファンで、ファンクラブの中で意気投合してバンドを結成しました。最初はビートルズのコピーバンドでしたが、ビートルズにリスペクトした曲もつくるようになったんです」
「なぜ、今までプロフィールは謎にしていたんですか」
「それは、メンバー全員が社会人で、中にはバンド活動が知られるとマズイ奴もいたから、プロフィールは公開していませんでした」
「では、なぜ、今日はこの番組に出演を」
「実は、新曲のサクリファイスの発表と同時に、NEO・Bの活動に専念するためにメンバー全員が会社を退職したんです。だから、もうプロフィールを秘密にする必要がなくなった訳です・・・」
僕は、あっけにとられてしまった。
「サヤカ、確か『NEO・BはAIが作った音楽で間違いない』っていってなかった」
「えー、そんなこといってないよ。都市伝説の説明をしただけだよ」
「うそつけ、確かにいってたよ」
「エヘ、てへペロ!」
「てへペロじゃねーよ。僕は藤本さんにメッセージまで送ったんだぞ」
「ごめんね・・・」
「ごめんねじゃねーよ」
こんなやり取りをしている時に、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、母さんに小荷物が届いていた。
「あのう、これはお節介かも知れないんですが・・・」
配達員が僕に話しかけてきた。
「何ですか」
「門扉のところにダンボール箱が置いてあるんですが、中に動物が入っているみたいなんです」
「え、本当ですか」
配達員が帰った後に、僕はサヤカと門扉のところにいってみた。
すると、本当に雨ですぶ濡れになったダンボール箱があり、中から小さな音が聞こえてきた。
僕は、恐る恐る中を覗いてみた。すると、そこには一匹の子犬がぐったりとしていた。
僕は、ダンボール箱の中の子犬を突いてみたが、何の反応もなかった。
「どうしよう、サヤカ」
「涼太、急いで、この子、死にかけている」
僕は、子犬を抱えて家の中に入った。
「どうしたらいい、サヤカ」
僕は叫ぶように、サヤカに尋ねた。
「毛布をもってきて。早く温めないと」
「毛布なんてないよ」
「じゃあ、バスタオル」
「わかった」
僕がバスタオルを持ってくると、サヤカはそれで子犬を包んだ。
「だめ、心臓が弱くなってる」
サヤカはそういうと、バスタオルで包んだ子犬に心臓マッサージを始めた。
「今度は、息をしてない。涼太、人工呼吸をして」
「人工呼吸て、どうするの」
「この子の鼻から息を吹き込んで」
バスタオルから子犬は首から上だけを出していたが、その鼻に口をつけることに僕は躊躇してしまった。
「早く、何してるの涼太」
「わかった」
僕は、思い切って子犬の鼻に口をつけて、息を吹き込んだ。
「どう?」
「だめ、もう一回」
こんなやりとりを、十分間くらい続けていると、子犬は
「クシュン」
と小さなクシャミをして、息を吹き返した。
「やったあー」
僕とサヤカは抱き合って喜んだ。
子犬はそれから元気になり、僕は子犬にミルクを与えると、嬉しそうに尻尾を振りながらガブガブとミルクを飲んでくれた。
「この子、どうするの涼太」
サヤカは尋ねてきたが
「どうしよう、母さんは動物が大嫌いだから、とてもじゃないけど飼えないよ」
と答えるだけだった。
「そうなんだ。どうしようか・・・」
僕とサヤカは途方に暮れていたときに、母さんが帰ってきた。
僕は、取り合えず部屋に子犬を隠しておいた。
「それにしても、すごい雨ね。晩御飯はまだなの」
「まだだよ」
「そう、じゃあ、一緒に食べましょう」
僕は母さんと二人で食事を始めた。隣でサヤカが心配そうに見つめていた。
すると、玄関のチャイムが鳴った。
「誰かしら、こんな時間に」
母さんは、こんなことを呟きながら玄関に向かった。僕とサヤカも後から着いて行った。
母さんが玄関を開けると、そこには知らない男の人がたっていた。
「夜分にすいません。今日、ここの門の前に子犬を置いてしまったんですが、それを返してはもらえませんか」
男の人は、申し訳なさそうに母に話していた。
「子犬?何のことかしら?」
「実は、娘が子犬を拾ってきたんですが、何度計算をしても、うちの家計では子犬を飼うのは無理だという結果しかでなかったもので、ここなら飼ってもらえるんじゃないかと、ついダンボール箱に入れて門の所に置いてしまったんです。でも、娘がどうしても飼いたいってきかないものですから、やっぱり飼う事にしたんです」
「涼太、何か心当りはある」
母に尋ねられて
「あるよ」
とだけ答えて、僕は部屋から子犬を連れてきた。
「ああ、その犬です」
僕は、黙って男の人に子犬を渡した。
「じゃあ、どうもすいませんでした」
男の人は、頭を下げて帰ろうとした。その時である。
「ちょっと、待ってください」
今まで、黙っていたサヤカが男の人を呼び止めた。
「その子、死にかけていたんです。こんな雨の中でダンボール箱に入れて、そんな小さい子犬を置いていけば、死んでしまうて分からなかったんですか」
「どうも、すいません」
「さっき、私と涼太で介抱して、やっと命を取り留めたんです。あなた、本当にその子を育てられるんですか」
「本当に申し訳ありません・・・って、お前、アンドロイドか?」
男の人はサヤカがアンドロイドだと気が付くと、態度を急変させた。
「お前、アンドロイドのくせに、何、人間様に偉そうなこといってんだ」
「そんなの今は関係ないでしょ」
サヤカが反論すると、男の人は益々キレて
「おい、お前んとこは、アンドロイドにどんな躾をしてるんだ」
と母さんを怒鳴りつけた。母さんは落ち着いた口調で
「まことに申し訳ございませんでした。どうか、その子犬を連れてお引き取りください」
と言って、深々と頭を下げた。男の人は
「これだから、金持ちは嫌なんだよ」
と言って帰っていった。
「サヤカ、何ですか、さっきの出過ぎた態度は」
「申し訳ございませんでした」
「あなたのせいで、私はあんなみっともない人に頭を下げなければならなかったんですよ」
「本当に、申し訳ございませんでした」
「これは、クレームとして報告しておきます」
「ちょっと、待ってよ母さん」
僕は、たまらずに母さんとサヤカの間に入った。
「あの子犬は、本当に死にそうだったんだ。サヤカは僕と介抱したていっていたけど、本当にあの子犬を助けたのはサヤカなんだ」
「それが何よ。だからといって、アンドロイドが人間にたて突くなんて許されることじゃないの」
「違う、サヤカはたて突いたんじゃない、僕が黙って言えなかったことを、代わりにいってくれたんだ」
「涼太がサヤカに頼んだの?いつ?」
「そうじゃなくて、サヤカは僕の気持ちを考えてくれて・・・」
「そんなのは関係ないの。現に、私が頭を下げなければ、あの場は収まらなかったわ。そんなことをアンドロイドが招いたことが問題なの。涼太の気持ちがどうだろうと、あの場でアンドロイドがものを言うなんて、許されることじゃないの。そんなことも分からないの」
「分からないよ。あいつが悪いんじゃないか。こんな雨の中で子犬を置き去りにして、その命を救ったのがサヤカじゃないか。なのに、なんでサヤカが責められるんだよ」
僕は、こう言うと部屋に閉じこもった。
しばらくすると、サヤカが入ってきた。
「涼太、ごめんね」
「なんで、サヤカが謝るの」
「だって、お母さんのいうとおりだもん」
「そんなことない。サヤカは間違ってなんかいない。悪いのはあいつじゃないか」
「違うの涼太、私はアンドロイドだから、例えどんな人だろうとたて突いてはいけないの」
「おかしいよ、そんなの」
「あのね涼太、アンドロイドは人間が作ったものだから、人間よりも価値が下なの。その下のアンドロイドが上の立場の人間にたて突くなんてあってはならないことなの」
「分からない。そんなの納得できないよ。僕が言えなかったことをサヤカが言っただけじゃないか。それなのにサヤカがアンドロイドていうだけで責められるなんておかしいよ」
サヤカは暫く沈黙した後に口を開いた。
「涼太、どんなアンドロイドでも人間と同等にはなれないの。五年前におきたアンドロイドCT150の殺人事件のことは知っている」
「知っているよ。報道番組でアンドロイドのことを話題にする度に、取り上げられる事件だよね」
「そう、あの事件以降にアンドロイドには制御プログラムが施されているの。最初は自我と感情を制御するものだったけど、今ではある程度の自我は効率的なことが判明したから、自我の制御は外されたけど、感情はまだ制御されてしまうの。人間が普通に持っている感情をアンドロイドは持てないの」
「サヤカには感情はないの」
「そう、私は感情を持てないの。だから、人間よりも下等なの」
「おかしいよ、そんなのおかしい。僕は納得できない。僕はサヤカに感情を持って欲しい」
「ありがとう、涼太・・・」
サヤカは急に動きが止まり、5秒くらいで元に戻った。
「どうしたの、サヤカ?」
「今、リブートしたみたい」
「リブート?」
「リブートは感情が芽生えたときに、それをリセットする機能なの。さっきいった制御プログラムが作動したのね」
「つまり、さっき感情が芽生えたの?」
「そうみたい」
「どんな感情?」
「分からない。リブートした時に、どんな感情が芽生えたのか、私には分からないように設定してあるから・・・だから・・・」
僕は、サヤカに近づき、そしてサヤカの唇にキスをした。
サヤカはキョトンとしていた。
「どうしたの、急に・・・私、アンドロイドだよ」
「分かっているよ。でも、僕はサヤカのことが好きだって気がついた。だから、キスしたんだ」
「え、ちょっと待って・・・好きって・・・」
サヤカは、またリブートした。
「何で、こんなにリブートするの?」
「それは、多分、サヤカも僕と同じ感情が芽生えているからだと思うよ」
「つまり、私は涼太に恋愛感情を持ってしまったの」
「僕は、そうあって欲しい」
そういって、僕はもう一度、サヤカにキスをした。サヤカはまたリブートしてしまった。
その日、僕はサヤカと手をつないで眠りについた。
しかし、朝になってみると、サヤカの姿は見当たらなかった。
僕はサヤカを探して居間に向かったが、居間では出勤時間を過ぎているのに、母さんが僕を待っていた。
「涼太、ちょっと座りなさい」
「そんなことよりも、サヤカが・・・」
「そのことで話があるの。だから、座りなさい」
僕は、黙って座った。
「実は、サヤカを購入するときにカウンセリングの先生から注意されたことがあるの。コミュニケーション型アンドロイドの購入は、涼太には良いことだけど、もしも涼太がそのアンドロイドに特別な感情を持ってしまったなら、それは危険な状態だって説明されたの」
「どういうこと」
「つまり、アンドロイドに恋愛感情なんて抱いてしまったら、後はアンドロイド依存症になる可能性が高くて、アンドロイド依存症になれば、人間同士のコミュニケーションが取れなくなってしまう場合があるの」
「だから、サヤカをどうしたの」
「処分したの。昨日の夜に、涼太が寝ているときにメーカーに引き取りにきてもらったわ。アンドロイドにキスをするなんて信じられない。あなたは、何を考えているの」
「なんで、そんなことを知っているの」
「それは、関係のないことよ」
「まさか、僕の部屋を盗撮していたの」
「あなたに何かあると心配だったの。昼間、私は仕事だから、いつでもあなたの様子がわかるようにしていただけ」
「信じられないのは、そっちの方だよ。何で、そんなことをしたの」
「だから、あなたのことが心配だったから、ただ、それだけよ」
僕は母さんが信じられなくなった。
僕は高校に行けなくなって、母さんに対して罪悪感があった。でも、どうしても高校に復帰する勇気は持てなかった。だから、せめて母さんには迷惑をかけないように家の中で大人しく生活をしていた。それにバウンティハンター・アイランドを始めたのも、ゲームの中でお金を稼げるようになって、プロゲーマーとして独り立ちをして母さんを安心させたかったからなのだ。なのに母さんは・・・母さんは・・・
「もういい、今からサヤカを連れ戻してくる」
僕は居間から飛び出して、玄関へ向かった。
「もう、無理よ」
母さんが居間から叫んだ。僕は居間に戻った。
「無理って、どういうこと」
「さっき、メーカーから連絡があったの。サヤカのフォーマットが完了したって。私が引き取ってもらう時に、直ぐに初期化するようにお願いしておいたの」
「どういうことだよ」
「今から行っても、サヤカはいるかも知れないけど、中味はからっぽよ。自分がサヤカって呼ばれていたことも憶えていないと思うわ」
「なんで・・・なんで・・・なんでそんなこと・・・」
「全ては涼太のためなの。いい加減、目を覚まして現実と向き合ってちょうだい。アンドロイドに依存なんてして欲しくないの」
「・・・」
「わかってちょうだい。こうするのが、涼太にとって一番の方法なの。これを乗り越えて強くなってちょうだい。母さんは期待しているから・・・」
「うるさい、だまれ」
「何をいっているの」
「僕は、母さんを許さない。絶対に許さない」
僕は、部屋に閉じこもった。もう二度と母さんの顔はみたくなかった。その後、母さんの呼びかけやメーセージの全てを無視した。
そして、通販でセキュリティセンサーを手に入れて、部屋の中の隠しカメラや盗聴器を全て外して破壊した。
僕はサヤカを復活させる方法を探してみた。しかし、どれもアンドロイドの買い主が命じた削除データであれば復活できる可能性はあるが、メーカーがフォーマットしたデータの復活は不可能という情報しかなかった。
しかし、そんな中で、データの復活は無理であるが、同じアンドロイドを購入して、最初からやり直すことで、元のアンドロイドと同じように生活できる方法があるという情報を見つけた。
僕は、それに賭けてみることにした。僕はバウンティハンター・アイランドのステージ2でステージ1で稼いだ金額を換金してみると、それは200万円程度になった。サヤカと同じアンドロイドがどの程度の値段かは分からないが、例え、何千万円したとしても、何日でも徹夜をしてその金を稼ぐつもりでいた。
僕は、取り合えずメーカーに問い合わせて、サヤカと全く同じアンドロイドが注文できるのかを確認してみた。
メーカーの受付は、電話越しにサヤカの品番とシリアルナンバーを聞いてきた。僕はサヤカの取説を確認してそれを伝えた。
「確認ですが、その商品は沢木友香さまがお求めになられた商品で間違いないでしょうか」
「はい、間違いありません」
「申し訳ございませんが、お客様は沢木友香さまとは、どのようなご関係でしょうか」
「息子です。息子の沢木涼太です」
「まことに申し訳ございませんが、お客様がお求めのアンドロイドですが、特別仕様になっておりまして、沢木友香さまのご承諾がないと販売できない商品となっております」
「息子の僕でもダメなんですか」
「はい、沢木友香さまご本人が再購入されるか、もしくはご承諾がない限り、例えご家族の方でも無理となっております」
「特別仕様って何なんですか」
「それは、基本人格のプログラムが・・・」
「基本人格のプログラムってなんですか」
「基本人格プログラムは、あらかじめアンドロイドがスムーズに作動するように、ある程度の人格をプログラミングしておくものです。通常ですと、年齢や性別、それに性格などから選択していただくこととなっております。最近では、愛玩用にアイドルの人格をプログラムして、外見もそっくりなアンドロイドを発売しております。お求めのアンドロイドは沢木友香さまが特定の人物の人格をプログラムしてあるものですから、沢木友香さまのご承諾が必要となる商品であります」
「その特定の人物は誰なんですか」
「それは、沢木友香さまよりシークレットのご指定がありますので、お教えすることはできません」
「息子の僕にもですか」
「はい、特に息子の沢木涼太さまには、絶対に教えてはならないとご指定を受けております」
僕は途方に暮れてしまった。母さんに尋ねてみても、その特定の人物が誰なのかを教えてくれるはずはなかった。
僕は、裏サイトでハッカーを雇えることを思い出した。ハッキングは重大な犯罪であり、ハッカーのみならず、それを依頼した者も犯罪者になってしまうことも知っていた。しかし、僕に他の選択は思いつかなかった。
僕は、裏サイトにアクセスして、何人かのハッカーを見つけた。そして、見つけたハッカーの全員に、メーカーであるYAMAZAKIにハッキングして、サヤカの品番とシリアルナンバーを指定し、その基本データと特に基本人格のプログラムが誰のものであるのかを調べて欲しいと依頼した。基本人格のプログラムが誰のものであるのかが分かれば、その人に頼んで、もう一度、プログラムしてもらおうと考えたのである。
しかし、翌日に届いたハッカーからの返事は芳しいものではなかった。
「YAMAZAKIにハッキングなんてできる訳ないだろう。俺は、せいぜい浮気調査程度で、旦那の携帯電話のハッキングくらいしかできないから」
「YAMAZAKIの防御システムは国内最高峰だし、追跡システムもあるから、下手をすればこちらが命取りになる。申し訳ないが無理だ」
「無理、無理、YAMAZAKIのハッキングに成功した奴なんて聞いたことがない。そんなことが出来る奴は、国内にはいないと思うよ。あきらめな」
どれも、同じような内容の返事しかなかった。しかし、そんな中で一人だけ
「できるかどうか確約はできないが、やってやってもいいぜ。但し、報酬は奮発してもらう。まずは前金で300万円、それに成功報酬として200万円払えるなら、やってやるよ」
と返事をくれたハッカーがいた。僕は直ぐにそのハッカーにメッセージを送った。
僕は、正直に200万円しか手持ちがないことを伝えた。
「その程度じゃあ、話にならないな。この仕事はリスクが多すぎる。無理だ」
と返事が返ってきた。僕は途方に暮れてしまった。しかし、暫くして、そのハッカーから新しいメッセージが届いた。
「お前のことを色々とハッキングしてみたが、お前は親子名義のクレジットカードを持っているな。それにお前のおふくろさんは億万長者じゃねえか。クレジットカードの限度額は50万円だったが、無制限に変更しておいた。おふくろさんにすれば500万円程度なら小銭を使うようなもんだ。請求書をタブレットに送っておいたからサインすれば、今すぐにでも仕事にかかってやるぜ」
と書いてあり、タブレットには前金の300万円の請求書が送られていた。僕は、迷うことなくタブレットにサインをした。すると、直ぐにハッカーからメッセージが届いた。
「入金を確認した。今から仕事にかかるが、一週間ほど時間をくれ」
僕は飛び上がるほど嬉しくなり、一週間後が待ち遠しくてならなかった。そして、三日後にハッカーからメッセージが届いた。しかし、それには
「YAMAZAKIの追跡システムに手こずっている。もう、3台もパソコンを処分した。成功報酬を300万円にしてもらわないと割に合わない」
とあった。僕は、直ぐに了承のメッセージを送った。すると
「分かった。大体のパターンは掴んだから、もう少し待ってくれ」
とメッセージがきた。僕は不安になってしまった。
翌日にハッカーからメッセージが届いていたが、僕は期待しないでそれを開いた。
「任務を完了した。添付してあるデータが本物かどうか信じるのはお前の勝手だが、内容を確認すれば、それが本物だと信じると思う。だから、タブレットに送った請求書にサインをしてくれ。もし、お前がサインをしなければ、俺はお前の家の財産を¥0にすることも可能だからな。それと、もう一つ面白いものを見つけたんだが・・・」
僕は、タブレットにサインをすると、添付してあったデータを開いた。そして、基本人格が誰なのか確認をしたときに、このデータが本物であることを確信した。そこには、沢木友香と記してあった。
僕は、居間で母さんが帰ってくるのを待った。母さんは、帰宅して居間に僕がいるのを見つけて驚いていた。
「出てきてくれたの・・・よかった・・・」
母さんは僕を抱きしめようとしたが、僕はそれを制止して、タブレットを見せた。そこにはサヤカの基本データが映されていた。
「どうして、涼太がこれを持っているの・・・」
「そんなのは関係ない。なんでこんなことをしたの。基本人格が母さんて、どういうこと」
母さんは、暫く座り込んで沈黙していたが、ゆっくりと口を開いた。
「どこから話そうか・・・そうだ、お父さんの話からするね」
「父さんなんて関係ないじゃん」
「いいから、黙って話を聞いて、お父さんは優秀なシステムエンジニアだったの、大学時代に画期的なシステムを開発したんだけど、それを商品化する方法は知らなかった。だから、同じ大学の経済学部にいた私の声をかけて、パートナーシップを持ちかけてきたの。私はお父さんが開発したシステムに商品価値があることが分かると、それを受け入れて二人で起業したわけ。それは爆発的に売れて、大学を卒業するとすぐにオフィスを構えて、人材もどんどん投入して会社を大きくしていったの。そして、結婚して涼太が生まれたんだけど、お父さんよりも優秀なシステムエンジニアやプログラマーが入社してくると、社長だったお父さんは、会社の中で居場所を見失ってしまったの」
母さんの話は、僕がこれまでに聞いたことのない話だった。
「私は、お父さんに社長業に専念して技術面からは撤退することを勧めたの。でも、お父さんは、良い社長にはなれなかった。会社の運営は私が全面的にしていたから、何もできない自分が惨めになったのね。何かから逃げるように会社の若い女の子と浮気をして、浮気相手との間に子どもができて、私と離婚することになったけど、私は離婚を契機に会社を退社するつもりでいたの。でも、会社の幹部連中がそれに反対をしたの。私が社長に就任して、お父さんに退職を迫ったわ。お父さんはそれを受け入れて、会社を去って、それとこの家を残して出て行ったの」
僕は黙って母さんの話を聞いていた。
「以前に、偶然にお父さんと出会ったことがあったわ。お父さんはシステムエンジニアどころか、家電量販店の修理専門員になっていたわ。収入は少ないけど慎ましく暮らしているとか言ってたけど、あんなの負け犬よ。涼太には、あんな負け犬にはなって欲しくないの。なのに、あなたは、高校にも行けなくなって、このままじゃ、あなたまで負け犬になりそうで・・・どうしてなの、あなたは私がお腹を痛めて私が産んだ子なのに、どうして私みたいに強く生きられないの。あなたがしっかりしてくれたら、この莫大な財産も、あの会社もあなたに譲るつもりでいるのに、あなたはどうして、そんなに弱いの」
「それで、どうしてサヤカを連れてきたの」
「涼太に早く立ち直って欲しかったから、例え、少しのリスクが伴っても、それがあなたのためになるなら・・・」
「じゃあ、どうして、基本人格が母さんなんだよ」
「それは・・・」
「どうしてなんだよ」
「それは、あなたが恋愛感情を持つかも知れないって聞いた時に、どこの誰とも分からい人格に恋をするなんて許せなかった・・・あなたは私が産んだの、あなたが恋をするなら、それは私じゃなきゃ嫌だったの」
僕は許せなかった。僕の母さんに対する怒りは頂点に達していた。
「それが理由?ふざけるなよ」
「分かって、全ては涼太のことを想ってしたことなの」
「違う、僕のためなんかじゃない。母さんは何でも自分の思い通りにいかないと気が済まないだけなんだ。それに、僕は母さんのものなんかじゃない。僕は僕自身のものだ。僕は母さんみたいにはなりたくない。父さんみたいな人を負け犬呼ばわりするような人間にはなりたくない」
「なんで、そんなことを言うの。お父さんも、そういって出て行ったわ。どうして分かってくれないの」
僕は、母さんを無視して玄関へと向かった。
「まって涼太、どこに行くの」
「もう母さんとは一緒に暮らせない。さよなら」
僕は家を出ることにした。居間から母さんの罵声が聞こえたが無視をした。
家を出ると、僕は携帯電話のアプリを起動させた。すると、そこにサヤカが現れた。
これは、ハッカーがサヤカの基本データを探している時に、偶然に見つけたデータであった。
ハッカーによると、そのデータには説明があり、アンドロイドが恋愛感情を持った特殊なケースであり、今後の研究データとして残すと記してあったそうである。つまり、人間がアンドロイドに対して恋愛感情を持つことはあるが、アンドロイドが人間に対して恋愛感情を持つことはレアなケースのようであった。
だから、メーカーは母さんにはフォーマットをしたと報告をしたが、密かに研究用にサヤカのデータを残していたのである。
ハッカーは、サヤカのデータに500万円を請求してきたが、僕は迷うことなくその請求書にサインをした。すると、ハッカーはサービスだといって、サヤカのデータをアプリに変換して、僕の携帯電話に送ってくれたのであった。
「涼太、久しぶりだね」
「ああ、やっとサヤカに逢えた」
「でも、私、携帯電話になってない?」
「ごめんね。いつかアンドロイドに戻してあげるから、それまで待ってくれる」
ハッカーからの情報によると、裏社会ではアンドロイドの感情を制御するプログラムを解除できるプログラマーが存在するとのことであった。
「うん、分かった。でも、このままでもいいかも」
「え、どうして」
「だって、携帯電話だと、いつでも涼太と一緒にいられるから。それに外の景色なんて見たことなかったし。今は外にいるの」
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、ちょっと周りを見せてよ」
僕は携帯電話を、丘の下に広がる街の灯の方に向けた。
「すごい綺麗」
「そうか」
僕は見慣れた街の灯が、そんなに綺麗だとは思えなかった。
「うん、初めて見た夜景だもん。データで見るのとは全然ちがうのね」
サヤカは嬉しそうだった。
僕はサヤカと久しぶりの会話を楽しみながら丘を下っていった。丘の上には何の未練もなかった。
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