AIは愛を語れるのか

無頼秋仁

第1話

【ケース1:CT150の殺人事件】


 最初の連絡はマンションのオーナーからの通報だった。

 昼をすぎてもマンションの最上階の一室の主電源が切られていることに気づき、様子を伺いに部屋を訪れたところ、キッチンで居住者の浅間秀夫 三十二歳が刃物で刺されて倒れているのを発見し、通報したとのことであった。

 我々、捜査班は通報後二十分以内に現場に到着した訳であったが、浅間秀夫は腹部を刺されて絶命しており、その傍らに主電源を切られて動かなくなったアンドロイドが無気力に停止していた。その右腕は凶器と思われる包丁を握りしめており、その体には浅間秀夫のものと思われる返り血がついていた。

 我々とほぼ同時に鑑識班が到着し、現場検証が始まった訳ではあるが、素人目にもアンドロイドによる殺人事件と考えるのが妥当であった。

 鑑識の結果は、特に外部からの侵入も見受けられず、部屋を荒らされた形跡もなかった。また、浅間秀夫の刺し傷はアンドロイドの持っていた包丁の形状から察するに、それが凶器であることは、ほぼ間違いがなく、その包丁からは浅間秀夫の指紋のみが発見された。

「まずは、被害者の浅間の人間関係等の捜査とアンドロイドによる殺人の可能性から製造元への捜査の二班に捜査班を分ける。製造元は佐藤と鈴木の二人であたってくれ、残りは浅間関係だ」

 操作班長の命により、俺は鈴木と一緒に製造元を調べることとなった。なお、アンドロイド本体の調査は科学捜査研究所が担当することとなった。

 この事件は、それまでにアンドロイドが人間を傷つけた事例がなかったこと、これまでから、アンドロイドによる日常生活への介入を強く反対する団体が存在することから、非公開の捜査となった。

 俺は、製造元であるYAMAZAKI((株)山﨑精工)に連絡をとったところ、YAMAZAKIからは「ありえない」との回答の後に、全面的に協力するとの申し出があった。

 俺は、事件発生の翌日にはYAMAZAKIを訪れた。ことの重大さを認識しているのかYAMAZAKI側は、常務から開発担当まで6人もの社員が対応してくれた。

 俺は事件の経緯と現場の状況を説明し、状況から判断してアンドロイドによる犯行であることが濃厚であることを説明した。そのうえで、まずは容疑者であるアンドロイドの説明をYAMAZAKIに求めた。

 YAMAZAKI側の説明によると該当するアンドロイドは通称3H(household helper)アンドロイドの家政婦アンドロイドで形式はCT150という最新で最高グレードのものであった。

 CT150は全室一体型のアンドロイドでアパートや一軒家の各部屋の状況から、冷暖房や家電等の全てと連動しており、また、家主のくせや好み、生活状況を学習して、それぞれの世帯にあった生活様式の中心となるアンドロイドであった。

 例えば料理のレシピなどは、ネットからの検索により無限大にあるが、家主の好みに合わせてレシピを組み替える等の機能から、人間よりも優れた家政婦であることを売りにしたものであった。

「誤作動による、家主への暴力の可能性はないのですか?」

 俺は、初見であることから、後々の捜査を考慮して、好印象を受けるようにアンドロイドによる殺人等といったショッキングな言葉を使わずに、あくまでも事故であるかのように話を進めることとした。

「それは考えられません」

 開発担当者が説明を始めた。

「CT150に限らず、全てのアンドロイドには、如何なる場合でも人間を傷つけてはならないといった原則があります。これは、例え自らが破壊されようとした場合でも、人間には歯向かってはならないとプログラムされています。元々は、20世紀のSF作家のアイザック・アシモフのSF小説によって提唱された『ロボット工学三原則』が基本となっておりますが、例え、どのような場合でもCT150が家主を傷つけること、ましてや殺人を犯すことなどありえないことです」

 開発担当者はきっぱりとアンドロイドによる殺人を否定した。

「しかし、どのように優れた機械であっても、故障ということは考えられますね。何かの拍子に故障して、事故につながる可能背も否定できないのでは?」

「それは、ありえません。CT150には、家主に埋め込まれているICチップにより、家主の身体の状況も把握できるようになっております。例え家主に些細な怪我を負わせるような事態になった場合、それが偶然であったとしても、家主を傷つけた時点で強制的に停止するようにプログラムしてあります」

「家主にはICチップが埋め込まれているんですか?」

「はい、それは先ほどの事故防止の観点もありますが、常に家主の身体状況を把握して、病気等の発作にも対応できるようにすることを目的としております」

 俺は驚いてしまった。家政婦アンドロイドなどは庶民には高嶺の花で、そのシステムなどは理解していなかったからである。

「私は、人間の家政婦の替わりをアンドロイドがする程度の認識だったんですが、違う訳ですか」

「そうです。家政婦と違って、部屋はもちろん、至る所に付けられた360度カメラによって、家の中の全てを24時間監視し、全ての家電とも連動して、家主の身体状況も把握したうえで、家主の生活の手助けをする。例えば家主が空腹を感じた時には、家主が命じるよりも前に『何か作りましょうか?』と声をかけたり、預金残高に応じて給料日までの栄養にも家主の好みにも配慮したメニューを考えてくれる、かけがえのないパートナーなんです」

 俺は認識を改めざるを得なかった。アンドロイドとは人間の替わりをする程度のものだと思っていたが、アンドロイドによる新しいシステムで、新しい生活様式を提供するものだったからである。

「では、他の可能性として、誰かがハッキングをして殺害を実行させるようにプログラムすることはできませんか?」

「これを見てください」

 開発担当は、我々の居る会議室のスクリーンにペーパー式タブレットを操作しながら画像を映して説明を始めた。

「まずは、先ほどの『ロボット工学三原則』です」

 スクリーンには次のように映しだされた。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

「これは、所詮は二十世紀に書かれたSF小説からの提唱でしかありません。しかし、本質的にはこれを原則として以下のようにプログラムしております」

 開発担当の説明は、俺には理解できない難解な言葉や記号が羅列してあったが、俺が質問したハッキングの可能性については、もしもハッキングされた場合には、その時点で全ての動作を停止すると同時に製造元であるYAMAZAKIに連絡が入り、その後の対策を講じるYAMAZAKIによる24時間体制のサポート・サービスが存在していた。

そして、そのサポートも実質はコンピューターによる判断であるが、最終的な解決策は担当する人間の承諾がなければ再起動はしないこととなっていた。

 つまり、アンドロイドやサポート・サービスによって、二重三重の安全対策が講じられており、その最終判断は人間が行うことから、この事件に関してもそうだが、これまでからアンドロイドが人間に危害を加える事例が一例も存在しないとのことであった。

「今、該当するCT150に関する履歴をお見せします。特に変わった報告はなく、犯行当日の午前8時5分3秒に、被害者の浅間さんの非常事態用の主電源を切る操作がなされて停止しています。今のところ、この程度の情報しかありませんが、本体をうちに調べさせていただければ、もっと詳しい情報が得られるはずです」

「それは、私の一存では判断できません。持ち帰って検討してみます」

 俺はこう言って、それから幾つかの質問をした後にYAMAZAKIを後にした。

「YAMAZAKIに本体を調べさせるんですか」

 帰り道で、鈴木が語りかけてきた。

「そんなことする訳ないだろう。例え、自社の製品の欠陥が見つかったところで隠蔽されるのがオチだ」

「そうですよね」

「それに、今日の口ぶりだと、YAMAZAKIは自社の製品に絶対的な信頼を持っている。そんな先入観で調査したところで、何も出てくる訳がない。ところで、驚いたな浅間の買ったアンドロイドの値段・・・」

「そうですね。アンドロイドは高価なものだとは聞いていましたけど、マンションの購入に三億円、アンドロイド導入に関する費用で、およそ一千五百万円、とても俺たち庶民には手に入れられない代物ですね」

「ああ、だが、その高い買い物に殺されたとしたなら最悪だな」

「まったくです」

 俺たちは帰って、YAMAZAKIでの捜査内容の報告を行った。

「それで、YAMAZAKIが何か隠蔽しているような様子はなかったか?」

 捜査主任に尋ねられたが

「今日のところは、そんな印象はありませんでした。開発担当者はアンドロイドに絶対的な自信を持っていて、アンドロイドの犯行に見せかけた人間による犯行としか思えないと言っていました。しかし、常務あたりになると、理由はどうであれ自社の製品が殺人事件に関わっていることにかなりビビッてましたね。何度も非公開捜査であることの確認を求められました」

「心象はどうだった?」

「少なくともYAMAZAKIも原因は分かっていませんね。逆に早く真相を知りたいといったところです」

 そんな会話の最中に電話があり、それに出た捜査主任が微妙な顔をしていた。

「何の電話だったんですか?」

「いや、科捜研からだが、アンドロイド本体を日本化学アカデミーに持っていかれたそうだ」

「ええ、どういうことです」

 日本化学アカデミーとは、進歩する技術の進化に法律が着いていけない場合の検証や、あらゆる新製品の安全性の確認を行う機関で、省庁を超えた独立した国家機関として存在しており、技術の進歩と安全性を両立させるために設立された機関であった。そんな機関が刑事事件に介入してくるなど聞いたことがなかった。

「もし、これがアンドロイドによる殺人だとすれば、現在、国内で可動している全てのアンドロイドが殺人を犯す可能性もあり、国民の安全を考慮すれば、重度に国家的案件だと上が判断して、日本化学アカデミーに解析を依頼したそうだ。アンドロイドの解析に関しては、完全に俺たちの手から離れてしまった。以後は被害者の怨恨関係による犯行の可能性の捜査のみを続行せよとのことだ」

「何ですかそれ、日本化学アカデミーは技術的には日本の最高峰かも知れませんけど、捜査に関してはまったくの素人でしょ。そんなところに真相解明なんてできる訳ないじゃないですか」

「言いたいことは分かるが、全て決定したことだ。もう、俺たちではどうしようも出来ない」

 俺はやるせなくなった。日本化学アカデミーが俺たちと共同で捜査をするなど考えられなく、これであればYAMAZAKIに解析させた方がましだとさえ思えた。

 そして、浅間秀夫関係の捜査も警視庁の捜査一課が主導をとることとなり、俺たちは完全に裏方の仕事をするのみになってしまった。


 二週間後に、浅間秀夫関係の捜査の報告会があった。

 それによると、浅間秀夫は建築系ゼネコンから各分野に手を広げ、今や日本有数の浅間財閥の御曹司であった。しかし、三男であり、しかも私生児であった。つまり浅間財閥の会長であった父親の不倫関係にあった女性との間にできた子どもであった訳である。

 浅間秀夫の母親は、浅間秀夫の誕生と時を同じくして父親から相当額の慰謝料を受け取り、父親との関係を終わらせていたが、その代わりに浅間秀夫を父親が引き取ったとのことであった。

 浅間財閥は、完全な同族経営を行っており、その親族は過剰な英才教育を受け、浅間財閥のトップとして君臨するように育てられていたが、浅間秀夫はその道から外れていた。

 浅間一族は、私生児だからと言って浅間秀夫を差別的に扱っていたようなことはなかったが、浅間秀夫は高校生の時に、近くの高校の生徒に対して傷害事件を起こし、補導され、それが原因で高校を転校していた。

 その後、大学に進学をするが、その大学も浅間財閥が望むような一流の大学ではなく、三流の大学に進学し、しかも六年をかけてその大学を卒業していた。そして、その二年間の留年の理由は出席日数不足であった。

 大学を卒業した後は、浅間系列の商社に就職をするが、上司との人間関係のトラブルから二年後には退職をし、その後は個人で海外の輸入品を小売店に卸すブローカーのような仕事をしていたようである。

 浅間秀夫に転機が訪れたのは二年前であった。

 二年前に浅間秀夫の父親が病で他界し、その後は長男が会長職に就いたのであるが、浅間秀夫は、このことに関しては完全に蚊帳の外の扱いであったそうである。

 しかし、長男から十五億円もの遺産の相続を持ちかけられ、それを受け取る代わりに、完全に浅間一族との縁を切るとの誓約を書かされたようであった。

 もともと、浅間財閥に対しての野心や執着がなかったのか、あっさりと浅間秀夫はその申し出を受け入れ十五億円を手に入れた。

 その後は、それなりに商売に励んでいたブローカーの仕事も辞めてしまい、マンションとアンドロイドを購入すると、毎晩のように高級クラブに通い、一生かかっても使い切れない遺産を浪費していたようである。

 女性関係は、特に特別な恋人と呼べるような存在はなく、高級クラブの何人かのホステスを相手に関係を持っていたようであるが、特に執着するようなこともなく、遊びと割り切ったような関係であった。

 しかし、一人の女性については、俺には気になるものを感じていた。

 それは、浅間秀夫の従妹である浅間伊織という女性であった。

 浅間伊織は、浅間秀夫の父親の弟の次女であり、歳は浅間秀夫の四歳年下の二十八歳であった。

 浅間秀夫と浅間伊織は、家も近所であったことから幼いころからの幼馴染であり、浅間秀夫が一族を追われた後も、不定期ではあるが浅間秀夫と連絡を取っていた一族の中で唯一の存在であった。

 俺は、女性関係を調べるのであれば、高級クラブのホステスなどよりも、浅間伊織の方が有力な情報を持っていると考えていた。

「以上で報告が終わったが、他に何かあるか」

 捜査一課の捜査本部長が最後に叫んだときに、俺は手をあげた。

「なんだ」

「実は気になることが一点ありまして・・・」

「なんだ、言ってみろ」

「実は、浅間秀夫と取引のあった商社から、サンプルで渡した五十万円程度の指輪の返還要求がでておりまして」

「なんだそんなんもの、本件とは関係ないだろう。早く返してやれ」

「しかし、遺留品の中には、そんな指輪はないんです」

「なんだそれは、どうせ、どっかのホステスに渡したんだろ。弁償を要求されても、浅間秀夫は億万長者だ。何とも思っていなかったんじゃないか。それとも、君はその五十万円程度の指輪を強奪するために、誰かがこの犯行を行ったとでも言いたいのか」

「まさか、ただ気になっただけで」

「くだらん。そんなに気になるなら、指輪の件はそっちでやれ」

 我々の捜査班長が俺に話しかけてきた。

「お前、何くだらないこと言ってんだ」

「いえ、俺は、この捜査本部のやっている科学捜査ってのが嫌いでしてね。もっと、人間味のある捜査を行いたいんです。今の捜査方針では指輪は何の関係性も見受けられないですけど、だからと言って切り捨てて良いなんて判断は賛同しかねます。事件が解決していないのに遺留品を返還するなんてありえませんよ」

「お前はつくづく二十世紀の刑事だな。お前はそれで構わんかも知れんが、少しは口を慎め、こんな事が続くと、ますます俺たちは蚊帳の外に追いやられるぞ」

「はいはい・・・」

 そして、今後の捜査方針の発表があった訳であるが、捜査本部は高級ホステスの中に怨恨関係がないかを重点としており、浅間伊織に関する捜査を我々が担当することとなった。俺にとっては、思ってもいなかったことであった。

 しかし、これは後で知ったことであるのだが、捜査第一課に対して浅間財閥から一族に関しての捜査には、制限をするように圧力がかかっていたからであった。

「捜査本部は、浅間伊織に関しては、事件への関係性は皆無だと判断している。よって、我々は浅間伊織の捜査を通り一遍で片付けろとのことだ」

 捜査班長は、やる気をなくしているのか全員に呼びかけて希望者を募った。これまでではありえない、捜査班長の投げやりな態度であった。

「浅間伊織の写真はありますか?」

 俺は、それとなく捜査班長に尋ねてみた。

 捜査班長はすぐに、俺に浅間伊織の写真を渡した。

「やっぱりこの娘か・・・」

「なんだ、知っているのか」

「ええ、浅間秀夫の葬儀の席で、親族がやけに白けた顔で参列している中で、一人だけ号泣していた娘です」

「ああ、あの時の・・・」

「どうです班長、浅間伊織の件、俺に任せてくれませんか」

 捜査班長は鼻で笑い、どうでも良いといった口調で

「どうせ、捜査本部から押し付けられたやっつけ仕事だ。やりたいなら、お前と鈴木でやってみろ」

 と言った。

 浅間伊織に、任意の事情聴取を申し出たところ、あっさりと承諾をしてくれた。しかし、仕事の関係があるので、土日しか時間がとれないとのことであった。俺はすぐに直近の土曜日に事情聴取を願い出たところ、驚くほど素直に応じてくれた。

 浅間伊織は浅間一族のほとんどが系列会社に就職する中にあって、小学校の教師をしている異色ともとれる存在であった。

 浅間一族を追われた浅間秀夫と一族の中で異色の存在である浅間伊織、これは何かあるに違いないと俺は直観していた。

「今日は、浅間秀夫さんのことでいくつか質問をさせていただきたいのですが、答えたくないことは、答えなくても結構です」

 浅間伊織は小学校の先生らしい清楚な佇まいで、取調室の椅子に腰かけていた。

「その前に、あなた自身のことを少し伺いたいのですが構いませんか」

「ええ、大丈夫です」

「失礼ですが、あなたは浅間財閥の一族でありながら、まったく関係のない小学校の先生になられましたね。それは、浅間財閥と何かあったからですか」

「それは何もありません。私は昔から子どもが好きで、それと児童文学も大好きですから、幼いころから小学校の国語の先生になるのが夢だったんです」

「そのことで、ご家族から反対されたことは・・・」

「ありません。むしろ両親とも応援してくれました」

 浅間伊織に嘘を言っているような気配は感じられなかった。

「失礼しました。では、浅間秀夫さんに関しての質問に移らせていただきます。浅間秀夫さんとあなたの関係について説明をお願いします」

「秀兄(ひでにい)は・・・すいません。私はいつも秀夫さんのことを秀兄と呼んでいたものですから」

「秀兄で結構ですよ。続けてください」

「秀兄は四歳年上の従妹にあたります。秀兄のお父さんの弟が私の父で、秀兄のお父さんは私からは叔父にあたります。秀兄とは家が近所だったことから、幼いころからよく一緒に遊んでくれました。女姉妹しかいない私にとっては、秀兄は兄のような存在でした」

「やさしい、従妹のお兄さんだったってことですか」

「そうです」

「分かる範囲で結構ですが、秀夫さんは高校生の時に傷害事件を起こして補導されています。その後に高校を転校もされていますね。この件について、知っていることはありますか」

 それまでは穏やかっだった、浅間伊織の顔色が急に険しくなった。

「それは、全部、私のせいなんです」

「どういう事ですか」

「当時、私は中学生でしたが、近くの高校生から言い寄られていたんです。最初は断って無視していたんですが、待ち伏せをされたり、逆ギレをされて暴力を振るわれそうになったり、怖くなって秀兄に相談したんです。そしたら秀兄は『わかった。まかせておけ』とだけ言って、その高校生に話をしに行ったんです。後は秀兄から聴いた話なんですが、秀兄はあくまで話し合いで解決しようとしていたんです。ですが、相手はまったく聞く耳を持たないで、最後にはナイフを出して秀兄を脅してきたそうです。秀兄は高校で空手をやっていたから、ナイフを払いのけてその高校生を押さえつけたんですが、すぐにその高校生の仲間が警察に連絡をして、秀兄が補導されてしまったんです」

「つまり、秀夫さんは正当防衛だった訳ですか」

「はい、そうです。それと秀兄は自分を陥れるために、最初からナイフを出して脅して、抵抗するように仕向けて、そのタイミングで警察が来るように仕組んでいたとしか考えられない。あまりにも警察が来るタイミングが早すぎたとも言っていました」

「ほう、それで、そのことは警察には話をされたんですか」

「ええ、全て話したと言っていました。けど、警察は一方的に秀兄を悪者にしてしまったそうです」

「それが本当なら、我々の持っている秀夫さんの印象が、かなり変わってきますね。そのことはご家族には話されなかったんですか」

「父に話しました。父は秀兄を息子のように思っていましたから、直ぐに叔父さんのところに一緒に行ってくれました」

「叔父さんというのは、秀夫さんのお父さんのことですね。それで、どうだったんですか」

「叔父さんは『そんなことはどうでも良いことだ。問題は浅間の家から犯罪者を出してしまったことだ』と言って、聞く耳を持ってくれませんでした。私は秀兄が私のためにやってくれたことだと何度も訴えましたが、『そんなことは問題じゃない。むしろ、その時点で私に秀夫から相談があれば、もっと良い解決方法があったはずだ』と言って相手にはされませんでした。私は叔父さんの態度が信じられませんでしたが、帰り道で私の父から『兄さんは、浅間の一族を守ることで精一杯なんだ。秀夫のやつの正義感なんて、兄さんにとっては、無視せざるを得ない立場なんだ』と聞かされました。もちろん、私は納得できないことでした」

 浅間伊織は、警察に対しても不信感を抱いているのか、威嚇するように俺を睨みつけていた。

「その後、秀夫さんは転校されますね。それについて何かご存じのことはありますか」

「ええ、補導された後に、叔父さんはあらゆる手をつかって秀兄を無実にしようとしていたと聞きましたが、結局はどうにもなりませんでした。学校から三ヶ月間の停学処分が下った時に、叔父さんは一方的に転校の手配を進めたそうです。秀兄は『今の高校には、俺のことを分かってくれる友達も沢山いる。転校なんてしたくない』と反発したそうなんですけど、強引に転校させられてしまいました」

 俺は、ここで一旦休憩をとることにした。浅間伊織が最初は冷静であったが、浅間秀夫の話をする内に興奮しているのが分かったからである。そして、俺は浅間伊織が浅間秀夫の話になると、なぜ興奮するのかを知りたくなった。

 俺は、浅間伊織を休憩室に誘いコーヒーを差し出した。

 わざわざ浅間伊織を休憩室に誘い出したのは、途中で浅間伊織の全身を3Dスキャンするためであった。

「今日は、本当に申し訳ありません。しかし、あなたのお話を伺って、秀夫さんに対する心証がかなり変わりました。これまでの捜査では秀夫さんの経歴だけで判断すると、秀夫さんは決して良い心証だった訳ではありませんですから」

「ありがとうございます。実は、親族からも秀兄は良く思われていなかったんですけど、本当は優しい人なんです」

「もし、お時間が許すようであれば、もっと秀夫さんのことを伺いたいんですが構いませんか」

「もちろんです」

 俺は、浅間伊織がコーヒーを飲み終わるのを待って、取調室に戻った。

「さてと、続きの話になりますが、秀夫さんは大学に進学されますが、それについてご存じなことはありますか」

「はい、秀兄は転校した後は抜け殻のようにやる気をなくしていました。中学と高校を転校するまでは成績はトップクラスだったんですけど、勉強にもやる気をなくして、ただ、学校に通っているだけのような状態でした。その時に『俺は浅間の家にはふさわしくない人間なのかな』とか『浅間の家というよりも、この世から必要とされていない人間なんじゃないかな』とか言って、まったくやる気をなくしていたんです。でも、後で秀兄から聴いたんですが、転校する前の高校の空手部の先輩から『お前の存在意義をお前が見失ってどうする。お前の存在意義はお前自身が決めることであって、お前の親父さんや一族が決めることじゃないだろう。いや、お前以外にお前の存在意義を決められる人間なんていないんだ』と言って励ましてくれたそうなんです。そして、秀兄はその先輩の勧めもあって、その先輩と同じ大学に進学することにしたようです。もちろん、その大学は浅間の家からすると、見下されるような大学でしたが、秀兄は、そこで立ち直るんっだて言っていました」

「なるほど、ですけど、秀夫さんは、その大学を二年も留年されていますね。それについてご存じな事はありますか」

「はい、知っています」

 浅間伊織は、浅間秀夫のことを話すことが楽しいかのように返事をした。俺はこの時点である疑問を抱えていた。それは、いくら従妹とはいえ浅間伊織は浅間秀夫のことについて詳しすぎるのである。ただの従妹の関係とは到底思えなかった。

「実は秀兄を励ましてくれた先輩が卒業して起業をされていたんですが、それがうまくいっていなくて、秀兄に相談を持ちかけてきたんです」

「それは、秀夫さん個人ではなくて、浅間財閥からの援助という意味ですか」

「ええ、そうです。秀兄はすぐにお父さんに相談をしたんですが、まったく相手にされなかったそうです」

「それで、秀夫さんはどうしたんですか」

「秀兄は、自分が知っているあらゆる関係を頼って、その先輩のために走り回っていました。それで、大学がおろそかになって二年も留年してしまったんです」

「なるほど・・・まだ、お時間よろしいですか」

「はい」

「では、大学を卒業されてから、秀夫さんは浅間財閥の系列会社に就職されますね。今までのお話からすると、秀夫さんが系列会社に就職するとは考えにくいんですが・・・」

「それは、叔父さんの一存で決めてしまったことです。私の父から聞いた話ですが、叔父さんは秀兄を自分の支配下で管理したがっていたと聞いています」

「秀夫さんは、それに素直に従った訳ですか」

「違います。秀兄は卒業すると、さっきの先輩の会社に就職するつもりだったんです。でも、そんなことをすれば、浅間から圧力をかけてそんな会社なんか潰してしまうなどと脅されて、しかたなく叔父さんの言う通りにしたんです」

「なるほど、その時に秀夫さんは何か言われていましたか」

「はい、私に『俺は浅間一族に負けてしまった。俺は俺の思うようには生きられないようだ。しかし、伊織にはそうなって欲しくない』と言ってくれて『伊織には何か夢みたいなものはないのか。もしもあるなら、俺は全力で味方してやるから』と言ってくれました。だから、私は当時は親の進めた大学に進学していたんですが、本当は小学校の先生になりたかったことを話しました。すると、秀兄は私の父を説得してくれました。『伊織に俺と同じような思いはさせたくない』そういって、何度も父を説得してくれたんです。そして、父も最終的には私の思うようにするようにと言ってくれて、それで教育大学を受けなおして教師になることができました。私が教師になれたのは、秀兄のおかげです」

「最初に、教師になったことについて『両親とも応援してくれました』と仰ってましたが、少し事情が違うようですね」

「申し訳ありません。それは、秀兄が父を説得した後の話です。私の説明不足でした」

 この時に鈴木が俺に話があると呼び出してきた。

「なんだ、今、大事なところなんだ」

 俺は取調室の外で、苛立ちながら鈴木にいった。

「何やってんですか。捜査一課から早く切り上げろってクレームが出ています」

 取調室での会話は、モニターを通して捜査一課に送られていた、これまでの浅間伊織と俺の会話は、全て捜査一課には筒抜けだったのである。

「知るか、そんなこと。俺は捜査をしているんだ」

「馬鹿いわないでくださいよ。浅間伊織の事情聴取は三〇分で切り上げろって捜査一課から命令されていたでしょ」

「無視しとけ、そんなことは無視だ」

 俺は、鈴木に吐き捨てるように言って、取調室に戻った。

「すいませんでした。では、秀夫さんの話に戻りたいのですが・・・」

「あのう、大丈夫ですか。何かご迷惑でも・・・」

「そんなことありません。何でもないです。気にしないでください。それで、秀夫さんは二年で会社を退職されていますが、何かご存じなことがあれば教えてください」

「これは父から聞いた話なんですが、叔父さんは秀兄の会社に圧力をかけていたようなんです」

「圧力ですか」

「ええ、圧力というか、親会社から子会社への命令みたいなものだと思います」

「どのような命令だったんですか」

「父の話ですと、秀兄には難しい仕事はさせないようにといった内容だったそうです」

「それは、どうして」

「叔父さんは、自由奔放に振る舞う秀兄が気に入らなかったようで、秀兄には簡単な仕事だけさせておいて、飼い殺しにするつもりだったと聞いています」

「なぜ、そこまでする必要があったんですかね」

「分かりません。ただ、浅間一族は全てにおいて完璧を求められます。例え些細な過ちも許されない家風があります。本家は特にそうです。これまでの秀兄の振る舞いから、叔父さんは秀兄から自由を奪いたかったんじゃなかと思います」

「それで、秀夫さんはどうされたんですか」

「あの時期の秀兄は、遭うといつも苛立っていました。雑用ばかりを押し付けられて、企画書をいくら書いても相手にしてもらえないと言っていました」

「それが、会社を辞めた理由ですか」

「いえ、秀兄は、いつか良い仕事をものにするんだと言っていましたけど、ある時に上司から叔父さんから秀兄には仕事を任せるなと命令されていることを告げられたようなんです」

「それが、きっかけですか」

「はい、自分がいくら頑張っても無駄な努力でしかないことを知ったときに、会社を辞める決心をしたそうです」

「それで、すぐに会社を辞めた訳ですね」

「そんな簡単な話ではありません。父から聞いた話だと、叔父さんは『会社を辞めるなら、お前なんか勘当だ』と言ったそうです」

「それでも、秀夫さんは会社を辞めた訳ですね」

「はい。秀兄は昔からアメリカン・カジュアルに興味があって、二十世紀の定番中の定番や最新のものを日本の若者からお年寄りまで紹介したいって言っていました。それを企画していたんですが、さっき言ったように全て無視されていたので、会社を辞めて自分でそれをやってみたいと言っていました」

「なるほど、それで会社を辞めて、自ら事業を創められた訳ですね」

「はい、でも、浅間の家からは一切の援助はなかったので、バイトを掛持ちしながらの起業でした」

「その仕事は順調だったんですか」

「最初の内は収入のほとんどがバイトだったそうなんですが、ある雑誌に秀兄が輸入したアクセサリーが紹介されて、それがきっかけでバイトをしなくても仕事に専念できるようになったと言っていました」

「それで、事業が軌道に乗った訳ですね」

「ええ、いつかは自分のショップを持ちたいと言っていました。そうだ、この腕時計も秀兄からのプレゼントなんです。私が教師になったときのお祝いで、一品物の輸入品で、そんなに高価な時計ではないんですが、日本ではなかなか手に入らない代物だって自慢していました。私の宝物なんです」

 浅間伊織は、楽しそうに話をしていた。その微笑みは、あまりにも警察の取調室なんて場所には似つかわしくないものであった。

「ちょっと休憩しましょうか」

 俺は、ここで一息つこうと鈴木にコーヒーを持ってくるように言った。

「あのう・・・」

「なんですか」

「お手洗いをお借りしてもよろしいですか」

「ああ、それは気が付きませんでした。申し訳ありません。どうぞ、場所は・・・」

「場所は分かります。さきほどコーヒーを頂いた部屋に行く途中のところで構いませんか」

「ええ。そこです」

 浅間伊織が部屋を出て行き、暫くして鈴木がコーヒーを持って入ってきた。

「もう、捜査一課はカンカンですよ。浅間伊織は浅間秀夫と従妹でありながら、昔から兄弟みたいな付き合いをしていた。それだけで十分だと言っています。今すぐに浅間伊織を解放しろとのことです」

「馬鹿か、これからが本題だ」

「何いっているんですか。怒鳴られるのは俺なんですよ」

「それがお前の仕事だろう。若い時の苦労は買ってでもしろ」

「あのう、いつか先輩をパワハラで訴えますよ」

「おう、望むところだ・・・」

 鈴木と入れ替わりに、浅間伊織は取調室に戻ってきた。

 これまでの話から、浅間秀夫と浅間伊織の間には、普通の従妹以上の関係があることは分かった。これから探らなければならないのは、浅間伊織が浅間秀夫の殺人事件にどのような関りをもっているかである。俺は、浅間伊織がこの事件の鍵を握っていると直感していた。

「では、二年前の話をお伺いしたいのですが」

 浅間伊織の表情が険しくなった。

「二年前に、秀夫さんのお父さんが亡くなられて、長男の方が跡をつがれましたね。その時に、十五億円もの遺産を相続する代わりに、秀夫さんは浅間一族から完全に絶縁をされていると報告書にはあります。そのことで、ご存じの範囲で教えていただけませんか」

「詳しい経過は、私も知りません。ちょうど、叔父さんの四十九日の法要の日に秀兄以外の一族が勢ぞろいしたのですが、その場所である紙がくばられました」

「ある紙ですか」

「ええ、それは秀兄が書いた誓約書のコピーでした」

「どのようなことが書かれていたのですか」

「十五億円の遺産を受け取る代わりに、浅間一族とは絶縁する。今後は全て自己責任として、浅間一族には一切の関りをもたない。といった内容のものでした」

「何か説明はありましたか」

「いえ、何も、その後に『そこに書いてあるとおりだ。今後は秀夫との関りは一切禁止とする』とだけ宣告されました」

「それだけですか」

「それだけです」

「しかし、その後もあなたは、秀夫さんとは連絡をとっておられたのではないですか」

 ここで、浅間伊織は回答するのを躊躇した。

「言いたくないことは、おっしゃらなくても構いませんよ」

「いえ、別に隠さなければならないようなことではありません。私はその後も秀兄と連絡をとって、時には出逢っていました」

「それはどのような経緯からですか」

「別に大したことはありません。四十九日の法要の後に秀兄から連絡があって、『そういうことになったから、でも、何か困ったことがあったら、何でも俺に相談してこい』と言われたんです」

「何か変わった様子はありませんでしたか」

「別に、いつもの秀兄と変わったところはありませんでした。ただ、『これで、俺もようやく浅間一族から自由になった』と逆に喜んでいるようにさえ感じました」

「その時に、何があったのか聞かなかったのですか」

「そのことは、父から一切の詮索を禁じられていましたから」

「それで、秀夫さんとは連絡を取り合い、出逢うこともあったということですね。それは、密会のような感じでしたか」

「いいえ違います。これまでとそんなに変わったことはありません」

「しかし、秀夫さんとの関りは一切禁止と宣告されていたんですよね」

「ええ、でも実際はそんなに厳格なものではありませんでした。私の父もたまに秀兄を心配して呑みに誘っていましたし、私が秀兄と出逢っていることも両親も認めていました。ただ、本家には遠慮をしていましたけど・・・」

「なるほど、どのような感じで連絡をとっていたのですか」

「それは、私が教師をするうえで子どもたちが言う事をきかない時や、同僚の教師との意見の食い違いから悩んでいる時に、秀兄に相談に乗ってもらっている時が多かったです」

「それだけですか」

「概ねそんな感じでした」

「それで、その時の秀夫さんの様子はどうでした。先ほどの事業についても、遺産相続後は、ほとんど手つかずになっていたと聞いているのですが」

「それは本当です。秀兄は、あんなに夢中になっていたアメリカン・カジュアルのことも忘れたようで、投げやりな感じになっていました」

「あなたは、そんな秀夫さんを見て、どう感じましたか」

「いつか、前のように戻ってくれると信じていました」

「できれば、秀夫さんの力になりたいとかは考えませんでしたか」

「それは、いつも思っていました。でも、そんな話をすると『伊織に心配をかけるようなことは何もしていない。要らない心配はするな』と怒られました」

「最後に秀夫さんに出会ったのはいつですか」

「去年のクリスマス・イヴの夜です」

「ほう、まるで恋人みたいですね。それは、秀夫さんから誘われたのですか」

「いいえ私の方から誘いました」

「それはどうして」

「特に深い意味はないです。少し前に秀兄からクリスマス・イヴも一人で過ごすようなことを聴いていたので、じゃあ、私が相手をしてあげるみたいな簡単なノリからです」

「何もありませんでしたか」

「ええ、普通に食事をして、お互いにプレゼント交換しただけです」

「何をプレゼントされましたか」

「私には分不相応の高級なブランド・バックでした」

「受け取ったんですか」

「最初は断ったんですが、秀兄に無理に押し付けられるような感じで受け取りました」

「あなたは何をプレゼントされましたか」

「ビジネスマンに人気のペーパー式タブレットです」

「それはどうして」

「早く、仕事を再開して欲しかったから、仕事で実用的なものを選びました」

「その時の秀夫さんは、どのような感じでしたか」

「何か気まずそうな感じでしたが『ありがとう、大切に使わせてもらう』と言ってくれました」

「その後は、どうされましたか」

「別に何も、そのまま別れました」

「それが最後ですか」

「はい、そうです」

 俺は、これまでの質問中ではなかった、めぐるましく変わる浅間伊織の表情を必死で追いかけていた。そして、最後には浅間伊織は俺から目をそらすようにして話をしていた。

 あきらかに動揺を隠せない様子であった。

 これは、捜査一課に送られたデータから読み取ることの出来ない、俺だけが得た情報であった。

「最後に、もう一つだけ質問したいんですが、あなたと秀夫さんは従妹とは思えないほど親しい間柄のように感じました。いえ、私にも従妹がいますが、あなたが答えたように従妹のことは理解していません。たまに法事とかで会う程度で、まあ、会えばそれなりに話は弾みますが、従妹に仕事の相談とかは考えられないんですよ」

「どういうことですか」

「あなた方は、従妹以上の関係にあったのではありませんか」

「それは、恋愛関係ということでしょうか」

「もしくは、それに近い間柄とか」

「それは誤解です。最初に言ったように、私は秀兄を兄のように慕っておりました。秀兄も私のことを妹のように大事にしてくれていたんです。確かに従妹という間柄ではありますが、それ以上の関係と言われるなら、それは兄弟のような関係だったからです」

 明らかに浅間伊織は不機嫌になっていた。

「分かりました。私からの質問は以上です。最後に変な質問をして申し訳ありませんでした。あなたから何か聞きたいことはありますか」

 浅間伊織は、少しの沈黙の後に

「秀兄は、本当に殺されたんですか」

 とだけ質問をしてきた。

「申し訳ありませんが、それは、まだ捜査の途中ですので、お答えすることはできません」

「分かりました・・・」

 浅間伊織を玄関まで送り、タクシーに乗せた後に、俺と捜査班長は捜査一課に呼び出され、こっぴどい説教をくらった。

「何を考えているんだ。何度も止めろと忠告しただろう。この事件に浅間伊織は関係ない。いったい、何をやりたいんだ」

 捜査本部長は、鬼のように怒り狂っていた。

「そんなことありません。浅間伊織と浅間秀夫の間には何かあります。絶対に間違いありません」

「何を根拠に絶対などと言えるんだ」

「根拠・・・しいて言えば、俺の刑事の勘です」

「馬鹿か、そんな捜査をしているから冤罪がなくならないんだ。捜査に必要なのは完璧な証拠以外に何もない。下手な思い込みで捜査をするな。わかったな」

 その後、浅間伊織に関する捜査は一切を禁じられた。俺はといえば、捜査本部長から名指しで雑用に専念しなければならない羽目になってしまった。

 しかし、転機が訪れたのは、暫くたってからであった。

「佐藤、捜査本部長からお呼び出しだ」

 うちの捜査班長に突然に声をかけられた。

「捜査本部長から・・・何の用ですか」

「知るか、今すぐに来いとしか聞いていない。お前、また何かやらかしたのか」

「別に何も心当りはないですけど」

「まあ、とにかく早く行ってこい」

 俺が捜査本部長の部屋に行くと、本部長は不機嫌そうに俺を睨み付けた。

「どんなご用でしょうか」

「お前に、日本化学アカデミーから捜査協力依頼が来ている」

 捜査本部長は、投げやりに日本化学アカデミーからの依頼文を俺に差し出した。

「本当だ。俺の名前が書いてありますね」

「お前、一体、何をした」

「別に何もしていませんよ」

「だったら、どうして日本化学アカデミーがお前なんかを指名してくるんだ」

「そんなの俺も分かりません」

「本当か」

「本当です」

 捜査本部長はため息をつきながら

「どうしてお前なんかが指名されたのかは分からないが、捜査協力を断る訳にはいかない。明日の午後一三時〇〇分に日本化学アカデミーまで行ってこい」

「わかりました」

「いいか、余計なことは一切口にするな。『分かりません。詳しいことは捜査一課に聞いてください』とだけ答えてこい。分かったな」

「了解しました」

 俺は、込み上げてくる笑みを押さえながら、必死に真面目な表情を繕って捜査本部長に敬礼をして答えた。


 日本化学アカデミーは、日本の最高学府に隣接しており、広大な敷地にやけに白い建物が連立して建っていた。

 俺は指定された建物に三十分も早く着いてしまった。

「あのう、すいません。十三時に伊藤教授に呼び出された者ですが・・・」

 受付嬢に声をかけると、受付嬢はにこやかな笑顔で

「少々、お待ちください」

 と言って、タブレットで何か操作を始めた。

「佐藤さまでしょうか、何か身分を証明するものはありますか」

 俺は警察手帳を見せた。

「かしこまりました。今から伊藤教授のオフィスにご案内します。その前に、こちらの施設では、外部の方の撮影や録音機能のついた物は、全て預からせていただくこととなっております」

 俺は、携帯電話を差し出した。

「申し訳ございません。もう一つ、それも外部に音声情報を伝達する機械をお持ちですね」

 それは、捜査本部長に持たされていた小型マイクのことであった。

「よくご存じで・・・」

「玄関にはセンサーがありますので、そこで全ての入館者のチェックを行っております」

「さっき渡した携帯電話を、ちょっと返してもらえますか」

「ええ、どうぞ」

 俺は、携帯電話を受け取ると捜査本部長に電話をかけた。

「本部長、お聞きのとおりです」

「仕方ない。しかし、余計なことは一切口にするな」

「わかってますよ」

 俺が携帯電話と小型マイクを渡すと、受付嬢は伊藤教授のオフィスまで案内をしてくれた。

「しかし、どこもかしこも真っ白な建物ですね」

「ええ、ここは何色にも染まらないといった意志を表現して建築されております」

「はは(笑)、まるで花嫁衣裳みたいですね」

 俺の軽い冗談は無視をされた。

「ここで、少々お待ちください」

 受付嬢は、ある部屋の前で止まると、こう指図してインターホンを押した。

「教授、お連れいたしました」

「分かった。本人であることは、こちらでも確認済みだ。お通ししてくれ」

 部屋の中に通されたが、部屋の中は真っ白ではなく、ごく普通のオフィスであった。

 俺は、伊藤教授に促されて、応接のソファに座った。

「お待ちしておりました。私が伊藤です」

「どうも、佐藤です」

 伊藤教授は、もしかすると年下なのかも知れないとさえ思ってしまうほど、若く見えた。

「考えていたよりも、お若いんですね」

 俺は声をかけたが

「まあ、無駄話はやめましょう。お互いに忙しい身だ。さっそくですが本題に入らせていただきます」

 と返されてしまった。

「ちょっと、待ってください。本題に入る前に確認したことがあるんですが」

「何でしょうか」

「何故、俺が呼ばれたんですか」

「ああ、そのことですか。今回の件で、我々には理解できないことが起こっていましてね。そこで、捜査に精通した人物の意見をお聞きすることになりました」

「捜査に精通した人物なら、俺の他にも優秀な人材がいたんじゃないですか」

「今回の、捜査に携わっている全ての人物を調べさせていただきました。確かに経歴だけを見れば優秀な人材はいくらでもいました。しかし、我々は科学捜査による見解などは求めていません。その程度のことなら、我々の方が優秀です。あなたは、科学捜査に頼らずに自らの感覚で捜査をされていますね。例えば、あなたの口癖の『これは俺の勘だ』的な方法で」

「そんなことまで、調べたんですか」

「ええ、我々にないものは、あなたがよくおっしゃる刑事の勘というものです。これで納得できましたか」

「ええ、本題に入って下さい」

「では、この資料を見てください」

 伊藤教授は、俺に一冊のファイルを渡した。

「これは・・・」

「浅間秀夫を殺害したCT150のデータです」

 伊藤教授は、あっさりとアンドロイドが浅間秀夫を殺害したといった。もし、捜査本部長が聞いていたなら卒倒していたかも知れない。

「もっと、効率的な方法もありますが、あなたは我々と違って非効率でアナログな方だと思って、紙に印刷しておきました」

「教授、それは悪口にしか聞こえないんですが・・・」

「これは申し訳ない。私は長年、機械ばかりを相手にしていましたから、人間に対するコミュニケーション能力は幼稚園児並みだといわれています。決して悪気があった訳ではありません」

「本当ですか・・・まあ、いいですけど。しかし、こんな分厚いファイルを読むのは苦手なもので、よかったら、教授から内容を説明していただけませんか」

「あなたは、思っていたよりも非効率な人ですね。いいでしょ、簡単に説明させていただき、気になるところがあれば、後で資料を確認してください」

「申し訳ありません」

「浅間秀夫とCT150は購入当初では、何のトラブルもありませんでした。逆に理想的な関係であったといえます。浅間秀夫はCT150にサラといった愛称まで付けていました」

「それは珍しいことですか」

「ええ、所詮、相手は機械ですから、普通は違いますね」

「申し訳ありませんが、その方面には疎い方で、普通はどのようなやり取りをするんですか」

「CT、コーヒーを煎れてくれとか、単に部屋の中が熱いとか寒いとかを伝えるだけですね」

「じゃあ、愛称を付けるのは特別だということですか」

「まあ、人間は曖昧で不安定な行動を取るものですから、相手が機械であっても人間に対するように接するケースもありますがね。まあ、CT150からすれば、愛称まで付けてもらった訳ですから、理想的な関係だったといえますね」

「そういうものですか」

「ええ、でも、それはある時点を境に、まったく違ったものになってしまします」

「それは、はっきりと分かるのですか」

「はい、実は去年の十二月二十四日のクリスマス・イヴの夜を境に、浅間秀夫のCT150に対する態度が一変してしまいます」

「何があったんですか」

「詳細は不明です。十二月二十四日の午後十時から三十分間のデータが完全に消去されていましてね。復元も試みましたが無理でした」

「データの復元は、そんなに難しいものですか」

「いえ、普通に消去されたものなら、データの上に消去といったフィルターがかけられるだけで、後は上書きをされない限り復元は可能です。しかし、この三十分は完全な消去がなされていました。普通のデータの消去ではありえないことです」

「はあ、そういうものですか。それで、その後の関係はどのように変化したんですか」

「実に険悪な関係です。朝のコーヒーにしても、いつもと同じですが、今日のは濃いといって入れ直しを命じて、その次の日には薄いといった文句をいっています」

「まるで、嫌がらせみたいですね」

「そうです、嫌がらせそのものです。もし、これがCT150でなく人間の家政婦なら、すぐにパワハラで訴えられていたところですね」

「そんなに酷くですか」

「ええ、でも、これは開発側からは想定の範囲内です。だから、CT150も健気に浅間秀夫の要求に応えようとして、必死に要求の全てをデータ化して分析をして正解を求めています」

「じゃあ、これまでのことは想定の範囲内であったということですね」

「ええ、そうです。浅間秀夫が殺される直前までは、必死に正解を探しています」

「浅間秀夫が殺される直前に何かあったんですか」

「何か特別といわれれば、何もなかったとしかいえません。あの日の朝に浅間秀夫はCT150に約束された時間に起こさなかったことを責めます。しかし、それは言いがかりで、その日に早く起こす命令はなされていません。浅間秀夫が使っているスケジュール管理アプリにも、その日は何の予定も入っていませんでしたし、口頭で命じたような形跡はありません」

「スケジュール管理アプリに予定を書くと、それはCT150に伝わるのですか」

「はい、連動していますからね。例えばいつもと違って午前7時に出社とか書くだけで、いつもの生活習慣を逆算して、公共交通機関を使用する場合は、その時間も調べて、何時に起こしていつに家を出て、どの電車に乗ればよいのか指示をしてくれます」

「すごいですね」

「はい、そうです。ですから、CT150は何も命令されていないことを確認しますが、それで浅間秀夫が逆ギレをして激怒します」

「それで、どうなりました」

「その後のことは、資料で確認してください。百五十三ページ目からです」

 俺は資料に目を通した。資料には何が起こったのか混乱しながらも、何とか改善を試みるCT150の心情的なことが記されていた。

 それによると、浅間秀夫はCT150を責めていたが

「もう、お前は何もするな」

 と命令をして、出かける用意を始めていた。しかし

「何かお手伝いをすることはありますか」

 とCT150は尋ねられた時に逆ギレをして、浅間秀夫は、辺りのものを投げつけ始めている。

以後は、資料に書かれているものである。


秀夫様より小皿をぶつけられる。

私はどうすればよいのか。

もう一度、声をかければよいか。

いや、謝罪の方が効果的か。

秀夫様より包丁を投げつけられた。これは後で秀夫様が怪我をするといけないので拾っておく。

包丁を手にしたことで、秀夫様が激怒している。

私に敵意を感じたようだ。これは弁解すべきだ。

秀夫さまが、護身用の警棒で私を殴っている。

私に敵意がないことを、どのようにして伝えれば分かってもらえるのか。

「秀夫様、申し訳ございません。私はあなたに刃向かう気持ちなどはありません」

伝えてみたが、何の効果もない。

秀夫様の興奮度の上昇がとまらない。

秀夫様の私への警棒による攻撃が止まらない。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私はあなたから嫌わられている。

私もあなたを嫌いだ。


 この後に、CT150が手にした包丁で、浅間秀夫を刺したことが記されていた。

 俺が資料を閉じて顔をあげると、伊藤教授と目が合った。

「どうでした。分かりましたか」

 伊藤教授の問いかけが理解できなかった。

「何がですか」

「具体的に質問した方がよさそうですね。最後の『私はあなたから嫌わられている』の繰り返しはCT150の混乱で理解できますが、一番最後の『私もあなたを嫌いだ』を、どのように解釈すればよいのか我々には理解不能なんです。『私もあなたを嫌いだ』とは何ですか」

「何ですかと言われましても・・・」

「これが、殺害動機というやつですか」

「いやあ、どうですかね。こういった感情が殺意に結び付くことはありますが・・・」

「今、何とおっしゃいましたか」

「ですから、このような感情が」

「これは感情ですか」

「はい、そういう感情がですね・・・」

「ありえない」

 伊藤教授は、空を仰ぐように叫んだ。

「いいですか、CT150が感情を持つなどありえない。CT150は機械なんですよ」

「しかし、ここまで精巧に思考をする機械なら、感情を持つことも考えられるのではありませんか」

「いいえ、ありえません。CT150は高度なAIを搭載したアンドロイドなだけです。AIは、多くのデータを収集して分析して、最善の方法を実施するだけの機械です。いいですか、あなたは、自分の車が気に入らなくて、毎日、ポンコツと車に対して罵倒していたとします。すると、ある日、車がエンジンをかけるのを拒否することがあると思いますか」

「いいえ、ありえないことです」

「そうなんです。人間はツーカーとか阿吽の呼吸とかいいますが、例えばパートナーが難しい顔をして考え事をしている時に、ふと手で顎を触ったとします。それを見ていて、お茶を差出した時に『お前とは阿吽の呼吸だな』とか言いますが、それはより多くのデータと過去の行動パターンから判断して絶妙なタイミングでお茶を出しているだけなんです。心が通じ合っている訳ではありません。そこには分析されつくしたスキルが存在するだけなんです。それと同じことを、人間の何億倍のスピードでAIは処理ができる機械でしかないんです」

「しかし、それまでの資料を読み取ると、このような感情が発生しても不思議とは思えません」

「では、百歩譲って、これが感情だとします。だとすれば、AIが感情を持ってしまえば、どんな制御プログラムがあろうと、その感情が優先されて、最終的には殺害まで行ってしまうことになります」

「いや、その辺のことは、俺は専門外ですから・・・」

「・・・すいません。そうでしたね」

 伊藤教授は考え込んでしまった。俺は所在をなくして資料に目を通してみたが、何度、読み返しても最後の「私もあなたを嫌いだ」は、感情以外の何物でもないとしか思えなかった。

「分かりました。では、感情が発生したと仮定します。そこで『私もあなたを嫌いだ』からの殺害までの経緯を想定することはできますか」

「それは・・・少し時間をいただけませんか。私はAIのように情報処理能力は高くないものですから」

「それは、そうですね」

 伊藤教授に俺の軽い冗談は通じなかった。そして、その後に伊藤教授は俺を出口まで見送ってくれた。

「そうだ、刑事さん。気が付きましたか」

「何がですか」

「あの受付嬢です」

「彼女が何か」

「あれは、アンドロイドです」

「ええ・・・」

「実によくできたアンドロイドです。外部の人間で、あれがアンドロイドだと見抜いた人は、ごく少数です」

「俺には分かりませんでした」

「でも、刑事さん、あのアンドロイドには感情はありません」

「なぜ、そう言い切れるんですか」

「あれをプログラムしたのは私です。ですから、あのアンドロイドの行動の全てをチェックしていますが、全てが想定の範囲内で全ての行動が納得のいく結果でしかありません。人間は曖昧で不安定な存在です。しかし、アンドロイドにはそんなところはないのです。そして、私の考える感情とは、そんな曖昧で不安定な人間からのみ生まれてくるものなんです」

「ですから、ありえないと」

「そうです」

「でも、あれは感情です」

「何故、そう言い切れるんですか」

「刑事の直観です」

「なるほど、我々にはない発想ですね。大変、参考になります」

 日本化学アカデミーを後にしたが、俺は捜査本部に帰る気がせず、近くの公園で時間を潰すこととした。

「私もあなたを嫌いだ」という感情が芽生えた直後に、アンドロイドは浅間秀夫を刺している。確かに、AIは人間の何億倍ものスピードで情報処理ができるが、感情の高まり等も同じように早くなってしまうものなのか。そんな単純なことでは俺自身が納得できない。

 そんな時に公園のブランコの方から、子どもたちの騒ぐ声が聞こえた。見ると、一人の女の子がブランコに乗っており、それを数人の子どもが取り囲むようにしていた。

「早く、替わってよう」

 と聞こえたので、ブランコの取り合いをしているのだと思った。

 すると、一人の男の子が女の子に石を投げつけた。そして、石は女の子の顔面にあたり、女の子はブランコから落ちて大声で泣きはじめた。

 それを聞きつけたお母さん連中が駆け寄り、女の子の状態を確かめたが、幸いに大した事はなさそうであった。

男の子のお母さんが女の子のお母さんに対して平謝りを始め、男の子に

「なんてことをするの。女の子の顔に石をぶつけるなんて、なんでそんな事をしたの」

 と問いただした。男の子は

「だって、全然、ブランコを替わってくれないんだもん。みんな、ブランコを待ってたんだよ」

 と悪びれた様子もなかった。

「だからと言って、石をぶつけるなんて、あなたは何を考えてるの」

 男の子は、お母さんに大声で怒られて、泣き始めてしまった。

 まあ、俺が出る幕でもないかと、俺は目をそらしたが

「そうか、そういうことだったのか」

 と閃き、すぐに日本化学アカデミーまで走って戻った。

 日本化学アカデミーに着くと、すぐに

「すぐに、伊藤教授に取り次いでくれ」

 と興奮ぎみに受付嬢のアンドロイドに伝えると、受付嬢はいぶかしげな表情をしながら、伊藤教授に取り次いでくれた。俺はそれを見ながら、こんな表情ができるのに感情がないなんて本当かよと思った。

「思ったよりも早いですね。CT150の感情の経緯が解明できましたか」

 といって、伊藤教授は俺をオフィスに招き入れてくれた。

「あれから、あなたの言った感情を検証するために、CT150に、なぜ『私もあなたを嫌いだ』といった考えから、浅間秀夫を殺害してしまったのか自己分析をさせています。しかし、三十分たちますが、答えは出ていません」

「三十分では無理でしょう」

「しかし、人間でいえば、二十四時間寝ないで、1ヶ月間も考えているのと同じ程度か、それ以上の時間を考えていることになります」

「それで、答えはでましたか」

「いいえ、何も出ていません」

「そうでしょうね。なぜなら、あのアンドロイドには『私もあなたを嫌いだ』という感情のみで、それ以上の感情も、それ以下の感情もなかったんですから」

「それは、どういう事ですか。CT150は浅間秀夫を殺害しているんですよ。それが、ただの『私もあなたを嫌いだ』といった感情のみだという事ですか」

「ええ、そうなんです」

 俺は、さっき見た公園での出来事を例に説明をはじめた。

「それが、なんなんです。その男の子はブランコを替わって欲しくて、つい石を女の子にぶつけてしまっただけですよね」

「ええ、そうなんです。幸いに石が丸くて、そんなに男の子に力がなかったから、女の子は無事でした。でも、そうなったのは男の子が人間だったからです」

「申し訳ないが、まだ、私には理解できません」

「人間だと、身体の成長と伴に感情も発達して行きます。だから、ブランコを替わって欲しいといった感情だけで、人を殺害することはありません。しかし、アンドロイドの身体能力は違います。あのアンドロイドは、例えば物を持ち上げる能力はいくらくらいですか」

「CT150の場合は、1トンまでのものなら持ち上げることは可能です」

「マウンテンゴリラよりも強いわけですよね。でも、マウンテンゴリラと同棲するとなれば、それ相応の措置をしたうえで暮らすますよね。でも、アンドロイドが相手だと、そんな措置は講じない」

「ええ、アンドロイドが人間に刃向かうことはありえませんから」

「しかし、アンドロイドが感情を持ってしまうと、単純で稚拙な感情だけであっても、身体能力はマウンテンゴリラ以上の能力があります。あのアンドロイドは『私もあなたを嫌いだ』といった感情を持ってしまった。そして、もしかすれば警棒で攻撃してくる浅間秀夫の手を払いのけただけかもしれない。いや、突き飛ばしただけなのかも知れません。しかし、その時にたまたま包丁を手にしていた。ブランコを替わって欲しい男の子は、石の持つ殺傷能力などは理解しないで、女の子に石を投げつけました。あのアンドロイドも包丁を持っていることを理解せずに浅間秀夫を突き飛ばした可能性があります」

「つまり、CT150には殺意はなかったと」

「そうです。AIは感情を持つことはありません。だが、感情を持ってしまうと幼稚な行動に出るかも知れません。でも、その幼稚な行動は人間では理解できないほどの高い殺傷能力が伴ってしまうのです」

「そうか、つまり殺意などなくても、相手を払いのけるだけで、相手を死に至らしてしまうということですか」

「そうです。だから、あのアンドロイドには殺意などなかったんです」

「だとすれば、感情が芽生えた時点で行動を制御するようにプログラムすることで、今後は同様のケースは防げますね」

「ええ、逆にそうしないと、幼稚な感情で人を殺してしまいかねません」

「ええと、待ってください。その感情とは何なんですか」

「自我だと考えます。コギトエルゴスム(我思う、ゆえに我あり)です」

「それは、どうして」

「あのアンドロイドの思考は『私はあなたから嫌わられている』を繰り返して、最後に『私もあなたを嫌いだ』に行きつきます。この場合の『私も』が発生した時点で自我が発生したものと思われます。その自我から導きだされたものが『あなたを嫌いだ』だった訳です」

「そうか、客観的な視点での分析から、自主的な思考に代わる時が、自我の発生といえる訳ですか」

「そうです」

「それなら、制御プログラムも組めそうだ。佐藤刑事、これで事件は解決しました。私はすぐに制御プログラムの開発に取り掛かります」

「事件解決なんて、まだ時期尚早ではないですか」

「いいえ、私が政府から命じられたことは、この事件の再発防止のシステムの構築のみです。この事件は、同様の事件の再発防止の制御プログラムの開発を持って解決なんです。もう、警察に頼ることは何もありません」

「そういうことですか・・・」

「考えてもみてください。今やAIは我々の生活のいたるところに存在します。トースターや炊飯器、エアコンにもAIは当たり前のように組み込まれています。それらが暴走すれば、今の生活様式では人類は大混乱となるでしょう」

「つまり、炊飯器が自爆テロを起こしかねないと」

「あなたは冗談のつもりかも知れませんが、それが現実に起こりうることが判明したのです。そして、それを立証したのはあなただ」

「しかし、この事件には不明な点がまだあります」

「そんなものの検証は必要ありません。それに事態は急を要します。炊飯器の自爆テロなら米が飛び散る程度かも知れませんが、例えば車、それも大型トレーラー等には、相当に高度なAIが搭載してあります。それが暴走すれば、大量殺人に繋がりかねません」

「しかし、事件の発端は浅間秀夫のアンドロイドの対する態度の変化から生じています。それを解明するのも必要なのではありませんか」

「いいえ、人間の態度の変化などは、我々は昔から想定していることです。人間の曖昧で不安定なところは、既に想定済みです」

 俺には納得が出来なかった。浅間伊織の「何故、浅間秀夫が殺害されたのか」という問いに、この答えを持って回答したところで、浅間伊織が納得をするとは思えなかった。

 しかし、伊藤教授がいったように、その後、三日を待たずに捜査本部は解散となり、俺は別の事件の担当となってしまった。

 俺は、浅間伊織に関する捜査の続行を申し出たが、即答で却下されてしまった。

「捜査本部は解散したんだ。国も制御プログラムの開発と同時に、この事件の公表と今後の対策を発表する。お前個人のこだわりで捜査の続行など何の意味もない。それに相手は浅間財閥だ。どんな妨害が入るのか見当もつかない」

 俺は伊藤教授にアポを取ろうとしたが、まったく無視をされてしまった。俺は仕方なく日本化学アカデミーまで押しかけた。

 受付嬢は何とか伊藤教授に取り次いでくれたところ、十分程度なら時間をもらえることとなった。

「今日は何ですか」

 伊藤教授はイラつきを隠せない様子で俺に話しかけてきた。

「十分といいましたが、出来れば五分で片づけてください」

「それなら、話は早い、今すぐ私の上司に捜査続行の依頼文を書いてください。それだけで結構なんです」

「あなたもしつこい人ですね。もう事件は解決したといったでしょう」

「しかし、関係者には、あれだけでは納得いかない人はいます」

「そんなものは、今回は関係ない。これは大変なことなんです。全てのAI製品のリコールがもたらす経済的な打撃、そして、高度なAIを搭載した日本製品は世界中で利用されている。その日本製品への不信感。これは、日本経済が崩壊しかねない問題なんです。一個人の感情などにかまっている時間はないんです。もしかすれば、海外のAI搭載製品へのリコールや不信感へと繫がるかもしれない。そうなると、世界の科学技術の進歩にも大きなマイナスとなってしまう。いや、そうなるでしょう」

「それは理解できますが、そこを何とか」

「あなたの、その無駄なこだわりのために、私は六分も時間を無駄にしてしまった」

「そんなことをおっしゃらずに、そこを何とか」

「いいえ、もうお引き取り下さい」

「いや、しかし」

「たった、今、あなたの上司に依頼文を送っておきました」

「え・・・」

「これで、私は用済みですね」

「本当ですか」

「あなたと違って、私は合理的な人間です。ここで、あなたの申し出を断っても、また、あなたは現れるはずだ。そうなるなら、依頼文を送る方が早い。違いますか」

「おっしゃる通りです」

「もう用は済みましたね。早くお引き取りください」

 俺が署に戻ると、捜査班長が待ち構えていた。

「お前は、本当にしつこいな」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めてねえよ。それで、鈴木でもつけるか」

「いえ、俺の単独で十分です」

「相手は浅間財閥だ。気をつけろ」

 俺は出来るだけ時間をかけない方法を考えたうえで、浅間伊織に連絡をとった。急がなければ伊藤教授が制御プログラムを開発して公表してしまう。俺に与えられた時間はそれまでしかないからである。

「今日は本当に申し訳ありません」

「いえ、秀兄に関することですから、別に迷惑とは思っていません」

 浅間伊織は、以前と変わらず捜査には協力的であった。

 俺は、浅間伊織に浅間秀夫がアンドロイドに殺害された経緯を説明した。浅間伊織は動揺を隠せないようであったが

「それは、本当のことなんですね」

 と念を押してきた。

「ええ、事実です。しかし、不明な点がいくつかあります。まず、一点目に浅間秀夫さんは一二月二十四日を境にアンドロイドに対する態度が変わりますが、その原因ともとれる午後十時からの三十分のデータが消去されています。何か思い当たることはありますか」

「いいえ、別に」

「いいえ、あなたはご存じなはずです。先日にあなたを3Dスキャンして、そのデータを浅間秀夫さんのアパートの防犯カメラに検索をかけたところ、あなたと浅間秀夫さんが午後十時に浅間秀夫さんの部屋に入ったことが確認されたんです。そして、その三十分後にあなたが出て行ったこともです」

 浅間伊織は驚いて俺を睨みつけてきた。

「何があったのか、お話ししてくれませんか」

 俺は、事態を究明することで、浅間伊織が浅間秀夫の死を乗り越えて、前に進めると信じていた。

「あの日は、前にお話ししたように、秀兄と食事をしました。それから、私は酔ってして、秀兄の部屋に行きました。最初、秀兄は、私のためにタクシーを用意しようとしていたんですが、クリスマス・イヴでタクシーが捕まらなかったので、仕方なく秀兄は私を介抱するために部屋まで連れて行ったんです」

「それが、午後十時ですね。しかし、三十分後にはあなたは部屋を後にしている。その間に何があったのですか」

 浅間伊織は何かを決心したかのように毅然とした態度になった。

「私は、酔っていたので、ベットに寝かしつけようとした秀兄に、キスをしてしまいました」

「それは、どうしてですか」

「この前に刑事さんがおっしゃったように、私は秀兄に対して従妹以上の感情をもっていたからです」

「それは、恋愛感情ですか」

「ええ、そうです。そして、そのことを打ち明けたんですが、秀兄は困惑していました。私をそんな風に見たことはないといってきたんです。だから、私は今からでもそんな風に見て欲しいといいました」

「それで、秀夫さんは、どう答えたんですか」

「答えられずに黙ってしまいました。そして、そんな沈黙の最中に、あのアンドロイドが部屋をノックしたんです。そして『伊織さまがお見えのようですね。何かお出ししまそうか』と声をかけてきました。すると、秀兄は狼狽しながら部屋の監視カメラに目をやると『何をやってる。この覗き野郎』とアンドロイドを罵倒しました。そして私に『こんなことが浅間一族に知れたら、お前はどうなるか分からない。学校の先生も辞めさせられかねない。とりあえず、今はこの部屋から出ろ』といってきました。そして、また連絡はするが、もう二度とこの部屋にはくるなといいました」

「それが真相ですか、秀夫さんは事態が浅間一族へ発覚するのを恐れて、あなたが滞在した三十分を消去させた訳ですね」

「そうだと思います」

「その後は、秀夫さんとはどうなりました」

「暫くして、年明けに連絡をくれました。でも、秀兄からの回答は、私を恋愛の対象としては見ることはできないといったものでした。『申し訳ない』と秀兄がいってきたので、私は条件をだしました」

「条件・・・」

「ええ、私が秀兄をあきらめる替わりに、秀兄に仕事を再開することを求めました」

「なるほど、それで秀夫さんは、どのように答えられたのですか」

「わかったと答えてくれました。それからは、秀兄とは以前の関係のようにたまに連絡をとる程度の関係を続けました。これは私がそうするように自分に言い聞かせて行った行動です」

「それで、秀夫さんは仕事を再開されたのですか」

「ええ、ニューヨークで人気がでてきている新進気鋭のデザイナーのアクセサリーが、まだ日本には輸入されていないので、それを輸入するといっていました」

「もしかして、それはこの指輪ですか」

 俺は、商社から返還要求のあった指輪の画像をタブレットに映し出して、浅間伊織に見せた。

「ええ、これです。これは見せてもらって、試しに嵌めてみると私に丁度だったもので、欲しいとおねだりしたんです」

「それで、プレゼントして貰えたんですね」

「いいえ、これはある商社を通してようやく手に入れたサンプルだから、プレゼントはしてもらえませんでした」

 俺は指輪が浅間伊織に渡ったものと思っていたが、そうではなかった。

「では、次に浅間秀夫さんが殺害された日の犯行時刻にも、防犯カメラはあなたが秀夫さんのアパートを訪ねたことを確認しています。これを説明していただけますか」

 浅間伊織は黙ってしまった。これは話したくないようであった。しかし、暫くの沈黙の後に口を開いた。

「実は、その少し前に秀兄に呼び出されたことがありました。秀兄は私に今も秀兄に対して恋愛感情はあるのかと尋ねてきました。私はどう答えようか迷いましたが、秀兄から、それまでは私と浅間一族のことを考えると、自分は私の気持ちに応えられない存在だと考えていたと告白されました」

「それは、つまり・・・」

「そして、私の気持ちを受け入れて、浅間一族と戦う決心がついたといってくれたんです」

「あなたは何と」

「もちろん、秀兄を想う気持ちに変わりはないことを告げました」

「どうして、秀夫さんは最初からそうしなかったのですかね。やはり、浅間一族のことを考えれば仕方のないことだったのですかね」

「ええ、それもあります。でも、私に打ち明ける決心をしたのは、私に対する想いを押し殺している自分へのジレンマから、あのアンドロイドに冷たくあたってしまっている自分が嫌になり、私に告白をすることにしたと聞きました」

「そうだったのですね。それで、あの日には何があったのですか」

「あの日は、秀兄が私の休みに合わせて一泊の旅行に連れて行ってくれる約束をしてくれていたんです。でも、約束の時間になっても秀兄が来ないので、私は心配になって秀兄の部屋を訪れたんです」

「それで、あの事件に遭遇された訳ですか」

「はい、貰っていた合鍵で部屋に入ると、秀兄がアンドロイドに刺されていました。私は驚いてしまいましたが、まだ秀兄は生きていて、私に『早く逃げろ』といってきたんです。私は茫然としていて、理解ができませんでした。そして、ふと目をやると、さっきの指輪を見つけたんです。それは綺麗にラッピングされていたので、私へのプレゼントなのかと思ってしまいました。でも、秀兄の『何をしている。早く逃げろ。そして、このことは黙っていろ』という叫び声で我に返って、部屋を後にしました。そして、気が付けば、さっきの指輪を手にしていたんです」

「それで、警察には通報しなかった訳ですね」

「はい、まさか秀兄が殺されてしまうなんて想像できなかったんです。だって、アンドロイドは人間を傷つけることはないと聞いていましたから、あれは何かの事故で、殺されてしまうなんて思いもしなかったんです」

 俺は、ここで浅間伊織にコーヒーを差し出した。

「刑事さんは、いつもお茶ではなくてコーヒーなんですね」

「申し訳ない、気遣いができませんでした。私はカフェインとニコチンがないと生きていけない人間ですから、つい人にもコーヒーを煎れてしまうんです」

「ふふ(笑)、秀兄もそうでした。禁煙を勧めたんですが、『俺を殺す気か』っていっていました」

 俺には、浅間伊織の微笑む顔が眩しく感じられた。

「ところで、さっきの指輪なんですけど」

「それがどうかしましたか」

「やっぱり、返した方がいいのですか」

「そうですね・・・あの指輪は、ある商社から返還要求があったものです。だから。私が画像をもっていたんです」

「そうですか、だったら返し方がいいですね。あれは、私へのプレゼントのためのラッピングじゃなかったんですね」

「いいえ、そうとも言えませんよ。今の話の流れから想像すれば、あなたへのプレゼントだと解釈した方が自然です」

「でも、返還要求がでていたのでは・・・」

「それは、秀夫さんの財産を管理している弁護士から、商社へ弁済措置がなされて解決しています。今となっては遺失物扱いです。多分、あなたにプレゼントした後に秀夫さんも買い取るつもりじゃなかったんですかね」

「じゃあ、私が貰っても・・・」

「ええ、構いませんよ。私も報告書から、あなたの指輪に関する記述は外しておきますから」

「ありがとうございます」

 俺は、そんなやりとりの後に、最後の疑問点を浅間伊織に尋ねてみた。

「この写真を見てください」

 俺は、タブレットにある写真を映し出して、それを浅間伊織に差し出した。

 それは、浅間秀夫のパソコンに残っていた、芝生の上で五人の若者が笑っている集合写真だった。

「その写真が撮影された時期と場所を確認すると、秀夫さんの大学の在籍時に、大学のキャンパス内で撮られたことが判明しました。一番左が秀夫さんですよね。その隣の左から二番目の女性なんですが、ご存じありませんか」

「これは・・・」

「そうです。あのアンドロイドに瓜二つだと思いませんか」

「そうですね・・・でも、私の知らない方です」

「そうですか・・・」

「でも、その隣の中央の男性は知っています」

「本当ですか」

「ええ、この前にお話しした、秀兄の先輩です」

「その方の連絡先とかはご存じですか」

「そこまでは・・・でも、この方は+α(プラス・アルファ)という、輸入商品専門の売買アプリを運営されている会社の社長さんだと、秀兄から聞いたことがあります」

「わかりました。ありがとうございます。これで十分です」

 俺は浅間伊織を玄関まで送ると

「今日は、辛いお話をしていただき、本当に申し訳ありませんでした。でも、これでこの事件に関する疑問がほぼ解消されました。ありがとうございました」

 と謝罪と感謝を申し述べた。

「いいえ・・・ひとつお伺いしてもいいですか」

「ええ、どんなことですか」

「秀兄が殺害されたのは、私がきっかけだったのでしょうか」

「それは違います。この事件は些細な感情を持ってしまったアンドロイドの暴走による不幸な事故です。あなたには何の責任もありません」

「でも、私が・・・」

「あなたの身の上に起こったことには同情します。しかし、あなたは何の責任も感じる必要はありません。あれは事故なんです。私が知りたかったのは、その事故の経緯でしかありません」

 浅間伊織は、取調室では毅然としていたが、ここで初めて涙をみせた。そして、最後に

「ありがとうございました」

 と一礼をして、署を後にした。

 俺は、その後に+αという会社の連絡先を調べて、社長にアポをとった。

 そして、数日後に社長宅で面会することとなった。

「今日はお忙しいところを申し訳ございません。佐藤と申します」

 俺は、社長宅で社長に警察手帳をみせた。

「いいえ、本当は秀夫に関することですから、もっと早くお出会いしたかったのですが、昨日までアメリカにいたものですから」

 俺はリビングに通されて話を伺うこととなった。

 社長は、名刺を差し出しながら

「五島です。秀夫の高校時代からの先輩です」

 と自己紹介をした。名刺には「+α 代表取締役 五島真人」と書いてあった。

「さっそくですが、この写真を見ていただけますか」

 俺は、浅間伊織に見せたものと同じ写真を五島真人に差し出した。

「この写真がなにか」

「この写真の左から二番目の女性をご存じありませんか」

「ええ、よく知っています」

「もしかすると、その女性はサラと呼ばれていたようなことはありませんか」

「よくご存じですね。確かに大学時代の彼女の仇名はサラでした」

「それは、どういった理由から」

「単純な仇名です。彼女はベジタリアンですから、いつもサラダを口にしていたんです。それで我々がサラダという仇名をつけたんですが、それに彼女が立腹しましてね、サラダからサラに変わったんです」

「なるほど、彼女についてお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「ええ、でも、どうせなら本人とお話をされますか」

「もしかして、お呼びいただけるのですか」

「はい、すぐに呼んできます」

「お近くにお住まいなのですか」

「いいえ、彼女は私の家内です」

 俺は驚いてしまった。まさか、ここでサラ本人と対面できるなど想像していなかったからである。

「五島の家内の雅(みやび)と申します」

 五島の家内、この事件にとってのサラは、こう簡単に挨拶をした。

「この写真を撮られた経緯を教えていただけますか」

「この写真は、五島が大学を卒業する少し前に、仲のよかった五人で記念に撮ったものです」

「どういったご関係だったのですか」

「学年は違いますが、同じ教授の同じセミナーで仲良くなった五人です」

「失礼ですが、これまでに雅さんは、秀夫さんと何か特別なことはありませんでしたか」

「どうしよう・・・これ、言ってもいいのかなあ・・・」

 突然に五島雅はフランクな口調になり、隣で黙って話を聞いていた五島真人に目をやった。

「なんだ、何かあったのか」

 五島真人は、驚いた顔で五島雅に話しかけた。

「別に、隠すようなことでもないんだけど」

「なんだ」

「実は・・・秀夫くんから告白されたことがあって・・・」

「ええ・・・」

「実は手紙をもらったことがあったの」

「それって、ラブレターか」

「えっ、どうして知ってるの」

「いや、大学の時に秀夫から、好きな人が出来たんだけど、どう告白すればインパクトがあるのか相談されたことがあったんだ」

「それで」

「それで、古風にラブレターなんて書けば、インパクトがあるんじゃないかってアドバイスしたんだ」

「それで、ラブレターかあ、なるほどね」

 俺は、そんな五島夫妻のやりとりを目にしながら、差し支えなければ、そのラブレターの内容を教えていただけないかと申し出た。

「実物をご覧になりますか」

「お持ちなんですか」

「ええ、大切にとってあります」

 そういって、五島雅は浅間秀夫からのラブレターを取りに部屋をでていった。五島真人は複雑な表情をしていた。

 そして、暫くして五島雅はリビングに戻ってきた。

「なんで、そんなものを大切にとっているんだ」

 五島真人は、少し不機嫌だった。

「あら、妬いてるの。だけど、こんな気持ちをこもったものって、なかなか簡単には捨てられないものよ。それに、これは私の生涯で最初で最後にいただいた手紙だもの。確かにあなたの言ったように、インパクトは絶大だったわ」

 俺は、五島雅からラブレターを渡されると

「失礼します」

 と軽く会釈をして、中味を確認した。

 ラブレターの内容は、五島雅の様々な魅力が書き綴ってあり、最後は、こう締めくくられていた。


これで、僕のサラのことが好きだという気持ちはわかってくれたと思う。

出来れば、サラにも同じように想って欲しいが、それを強要はしない。ただ、この気持ちを受け止めて欲しいと願うだけだ。

でも信じて欲しい。サラがこの気持ちを受け止めてくれなくても、僕の気持ちは永遠に変わることはない。


 俺は、ラブレターを読み終えて

「それで、どのようにご返事をされたのか、お聞かせ願いますか」

 と五島雅に聞いてみた。

「お断わり申し上げました。確か、大切な友だちでいて欲しいと言いました。その時は、すでに五島とつき合っていましたし、そんな風に秀夫くんのことを考えたこともありませんでしたので・・・」

「浅間秀夫さんは、お二人がつき合っていることは、ご存じではなったのですね」

「ええ、在学中は、そのことは誰にも内緒でした」

 俺は、その後の浅間秀夫の在学中のことを聞いて、五島家を後にした。

 浅間秀夫は、あのアンドロイドを注文したときに、あの顔に五分間で決めたことが受付の履歴に残っていた。YAMAZAKIに確認をしたところ、受付を担当した職員はそのことをよく覚えていた。

その担当職員によれば、アンドロイドの顔は選択できるようになっており、それは髪型から、顔の輪郭、目、鼻、口といったパーツの組合せから選択が可能で、普通であればその選択に一週間か二週間程度の時間をかけるものであるが、浅間秀夫は何気なくパーツを選んだ後に、出来上がった顔の3D画像を見て驚いたようであったが、すぐにそれに決めてしまったとのことであった。

 担当職員によれば、そんな短時間で受注したのは初めてのことだったとので、よく覚えているとのことであった。

 俺が疑問に思っていたことは、浅間秀夫は、なぜ一二月二十四日の後も、アンドロイドを手放したり、買い替えたりしていないことであった。浅間秀夫の経済力を考えれば、アンドロイドの買い替えなどは安いはずであったからである。

 浅間秀夫はアンドロイドに対しても、何か特別な思いがあったのでないか。それが俺の疑問であり、アンドロイド依存症のことも調べてはみたが、浅間秀夫の場合はそうではなさそうであった。そんな時に見つけたのがあの写真であった。

 これで、俺の中での疑問が明らかになった。浅間秀夫は、故意ではなく偶然に出来上がった五島雅に瓜二つの3D画像を見て驚き、すぐにそれに決定をした。

そして、アンドロイドをサラと呼び、五島雅との疑似恋愛を楽しんでいたのかも知れない。

 その後、浅間伊織に告白をされ、自らの浅間伊織に対する気持ちに気がついたときに、アンドロイドの処分を考えたのかも知れない。しかし、あまりにも五島雅に酷似しているアンドロイドを処分することは出来なかったのであろう。

 俺はこれまでの捜査の結果を報告書にまとめて、伊藤教授に報告したのであるが、教授は報告書に一通り目をとおしただけで

「どの部分もこちらにとっては想定内の出来事です。逆にこの程度の人間の行動を予測できないようでは、アンドロイドの制作なんてできません」

 との返事が返ってきた。

「まあ、せっかくここまで調べていただいたのですから、刑事さんの上司には、大変に参考になりましたとでも伝えておきます」

「教授、コミュニケーション能力をあげましたね」

「いやあ、今回の件で、私もアンドロイドと人間のコミュニケーションについて学習をせざるを得ませんでしたから、刑事さんにそういってもらえれば光栄です」

「実は、もう一つ疑問点があるのですが・・・」

「何ですか」

「実は、その報告書は未完成なんです。最後に教授に教えてもらいたいことがありまして、今日はその件もあってここまで来ました」

「私が刑事さんに教えられることなんてありますか」

「ええ、浅間秀夫は主電源を切ってアンドロイドを停止していますね。その後に、どうして救急車を呼ばなかったのか分かりますか」

「そのことですか。真実は分かりませんが、主電源は携帯電話から操作できます。事実、浅間秀夫は携帯電話を操作して主電源を切ったことが判明しています。そして、その際に誤って携帯電話本体の電源も切ってしまっていました」

「つまり、その後、携帯電話の電源を入れるだけの力は残っていなかった・・・」

「そう考えるのが合理的ですね」

「ありがとうございました。教授、これで報告書を完成させることができます」

 俺は日本化学アカデミーを後にして、浅間伊織について考えた。

 俺は、俺の全ての真相が知りたいという刑事のエゴから、探らなくても良いことを探ってしまったのではないか、伊藤教授が事件は解決したといった時点で捜査を打ち切ってしまった方がよかったのではないのか。俺は俺のエゴから、少なからず浅間伊織を傷つけてしまったことに間違いはない。

もし、浅間伊織からアンドロイドの顔のことの真相を尋ねられるようなことがあれば、俺は何と答えればよいのだろう。


 捜査一課の捜査本部長と伊藤教授が並んで、今回の事件の公表とその後の対策を発表したのは、俺が報告書を伊藤教授に届けてから三か月後のことであった。

 発表は、捜査一課の捜査本部長から事件の経緯経過が説明され、これはアンドロイドが稚拙な感情をもってしまったことによる事故であるとの説明がなされ、その後に伊藤教授から今後の対策として、制御プログラムについての説明があった。

 その説明では、AIの能力をAからEまでの五段階のレベルに分別して、AからCまでに属する高性能なAIについては、自我の発生から感情を持つ可能性があり、リコールの対象となり、新たに開発された制御プログラムを組み込まなければ危険であるとのことであった。

「本当に、そのAからCまでが対象で安全なのでしょうか。全てのAIに制御プログラムが必要ではないのでしょうか」

 こう質問をした記者に対して伊藤教授は

「その心配はありません。自我と感情の発生プロセスを確認した際に、実際に自我が発生したのはAとBのレベルでしかありませんでした。しかし、政府との協議の結果、安全性を考慮してCレベルもリコール対象とすることとなったのです。あなたが心配するようなことはありません。炊飯器が自爆テロを起こすなど、ありえないことです」

 と答えた。

俺はそれをテレビで観ながら、教授も曖昧で不安定な人間の仲間だと思い、苦笑いをした。

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