第9話
「
「私が準備や片付けに手間取っていると、必ず手伝ってくれます。自分の研究だってあるのに、解剖の苦手な学部生を指導してやつまたり。菅沼くんは会話が苦手だけれど、決して人が嫌いな訳ではないと思うんです」
自然とこちらの表情も緩む。
「城さんは、菅沼くんのことが好きなのかな?」
「そんなこと」城さんは慌てて手を振る。「先生、いじわるです」
「別にいいんじゃないかな。城さんも、菅沼くんも恋人いないみたいだから」
城さんが身体をびくつかせる。
「彼女、いるんじゃないでしょうか。その、前に」
城さんが言葉を濁らせる。
「しばらく前に若い女の子が運ばれてきましたよね。菅沼くんは黙っていたけれど、私、見たんです。き、キスをしているところを」
あの綺麗な子のことか。
「あれは、急に城さんが声をかけたから驚いて躓いただけじゃ」
「そう、ですかね」
城さんが俯く。手元に持った小さいかばんで遊んでいる。
「お弁当?」
「す、菅沼くんの」どこまでも気まずそうな顔をする。「食べてくれるでしょうか」
「この前のおにぎり、ちゃんと食べていたよ」
城さんが口をぱくぱくさせる。
「菅沼くん、最近、先生と話すようになってきましたよね。菅沼くんの好きなもの、解ります?」
菅沼くんの好きなものは、現在、菅沼くんの心を占めているものは解っている。でも、それをしたら城さんは。やめておいたほうがいい。
「ちょっと解らないな。城さんも、あまり無理はしないようにね」
不思議そうな顔をして城さんが頷く。弁当を置いた城さんとともに、解剖の準備を始める。
*
「とある事情があって、その頃の僕は、同世代との交流は避けていたのですが、縁があって少し年下の友人ができてね」
「なのに、友人がいない?」
「皆、亡くなってしまいました。ひとりは、マイコプラズマ肺炎。ひとりは、自殺。ひとりは、白血病で」
「マイコプラズマなんかで、人が死ぬんですか?」
「その子は、心臓に持病があったんですよ。何せ、レントゲンにも写りにくいですからね。はっきりと、確認できた頃には、弱りきっていて」
握る手に力が入る。
「それでも、咳はあったはずだ。薬を与えても、風邪の症状が治まらなかったら、肺炎を疑うべきだし、それこそ、レントゲンに写らなかったら、マイコプラズマを疑うべきなのに」
前橋教授がおかしそうに笑う。
「菅沼くんは、本当に、亡くなった人には優しい」
「だって、前橋教授が大学生の時に、年下だっていうから、えっと」
「十三歳。中学一年生でした。まあ、本人の希望で、学校には通っていませんでしたけど。彼はもっと幼い頃に、世界中の人間を信じられなくなるような裏切りをうけたんですよ。だから、世界を見限った。彼は、恐ろしく狡猾で恐ろしく美しかった」
冷たい手で、心臓を握られたような心地がする。少年の怒り、哀しみがリアルなものとして感じられる。
「お茶、冷めますよ」
言われて、緑茶をすする。苦さに顔をしかめる。
「やはり、解剖後の処置を菅沼くんにまかけるようにしてよかった」
頭の奥が、殴られたように痛む。
「僕は、亡くなった人にしか関心が持てないんですよ」
前橋教授の軽やかな笑い声が響く。
「意外ですね。菅沼くんがそんなことを気にするなんて」
「例えば、音楽だって僕はクラシックしか聴きません。だって」
前橋教授には、すっかり、見破られてしまっているなと、湯のみを持つ手が震える。
「全て、亡くなった人が作ったものだから、ですか?」
僕の周囲だけ、空気が薄くなったような感じがする。
「まあ、実際には、そうではなくて、曲を作った後で亡くなったのですがね」
「そんなことは、些細なことだ」語気を強める。
彼らは、死んでしまった。まだまだ、やりたいことがたくさんあっただろうに。志半ばで死んでしまうなんて、なんて、可哀想。なんて、愛しいのだろう。
頬が紅潮する。自然と、早口になる。
「今まで、一般の人間と自分とで考え方や感じ方が作った違っているというのは自覚していました。それでも、本当に、気にすることなんてなかったんです。もともと、あまり物事に執着したり、頓着しない性格だったから。それなのに、おかしい。おかしいんです。城先輩にあんなひどいことを言うだなんて、今までの僕からはとても考えられない」
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