美月の真意

「優太君は四年生だよね」

「そうだけど」

「幼い妹さんと二人だけで留守番をして、ちょっと目を離した間にその妹さんがいなくなってしまって、もしかしたらベランダから落ちたかもしれないってことに思い至って。それって、精神的にすごい負荷がかかっただろうなって思うんだ」

「それはそうだろうな」

 僕は玄関で出迎えてくれたときの優太の泣きべそ顔を思い出した。

「そこにいとこのお兄ちゃんが来てくれて、お兄ちゃんもこれはやばいぞって感じになって、しばらくしたら知らない女子高生を連れてきてって、いろんな人を巻き込んでどんどん大事おおごとになっていく。そのとき、あ、妹はソファにいました。うっかりしてましたってことになったら、優太君の立場はどうなるのかなって、それを考えちゃったんだ」


 優太の立場? そんなことは考えもしなかった。

 だが、自分自身を優太の立場に置き換えて、今の美月の指摘にあったような状況に置かれたことを想像してみればよくわかる。

 全身がかっと熱くなる。かっこ悪い、恥ずかしいという感情が押し寄せてくる。

 いとこのお兄ちゃんも、美月さんも、リサちゃんが無事でよかったじゃないかと言ってくれるだろう。でもそういう問題じゃない。勘違いして大騒ぎしたことがたまらなく恥ずかしい。そしてこう考える。全部リサのせいだ!


「どう? そうなったら、優太君がとてもつらい思いをするでしょ。大事な妹だからこそパニックになっちゃったんだし、気づかなかったのは仕方ないよねって、それは当事者じゃないから言える言葉で、優太君にとっては何の救いにもならないだろうって、そう思ったんだ」

「うん、そうだな」

「リサちゃんが無事なのはわかった。だったら、少し時間をかけて優太君のフォローをしても問題ないよねって、そう判断したわけ。で、優太君に家族のことを質問したり、絵本を読んだりしながら、作戦を練ったの。そうだ、せっかくだからこの絵本の設定を使っててみようって決めて、二人に気づかれないようにこっそり落書きをしちゃった」

 落書き? あ、あの合言葉は美月が書き込んだものだったのか。

「うん、そういうこと。大事な絵本に落書きするのは気が引けたけどね。あれがないと、ファンタジーの世界観にリアリティが出ないでしょ。もし叱られたら謝ればいいやって思って、エイヤで書いちゃった」

 美月はてへへと笑って、頭をかくゼスチャーをしてみせた。


「笹倉って頭がいいだけじゃなくて、いい度胸してるよな。僕には思いつかないし、思いついても実行できないわ」

「ふふ、今回はうまくいったけど、結構失敗もするよ」

 見事なまでにあっけらかんとしている。僕は、「はあ」と言うしかなかった。

「でもあの落書きがよかったみたいだね。小野寺君まで絵本の世界のファンタジーを信じちゃったんだからさ」

「まあな。でも今考えても大胆な作戦だよな。自分もはまっておいて言うのもなんだけど、よくあんな話を信じさせられたなあ」

「実はね、ちょっとしたコツがあるのよ」

「コツ?」

「あの設定をね、私が全部説明してしまったら、いくら子どもだといっても、小四にもなれば『ありえない』『作り話だ』って思ったはず。でもね、自分で絵本の中から落書きを見つけて、その意味を自分で考えて、自分の口で合言葉を唱えてっていうステップを踏むとね、『まさか』が、『もしか』になって、『そうだったのか!』って。その過程を隣で見ていた小野寺君ならわかるでしょ」


 もう細かい部分は忘れてしまったが、たしかに美月はあえて具体的な説明はしていなかったような気がする。直接的な説明は避け、あたかも優太自身がその考えにたどり着いたと思えるように、美月はさりげなくヒントを与え続けていたのだ。

 そう考えてみると、僕と優太が座った位置にも意味があったということがわかる。ソファを背にすることで、リサちゃんの姿は僕たちの目には入らない。逆に、向かい合う位置にいる美月からはリサちゃんの様子をずっと観察できる。もし途中で目を覚ましそうになったら、それに合わせた演出ができる。最後は美月がソファの後ろに回り込み、優太君が絵本のページをめくるタイミングに合わせてぬいぐるみをリサちゃんの前から取り除く。そのクライマックスの動作を僕たちの背後で堂々と行うことができる。ローテーブルとソファの間というあの位置は、最初から最後までのイベントを円滑に行えるように、考え抜かれた場所だったのだ。


「わざわざ家まで送ってくれてありがとう」

 はっとして顔を上げると、そこは国道沿いにある県営住宅の前だった。

「笹倉んち、ここだったんだ」

「うん、そこのB棟の三階。遠くまでごめんね」

「いや、こっちこそ、いろいろありがとう。僕一人だったら大騒ぎになっていたかもしれない。ほんと助かったよ」

 それは正直な気持ちだった。

「ふふ、今日の散歩はなかなか楽しい散歩だった。じゃあ、また明日、学校で」

「おう、またな」

 美月は軽く手を振ると、くるりと背を向けて小走りに去っていた。

 その後ろ姿を目で追いながら、明日からの学校生活は、これまでとは少し違ったものになりそうだなと思った。

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