思い込みフィルター

 気づかなかった?

 大きなぬいぐるみで体の大部分が隠れて見えなかったとはいえ、そんなことがあるだろうか。しかも、僕だけでなくずっと部屋にいた優太までもが。

「これは私の想像だよ」

 そう前置きをして、美月は淡々と語り始めた。

「優太君がトイレから出てくると、テーブルの前で絵本を読んでいたはずのリサちゃんの姿がなかった。優太君は両親に妹から目を離さないようにって強く言われていたから、すごく焦ってしまった。最近、幼い子どもが親の知らないうちに勝手に外に出て行ってしまうというニュースが話題になっていたから、優太君もまずそのことを思い出して玄関に走った。外に出た形跡はない。ではどこかの部屋にかくれているのかもしれない。子ども部屋、両親の寝室、洗面所と、どの部屋を探してもリサちゃんの姿はない。リビングに戻ると、ベランダに面した大きな窓が目に入った。当然、ベランダから落下っていう可能性を考えてしまう。そうなると、ソファに置かれたぬいぐるみの後ろを探すなんて心の余裕はなくなっている。あわててベランダに出てみたけれど、優太君の身長では手すりがじゃまで真下は確認できない。だったら一階へ降りてベランダに面した地面を確認すればいい。でも、優太君はまさかの結果が怖かった。一人で確認するのは無理だ。そこで、いとこの健太兄ちゃんにSOSの電話をかけることにした」


 美月の説明は続く。


「優太君からの電話を受けた小野寺君は、大急ぎでマンションにかけつけた。出迎えた優太君の様子を見て、これは大事おおごとになるかもしれないと身構える。全部の部屋を優太君と一緒に確認したけれど、最後に入ったリビングをくまなく探すことはしなかった。なぜなら、リサちゃんがリビングから姿を消したという優太君からの電話を受けた時点で、小野寺君の意識の上でその場所は捜索の対象から外されてしまっていたから。ぱっと見てリサちゃんの姿がなければ、やっぱりここにはいないとなってあとはスルー。そうなると残された可能性は一つ。優太君も思いついたであろうベランダからの落下。それは最悪の事態なので、現場を優太君に見せるわけにはいかないと判断し、一人で階下へと向かった。

 ちなみに、私がリサちゃんをすぐに見つけられたのは、優太君や小野寺君みたいな先入観とか焦る気持ちがなかったから。ベランダから落ちていない、玄関から出ていない、だったら必ず室内にいる。そう思って、リビングに入ったら普通の家にはないような大きさのぬいぐるみがまず目に入った。二人にとっては見慣れたアイテムかもしれないけど、私はちょっとびっくりした。すごいなあと思ってよく見てみると、かわいい手と足がちょこんって出てたってわけ」

 美月は僕の目をのぞき込み、「こんな感じなんだけど、いかがでしょうか」と言って微笑んだ。


「まだあるぞ、リサちゃん自身が『夢見る森の中』で遊んでいたって言ってたじゃないか。これはどう説明するんだ」

「そういう夢を見てたんだね」

「夢? それこそ夢オチじゃないのか。説明がつかないことは夢だったですませるのはズルくないか」

「私もね、ちょっとびっくりしたんだ。目が覚めたリサちゃんがなんて言うかってところまでは考えてなかったから。でもね、何も覚えてないとか、絵本とは関係ない夢を見てたとかって言われても困りはしないでしょ。絵本の中での出来事は、戻ってきたら全部忘れてしまうんだねってことにすればいいだけだから。なのになのに、優太君がリサちゃんに絵本の中に入ってたのって聞いたら、そうだよって答えるんだもん、へえーって思っちゃった」

「へえーじゃないよ。僕の質問にちゃんと答えてくれ」

「小野寺君もよくよく考えてみてよ。お気に入りの絵本を読んで、その絵本の中に出てくるのと同じおやつを食べて、フレディと同じ大きなクマのぬいぐるみを抱っこしながら眠っちゃったんだよ。絵本のお話と同じシチュエーションの夢を見ても不思議ではないでしょ」

「じゃあ、たまたまそういう夢を見たってことなのか」

「そう、たまたま。あ、長話になっちゃったね、歩こうか」

「お、おう」


 納得できたような、できないような。それなりに話の筋は通っているとは思ったが、そんなに都合よく、実在する人間が見えなくなったりするものだろうか。

「そう感じるのはすっごくよくかる。じゃあさ、その考え方、順番を逆にしてみて。リサちゃんは最初からずっとソファの上でお昼寝をしてたのに、優太君も小野寺君もそのことにまったく気づかなかった。これは実際にそうだったんだから、事実として認めるしかないでしょ。私の長々とした話は、どうしてそんなことが起きてしまったかを、後づけでそれらしく説明しただけ。都合よく聞こえるのは当然だよね。だって、都合よくつじつまが合うように話したんだから。もしかしたら、私が想像で話した二人の心理状態はそんなんじゃなかったって言われるかもしれない。それについては私よりも小野寺君自身がよくわかると思う。だから完璧な説明だとは言わないよ。どうかな、まだ納得いかない?」

 ちょっと頭の中を整理をさせてほしいと頼み、ここまでの美月の説明と、自分の取った行動やその時に感じていたこととを照らし合わせてみた。


「うん、わかった。納得もした。僕も優太も気が動転していたのはその通りだし、今思い出そうとしてもソファとかぬいぐるみについての記憶はあいまいだから、たぶん、意識の外にあったんだと思う。つまり、ちゃんと見てなかったってことだ。だから優太と僕は、ずっとソファに座っていたリサちゃんに気づかなかった。ただそれだけのことだったんだな」

 認めてしまえばなんのことはない。人間ゆえのちょっとした勘違い、うっかりが招いた笑い話ということだ。

 だがそれはそれとして、いやそれゆえに、あらたな疑問が生まれた。

「質問、いいかな」

「もちろん」

「笹倉はリビングに入ってすぐにリサちゃんを見つけたんだろ。だったら、そのときに教えてくれればよかったんじゃないのか。絵本の世界だの、合言葉だのって、まわりくどいことをする必要はあったのか?」

「うん、その疑問もごもっとも。でもね、あの手順は必要だったんだ。優太君のためにね」

 美月はそう言って、まだ遠くに見えている優太のマンションを振り返った。

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