絵本の世界

 次のページには、黒い森を背景にして、一頭の大きなクマと小さな女の子が向かい合って立っている様子が描かれていた。

「問題はここから先の展開なのよ。ちょっと長いけど、よく聞いててよ」

 よく聞いておけとは言われても、英語の部分はまったく頭に入ってこないから、美月が訳す日本語だけを耳で追った。


*****

「こんにちは、小さなお嬢さん」

どっしりとして、それでいてさやさしそうな声が背後から聞こえました。ふり向くと、そこには物置小屋ほどの大きなクマがのっそりと立っていました。

「お嬢さん、お名前は?」

「リサよ。あなたの名前は」

「私には名前がありません。リサがつけてくれませんか」

リサはしばらく考えて、「フレディというのはどう?」と言いました。

「すてきな名前をありがとう。今から私はフレディです」

フレディはそう言って、丸い目をぱちぱちさせました。

*****


 ページがめくられる。


*****

「名前をつけてもらったお礼に森の中を案内しましょう」

フレディは黒くて大きな森に向かってのしのしと歩きだしました。リサは少し怖かったのですが、森の中を見てみたいという気持ちが強くて、フレディのあとについていきました。

森の前で立ち止まったフレディが言いました。

「森の中に入るには、合言葉が必要です。今から私が教える通りに、リサも合言葉を言いましょう」

リサはフレディに教えてもらった合言葉を唱えました。

森全体がざわざわと鳴って、「ようこそ、夢見る森へ」という声が森の奥から聞こえてきました。

*****


 次のページ


*****

「さあ、これで大丈夫。森はリサを歓迎してくれています」

先ほどまでは真っ黒に見えていた森が、今は目にもまぶしい緑色に変わっています。

リサはすっかりうれしくなって、一人でどんどん森の中へと入っていきました。

「おーい、リサ。勝手に先にいってしまってはだめだよ。森には危険な場所もあるんだよ」

リサはフレディの声が聞こえないふりをして、さらに奥へと向かいました。

*****


 その後の展開は、よくある童話と同様で、リサはきれいな妖精たちと出会い、楽しい時間を過ごすことになる。やがて妖精たちがどこかへ飛び去ってしまい、一人残されたリサは森の奥深くにまで迷い込んでいたことに気づく。心細くなり泣いていると、クマのフレディが見つけ出してくれて、また合言葉を唱え、無事に家に帰ることができたというものだった。


 物語自体はシンプルだが、それぞれのページ描かれている絵が緻密で美しく、話の展開に合わせて、明るく、暗く、陽気に、不穏に、色のトーンで少女の心情が見事に表現されていた。まだ文字の読めない子どもでも、英語が理解できない外国の子どもでも、絵を見ているだけで、ワクワクドキドキできるだろう。

 だけど、いくら素晴らしい絵本だからといって、リサちゃんがその中に入り込んでしまうなんてことがあるわけがない。今は真剣にリサちゃんの行方を捜してるんだ。もっとまじめにやってくれ。

 僕が腹を立てているのを見て、美月はくすっと小さな声を出して笑った。


「なにがおかしい」

「今日の小野寺君は喜怒哀楽を全部出してくるんだなあと思って。学校だと、いつも物静かで落ち着いた感じじゃない」

「今、そんなことは関係ないだろ」

「ごめん。まじめにやる」

 美月は顔の前で両手を合わせた。

「じゃあね、ページを戻して、リサがフレディに森への入り方を教えてもらう場面をもう一度よく見てほしいんだ」

 隣でやりとりを聞いていた優太が絵本に手を伸ばし、美月の指示したページをすばやく開いた。

「そうそう、このページ。優太君、一発で見つけるなんてすごいじゃない」

「リサのお気に入りのパージだからクセがついてるんだよ」

 そのページは、クマのフレディがリサの耳に顔を寄せ何かをささやいているという場面が描かれていた。


「優太君、このページをよーく調べてくれないかな」

「調べる? なにをですか」

「森に入るための合言葉よ。このお話の中にはなぜか合言葉が書かれてないでしょ」

「そうだっけ」

 もう一回読むよと言って、美月は英語と日本語でこの場面に添えられている文章を読み上げた。


Freddy stopped at the entrance of the forest and said, “To enter the forest, you need a password. Say after me what I will teach you now.” Lisa repeated what he taught her. The whole forest rustled and said “Welcome to Dreaming Forest.” from deep inside.


『森の前で立ち止まったフレディが言いました。

「森の中に入るには、合言葉が必要です。今から私が教える通りに、リサも合言葉を言いましょう」

リサはフレディに教えてもらった合言葉を唱えました。

森全体がざわざわと鳴って、「ようこそ、夢見る森へ」という声が森の奥から聞こえてきました』


 たしかに、具体的な合言葉は書かれていない。その書かれていない合言葉を探せとはどういう意味なのか。毎回毎回、美月の説明は言葉が足りないと思う。

「あった!」

 優太が、「ここ」と言って指をさしたのは、開いた右側のページのちょうど真ん中あたり、クマのフレディのお腹の部分だった。

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