リサの行き先

「おじゃましまーす」

 僕を押しのけるようにして805号室の前に立った美月に、ドアを押し開けた優太は不安定な体勢のまま固まった。

「だれ?」

「笹倉美月です。高校二年生、いわゆるSJKね」

「イワユルSJK?」

「そんなこと言われてもピンとこないか。小野寺君の同級生ですよ。妹さんを探すお手伝いを頼まれたんです。入ってもいいかな」

「健太にいちゃんの彼女ってこと?」

「あはは、まあそんな感じ」

「違う違う! おい、笹倉、適当な返事をするな。優太も人の話をちゃんと聞け。同級生だって言ってただろ」

 しょっぱなから波乱の予感しかしない。でもまあ、変に深刻ぶった雰囲気になるよりはいいかと前向きに受け止め、とりあえず三人でリビングに移動し、状況の整理をすることにした。


「ストップ、先に入らせてもらえるかな」

 リビングの入り口で美月から声をかけられ、僕と優太は美月に進路をゆずった。美月は小声で、「失礼しまーす」と言いながらそろりと中に入っていった。

「すっごいきれいに片付いてる! 私の部屋なんか恥ずかしくて見せられないなあ」

 美月は壁に沿ってリビング内部を時計回りにぐるりと巡りながら、テレビ、書棚、壁掛けカレンダーと順に見て歩き、ベランダに面した窓のカーテンの隙間から外を確かめ、振り向いて読みかけの絵本が置かれた中央のローテーブルとぬいぐるみの座る大型ソファに目を向けた。

「ふうん」

 意味ありげな声を漏らした美月は目を細め、僕と優太に向かっておいでおいでと手招きをした。

「二人とも、そこに座って」

 美月はローテーブルとソファの間を指さした。僕たちはこれから叱られる生徒のように指示された位置へと移動した。


「優太くんの家族について、いくつか質問をさせてほしいんだけど、いいかな」

 テーブルをはさんで向かい側に座った美月が面接官のような口調でそう告げた。僕は隣に座る優太にうなずいてみせた。優太はその意味をくみとり、美月に向かって「はい」と返事をした。

 美月の質問は思っていたよりも細かく、プライベートな内容にまで踏み込んだものだった。リサちゃんを探すためにそこまで聞く必要はあるのかと思ったが、協力をお願いしたという立場上、制止するのがためらわれ、僕は二人のやり取りを黙って聞くだけの立場となった。

「じゃあ、優太くんのママは、五年前に優太くんのお父さんと結婚するまではずっとイギリスに住んでたってことね」

「はい」

「日本語は上手?」

「結婚してすぐの頃は苦労してたなあってお父さんは言ってたけど、ぼくはまだ小さかったし、よく覚えてないです。でも今は買い物したり、電話したりも普通に日本語でしゃべってるから上手なんだと思います」

「そう、それはすばらしいね。優太くんはママに英語を教えてもらったりはしないの?」

「あんまり。五年生になって英語の勉強が始まったら教えてもらうかもだけど」

「リサちゃんはどうかな」

「リサは生まれた時からママに育ててもらってて、子守歌とか絵本とかは英語で聞いてるから、英語も日本語もしゃべれます」


 優太は今の父親と前の奥さんとの間に生まれた子どもで、リサちゃんは再婚したイザベラさんと優太の父親との間に生まれた子どもだった。ハーフでバイリンガル。英語が苦手な僕としてはうらやましい限りだ。


「じゃあこの絵本はリサちゃんが読んでいたんだね」

 美月はテーブルの上に置かれている絵本を指さした。

「それはリサが一番好きな絵本で、一日に何回も読んでます。よく飽きないなあって」

「お話の内容は知ってる」

「英語で書かれてるからよくわかんないです。リサから聞いたことはあるけど、なんか、ふつーの話って感じ」

「見せてもらってもいいかな」

「うん、いいよ」

 美月は絵本に手を伸ばし、そっと取り上げると、表紙をじっくりと観察してからページを開いた。ページの隅々まで念入りにチェックしているのが目の動きでわかる。やがて立ち上がると、絵本を読みながらリビングの中をぐるぐると歩き回り始めた。

 僕と優太はじゃまをしないようにと身動き一つできない。張り詰めた空気の中、美月は時々首を傾げたり、口の中でぶつぶつ言ったりしながら、十分近くかけて最後のページへとたどりついた。

 絵本をテーブルの上に戻した美月は顔を上げ、僕と優太くんを見てにこりと微笑んだ。

「なんだよ、なに笑ってんだ」

「大きな声を出さないで」

 美月は人差し指を口の前に立てた。

「優太くん安心して、リサちゃんの行き先がわかったよ」

「え、ほんとに?」「まじか」

 二人同時に声が出た。

「どこだよ。もったいぶらずに教えてくれよ」

 美月は意味ありげにふふっと笑い、絵本の表紙をトントンと人差し指でたたいた。

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