4.高橋が来る【ホラー】

 またしても変な夢を見た。


 このところ暑さにやられ、名状し難い悪夢の連続だったので今回の夢はまだマシな方であったが、それでもやはり名状し難い変な内容であった。


 一応ホラーである。

 コメディでもあるが。


 注意されたし。



 さて、夢の中で私は見知らぬ町の片隅にある見知らぬぼろアパートの一室に暮らしていた。

 全く知らない場所だった。しかし夢の中の私にとってはよく見知った町であるようだった。


 きったねぇぼろアパートの自室を掃除しながら、ぼんやりと「卵とは何故あれほどに美味なのだろう」などと呟いていた私の耳にふと誰かが低く囁いた。


「高橋が来るぞ」


 ひび割れた老人の声であった。こわ。ここは私の住まいであり、老人と同居はしていない。いったい誰だと言うのか。


「高橋が来るぞ」


 声は繰り返して、フッと消える。


 夢の中の私は首を捻り、果たして高橋とは誰であろうかと考えた。


 顔を知っているだけの高橋なら2人ほど思い当たる。しかし家に訪ねてくるようは間柄ではない。


 いったいどこの高橋が何の用で来ると言うのか。



 その直後、誰かが部屋へ入ってきた。


 四角い部屋の南側、窓の前でしゃがみこんでいた私の反対側。北側にある玄関を開けるでもなく通り抜けて、黒い、何かが。


(『高橋』だ)


 直感でそう判断した。


 『高橋』は、真っ黒に染め上げた三角コーンを被った真っ黒な長身の、人の形をした何かだった。


 『高橋』は2人いて、土足でズカズカと私の部屋に入り、ブツクサと謎の低い声で囁き合いながら歩き回っていた。


 声を出したら捕まる。


 何故かそう確信して、私はじっと口をつぐんで『高橋』たちが満足して出ていくのを待っていた。


 そして数分後『高橋』たちはブツクサと何か言いながら突然ダッと全力ダッシュで私の部屋を出ていった。メチャメチャ速かった。


 私は詰めていた息を吐き出して「良かった」と生きていることに感謝していた。



 その後町へ出ると、ご近所の井戸端会議レディたちが「あら貴方、顔が真っ青よ」と声をかけてきた。私は困ったように笑って頬を掻き「高橋が来まして」と馬鹿正直に答える。


 するとレディたちの顔もサッと青褪め、こそこそと「じゃあやっぱり本当なのね」と囁き合い始めるではないか。


「あの、どうしましたか?」


「ああ……その、ね、町内会長さんが『高橋がうろついているから気を付けろ』って」


「何だか分からないけれど、最近高橋の動きが活発らしいの」


「へぇ……」


 どうやら『高橋』の存在はこの町の常識であるらしい。こわ。


「私たちも気を付けなきゃ」


「ええ。大丈夫よ、声さえ出さなきゃいいんだもの」


「そうよ、大丈夫よね」


 レディたちはそう言って去っていった。


「……帰ろう」


 取り残された私はぼんやりと、曇り空の町を歩き出した。



 そこで目が覚めた。寝相の悪さゆえの寝苦しさのせいだ。丸くした布団を抱き、枕から頭が落っこちていたからだ。


 いったい高橋が何をしたと言うのだろうか。私は高橋を恐れているのだろうか。そもそも何で怪異の名前が高橋なのか。全国の高橋に謝れ。



 ……今ふと思った。



 前回の考察で、夢の中の固有名詞を覚えていられないことについて書いたが、今回私は『高橋』のことをよく覚えている。


 高橋は実はあの怪異の固有名詞ではなかったのだろうか。


 それとも。


 ……いや、考えたくない。


 高橋のことは、早く忘れようと思う。



 忘れたくても、忘れられないが。

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