いちご大福三個

増田朋美

いちご大福三個

その日は、暖かくて、もう春という言葉がふさわしく、スポーツするにもふさわしい日であった。スポーツの秋という言葉があるが、スポーツの春という言葉があってもいいかもしれない。その日、蘭は、一度刺青を入れるため、背中を預かった事がある、渡邉将平という人物から、自身が率いる車椅子野球チームの試合に招待され、野球場へ赴いていた。

車椅子の野球というのはあまり興味がなかった分野ではあるけれど、蘭はその野球の試合に夢中になってしまった。一応、車椅子の人たちがプレーをするという設定になっているが、車椅子であっても、ちゃんとボールは投げるし、車椅子を操作してボールを取りに行くし、一般的な野球とかわらないスリルがあった。もし、車椅子ごと転んでしまっても、ちゃんとかかりの人が、起こしてくれるようになっている。車椅子を操作するのでグローブはつけておらず、ボールが普通の野球のボールより大きいというところを除けば、野球として十分楽しめる内容だった。渡邉将平さんのチームの選手が、ソロホームランを打ったときは、蘭は、思わず拍手をしてしまったくらいだ。

結局、試合は、渡邉将平さんが率いている、チーム渡邉の勝利で終わった。相手チームも負けてしまったけど、悔いはないという顔をしていて、いい試合をさせてもらったという顔をしている。こういう顔は、健康な野球チームではなかなか見られないと思われる顔であった。

蘭は、試合が終了後、招待してくれた渡邉将平さんに挨拶するため、車椅子を動かして、選手控室へ向かった。ちなみに、渡邉将平さんは、チーム渡邉の監督を勤めている。

蘭が、控室のドアを開けようとすると、渡邉将平さんの声が聞こえてきた。

「え!?野球を辞めるの?蜂須賀さん!」

蜂須賀という名前は、スターティングメンバーでも言われていた、チーム渡邉で有名なピッチャーだった。蘭も、試合を観戦して、上手なピッチャーだなと思ったくらいだから、相当うまいのだろう。蘭は、今渡邉将平さんに声をかけるわけにはいかないかなと思い、しばらく待っていた。

「はい、実は、一緒に暮らしている姉の様子がおかしいのです。病院に行くようにも勧めたんですけど、ちっとも行く気にならないので。それで、弟である僕が、連れて行かなきゃいけないと思いまして。」

という言葉が聞こえてきた。

「アマチュアであっても、皆大事なことがそれぞれあるんだな。まだまだ車椅子野球の普及には、時間がかかりそうだ。」

と、蘭は思わず呟いてしまった。

蘭が、野球の試合を見てから、数日後。玄関のインターフォンがなって、渡邉将平さんが蘭の家を訪ねてきた。

「こないだは、先生に試合を見ていただいてありがとうございました。大した試合じゃなかったかもしれないけど、皆一生懸命プレーしてくれました。」

ちょうど蘭の家には、杉ちゃんが来訪していて、この人はと杉ちゃんが聞くと、蘭は、車椅子野球チームの監督さんだと杉ちゃんに紹介した。インターネットで刺青師の蘭を調べてくれたのだという。こういう仕事をしていると、刺青というのは、一生消えないのと同時に、刺青で繋がった関係もなかなか消せないということだと思う。

「いいえ、とても楽しい試合でしたよ。それより、渡邉さん、蜂須賀とかいうピッチャーの後任は、決まりましたか?」

蘭は思わず心配になって聞いてみた。

「ああ、他にもピッチャーは居るんだけど、蜂須賀さんは、その中でも、キレの良いたまを投げることで際立っていたから、彼にまさるピッチャーは今はいないです。」

渡邉さんは、がっかりした顔で言った。

「へえ、つまり、野球をやめたのか。なんで野球をやめちゃったんだろう?」

杉ちゃんが思わずそう言うと、

「確か、お姉さんの様子がおかしいと言っていましたね。様子がおかしいってことは、認知症にでもなったのでしょうか?」

と、蘭はいったが、野球選手なのだから、20代、年を言っても30代だ。そのお姉さんだから、認知症になるような年でもない。

「いや、認知症では無いのですがね。それに近いものかもしれないと、蜂須賀さんは言っていました。なので、お姉さんのそばについていてあげたいので、野球は辞めると、、、。あーあ、今年こそ、トロフィーが、欲しかったのになあ。」

と、渡邉将平さんは、大きなため息を着いた。

「まあ、お姉さんの様子がおかしいのであれば、仕方ないのかもしれませんが、なんだか可哀想ですね。車椅子に乗っていながら弟さんが世話をするなんて。」

蘭が思わずそう言うと、

「それは言わないほうがいいんじゃないの?世話をするやつが歩けようが歩けまいが、世話をするやつに変わりないんだし。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「まあ確かにそうかも知れませんが、でも蜂須賀さんがいなくなって、野球チームは、皆やる気を無くしてしまったら、すごい損失ですよね。」

蘭は、渡邉将平さんに言った。杉ちゃんがすぐに、

「きっと優秀なピッチャーはすぐに見つかるよ。野球は日本ではすごい普及しているスポーツなんだから。」

と、カラカラ笑っていうのであるが、渡辺さんのいう通り、優秀なピッチャーをなくしてしまっては、特にアマチュアの野球チームであれば、損害が大きいだろう。渡邉将平さんは、また大きなため息を着いた。

それと同時に、彼が持っていたスマートフォンが音を立ててなった。

「もしもし、ああ、蜂須賀くん!どうしたんだよ。え?間違えて、ダイヤルボタンを押してしまったのね。まあ、障害があるんだったら、そういう事になっても仕方ないか。」

「ごめんなさい監督。本当は、病院に電話するつもりだったんですが、間違って監督に電話をしてしまいました。」

と、蜂須賀という男性の声が聞こえてきた。まあ確かに、障害がある人であれば、番号を間違えたとか、間違ったスマートフォンの操作をしてしまったとか、そういう事はよくあるのである。

「病院って、お前、何があったのか?」

渡邉さんは思わず言った。

「ああ、家の事情で、監督にいうわけではありませんが、、、。」

「でも、心配なんで言ってしまったんだよ。」

渡邉さんはそう言ってしまう。

「それは仕方ありませんね。すみません。姉が今日自殺を図って入院してしまったので、その着替えとか持ってきてもらうよう女房に電話するつもりでした。ごめんなさい。」

と、蜂須賀さんは電話の奥でそう言っていた。蘭が思わず、スマートフォンを取って、

「もしもし、はじめまして。僕は、渡邉監督とは古い知り合いの伊能蘭と申しますが、あの、お姉さんが、自殺を図ったと聞いたものですから。粗その時の状況など具体的に教えてくれませんか?」

と言い始めた。蜂須賀さんは、とても不安そうな口調で答えるのである。

「はい。昨日から、死にたいと漏らしていましたが、夜はちゃんと薬を飲ませて、眠らせたと思ったんです。しかし、それが行けなかったようで、翌日つまり今日ですが、見に行ったら、薬を大量に飲んで、自殺を図っていました。遺書のようなものはありませんでしたが、以前、大量に飲めば死ねる薬があると呟いていました。僕は悪い冗談だと思っていましたが、何ヶ月前から、それを溜めていたようなんです。」

つまり、計画的に自殺を考えていたということである。

「それを止めることはできなかったのでしょうか?」

蘭が思わずそう言うと、

「止められたら、苦労はしないわなあ。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「わかりました。それでは、まずはじめにお姉さんの自殺を止めることはできなかったのではなくて、これからはお姉さんの支えにならなければいけません。だから、歩けなくても、自分が側に居るって、ちゃんと答えを出してあげてください。そして、お姉さんの絶対的な味方である、専門家を必ず探してください。歩けないということで不自由かもしれませんが、それは、お姉さんを説得する上で、大事な武器になります。」

蘭は、いかにも支援者というような感じで、蜂須賀さんに言った。

「ありがとうございます。姉はまだ、意識が戻らないので、どうなるかわかりませんが、とりあえず、対策を教えてくれてありがとうございました。」

蜂須賀さんは、電話で話している蘭に、申し訳無さそうに言った。

「もし、可能であれば、直接、お会いしてお話したいですね。お姉さんのことばかりでは無いでしょう。僕にできることは限られているかもしれませんが、僕も死にたいという女性をたくさん見てきましたから、お話を聞くことはできるかもしれません。」

蘭は、すぐに言った。

「あの、あなたは、監督と古い知り合いだそうですが、カウンセラーとか、そういう方でしょうか?」

蜂須賀さんはそう言っている。

「いえ、そういう肩書のある偉い人間ではありません。ただ、自殺をしたくてもできないと訴える人たちをたくさん見てきまして、彼女たちの背中に応援の意味で、刺青を彫ってきました。だから、そういう自殺願望のある女性の話はよく聞くのです。」

蘭は正直に答えた。

「そうですか。彫り師の先生。なんだか怖い人を相手にする職人さんというイメージあるけど、そうでも無いんですね。僕も、誰かに姉のことを相談できたらなあと思っていましたが、公的な相談機関はいつも日を伸ばすばかりで、何も相談に乗ってくれませんでした。ありがとうございます。」

きっと、蜂須賀さんは、誰かに相談したかったんだろう。蘭は、そこができれば何より救われる人が大勢いることを知っていた。

「とりあえず、本日お姉さんは、病院の関係者の方におまかせして、ちょっと、お話をしてみませんか。そういう話をしてくれる人がいてくれることこそ、何よりの救いだと言うことも僕はちゃんと知っていますよ。野球チームの監督も、あなたのことを心配しています。あなたは決して一人ではありません。どうでしょう。今日これから、喫茶店でも行ってあってみませんか?」

蘭は、できるだけ、普段と変わらないように言った。

「ありがとうございます。本当にご親切にしていただいて、ありがとうございます。それなら僕、今から、富士駅の近くのカフェに行きますので、先生、そこでお話を聞いてください。」

「わかりました。では、そうしましょう。」

蘭はそう言って電話を切った。そして、彼の話を聞いてきますと言って、すぐに出かける支度を始めた。

「良かったねえ、蘭が口がうまいやつでさ、まあ、人は誰かに頼らないといきていけないこともあるからな。じゃあ、僕もお手伝いしようかな。」

と、杉ちゃんも出かける支度を始めてしまった。杉ちゃんという人は、そうやってすぐに人の話に入ってしまう悪癖があった。蘭はタクシーを呼び出して、自宅前に来てもらい、杉ちゃんと一緒にタクシーに乗せてもらって、富士駅近くのカフェに連れて行ってもらった。

二人が、駅近くのカフェに到着すると、先程の蜂須賀さんが、玄関前で待っていた。蘭と杉ちゃんがふたりとも歩けないことを、蜂須賀さんは知らされていたらしい。本人も歩けないためか、段差のない店を選んでいた。

とりあえず、三人は、一番奥の席に座らせてもらった。蘭は、監督の友人で刺青師の伊能蘭と名乗り、こちらは、親友の影山杉三と紹介した。

「杉ちゃんって呼んでね。よろしくな。」

と、杉ちゃんがでかい声で言うのを、蜂須賀さんは、不思議そうな顔で眺めていた。

「それで、お姉さんはどうしてる?」

杉ちゃんに聞かれて、蜂須賀さんは最初黙っていたが、すぐに答えを出さなければならないと思ったようで、

「今、まだ意識は戻っておりません。」

とだけ答えた。

「そうですか。それで、あなたが野球を辞めるきっかけになった、お姉さんが様子がおかしくなったのは、いつ頃からですか?」

蘭がそうきくと、

「はい。もともと、僕が野球チームに入る前から、おかしかったんですけど、最近野球チームのエースピッチャーに抜擢されてからは、更にひどくなったようで。それで、こうなったら側に着いてやらないとまずいなと思ったんです。」

と蜂須賀さんは答えた。

「そうなんですか。そもそも、野球チームにはいったのは、なにかきっかけがあるんですか?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、もともと、僕が高校球児でしてね。甲子園を目指していましたが、野球の練習をしていたときに、脊髄を悪くしてしまって、歩けなくなってしまい、養護学校に転校しなければならなかったんですけど、卒業したとき、姉が、車椅子でも入れる野球チームを見つけてきてくれたんです。それで、僕は、そのチームに入門させてもらって、一生懸命頑張りまして、昨年の大会からピッチャーを勤めるようになったんですけど、だんだん姉の方は、おかしくなって来て、変な事を口走るようになって。なんでそういうことを言うようになったのか、見当もつかないんです。」

と、蜂須賀さんは理由を話してくれた。

「そうなんですか。なにかすれ違いでもあったのかな。お姉さんは、お医者さんに見てもらって、ちゃんと病名とか治療法とか、調べてもらっているんでしょうか?」

蘭がそうきくと、蜂須賀さんは首を横に降った。

「近所の心療内科に通っていたんですが、良くならなくて。しばらく、家にいたんですけど。結局そのままでした。」

「そうなんだねえ。それでは、自殺するのは、かなり前から決めていて、それで薬を溜めていたのかなあ?そういうときは、もっと大きな病院に行くとか、積極的に援助を求めるようにしなければだめだぞ。」

杉ちゃんがすぐにでかい声で言った。

「そうかも知れませんが、僕もこのように歩けない人間なので、出かけるには、家族の援助が必要なのと、父や母では、長距離の運転ができないことなどありまして、遠方の援助施設に通うことができなかったんです。」

「はあなるほど。それでお前さんは、責任を取って、野球チームを辞めると言ったんだね。」

蜂須賀さんがそう言うと、杉ちゃんが、すぐに言った。

「でも、あなたが、野球をおやめになったら、お姉さんはもっと悲しむのではないでしょうか。きっと、お姉さんがおかしくなったのは、本人の問題もあるのかもしれませんが、病気の症状だと思います。きっとあなたのことを、変なふうに妬んでいるとか、そういう事は無いはずですよ。だって、そうでなければ、あなたを野球チームに入れたりするでしょうか?もし、嫌な気持ちであるのなら、なんとかして、野球チームに入らせないでしょう。そういう事は無いわけですから、単に精神疾患が悪化しただけだと思います。」

と、蘭は、にこやかに優しく言った。

「まあ、きっと治ると信じてさ、お前さんがすることは、もっと専門的な医者にお姉さんを見せることと、あと、これまで通りに野球を続けること、そして、お姉さんを心の病気や、家族のことについて専門的に援助を施している人に会わせることだな。この3つ。それを、ちゃんとすれば、きっとお姉さんも楽になるよ。ていうか、家族にできることはそれくらいしか無いんだよ。家族は、完璧な援助者にはなれないから、それよりも、きちんと考えてくれる援助者を探してやることが大事なんだ。」

杉ちゃんは、そう言って蜂須賀さんの肩を叩いた。

「そのせいで、お前さんが野球を辞める必要はまずない。監督さんだって、お前さんが脱退するのをとても残念がってた。監督を悲しませちゃいけないよ。それをちゃんとわかってあげような。」

「でも。」

と、蜂須賀さんはいう。

「僕も歩けないじゃないですか。だから、完全に一人では生きていかれません。周りの人から、いろんな手助けをしていかないと、生きていかれないというのは、もうこのかっこうで分かるじゃないですか。だから、そういう人間が、好きなことをして、いいのでしょうか。そんな贅沢、果たして許されていいのかなと思うんですけど。」

「うーんそうだねえ。それは別にいいんじゃないかなあ。人間、誰かに迷惑をかけないで生きている人間は誰もいないよ。だって、出かけるとさ、階段は誰かに背負ってもらわなければならないし、買い物に行けば、商品を入れる袋を取ってもらわなきゃならないしね。そういうことばっかりだよ。それでもすきな和裁の仕事やってるぜ。それも、贅沢って言うかな?僕は、そうは思わないけどな。確かにいろんな人に迷惑はかけてるけどさ、それをちゃんとわかってて、この世は自分の力で成り立っていると思っていないでいられれば、大丈夫だと思うんだけどな。ていうか、人間は、そうしなくちゃ生きていけないと思うよ。ははははは。」

なんでも答えを出してくれる杉ちゃんは、そう言ってくれるのはありがたいが、その答えはなかなか一般の人が言ってくれる答えでは無いのかもしれなかった。有識者などは、ちょっとかっこいい感じでいうから、癪に障ることが多いし、文字で書かれたものは、頭になかなか入らない。つまり、体験して始めて身につくのである。

「確かに、杉ちゃんの言うとおりでもあります。誰でも人に迷惑はかけてます。だけど、そのせいで自分のすきな物を放棄しては行けないんです。」

蘭が、蜂須賀さんを励ますように言うと、蜂須賀さんのスマートフォンがなった。

「はいもしもし。はい、はい、はいわかりました。」

蜂須賀さんは電話を切って、

「姉が意識を取り戻したようです。今日は面会時間を過ぎてしまっているので、明日一番に行こうと思います。」

と苦笑いして言った。

「良かったね。じゃあ、お姉さんと寄りを取り戻すいいチャンスを与えてもらったと思えや。そして、何でも、いい方に考えて明るく元気で生きていこうね。」

杉ちゃんがもう一度蜂須賀さんの方を叩いた。

「さあ、とりあえずご飯を食べようね。食べないと何も始まらないよ。それでは、えーと、何を食べようかな。おい蘭、ちょっと読んでくれ。」

「ああ、いいよ。」

蘭がメニューを読み始めると、杉ちゃんは、いちご大福を一個と言った。蘭もそれにしようと言った。蜂須賀さんは、僕もそうしようかなと言ったので、いちご大福三個、蘭が注文した。



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いちご大福三個 増田朋美 @masubuchi4996

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