第5話 魚類の飼育業務

 体験実習六日目は、魚類の飼育業務を体験させてもらうことになったの。

 それまでは、イルカやアシカ、ペンギンなどの体験をさせてもらっていた。

 イルカのときは、イルカショーの補助業務。

 アシカのときは、アシカの餌を準備する業務。

 ペンギンのときは、お散歩業務。

 特に、ペンギンのお散歩業務は意外に大変で、人の歩くペースというかペンギンの歩くペースに合わせて歩くのって大変だなって。

 おまけに、あっちこっちに行かないように注意しながら歩くのも結構、大変だなって思った。

 イルカなどの海獣よりも魚類の業務はもっと神経を使うそうなの。

 魚は、海獣に比べるとデリケートなんだって。

 だから、私たちも体験実習期間の最後の方で体験できるように配慮してもらっていたの。

 まずは、この水族館の獣医さんである江頭(えとう)さんが、魚類の飼育について説明してくれる。


「魚類は、海獣に比べると、繊細な管理が必要だともいえます。海獣の場合、たとえば、イルカならば、トレーニングを積んでいるので、それを利用して健康診断を比較的容易に行うことができます。ただ、魚類の場合は、トレーニングを積んで健康管理するというのはなかなかできません。では、どうやって管理するのでしょうか?」


 私が答える。


「餌を与えている時に食べている量などを把握して管理するということでしょうか」


 私の答えに、江頭さんが頷(うなず)いてくれる。


「そうですね。だから、飼育員はただ餌を与えるだけではだめです。どの個体が元気よく食べているか、どの個体があまり食べていないかを把握する必要があります。餌やり業務はとても大事な業務の一つなのです。ですが、私たちとしては、病気になる前に何とかしたいと考えています。どうすれば病気を予防できると思いますか?」


 大洋くんが答える。


「水槽を清潔な状態に保つこと、水質を徹底的に管理すること、新鮮な餌を与えること。この三つでしょうか」


 江頭さんは、大洋くんの答えにも、うんうんと頷いてくれた。


「そうですね。その三つはとても大切な事です。ですが、もっと大切なことがあるんですよ。何だと思いますか? 難しくはないのですが、とっても大切なんです」


 私たちは、首を傾げて考えていた。

 難しくないけど、とても大切って何だろう。

 私たちがしばらく黙ってうんうんと唸りながら考えていると、江頭さんはニコッと笑って教えてくれた。


「すみません。そこまで、悩ませるつもりはなかったのです。これは、私の獣医という仕事に関わることなんですよね、実は。答えは、『担当の飼育員と十分なコミュニケーションを取ること』です。これは、海獣にももちろん言えますし、魚類にも言えます。私たち人間だって、家族の方とのコミュニケーションを通して、お医者さんに何らかの異変に気付いてもらって、大きな病気へと進行させないようにしますよね。そうやって大きな病気から予防しますよね。それと同じなのですよ。だから、私たち獣医は、飼育員さんとしっかりとコミュニケーションを取らなければなりません。もちろん、私たち獣医も、他の飼育員さんと一緒に飼育業務を行い、動物たちの健康チェックを行いますよ。案外、飼育業務の方が多いかもしれませんねぇ」


 江頭さんは、優しく答えてくれ、さらに続けて言った。


「それでは、魚類担当の小野さんに変わりましょう」


 江頭さんがそう言うと、小野さんが私たちの前に立って、はきはきとした声で説明し始める。

 小野さんとは、マモルンジャー業務でお世話になっているので、ちょっとだけ緊張の糸が解けた感じがする。


「やっと僕の出番が来たと思って、本当にワクワクしています。改めて、魚類担当の小野です。今日は、二人に水槽の掃除業務と水質管理業務の簡単な説明をしたいと思います。今日はどうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」


 小野さんが勢いよくお辞儀をしたので、私たちも慌てて小野さんにお辞儀した。


「それでは、さっそく水槽掃除から始めましょう」


 私たちは、小野さんの後に追いながら、江頭さんにお辞儀して向かった。

 江頭さんは、そんな私たちに片手をあげてひらひらと振ってくれた。

 私たちは、熱帯魚が展示されているコーナーのバックヤードにいる。

 熱帯魚コーナーは、色とりどりの魚が展示されているので、本当にきれいだ。

 私は、赤や白、青色の魚たちを見ながら、その美しさに少しだけ見惚れていた。

 小野さんは、少し汚れた水槽の前で立ち止まった。


「二人には熱帯魚の水槽を掃除してもらいます。この水槽は少し小さいですが」


 そうは言っても、横幅一メートルくらい、奥行き五十センチメートルくらい、高さ五十センチメートルくらいの大きさ。

 お家で、こんな大きい水槽を置いておけるわけじゃないから、やっぱり大きいわよね。

 水族館には、この大きさの水槽が何個もあるし、もっと小さいものも何個もあるから、掃除が大変そうだなと思う。


「水槽を掃除するときは、水を掛けながら、この専用のスポンジでこすりながら掃除してください」


 私たちは、小野さんから専用のスポンジを渡された。


「それでは、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 私たちは、小野さんにはっきりとした声で応えた。

 大洋くんも私も水道の蛇口にホースを設置して、そのホースから水を流しながら、スポンジで掃除をし始めた。

 水槽の内側の汚れは、主に、藻が多く、これをスポンジで丁寧に擦り取っていく。

 水槽の内側にべちょっとこびり付いているわけではないから、そんなに力を入れて掃除する必要は無かった。

 だけれども、水槽が大きいため、床に置きながら掃除しなければならず、中腰姿勢が結構きつかった。

 それでも、私たちはなんとかキレイにすることができた。


「終わりました」


 私たちは、水槽掃除が終わったことを、小野さんに伝えた。


「終わりましたか。うん、きれいに掃除してありますね。それでは、あちらに残り三つ、ありますので、それもよろしくお願いします」


 小野さんが指さす方を見ると、さっき掃除し終わったサイズの水槽が三つ並んでいる。

 私たちは、まだ、三つもあるんだと驚いていた。


「ちなみに、普段は、もう少し多く掃除しています。他の掃除もありますので、結構、重労働かもしれませんね」


 私は、飼育業務はやっぱり大変だぁと思った。

 そんなことを考えているのが私の顔に出ていたのか、小野さんは私の顔を見て、クスクスと笑っている。

 ちょっとだけ恥ずかしいわ。

 私たちが、全部の水槽をきれいに掃除し終わると、小野さんは「お疲れさまでした」と言ってくれた。

 そして、小野さんは、次に水質管理の説明をするために、この水族館の地下室へと私たちを案内してくれた。

 地下室に入ると、少し大きなプールのような場所があり、いろんな数値が表示されている場所もあった。

 私たちは、そのプールの前に誘導された。


「ここは、水質管理をする上でとっても大事なところです。これは『濾過層ろかそう』と言って、水族館にいる生き物のための水をきれいに保つ役割を果たします。この中は、実は古代の濾過装置の仕組みと同じなんです。砂や砂利、石などを敷き詰めたところに水を入れて汚れを取ります。この濾過層をしばらく使っていると、汚れが貯まります。だから、汚れを取るために、定期的に水を逆流させて汚れを落として、また使うということを繰り返しています」

「本当に大事な役割をしているところなんですね」


 私が、そう言うと、小野さんが優しく答えてくれた。


「そうですね。そもそも生き物が生活できる水が無ければ、水族館は運営できませんからね。それでは、地下室にある検査室にも案内しましょう」


 小野さんは、今度は地下室の奥にある「検査室」と書かれた部屋へと誘導していった。

 濾過層があるところから、そう遠くではないところに検査室があった。

 歩いた感じだと十メートルも歩いた感じはしなかった。

 だから、検査室にはすぐに到着できた。

 この検査室は、イメージとしては、学校の理科の実験室のようなところだった。

 小野さんが、私たちに簡単に説明する。


「この検査室は、水槽の水質を定期的に検査するところです。特に魚類の場合、水質によっては全滅するおそれがあります。水の中で生活する生き物にとって『水』は、人間にとっての『空気』と同じなのですね。だから、この水質検査も非常に重要です。検査する項目は、主に、アンモニア、水の比重、ph(ペーハー)つまり水素イオン濃度などです」


 検査室にいる人たちは、様々な機械を利用しながら、その数値を確認していた。

 水族館で働く人たちというと、飼育員さんばかりを想像してしまうけど、検査室で働いている方もいる。

 ここでのお仕事もとっても大事なお仕事だ。

 水族館のお仕事は、本当に多くの方々が関わっているのだと、私は改めて実感した。


「さぁ、それでは、戻りましょうか」


 私たちは、検査室を出た。

 小野さんが私たちを地下室から熱帯魚コーナーに誘導してくれる。

 熱帯魚コーナーは、色とりどりの魚がたくさんいるし、飼育員さん達が作った動物の楽しい解説板で溢れている。

 お客さんも楽しそうに熱帯魚を見たり、解説板をじっくりと読んだり、解説板で遊んだりしている。


「熱帯魚コーナーでは、たくさんの魚を扱っています。色とりどりの魚がたくさんいますよね。だから、私たちが解説する魚の種類も多いです。生き物の解説はいわゆる『解説板』と呼ばれるもので行っています。これは、パソコンで作成する人もいますし、手書きで作成する人もいます。きれいな写真を自分で撮影して作成する人もいますし、クイズ形式の遊具みたいな立体物を作成する人もいます。飼育員の個性が溢れた解説板でいっぱいですよね。もちろん、熱帯魚コーナーだけでなく、他の生き物の解説板も飼育員がいろいろと工夫して作成しています」


 小野さんは、熱帯魚コーナーを嬉しそうに見廻しながら、説明する。


「私の場合は、マモルンジャー業務がありますので、携われていないのですが、学校の長期休みなどで行うイベントも飼育員が中心となって企画します。先ほど、掃除業務をしたバックヤード。そのバックヤード内を紹介するイベントが、飼育員が企画したイベントの例として挙げられます。定期的に行っている動物の解説イベントや餌やり体験なども、飼育員の業務です。他にもいろいろな業務がありますが、飼育員は、結構大変な業務が多いとは思います。生き物を相手にしているから仕方がないのかもしれませんよね。でも、だからこそ、飼育員の仕事はおもしろいし、毎日が楽しいなと思っています」


 小野さんは、本当にキラキラした目で説明してくれる。


「今日の魚類担当の飼育体験は楽しめましたか?」

「はい!」


 私と大洋くんは、小野さんに元気よく答えた。

 小野さんも私たちの答えに満面の笑みで応えてくれた。

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