第4話 イルカショー業務
体験実習五日目は、朝からイルカショーの業務を体験できることになっていた。
ただ、イルカショーの業務は実は既に体験済み。
私たちは、イルカショーのスタッフさんにごほうびの餌を渡したり、ショーで必要な道具を用意したりするなどの補助業務を体験させてもらっていた。
ただ、この業務は、いつも観覧者が少ない夕方最後のショーで体験させてもらっていた。
観覧者が少ないと言っても「お客様の前に出る」わけだから、もの凄く緊張した体験だった。
朝のイルカショーは、夕方のショーに比べて、断然に観覧者数が多い。
観覧者席は満員。
そんな中で、体験実習を行うのは、さすがに緊張しっぱなしで、失敗をしやすいので、朝のイルカショーの業務には参加できない。
そこで、朝のイルカショーを観客席入口辺りで、見るのもいいのではないかと。
というわけで、私と大洋くんは、朝のイルカショーを見ることになった。
イルカショーが行われるのは、この水族館の「メインプール」と呼ばれる所。
幅七十メートル、奥行き三十メートル、最大水深十五メートルと日本でも最大の大きさを誇るイルカのプールだ。
観覧者席は三千八百人を収容できる。
プールの上の方の左側、真ん中、右側には観覧者席に向かって巨大スクリーンが設置されている。
実は、この観覧者席の下にはイルカのプールの中を見ることができる「水中観覧席」が用意されていて、その席から見られる様子をスクリーンに映して楽しむことができる。
イルカプールのステージ側に二つ、観覧者席側に二つ、巨大なスピーカーも設置している。
とにかく、このメインプールは立派なのだ。
メインプールという施設の凄さだけでなく、ショーの内容もとても人気の高いものとなっている。
イルカのジャンプの高さが他の水族館よりも高いと有名になったこともある。
また、音楽とイルカのショーの内容が見ごたえいっぱいで言葉では表現できないとも言われたことがある。
マモルンジャーとのコラボレーションも人気がある。
イルカショーとヒーローショーが同時に見られるとは思わなかったと、かつて夏の旅行雑誌に書かれたことがある。
この水族館は本当に人気のあるところだが、このイルカショーは特に人気が高く、憧れのショーとまで言っていた人もいる。
そんなすごいイルカショーの補助業務ゆえに、普通の人ならば、緊張して動きが固くなるのは仕方がない事だと思うの。
実際、私も大洋くんもガチガチに緊張して補助業務を体験した。
夕方の観覧者があまりいないショーでこんな状態だから、朝のショーの補助業務など絶対に無理。
あまりにも様子がおかしい人がいると、イルカたちがその様子を見て、動揺してしまうので、今日は見学だけで十分よね。
それにしても、朝のショーが始まる前の観覧者席が、こんなににぎわっているとは思わなかった。
「パパー! イルカしゃん! イルカしゃんなの! パパ!」
「ぅえーーーーーん、マモルンジャーのレッドが良かったの! ブルーじゃないの!」
「あっち行って! ここ、あたしが座るんだもん!」
「お兄ちゃんが、僕のお菓子、食べたー! ぅえーーーん」
私たちよりも、すっと小さい子供たちが、イルカショーを見るために観覧席に座っている。
保護者の方々も一緒にいるけど、ちょっとだけお顔がお疲れみたい。
うん、子どもは元気でいることが、お仕事よね。本当に、世の中の保護者の皆さま方にリスペクトを。
イルカショーが始まるまで、あと五分。
だけど、子どもたちを見ると、ケンカしちゃっている子もいれば、どっかに行ってしまいそうな子もいる。
そろそろ、お席で待っていないと、イルカショーをちゃんと見れなくなるんじゃないのかな。
あ! あの子、観覧席の通路で走っている。危ないから注意しなきゃ!
そう思っていたら、大洋くんが「ここで走るのは止めようね」って優しく注意している。
走っていた子も「うん」って言って、ゆっくり歩きだした。
大洋くんが「ふぅっ」と息を吐いて、私がいるところに戻ってきた。
「すごいな。朝のイルカショーが始まる前って、ある意味、戦場だな」
「こんな観客がたくさんのところで、体験実習しなくて良かったよね」
大洋くんが真顔で言ってきたのに対して、私も苦笑いしながら答えた。
私たちは、イルカショーが始まるまで、観覧席入口の近くの椅子に腰かけて、待っていた。
子どもたちは、イルカショーがもうすぐ始まるというのに、元気さに拍車をかけていた。
本当に世の中の保護者のみなさんには尊敬の念しか抱けないわ。
そんなことを考えている時だった。
メインプールのスピーカーから音とともに声が聞こえる。
「皆さま、本日は横奈屋港水族館にお越しくださり、誠にありがとうございます。ショーの前に、いくつか注意事項があります」
子どもたちの声のボリュームが少し小さくなった。
立っていた子どもたちが座席に座り始める。
「メインプール観覧席内を走り回るのは大変危険です。どうぞお止めください。また、本日のショーの撮影は禁止しております。プール内に物を投げ入れる行為も禁止しております。どうぞご協力を賜りますよう、よろしくお願い致します」
子どもたちの声のボリュームはもうちょっとだけ小さくなった。
走り回っていた子どもたちが急に大人しくなり、少し小走り気味になって、自分の座席に戻ろうとする。
「メインプールに近い座席にお座りになっているお客様にお願いがございます。横奈屋港水族館にいるイルカたちは、とってもイタズラ好きです。そのため、みなさまに水をかけることがあります。携帯電話などは濡れないようにご注意くださいませ。また、濡れたくない方はレインコートなどの御準備をよろしくお願い致します」
この声掛けに、最前列の人たちがレインコートを着始めた。
子どもたちは、濡れるのが楽しみだから、レインコートを着るのを嫌がる。
あまりにも嫌がるので、保護者は着させるのを諦めて、自分たちだけレインコートを着る。
この水族館、有名だものね、夏はよく濡れるって。
「なお、濡れても大丈夫な方々は、どうぞイルカ・シャワーをお楽しみくださいませ」
スピーカーからの声が止み、音楽だけが流れている状態になった。
するとすぐに、メインプールの三つの巨大スクリーンに数字が、ドーンという音とともに、表示された。
表示された数字は「5」。
その瞬間、さっきまで何も興味を示していなかった子供たちが、一斉にスクリーンに注目した。
子どもたちだけでなく大人もスクリーンにくぎ付けになる。そして、子どもたちは声を揃えて叫ぶ。
「ごぉーっ!」
次に、ドーンという音とともに「4」の数字が表示される。子どもたちは叫ぶ。
「よーんっ!」
ドーンという音とともに「3」の数字。
「さーんっ!」
ドーンという音と「2」の数字。
「にーっ!」
ドーンという音と「1」。
「いーちっ!」
気づけば、子どもたちみんなが人差し指を前方に出して数えていた。
子どもたちの顔は、何が来るのか楽しみでワクワクした顔をしている。
もはや、泣いている子どもは誰ひとりとしていなかった。
飼育員が腕を上げる。
リズムのいい音楽とともに、スクリーンに「0」の表示。
その後すぐに、英語の文章が大きく表示された。
メインプールの水中で黒い影が動きだす。
「WELCOME TO PORT OF YOKONAYA AQUARIUM」のスクリーンの表示に観客席は喜びの声を出す。
そして、メインプールの水面から水しぶきをあげて、何かが飛び出した。
それらは、スクリーンをバックに高いジャンプを見せた。
三頭のイルカが高くジャンプしている。
子どもたちは、もはやスクリーンではなく、三頭の高いジャンプにキラキラと輝く瞳を向けていた。
三頭のイルカは、しばらく空中を静止したかと思うや、再び水面に大きな音を出して戻った。
三頭の水しぶきが観客席の最前列にバシャーンッと襲い掛かった。
「キャー!」
子どもたちは、三頭のイルカが見せた高いジャンプに、キラキラとした笑顔で応えていた。
「大洋くん、私、思い出したかもしれない」
入り口付近でイルカショーを見ていた私は、唐突に彼に言っていた。
「何を?」
大洋くんは、どう反応すればいいのか、分からなさそうに、聞いてくる。
「ううん、やっぱり、なんでもない」
「そう」
私たちは、それからお互いに黙ってイルカショーを見ていた。
イルカショーの間、メインプールは、子どもたちのキラキラとした笑顔と楽しそうな歓声で溢れかえっていた。
少しだけ、思い出したの。
私が小さい頃、水族館で働きたいって言っていた理由。
私は、今見ているイルカショーとは全然違うけど、空高くジャンプするイルカを見て、イルカが大好きになっていたんだということを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます