哀愁の精人魚
『
――どうりで海の中を探しても見つからない筈ね……
心からそう思った。
マリーナさんは、
そんな光景、家では見た事が無い。
「あの……?」
ボクが恐る恐る口を開くと、マリーナさんは、穏やかに微笑んだ。
「あら、お嬢ちゃんはお茶を飲むのは初めてかしら?
「は、はい……」
マリーナさんに促されるまま、大きな貝殻を加工した椅子に腰掛け、出されたお茶……マテ茶と呼ぶらしい……を口にする。
「……!?……」
口の中を今まで感じたことの無い、風味と味が喉を駆け抜けていく。確かにこんなに濃い茶色い水を鰓から取り込んだら大変な事になるだろう。しかし、此処は空気に満たされた場所で、ボクも肺呼吸をしている。
だから純粋に味覚を感じている。ひょっとしたら、誰も飲まないお酒も……と一瞬思ったけど、それはまた違うような気がするし、そもそも怖いのでやめておく。
「美味しい!」
「そう……良かったわ」
思わず口から零れ出る。このような飲み物は
マリーナさんの表情も、とても優しい。
「あなた可愛いわね……お名前は?」
「ナディアです……ご覧の通り
「そのようね」
マリーナさんは、優雅にマテ茶を口にする。
その姿は、とても
「『
「す、すみません!」
彼女のような大人の女性から見れば、ボクなんか本当に小娘だ。さっきから良いように遊ばれている。
「それで? 可愛らしいナディアちゃんは、こんなオバさんに何のご用だったのかしら?」
「オバさんだなんて……マリーナさん、とても綺麗で……」
「あら、ありがとう! お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃありません! ボクはこうして命を助けていただきました! やっぱり『
うまく言葉にならない。
でも『
そして思うのだ。『マーメイド』も修行や研鑚を積めば、いつか『
「残念だけど、そんなに楽しいものではなくてよ」
マリーナさんは、そう言って困ったように笑っている。
どうしてそんな顔をするのだろう? ボクは
「ナディアちゃん……」
「はい!」
マリーナさんの柔らく透き通るような声が聞こえ、ボクは思わず姿勢を
「あなた『
「はい! ボクは
子供っぽい願望だと笑われたり「『
でも、それでも自分の気持ちは正直に伝えたい!
しかしマリーナさんは、嘲笑う事も怒る事もしなかった。「そう……」と一言答えたっきり、静かにマテ茶を口にし続けている。その沈黙の時間が怖くて、居たたまれなくなって、ボクは口を開こうとした。
「あなた……恋をした事はあるの?」
「えっ?」
突拍子もない言葉に、ボクは言葉を失ってしまう。
正直、男の子の事なんて考えた事が無かったから、どう応えていいのか判らない。
「
「いえ、居ませんけど……」
「そう……」
ボクの返事に頷きながらも、ガーネットの様な瞳を向けてマリーナさんは、静かに訊ねてくる。
「じゃあ、あなたのお母さんは幸せそうかしら?」
「はい。ちょっとと言うか、かなり雑な性格のパパと仲良く……」
「……笑っていられるのね?」
「はい」
脳裏に食卓を囲む我が家の様子が浮かんでくる。
行動が基本的に大雑把だけど、非常に頼り甲斐のある大黒柱のパパと、おっとりしているのだけど、細かい所に気が付いてボク達家族の面倒を見てくれるママ。
ボクはそんな家族の愛情をいっぱいに受けて育っている。
すると、優しい笑顔を浮かべていたマリーナさんの表情が一気に引き締まっていく。
「ナディアちゃん……悪い事は言わないから『
「どうしてですか?」
訳が判らない。『
そんなボクに近づいてきたマリーナさんは、そっとボクの頭に乗せ、山吹色の髪を手に取って優しく撫でながら静かに笑った。寂寞感のある穏やかな笑みをボクは忘れない。
「悲しみ、寂しさ、孤独……『
「どうしてそう言えるのでしょうか?」
言葉の真意を測りかねて、ボクが訊ねると、彼女は再び自分の席に戻って腰を下ろして、傍らの肖像画に眼差しを移した。
「それは……きっと悲しい恋をすれば判るわよ……」
「その方は……?」
「そう……私が永遠の想いを誓った人……そして、もう二度と会う事が叶わぬ人……」
一人の男性の肖像画……それを見つめる彼女の眼差しはやはり寂しく儚かった。
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