犬神様は神と対峙する
「うーわ、えげつないのぉ」
犬神の目線の先で、戦いに備えていた物の怪たちが濁流に飲まれていく。
手に持った武器を振るうこともできずに、住処ごと押し流されていく彼らを犬神は同情の目で眺めていた。
あれではもはや反撃は不可能だろう。
神に反旗を翻し人間に仇なす物の怪、その懲罰のため牛神と共に赴いた犬神だったが、彼女のできることは残ってなさそうだった。
「あの中に牛鬼もいたじゃろう、牛仲間としてなんとも思わんのか?」
「命令ですから」
えげつない水責めを行っておいて、牛神は澄ました顔で微笑んだ。
犬神はその命令至高主義にゲンナリと顔を歪める。
主神を尊敬する仲間として、気が合いそうだと思えたのも最初だけだった。
神として共に過ごすうちに犬神は彼の妄信ぶりに辟易しつつあった。
犬神にとって主神は志を共にする同士だ。
牛神のように彼女に信仰に近い感情を持つことも、全肯定する気にもなれなかった。
「そんなことを言って貴方だって、犬仲間である化け犬の群れを切り伏せていたではありませんか」
「まぁ……な。あいつら話聞かんし……人を襲うばかりじゃから」
嫌なことを聞かれた、とばかりに耳を伏せる犬神。
それは犬神にとって苦い思い出だった。
争いは好かない、そんな犬神であってもどうしようもない相手はいる。
時にはその宝剣を血で濡らすこともあった。
その度に彼女は自身の剣術の未熟さを呪う。
本物の神の剣であるならば、誰も傷つけることなく争いを収めることができるはずなのに、と。
だが、血が流れなければ止まらない、どうしようもない愚か者も世の中にいるのだ。
そういう輩を切り伏せてきたのは犬神の認めたくない汚点だった。
「貴方のそういうところ、本当に尊敬しますよ」
「はぁ?」
自身の嫌いなところを褒められ、犬神の毛が逆立つ。
歯を剥き出しにして威嚇する犬神に対して牛神はやはりのらりくらりと微笑んでいた。
「守りたいものがあるのですね。そしてそのために何かを切り捨てる勇気がある」
「そんなものお主にだってあるだろうに」
濁流に飲まれた物の怪達を指差す犬神。
彼も今まさに切り捨てたではないか。
物の怪と話し合い、共に歩む未来だってあった。
だが奴らはそれを拒否し、神に弓を向けた。
だからこそ神は天罰を下したのではないか、今ここで。
それと化け犬を切り捨てた犬神と何が違うというのだ。
「命令ですから、これは」
いつもの台詞だった。
聞き飽きたとばかりに、犬神の目が細められる。
「命令だからと、私はいつも言い訳をしているのです。傷つけるのは嫌ですが、命令ならばと力を振るう。そうやって私は殺生の責を主神に全て押し付けている。卑怯者なのですよ、私は」
「卑怯者…………ね」
孤狼は目を細めたまま首を振る。
彼はいつもそうだ。
口を開けば命令、命令……そこに彼の意思などありはしない。
彼から言わせれば野生の牛に混じって草を喰んでいるのが一番幸せらしい。
神らしくない、牧歌的すぎるのだ。
彼は人の上に立って神をやるには不釣り合いな獣だった。
「お主はよくやってるよ、睡蓮」
心なしかしょぼくれて見える牛神の頭を撫でる犬神。
背丈が違いすぎて目一杯背伸びをしているのがなんとも情けなかった。
彼を真に理解することはできない、それでも牛神は犬神の仲間だった。
……………………………
…………………
……
胡座をかいて浮いている睡蓮はあの日から何も変わっていない。
変わらず彼の意思はなく、命令に従っている。
変わったのは命令だけ。
人類守護から人類滅亡へ。
変わったのは……主神、人神。
なぜ主神が人類滅亡へと舵を切ったのか、孤狼は知らない。
だが牛神が命令だと言うのならば、それは主神の意思なのだろう。
睡蓮が腕を振るうと、濁流のように降り注いでいた雨が一つに纏まっていく。
水によって形作られた巨大な斧、それが孤狼へと振り下される。
祈るように宝剣を構えた孤狼は動かない。
ただ、剣を鞘に収める音だけが響いた。
瞬間、水の斧が爆ぜる。
神速の剣筋によって細切れにされた斧、だがそれは時を巻き戻すように復元されていく。
「ッ!」
軌道を全く変えることなく斧は振り下ろされた。
咄嗟に横にステップを踏んで躱す孤狼。
水斧はその圧倒的質量でもってビルを割り、地面を揺らした。
「おバカな子犬ですね、水は斬れませんよ」
「うっさいのぉ!」
そんなことは分かっている。
水を操る水神と剣を操る武神。
本来であれば強者は後者だが、相性で考えれば孤狼は圧倒的に不利だった。
固形を持たない水は断ち切れない。
そしてもう一つ不利な要素が…………
「やはり、そうくるかッ!」
斧の次は巨大な槍。
だがそれが向けられたのは孤狼の方ではない。
カンパニーに向けて水の凶器が放たれる。
そこには、孤狼の守るべき人間がいた。
ただ攻撃すればいい睡蓮とは違い、孤狼の戦いは守る戦いだった。
断ち切ることのできない攻撃から人間を守らなければならない。
不利すぎる局面、だが弱音を吐いている暇などなかった。
人型でいることも忘れ、孤狼は四つ足でビルを駆ける。
その尻尾が大きく膨れ上がった。
「むん!」
部分的に変化を解除した犬神本来の大きな尻尾、それを振り回し槍をはたき落とす。
巨大な化け犬だからこそできる芸当だった。
「どうじゃ見たか!」
得意げにドヤ顔を晒す孤狼。
だが見上げたその表情が固まる。
頭上の睡蓮、その掲げる手の先には何十という水槍が浮かんでいたからだ。
無慈悲に掲げた腕が振り下ろされる。
「滅べ」
「〜〜〜〜〜ッッ!!」
孤狼がその刹那の瞬間で考えられたのは、どれだけカンパニーの被害を減らせるか、ただそれだけだった。
放たれる凶器。
孤狼は屋上から飛び降りると変化を解く。
巨大な化け犬となってカンパニーを庇う。
だが化け犬になってもカンパニーはあまりにも大きく、槍は多すぎた。
自身に槍が突き刺さる感触を感じながら孤狼は背後に大切な仲間がいることを願うことしかできなかった。
轟音と共に大質量の水がカンパニーに衝突し建物が倒壊していく。
孤狼の家が、壊れていく。
槍に貫かれボロ雑巾のように地面にうずくまる孤狼。
睡蓮はその前に悠々と降り立つ。
カンパニーは孤狼の庇った部分を除いて、ほとんど半壊してしまっていた。
「…………?」
睡蓮は孤狼の前で首を傾げる。
「貴方ってこんなに弱かったですっけ?」
「ぬかせ。いくら儂を傷つけたところで痛くも痒くもないわ!勝負はこれからだ」
血を吐きながら吠える孤狼。
その肉体は傷つき血だらけだが、そんなことに彼女は頓着しない。
こんな破損はいつものことだ。
肉体など彼女にとってはただの肉を撚り合わせて作った入れ物でしかない。
「確かに……そうでしょうね」
そう言う睡蓮の手には、宝剣が握られていた。
先程まで確かに孤狼が握っていた宝剣を。
いつ掠め取ったのだろうか?先程の攻防で?
汗が孤狼の顔に伝う。
「ですがこれを砕けば話は別でしょう?」
「う……」
宝剣、かつて家族から貰った孤狼の宝物。
はるか昔、孤狼は肉体の滅びと共に魂をその器へと移し替えた。
宝剣こそが、孤狼の肉体であり、命のそのものだ。
その破壊は悠久の命の終わり。
神性を帯びた睡蓮の手刀が宝剣を打つ。
鈍い音と共に孤狼の命が震えた。
「や、め……」
「やめろ屑が」
黒い凶器が水神の頭に押し付けられる。
「…………なんのつもりだ、人間」
「夕!」
銃を睡蓮の頭に突きつける夕。
カンパニーの崩壊で傷を負ったのだろうか、その半身は血に濡れていた。
だがそれに構うことなく、彼女は毅然とした態度で銃を押し付ける。
その目はいつでも引き金を引くことができると、無言で訴えていた。
「これは神々の争いだ。人間は大人しく誅罰を待てばいい」
「神?お前も孤狼と同じで訳の分からないことをほざくんだな」
睡蓮の主張は正しい。
これは神々の争いだ。
いち人間にどうにかできる規模の話ではない。
たとえ引き金を引いたところで、牛神はかすり傷すら負わないだろう。
既存の兵器では、神性を貫くことはできない。
それこそ、強化人間の使用した閃光銃でも持ち出さぬ限りは無意味だ。
頭に押し付けたそれは何の脅しにもなっていない。
「神だとかそんな巫山戯た話はどうでもいいんだよ。こいつは私たちカンパニーの仲間だ。カンパニーは仲間を傷付ける奴を許しはしない」
夕だけじゃない。
数多の銃口が神に向けられていた。
人々が崩れた瓦礫の中から這い出し、武器を手に取る。
「よぉ、デカ犬。お前が庇ってくれなきゃヤバかったぜ」
克哉がヘラヘラと笑いながら孤狼にウィンクする。
稔も足を引きずりながらも睡蓮を睨んでいた。
「…………人間」
状況は、何も変わってなどいない。
いくら人数で圧倒しようと、銃弾で蜂の巣にしようと、神にはまるで通用しないのだから。
だというのに、睡蓮は苦しそうに顔を俯かせた。
「やめてくれ、捨てた物の輝きを今更見せつけるのは……」
雨が神と人間を打つ。
牛神は犬神の命を握ったまま動かずにいた。
「どうした?睡蓮、今更人間が恋しくなったか?」
嘲るように孤狼が笑う。
それは彼女にしては珍しい、敵意を剥き出しにした挑発だった。
「あの時みたいに、濁流で沈めてみろよ。命令、なんじゃろ?」
一歩、孤狼は睡蓮へと歩み寄った。
ギラギラとした瞳が牛神を射抜く。
人間たちも、破壊の根源と思われる牛神へ厳しい瞳を向ける。
かつては、睡蓮も孤狼と同じ立ち位置だった。
人間と共に歩み、戦った。
だがそれはもう虚しいほど過去の話だった。
「神よ」
ただ1つだけ、敵意のない眼差しがあった。
その目は郷愁と罪悪感に濡れていた。
「神よ、なぜ私たちを捨てたのです?私たち人間は、それほど罪深いのでしょうか」
「社長……」
カンパニーの長が、唯一神を知る世代が、神に訴える。
彼の知る神はいつだって味方だった、人間の。
神が姿を消しても、彼は信じていた。
いつか守護者達が帰ってくることを。
だって彼の知る神は陽気に歌い、人々と手を取り合っていた。
歌っていた、人間との夢に溢れた未来の歌を。
犬神が現れた時、神はやはり人間を見捨てていなかったと彼は安堵した。
少し頼りなかったかもしれない、それでも彼女からは確かに懐かしい匂いがした。
彼が知る希望の匂いが。
なのに、今、同じ匂いを放つ存在が人を捨てたと告白した。
なぜ?
それほどまでに我々は罪深かっただろうか?
「………………」
その問いに牛神は答えない。
ただ、辛そうに俯くばかりだった。
「そりゃ罪深いでしょ」
緊迫した場には不釣り合いな、明るい声がした。
「ぬぅ?」
「誰だ」
その声の主は少し離れた位置の信号機に座っている。
足を揺らして上機嫌に笑う少女に孤狼は見覚えがあった。
数日前、木と融合していたはずの少女。
それが満面の笑みで孤狼達を見下ろしていた。
「人間が何をしたのか知らないのー?神の尊厳を盗んでおいて?神殺しをしておいて?」
睡蓮と孤狼、2匹の神が固まる。
前者は怒りに、後者は驚愕に、顔を歪める。
「貴方……何者です!」
水で形どられた剣が少女を貫かんと打ち出される。
だが少女が手を振るうと剣に異変が生じた。
突如小さな双葉が剣の至る所から芽を出す。
剣が彼女を貫く、その前に双葉達は剣の水を吸って急速に成長していく。
そして、それが少女に至る頃には剣の原型は消え、色とりどりの花束へと姿を変えていた。
「わぁ!ありがとう。僕お花大好きなんだ」
「その神性、貴様!白楊の模造品か!?」
「模造品?ノンノン。僕は完璧なオリジナルさ」
少女は花束を胸に抱くと、行儀正しくお辞儀をしてみせた。
その礼儀正しさは、戦場には不釣り合いでなんとも浮いている。
「初めまして人間!僕はエト!」
自身に攻撃を仕掛けた牛神など見向きもせず。
少女は銃を構える人々に笑いかけた。
まるで愛おしいものを見るように。
「君たちがどんなに汚れていようと、僕だけは愛してあげる。だって、僕を生み出したのは君たちなんだから!だから僕が守ってあげるよ、パパ!ママ!」
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