犬神様の探し物

 工具の駆動する音が断続的に聞こえる。

 カンパニーにあるその部屋はたくさんの機材と工具に溢れていた。

 機械に囲まれたその狭い部屋で犬神は男と顔を突き合わせている。


「の〜稔、どうにかならんか?」


 孤狼の対面に座り、工具を操るのは彼女と共に大都市シェルターへ赴いた男、稔だった。

 彼の失われた片腕には機械によって作られた義手が装着されており、それが軋みながら駆動し、工具とともに喧しい金属音を奏でている。

 孤狼は稔の分解する球体を心配そうに見つめる。

 その球体は稔によって外装を外され、その緻密な内部構造を露出させていた。

 だが、その精巧だった機構も今は黒く煤け、無惨な姿を晒している。

 Mo、孤狼の後ろをついて飛んでいたあの機械の友人は彼女の前で沈黙していた。


「機械が得意だって言っても、専門ではないんだがね」


 稔は難しい顔をして目の前の球体を分解する。

 細かいパーツの数々にその目が細められた。


「少なくとも……儂よりは詳しそうじゃな」


 ミクロサイズのその部品を見て孤狼は口元に手を当てた。

 自分の息で吹き飛んでしまいそうだと思ったから。


「今流通している機械ってやつの大抵は大戦前の模造品でしかない。そういう意味では俺みたいな古い世代の老ぼれの方が詳しいだけだ」


 孤狼のように縮こまることなく、慣れた様子で稔は彼女の友人を大きな3パーツに分解する。

 熱によって融解した3つの塊を孤狼は恐る恐る覗き込んだ。

 それぞれが何のパーツか孤狼にはさっぱりだった。

 そのうちの1つを稔は指差す。


「ほとんどのパーツはもうダメだ。だがメモリ部分の外装は存外固く、強固に設計されているな」


「それは、つまり…………どういうことじゃ?」


「まだ生てるよ、こいつは」


 その言葉に孤狼の耳がピンッと立つ。


「本当か!?直るのか!!」


「あー……待て、待て」


 今にも飛びかからんばかりの孤狼の頭を稔は抑える。

 稔もこの犬神のあしらい方がだんだん分かってきたようだ。

 彼女の隣にいる夕を見て学んだのかもしれない。


「一番重要な脳が無事だと分かっただけだ。元に戻るとは言ってない」


「えー……元に戻してくれんのか」


「簡単に言う。そうしたくても、ここには高度なパーツの備えはねぇよ」


 立てられた孤狼の耳が伏せられる。

 ほとんどのパーツは破損している、つまりはそのパーツを補う代替パーツが必要だ。

 それがすぐに用意できればよかったのだが……

 稔はこれほどにまで精密なパーツ群をほとんど見たことがなかった。

 この機械には文明崩壊前の技術がふんだんに使われている。

 そんな貴重品がカンパニーに転がっているはずもなかった。


「だが、逆に言えばパーツさえ用意できれば修理できる手立てはある」


 そう言ってニッと笑う稔。

 その言葉が孤狼の耳を再び元気に立ち上がらせた。


「んじゃ、儂はその部品を探しに行ってくるかのぉ」


「おい、待て」


 スキップでもしそうなテンションで外へ出て行こうとする孤狼の袖を稔が掴む。

 いくら何でも猪突猛進すぎるだろう、と彼は冷や汗を流した。

 この犬神の楽観主義は相も変わらずである。

 大戦前の貴重な部品がそこらへんに転がっているとでも思っているのだろうか。

 夕のやつはこんなじゃじゃ馬とよくうまくやっているな、と唸るばかりだ。

 ため息ひとつ、彼は地図を広げた。


「どこにでもあるって訳じゃない。工場地帯を探せ、そこにいるジャンク屋ならあるいは……」


「あるいは?」


「パーツを持っている……」


「持っている!」


「…………かもな」


「分かった!行ってくる!」


 結局引き留めた意味はあったのだろうか。

 話をきちんと理解しているのかどうなのか、孤狼はすぐに踵を返して外に出て行ってしまった。

 妙な奴と関わりを持ってしまった……

 そう内心でため息を吐いていると、今度はまた違う静かな足音が聞こえてきた。


「……夕か。どうした?」


「あれは直ったか?」


「どいつもこいつも……便利屋じゃねぇんだぞ」


 孤狼と入れ替わりで部屋に入ってきたのは夕だった。

 彼女の言葉を受けて稔は背後に置いてあるものを机の上に置いた。

 白い銃。

 あの日シェルターで戦ったあの異常なゾンビが持っていた武器だった。

 夕はあの日、横たわるゾンビの残骸から銃を回収し、持ち帰ってきていたのだ。


「切断面は綺麗なもんだったよ。ただ溶接しただけだ。修理とも呼べない」


「へぇ」


 夕は白い銃を構える。

 真ん中で綺麗に切断されていたその凶器は溶接され新品のように修理されていた。

 これなら問題なく使えそうだ。


「撃ってみな」


「……?この部屋が吹き飛ぶぞ」


「大丈夫だ。撃ってみな」


「?」


 稔にそう言われ、夕は眉を潜めつつも引き金を引いてみる。


 パスンッ


 間の抜けた音と共に銃が蒸気を吐き出した。

 カートリッジが排出され、床に転がる。


「おい、直ってないじゃないか」


 役立たずの銃を机に叩きつける。

 本来、その白い銃口からは光線が射出されるはずだ。

 こんな空気を吐き出すだけの玩具では断じてない。

 睨みつける夕に、稔は首を振る。


「直ってるよ、俺の見た限りその銃に破損はない」


「んなわけあるか」


「問題はカートリッジの方だ」


「こっち?」


 夕の細い指が床に落ちたカートリッジを拾い上げる。

 それは嘘みたいに軽かった。

 何も入っていない、入っているのは空気だけ。

 だから蒸気しか出なかったのだろう。


「お前さんが回収してきたカートリッジには何も入っていなかった」


「でも、あのゾンビはこれを使っていたはずだ」


「さぁね、一体何を射出していたんだか、見当もつかん」


 夕は舌打ちする。

 せっかく高性能な兵器を回収したと思ったのに、ただのガラクタだったのだ。

 その失望は大きい。


「所詮強化人間専用の兵器だ。人間には使いこなせんさ」


「…………ん、強化人間?」


「ああ、あの白い毛髪と軍服は間違いなく……あ?」


 稔の言葉は大きな足音によって止められる。

 その騒々しい足音は間違いなくあの犬耳の少女のものだった。

 先程出ていったと思いきやまた戻ってくるとは、行ったり来たり騒がしい神である。


「のぅ、稔!」


 2人の予想通り、孤狼が扉から顔を出す。


「……何だ?」


「稔なら知っておるか?これがどこで作られておるか」


 そう言って孤狼が懐から取り出したのは銀の筒だった。

 感染者達から除草剤と呼ばれるワクチン、孤狼が夕から貰ったものだ。


「猫神が言っておったんじゃ。兎神を探せって」




……




…………………




……………………………




「大丈夫かー?眠姫」


「大丈夫に見える?」


 白く異様なゾンビを下した後、孤狼は首だけになった友人を心配そうに見つめていた。

 神なのだから、首だけになったところで再生できる、そう分かってはいても心配は拭えない。

 彼女から感じられる神性が全盛期とは程遠く、微量しかないのも心配に拍車をかけていた。


「心配いらないよ……これは私の一部でしかないから」


「さっきも言っとったな。断片とは何のことじゃ?」


 孤狼の目の前で猫の生首が転がり、彼女と目を合わせる。

 断片、戦闘が始まる前に彼女は自身をそう称していた。


「そのままの意味だよ。私は……幾つもの断片に自分を分けたんだ。それが…………私がこの世界に適応するために選択した変異だと言えるね」


 孤狼は宝剣だけで独立して行動できるように変異した。

 それと同じように、猫神もまた残酷になった世界に合わせて自身を変異させたようだ。


「半分は現実に、半分は夢の中に。私の半分は人々が悪夢を見ないように今も夢の中にいる。そして現実の半分はさらにその身を分け各地で人を探した」


 つまりこれは変異した彼女の半分が分裂した欠片でしかないということか。


「君の目の前にいるのは自身の飼い主も守れなかった哀れな断片でしかないんだよ」


 人のいなくなったホール。

 飼い主のいない猫たち。

 溢れる感染者。

 そこからこの大都市シェルターで起こったことは大体想像できる。

 断片では民を守ることはできなかったのだろう。

 だが、そうか……結局この神も相変わらず人間が好きなのか。


「何じゃったっけ?神の責務を放棄したーだっけ。なんだかんだ言って、人間を守っておるではないかお主」


「神はもう辞めたよ」


「照れ隠しをしおって」


「違うよ……孤狼」


 眠姫の否定を照れ隠しと思い、揶揄おうとした孤狼だったが、再度の否定のその冷たさに口を噤む。

 それは照れ隠しなどではない純粋な否定だった。


「私はあの集会の後から…………神を辞めたんだ」


 集会、孤狼の参加することのなかったあの集会の話だろう。

 戦争の最中神々はなにを話し合い、主神……人神はなにを決定したのだろうか。


「人類の存続の是非を決めたという……あの?」


「そう……まぁ、言ったけど私はあれに参加していないから、あいつらがどんな話をしたのかは知らないけどね」


 知らない。

 そうは言うものの眠姫の顔は歪んでいた。

 隠しきれない感情の吐露。

 人間の守護者たる神がその席を降りたのだ。

 尋常ではない事態が起こったのだろう。


「何があったんじゃ?」


「…………あの集会に参加したのは私と狐神を除いた10匹」


 儂は寝坊で参加しとらんから9匹じゃな。

 孤狼は頭の中で間違いを修正した。


「そのうちの、半分は帰ってこなかったんだ」


「は?」


「鳥神、兎神、蛇神、鹿神、そして君だ。君たちが音信不通となり、半数になった神々の守護は瓦解、終末が始まった」


「……なんじゃって?」


「君たち仲良し組が消え、主神により……人類の滅亡が決定されたんだよ」


「…………………………う、うん。うん?」


 孤狼は目をしぱしぱと瞬かせて、眠姫を見つめる。

 彼女はいたって真面目な表情をしていた。

 嘘ではない……のだろうか?

 だが信じられる話ではない。

 神が人類の存続を脅かした……?

 主神の命で?

 12匹の獣に人類の守護を命じたのは、他ならぬ主神自身なのに。


「信じられないかい孤狼?私も信じなかった。だから神の責務を放棄したんだよ」


 ごろりと首が転がり、孤狼へとさらに近づく。

 孤狼は無意識に一歩下がった。


「兎神を探すといい、孤狼」


「…………因幡を?」


「死んだと思っていたんだけど……君は生きていたね孤狼。だからきっと、他の4匹も生きているさ。彼女の薬ならこの世界を修復できる」


 因幡、薬神の異名をもつ兎の神。

 確かに彼女の薬なら、神をも蝕む病を打ち消すことができるかもしれない。

 孤狼は武神だ、結局のところどんなに頑張っても武で病を負かすことはできない。

 病の専門たる薬の神がいるのであれば、この壊れた世界にも希望が持てるかもしれなかった。


「すでに、もう君はヒントを手に入れているだろう」


「なんじゃ、ヒントって?」


「君の懐からは懐かしい匂いがするよ」


 懐?

 首を傾ける孤狼が懐を探ると、銀色の筒が出てきた。

 以前夕から貰ったワクチン、3本あったうちの最後の1本。

 カビのような土臭い香り、古い匂い。

 古い、懐かしい匂い。


「ひどく不完全で未完成な薬。それでもその匂いは彼女のものだ」


 物静かに薬を挽いていたかつての友人。

 この薬が彼女に繋がっているのだろうか?

 細い糸かもしれない、でもそれは確かな手がかりだった。


「一緒に行くか眠姫?」


「いや。私は……夢と合流するとするよ」


 ずいぶん力を失ってしまったから。

 そう言って欠伸をすると、眠姫は静かに空気に溶けていった。

 まるで初めからそこに猫の生首などなかったかのように、静寂だけが残った。

 寂しさは感じなかった。

 また夢で、彼女に巡り会えると分かっていたから。




……………………………




…………………




……




「因幡……か」


 下駄の音を響かせながら孤狼は荒れ果てた都市を歩く。

 パーツがあるかもしれないという工場地帯とやらを目指して。

 黙々と歩きながらも孤狼はかつての友人を思い出す。

 優秀な神だった。

 犬神や猿神のように武力があるわけではなかったが、兎神の作った薬は多くの人を救った。

 神薬の前ではどんな疫病も静まり返った。

 生きているのだろうか?

 だが、眠姫が捜索を孤狼に依頼するということは夢の世界には長らく顔を出していないということだ。

 連絡をとることは難しいだろう。


「しかしどこで作ってるかも分からんのではなぁ……」


 夕も稔もこのワクチンの出所を知らなかった。

 現状カンパニーは各集落に物資を届け、その報酬にワクチンを仕入れている。

 ワクチンの制作場所と直接取引しているわけではないのだ。

 今後は集落の方にも、探りを入れる必要があるかもしれない。

 とはいえそれはおいおいの話だ、今日の目的は兎探しではない。


「ふむ……あれかな?でっかいのー」


 開けた場所から孤狼は前方を見渡す。

 大地から塔のように伸びる無数の煙突、木々に侵食されながらも工場地帯は確かな存在感を放っていた。

 稔の話によればここにいるじゃんく屋なる者が部品を持っているらしい。

 孤狼は足取り軽く、屋根の上を飛び跳ねながら工場へと向かう。

 配管が入り乱れた工場はさながら迷宮のように複雑に木々と絡まり合い、不思議な空間を作り出していた。

 鉄、オイル、薬品が混ざり合った重厚な匂いが鼻をつく。


「誰もおらんのじゃが?」


 工場地帯は静まり返っていた。

 破損したシャッターから中を覗き込んでも、静かな暗闇が見えるだけ。

 横転したトラックに、積まれた廃品の塊。

 しかし目的の部品がどれなのか孤狼にはまるで分からなかった。


「おーーーい」


 大声を上げながら工場地帯を練り歩く孤狼。

 じゃんく屋なる者からの返事はなかった。

 工場の中だろうか?

 扉のなくなった入り口から中へと足を踏み入れる。

 光源のない工場内は換気扇から差し込む微かな明かりだけで、中の様子が分かりづらい。

 何か大きなものが乱立しているのは感じるが、如何せん暗いのだ。


「誰かおるかー?」


 目を瞬かせながら工場の中を進む。

 だがやはり人の気配は…………いや、奥から微かに物音がする。


「あてっ!」


 暗闇の中を無闇に進んだ孤狼の顔面が何かにぶち当たる。

 何かごつごつしたもの。

 覚えのある感触だった、この節暮れだった感触は……木だ。


「む!?」


 暗闇の中に突然光が溢れかえる。

 その眩しさに目を細める孤狼。

 消えていたはずの工場の照明が灯り、室内を照らし出していた。


「あれーなんで人がいるんだろう?」


 間の抜けたような声が前方から聞こえる。

 照明の明るさに目を瞬かせながら声の方向に目を向けると緑色の人影が見えた。


「誰じゃお前。じゃんく屋か?」


 孤狼の前に現れた男はなんとも奇妙な装いをしていた。

 全身真緑。

 服も髪も、その肌にさえも緑色の刺青が彫ってあった。

 その背中に生い茂るのは感染者の証であるあの植物。

 だがその目に隈はなく、表情はどこか楽しげだった。

 孤狼の知る感染者とは明らかに何かが違う。

 彼らは感染を恐れ素肌を隠し、いつも怯えたような、憂いを帯びた表情を見せていた。

 目の前の男は陽気でそれとは様子が異なっている。


「お主…………」


 男に問いを投げかけようとした孤狼の言葉が不意に止まる。

 明るさに目が慣れてきて、見えてきた工場内部の様子があまりにも異様だったから。

 孤狼がぶつかったもの、それは予想通り木だった。

 ただ、普通の木ではない。

 木の根に絡まるようにして正座する人間……この木は感染者の末路だ。

 それ自体は確かに珍しいものではない。

 だがその数が異様だ。

 広い工場内を木が覆い尽くしている。

 その1人1人が正座をし、綺麗に列をなして木と化している。

 その秩序は不気味だった。

 今まで孤狼の見てきた感染者の木は、そのどれもが力尽き、行き倒れた感染者たちの成れ果てだった。

 今目の前に広がるものは違う。

 規則正しく整列し、自分の死場所で姿勢を正し、木になっている。

 そんな光景も、その死の林で微笑む緑の男も、異様で不気味だった。


「ここの人間はみんな大地に帰ったというのに、まだ救われていない人間がいたんだね」


 男は孤狼を見るとまるで親しい友人に話しかけるように歩み寄ってきた。

 この光景が当然かのような態度だった。


「この出会いに感謝を!教えが君を大地へと導くだろう。さぁおいで、緑繁の神が君を待っている」


「いや、神は儂じゃがっ!?」


 孤狼のツッコミが工場地帯に虚しく響いた。

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