犬神様と人類最後の砦だったもの

「ふふん」


 孤狼はご機嫌そうに鼻を鳴らすと料理の乗ったお盆を机に置く。

 プリン!プリン!!プリン!!!チョコバー!フルーツバー!チョコフレーク!苺ゼリー!!見る者によっては目を背けたくなるような甘味の山がそこにはあった。

 これが彼女の昼食だというのだから驚きである。

 孤狼の食事は初日と比べて格段に豪勢になっていた。

 ゾンビの無力化という仕事を手に入れた孤狼は早くもカンパニーには必要不可欠な人材となっていた。

 孤狼の活躍により多くの輸送ルートが開拓され、感染者たちは危険な汚染地区の道を使用しなくてよくなったのだ。

 今やこの風変わりな犬耳な少女はカンパニーの噂の種となっていた。

 重火器を使わず、剣という前時代的な武装を用いるところも彼女の逸話を広める要因になっている。

 それとたまに自らを神と言い張ることも…………彼女の話題性に一役買っているだろう。

 実際には孤狼は本当に神なのだが、カンパニーでその事実を知っているのは社長と副社長くらいのものだった。

 ともかく孤狼の仕事ぶりは評価され、おまけに非感染者ということでワクチンも必要としないので彼女の食事が豪勢になるのも自明の理というわけだ。

 孤狼は自身の功績を利用し、毎日のように甘味を食していた。


「ずいぶんな働きぶりじゃあないかー」


「うぬ?」


 孤狼が甘味に舌鼓を打っていると、まん丸の金の瞳が突然目の前に飛び込んできた。


「禄太、元気にしとったか?」


「気安く呼び捨てにするな。僕は副社長だぞー」


 机の上に飛び乗った禄太は猫らしく身軽に孤狼に飛び乗る。

 孤狼のことを神と知っているはずなのだが……どうにもこの猫又からは信仰心を感じられない。

 これが今の世代の神との接し方というやつなのだろうか。

 まぁ、カンパニー内の地位で言うなら禄太の方が上なのは確かだが……。

 別に崇め奉って欲しいわけではない、だがなんだか釈然としない孤狼であった。


「お前神なんだろー?」


「……そうじゃが?」


 いや、神と知っているかも曖昧だったか……

 まったく何を今更。

 お主のボスである社長も儂のことを神と言っていたではないか、孤狼はそう思って金色の目を見返す。

 ふざけた質問に反して、その瞳は真剣な表情を帯びていた。


「僕はお前以外の神を知らないしー、会ったこともない。神がどれほど偉大で、強大かどうか知らない。でもカンパニーの仲間としてのお前の活躍ならば聞いている」


 神を知らない神の使いは犬神を見つめる。

 なんだか見覚えのある瞳で。


「お前は強い、優秀だ」


「そうじゃろ、そうじゃろ」


 禄太の褒め言葉に孤狼は機嫌をよくする。

 尻尾がぶんぶんと揺れ動いた。


「お前が望むのならば好きなだけ甘味を食っていい…………だから僕の願いを聞いて欲しい」


「願い……ね」


 揺れていた尻尾がゆっくりと弧を描き、動きを止める。

 ずいぶん久しぶりの願いだ。

 かつては神として、様々な願いを聞いてきた。


『神とは願いを内包する器だ』


 それは誰の言葉だったか、よく思い出せない。

 多分神のうちの誰かが言った言葉だ。

 人々の願いを蓄え、願いの望む方へ、そのカタチを変異させる。

 そうやって、神々は人々の願いを叶え続けてきた。

 神ではなくカンパニーの一員として働く、今の孤狼のあり方ももしかしたら変異の一部のなのかもしれない…………そう思うこともある。

 なにせ今の時代の人々の多くは神を必要としていない。

 その存在を知りもしないのだ。

 孤狼がどんなに自身を神だと言っても人はそれを信じないし、彼女に願うこともない。

 だが目の前の猫又は孤狼という存在を理解している。

 少なくとも、そこいらの人間よりかは…………

 神を知った猫又は孤狼に何を望むのだろうか?


「危険度が極めて高い仕事がある、皆を守って欲しいんだ」


 人間の守護。

 やはりそういう願いか。

 この威張った猫にしては神妙な顔をしていると思っていた。

 見覚えのある顔だった。

 こういう顔を孤狼は何度も見てきた。

 守るべきものがある者の顔つきだ。


「そんな願い必要ないのぅ」


「おい!」


「そんな願いなくとも…………儂は人間を守る」


 人を守る。

 そんなものは遥か昔に約束したことで、わざわざ願いを聞くまでもない。

 孤狼は家族と交わした約束を決して忘れない。

 そうドヤ顔してやると禄太は孤狼の肩の上で安心したようにその身を丸めた。




……………………………




…………………




……




「夕!夕と一緒なのか!?」


「どうやらそうらしいな、あー……寄るな」


 カンパニーの副社長によるお願いを受けて、孤狼はある仕事を受理した。

 カンパニーと繋がりのある集落、その一つと連絡が途絶えたらしい。

 物資を届けに行った社員も固く閉ざされた入り口の前で立ち往生するしかなく、困っているという。

 集落はカンパニーとの関係を断つつもりなのか、それとも何か問題があって連絡が取れないのか。

 前者ならば問題は軽微だが後者なら極めて危険だ。

 もしパンデミックが起こっていた場合、それは他人事ではない。

 その地帯一帯は危険地帯となるし、貴重なワクチンが山ほど失われることとなる。

 集落の調査、もし最悪の事態の場合生存者と物資を回収する。

 そんな調査隊との同行、仕事内容としては護衛ということになるのだろうか。

 件の仕事のための集合場所に赴いた孤狼は友人である夕を見つけ上機嫌だ。

 夕の方はベタベタと触ってくる孤狼を煩わしそうに遠ざけている。


「これで全部か」


 孤狼の頭を押さえながら、夕は振り向く。

 そこには2人の人間と大型の武装トラックが待ち構えていた。


「危険な仕事って聞いてたがだいぶ人数が少ねーな」


「どうせ、希望者が少なかったんだろう。割に合わん仕事だ」


 スナイパーライフルを杖代わりにした老人と快活そうな若者。

 前者は右足が根に覆われ、後者は帽子で覆われた頭部から若木が生えている。

 老人は稔、若者の方は克哉と名乗った。


「確かに、十中八九ゾンビだらけだろうな」


「え?そうなの」


「死にたくないなら辞めときな犬耳のお嬢さん」


 しれっと絶望的な見解をのべる夕。

 克哉の方は余裕そうな表情で孤狼に向かってウィンクしている。

 なんだか言葉の割に余裕そうな男だ。

 禄太は集落と連絡を取れなくなっただけと言っていたが……夕たちはすでに最悪を想定しているようだった。

 まぁ、神に護衛を頼むくらいなのだから確かに状況は絶望的なのかもしれない。


「………………」


 その場にとどまる孤狼とその横を浮遊するMoを置いて、3人はトラックに乗りこんでいく。

 稔と夕は憂鬱そうな表情で、克哉は楽しそうに。

 しわくちゃな顔に目の隈、稔はなんだか夕と似ているなと孤狼は思った。

 いや、違うかもしれない。

 あれがカンパニーの人間の、感染者の一般的な表情だ。

 憂鬱で、眠そうで、光のない目。

 ここ数日孤狼はその表情を嫌というほど見てきた。

 となるとおかしいのは克哉の方か。

 彼は車窓から顔を出すと早く乗れというように手招きした。

 その顔に浮かんだ笑顔はありふれたもののはずなのに、カンパニーでは浮いていた。

 孤狼は彼に笑い返すとトラックに乗り込む。

 座席は2つしかないから夕と孤狼、Moは荷台の中だ。

 トラックの荷台には段ボールが1つだけ、驚くほど閑散としていた。


「なんもないのぅ」


「当たり前だ、今回は物資を届けるんじゃなくて、持ち帰るのが目的なんだから」


 夕の言葉に孤狼はなるほどと感心したように耳を揺らす。

 エンジンの低い音が鳴り響く。

 程なくしてトラックは動き始めた。

 荷台からは外の景色は見えないが、目的地である集落に向かっているのだろう。

 ひび割れたアスファルトの悪路を走る振動がお尻に伝わってくる。

 運転席の方から音の外れた風変わりな歌が聞こえてきた。

 克哉が歌っているのだろうか。

 ご機嫌で歌うなんて気が合いそうだ、孤狼はそう思った。

 元気と楽観的な性格が取り柄の孤狼だが、感染者の集団の中ではすこし浮いていたのだ。

 自分と似た陽気な人間がいて孤狼は少し安心した。


「あやつは楽しそうでいいのぅ」


「気が触れているのさ」


「ずいぶんな言い方じゃなぁ……もしかしてあやつのこと嫌い?」


「まさか、本当におかしいんだよ、あいつは。頭を見ただろう」


 頭?

 そう言われて思い浮かぶのは彼の被った帽子と、そこから生えた若木。

 何かおかしいところはあるだろうか。

 植物なんて感染者は皆どこからか生やしている。

 そしてそれを衣服で隠すのも、カンパニーの人間では普通のことだった。


「根が脳まで届いてしまっている。少なくとも前はあんな風に笑うやつじゃなかった」


「なぬ?…………それは……」


「もう長くはないんだよ……」


「……………………」


「……あの爺さんだってそうだ、根が張って内臓がダメになってる」


『確かに、種子は感染場所によっては身体機能を制限します。それが脳や内臓などの重要器官であった場合生存率は著しく下がるでしょう』


「……」


 夕の言葉をMoが肯定する。

 孤狼は発すべき言葉を見つけられなかった。

 植物はただ生えているわけじゃない。

 表面から見えなくとも根は深く人間を蝕んでいる。

 見た目だけでこの病の深度は推し量れない。


「死に場所を探してるんだ…………危険な仕事請け負う奴はみんなそうだ。植物なんかになりたくない」


 夕もそうなのか?

 そう問おうとして孤狼はやっぱりやめた。

 彼女の瞳はもうその答えを語っていたから。


「毎晩考えるんだ、もし眠ったら朝には木になって永遠に目を開けられないんじゃないかって。怖いんだ。ワクチン切れてないか何度も確認する。それがないと、目も閉じれないんだ」


 夕の疲れ切った瞳がどろりと濁る。

 希望を感じない、感染者の目だ。

 きっと彼らは明日に希望を持てないのだろう。

 ワクチンだって植物の成長を遅らせるだけ、状況が改善することなどないのだから。


「大丈夫じゃよ」


 濁った瞳が孤狼をとらえる。

 それでも犬神は怯みはしなかった。

 その顔にはいつの間にかいつものドヤ顔が浮かんでいた。


「儂が助けるから。お主らは安心して眠れ」


「なんだそれ」


 失笑された。

 当たり前だ、夕にとって孤狼は妄想の激しい風変わりな友人でしかない。

 孤狼になにができるというのか。

 それでも…………その言葉は彼女の瞳の淀みを微かに拭った。

 そうだ、願いなんて必要ない。

 そんなものがなくたって孤狼は夕たちを守るし、その身を蝕む病を浄化する術を探し続ける。

 それが孤狼という神だ。

 でも、たった一言でも……助けて、そう言えばいいのにと孤狼は思った。




……………………………




…………………




……




 お尻に感じる振動が小さくなり、やがて止まった。

 どうやら目的地についたみたいだった。

 荷台から顔を出すと運転席の2人はもう車から降りて辺りを探っている。

 カンパニーの付近とは違い比較的木々が少ない景色。

 荷台から飛び出すと、下駄と地面がぶつかり合い高質な音を立てた。


「?」


 アスファルトじゃない。

 白い金属で地面が覆われている。

 正六角形で構成されたその金属は孤狼の初めて見る合金で作られており今まで見てきた建築物と違い全く風化していなかった。

 タイルのように規則正しく配置された六角形、そのいくつかには格子状の穴が開いている。


『危ないですよコロウ様』


「ぬぉ!」


 穴を覗き込む孤狼の目の前で蒸気が吹き出した。

 よく見ると地面のあちこちから蒸気が吹き出している。

 唸るような低い音も地面から聞こえてきていた。


「なんじゃここ」


 どうやらこの地帯一帯は区画整備されているようだ。

 白で統一された景色はずいぶん近代的だ。

 木が少ないのもこの硬い地面が木の根を拒んでいるからだろう。


「こういったものを見るのは初めてか?これらは文明崩壊前につくられた都市だ」


 高質な足音を立てながら夕たちはある方向に向かって足を進める。

 そこからは一際大きな蒸気の雲が吹き出していた。


「むむ?」


 見慣れぬ景色に孤狼は鼻をひくつかせる。

 穴が空いていた。

 突如地面に姿を現した巨大な六角形の穴。

 それはまるで地獄まで続いているのかと錯覚するほど深く、底が見えなかった。


「ここが今回の目的地なのかのぅ?」


「そうだ、かつては人類の最後の砦だった安息地…………大都市シェルターだ」

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