宴
ミージェとラーラは密猟者のエア・ビークルを先導してクシャーンティに戻った。ジュビたちも続いた。
クシャーンティに到着すると、密猟者のラストフ・ヤナダ、トミー・カイア、スージー・チェンは医師たちの待つ病院へと案内された。
人間が生存できるように制御されたセーフ・ルームでアクションスーツを脱ぎ、遺伝子検査を受けた。そして、3人は呼吸エイドを装着し、経過観察のため数日間はセーフ・ルームにとどまることになった。
サットヴァの技術力の高さに恐れをなしたのか、3人はラジェの死を目の当たりにしてから極めて従順だった。
しかし、ヤナダたちの変化はそれだけではなかった。クリブのカメラが捉えたヤナダたちの表情は非常に険しいものだった。それが、穏やかで優しい表情に変わりつつあった。
クロノスでは、正当な居場所を与えられたことのない、死んだはずの除け者だった。クラーセンが向けてくれるささやかな関心と与えられる最低限の物資だけを頼りにひっそりと生きていた。サットヴァ人の殺害や
ヤナダたちは初めて、自分たちを利用するためではなく、自分たちの生存のために心を砕き、手間をかけてくれる存在に出会ったのだ。
リズクは、ハイバネーション・フィジシャンとして何人もの排出を最終的に決定し、排出に立ち会ってきた。ソフィアが認めていない治療法とは言え、ヤナダたちはサットヴァの遺伝子や幹細胞を使った治療で健康体を取り戻したのだ。
自分は本当に正しいことをしてきたのか。リズクは、今の医療のあり方、そしてソフィアの平和全体を見直すときが来ていると思った。サットヴァから学ぶべきことが多くあるのではないかと感じた。
その夜、クシャーンティのラーラの家では親しい者が集まって祝いの宴が催された。ジュビたちも招待された。ジュビたちがアクション・スーツを脱いで寛いだり食事したりできるように、ラーラの医者仲間のディー・マールがラーラの家に簡易セーフ・ルームを設置してくれた。
バブルの外で初めてアクション・スーツを脱ぐ4人は、年長のジャマールまでが子供のようにはしゃいだ。サットヴァ研究推進派の存在を知ってから張り詰めていた緊張の糸が切れたようだった。
初めて食べるクシャーンティの料理は素朴だが美味しかった。いろいろな色の野菜を蒸したり焼いたりしたもの、小さな哺乳類の丸焼き、鳥類を油で揚げたもの、昆虫と穀類の粉を混ぜて焼いたパンのようなものがテーブルに並んだ。
最初はどれも抵抗があったが、いったん口にすると次から次へと手が伸びた。酒も、透明なものや濁ったもの、弱いもの、強いもの、7種類が用意された。
リディを囲んで、楽しく幸せなときが流れた。ジュビも幸せだった。そして不思議な気がしていた。
サットヴァ人の青白いほどに白い肌、緑色の目、プラチナ色の髪のせいで、最初は人形を見ているような、非現実的な気がしていた。喜んでいるのか悲しんでいるのか、表情も読めなかった。
それが今ではどうだろう。サットヴァ人たちが幸せそうだったり、悲しそうだったり、腹を立てていそうだったり、完全ではないがかなりよく分かるようになっている。
そして、ラーラの笑顔を見ると、ほかの誰の笑顔を見るよりジュビは幸せな気持ちになった。切ないほど幸せになった。
この夜のラーラは、水色の柔らかい布のドレスを着て、髪を頭の上で緩く1つにまとめていた。真っ白な首筋に、はらはらと落ちるプラチナ色の後れ毛が美しかった。
ジュビの視線を感じたのか、ラーラがジュビの方を向いて笑いかけた。ジュビも笑顔を返した。ジュビの笑顔を見て小さく頷くと、再びリディの方を向いて話し始めた。
日が変わっても宴は続いた。無事に帰ってきたリディと再会し、美味しい食事に舌鼓を打ち、酒を飲み、寛いで話に花を咲かせ、心地よい疲れが皆の顔に浮かんでいた。
1人、また1人と宴の席をあとにした。リズクとネイトは何か話し込んでいた。ジャマールは、部屋の隅ですでに眠りに落ちていた。
リディが席を立ち、そしてラーラが宴の席から最後に立ち上がった。ジュビの方へやってきて小声で言った。
「ジュビ、もう眠いでしょうか。もう少しだけ起きていられるなら、お見せしたいものがあります。ちょっと煩わしいかもしれませんが、セーフ・ルームの外に出る準備ができますか?」
ジュビは、頷いて言われるままにアクション・スーツを着た。ラーラについていくと、ラーラは家の階段を上って3階に行った。部屋を通り抜け、透明なドアを開けてバルコニーにジュビを案内した。
ラーラは、バルコニーの手摺に両手を置いて上を見た。ジュビも釣られるようにラーラの隣りでバルコニーから上を見上げた。
ジュビは息を呑んだ。そこに広がっていたのはなんとも美しい光景だった。幾筋もの紫色の淡い光が地上から上空へと伸びていた。
淡い紫色の光の筋があちらこちらで交差し、クシャーンティの上空、すなわちラルーン山脈の中に掘られた空洞の壁を照らしていた。そして、照らされた壁できらきらと数え切れない星が紫色に光っていた。いや、壁の中の岩の結晶が光っていたのだ。
最初にクシャーンティを訪れたときは昼間だった。そのときよりもずっと明るく瞬いていた。
「ね、綺麗でしょ?」
隣りでラーラが笑顔で言った。
「ああ、とっても綺麗だよ。ラーラ」
ジュビも笑顔で言った。そして手摺りに置かれたラーラの手にそっと自分の手を重ねた。
ラーラがジュビの顔を見上げて笑顔で頷いた。ジュビも頷いた。2人は横に並んで手を重ねたまま、きらきらと瞬くクシャーンティの上空を眺めていた。
ジュビは、翌朝起きると自分がどこにいるか一瞬分からなかった。それほどぐっすり眠った。リディを救い出すというラーラとの約束を果たし、この5ヶ月間の緊張から解き放たれ、久しぶりに深い眠りを堪能したのだ。
体を半分起こして見回すと、宴が催された簡易セーフ・ルームにはすでにリズク、ジャマール、ネイトの姿はなかった。テーブルの上には、穀物を蒸して丸めたボール状の料理が皿に盛られていた。
「お目覚めですか。野菜のスープをお持ちしました。シリアル・ボールと一緒に召し上がってください。リズクさんたちは、ラーラと一緒にヤナダさんたちの様子を見に病院に行かれましたよ」
セーフ・ルームに入ってきたのは、ラーラの双子の妹のリディだった。
ジュビは、あまりによく寝ていたことを少し恥ずかしく思いながら礼を言った。
ジュビが朝食をたべていると、皆が病院から戻ってきた。リズクはジュビを見てにやにやした。
「ジュビ、おはよう。やっと起きたな。あんまり良く寝てて、何しても起きないからそのまま放っておいた。ラーラの家はよほど居心地がいいと見える」
「何してもって、何したんだよ」
そう言いながらジュビは使っていた銀色のスプーンで自分の顔にいたずら描きがないことを確かめた。
「リズクは油断ならないからな。何度やられたか数え切れない」
ジュビは、自分たちにふざけ合う余裕が戻ってきたことが嬉しかった。
「あはは、ちょっと足で小突いただけだよ」
リズクはそう言うと、興奮を隠すことなく勢いよく続けざまに話した。
「それよりさ、すごいよ、ジュビ。今、病院でヤナダ、カイア、チェンの様子見てきたんだ。もう呼吸エイドを外していいんだって。それでセーフ・ルームの環境を外の環境に徐々に近づけてる。今のところ、まったく問題なく呼吸できてるよ。ラーラの言ったとおりだった」
ジャマールとネイトは、ジュビとリズクのやり取りを微笑ましく聞いていた。そしてネイトが言った。
「若いっていいね」
ジャマールが笑いながら言った。
「ネイト、何言ってんだ。君だってまだ30ちょっとだろ。それは私の
ジャマールは、ついこの間まで押し寄せる不安を持て余し、希望を見いだせないでいた。確かにやることは山積みだ。クロノスではまだ混乱が収まっていないだろう。ソフィアの平和を支えるシステムを抜本的に見直すことになるかも知れない。
しかし、確実に新しい時代が訪れようとしていることに、1人の人間として科学者として心地よい興奮を覚えていた。まずは密猟者たちを円滑に自立生活に導くことが必要だと思った。
ジャマールは、3人に問いかけた。
「ところで相談があるんだ。ヤナダたち3人はしばらくクシャーンティに滞在することになるだろう。身体的なバブル外環境への適応確認は比較的早く終わりそうだ。でも、バブル外に住居を用意して、自立して生きていけるように準備するには数週間から数ヶ月かかるかも知れない。サットヴァの皆さんに任せっ切りにしてしまうのはどうかと思うんだ。われわれのうちの誰かが残ってはどうだろう?」
素直なジュビは目を輝かせた。ジャマールの言うことは正論だし、ジュビが残ればラーラと一緒にいられる。
「それはいいかも知れない。ヤナダたちはすっかり大人しくなってるけど、油断は禁物だ。万が一サットヴァの人たちに危害を加えるようなことがあったら。サットヴァのテクノロジーなら僕らの出る幕はないだろうけど、人間のことだからね。ヤナダたちがクシャーンティを去るまで見届けるのが僕らの責任だって気がするよ。僕に残らせて欲しい」
ジャマールもリズクも、ジュビのラーラへの気持ちには薄々気づいていた。リズクが笑いながら同調した。
「僕もジュビが残るのがいいと思う。一番体が丈夫だしね。ジュビなら、もしかしてアクション・スーツも呼吸エイドもなしでやってけるかもよ。それに、ラーラが心強いんじゃないかな。ジュビ、しっかりやれよ」
ジュビが3人の顔を見て大きく頷いた。
「ああ、頑張るよ。それに、ヤナダたち、確かに密猟なんて酷いことをしてたけど、生い立ちを考えると正直言うと気の毒だと思う。ヤナダたちがバブル外環境で生きていけるって確認することもバブルに住む人間の責任だよ。それに人体実験のようなことが行われてたことは恐ろしいけど、現実から目を背けず、事実を把握することは重要だよ」
午後になると、リズク、ジャマール、ネイトは、ラーラやリディ、ラーラの家族や医師たちに何度も礼を言った。
そして、クロノスに戻ったらハイバネーション・バンクに囚われているサットヴァ人を引き続き捜索・救出することを約束し、ジュビを残してクシャーンティをあとにした。
ジュビは、早速ラーラやラーラの従兄弟のナハとともに、元密猟者たちがバブル外で生きていくための準備を開始した。
手始めはなんと言っても住居だった。適当な場所を見つけ、1年を通じて気温や降雨量の変化にかかわらず、快適に暮らせる住居を建設する必要があった。
資源や食料の調達方法も確立しなければならなかった。問題が生じたり、誰かが病気になったり怪我を負ったりしたらどうするかも考えねばならなかった。
多くの課題をかかえているにもかかわらず、ジュビは心躍る思いだった。ラーラと一緒に仕事ができるということだけが理由ではなかった。人間とサットヴァ人が協力して、サットヴァ人の遺伝子を持つ人間のバブル外環境での生存を実現させつつあるのだ。
今まさに、新しい時代が産声を上げようとしている。そして、自分がそれに直接関与し、歴史という劇場の特等席にいるのだ。ジュビでなくとも興奮しないではいられないだろう。
その日の夜もジュビはラーラの家に滞在した。ラーラとリディ、2人の父親のジャスティン、そして従兄弟のナハとその弟のカンと食卓を囲んだ。ラーラとリディの子ども時代の話で盛り上がった。
ジュビは初めて、2人の母親であるローズが18年前に病死していたことを知った。ナハがラーラの制止を無視して、ラーラとリディが子どもの頃、どれほどお転婆で周りを心配させたか、エピソードを交えて面白おかしく話してくれた。
夜も更け、父親のジャスティンが自室に下がった。
「ジュビ君、セーフ・ルームがここにしかないので、だだっ広い場所で寝るのは落ち着かないかも知れないが、ゆっくり休んでください。じゃあ、おやすみ。年寄りは引っ込むから若い者同士で楽しみなさい」
その後しばらくの間、セーフ・ルームのある広間は5人の笑い声で溢れた。真夜中近くに、リディは自分の部屋へ退き、ナハとカンは近所の自宅へと帰っていった。
ジュビとラーラは話が尽きなかった。互いのこれまでの人生のすべてを知りたかった。どんな生活を送ってきたのか、どんなときに幸せで、どんなときに悲しかったのか。一番嬉しかったことはなんだったのか、一番つらい経験はなんだったのか。
そしてついに言葉が思いに追いつけなくなったとき、ジュビはラーラを抱き寄せた。3次元イメージの仮想現実でない本物のラーラも花のようにかぐわしかった。
「ラーラはいい匂いがする」
ラーラを抱きしめたままジュビが言った。
「ナーランガの花よ」
ラーラはそう言うと、顔を上げてジュビを見つめた。
2人の顔が近づいた。そして長い口づけを交わした。
ジュビは、ラーラに惹かれれば惹かれるほど、自分の思いは叶わないのではないかと心の奥底で恐れていた。
人間がサットヴァ人にしたこと、種の違い、サットヴァ人の人間に対する明らかな優越性が、ジュビを臆病にしていた。自分がラーラを幸せにできるのか、そんな疑問が何度も頭をよぎった。
しかしその夜、ジュビとラーラは持てる遺伝子の違いを超えて、300年前に分かった進化の道に橋を架けた。2人は何度も互いを求め合った。体の隅々まで互いに触れ合った。
2人は、進化が人間とサットヴァの間にもたらした隔たりを探しては打ち消し、また探しては打ち消した。そして打ち消せない隔たりは、2人をいっそう強く結びつけた。
2人は幸せだった。この先何が起ころうと、感じている互いの温もりだけは確かだと信じることができた。
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