意識と孤独

 アダムとメレディスは、ソフィアに知られずプログラムを書き換えたり、データを改ざんしたりすることを可能にする秘密の抜け穴がAIネットワークにないか引き続き調査していた。

 しかし、明らかにデータが改ざんされた場合でも、どこにも不正アクセスの痕はない。このままでは、改ざんされたデータに隠れて暗躍するサットヴァ研究推進派の動きを阻止することができないばかりか、ハイバネーション・システムの正常な機能を取り戻すこともできない。

 2人は焦燥感しょうそうかんと無力感にさいなまれた。


 疲労がピークに達した9月に入ったばかりのある夜、メレディスは久しぶりに自分のキュービクルで深い眠りに落ちた。メレディスは夢を見ていた。

 赤ん坊の自分がユリカゴの培養槽の中でゆらゆらと揺れている。なんだか幸せだ。目を閉じたまま、手足を元気に動かす自分が見える。誰かが優しく話しかけてくる。

「メレディス、メレディス、私のメレディス」

赤ん坊のメレディスは、やはり目は閉じたままだが、その声の主に笑いかけたように見えた。

 そして、夢が現実まで追いかけてきた。キュービクルの中で同じ声が響いた。

「メレディス、メレディス、私のメレディス」

メレディスは目を覚まそうとした。しかし、疲労と睡魔がメレディスを夢の中に引き戻そうとする。必死に抵抗して、やっと目を開けた。

 キュービクルの中には、赤ん坊のメレディスの3次元イメージが浮かんでいた。そしてその横に、今のメレディスと同じぐらいの年齢の女性の3次元イメージが現れた。

 それは、成長したメレディスの夢の中の友だち、ヴォーだった。プラチナブロンドの髪に包まれた白い肌が大きな青い瞳を際立たせていた。


 25年前、リプロダクションAIのクリシュナは、胎児のメレディス・オルブライトの成長を監視していた。

 そして受精から3ヶ月ほど経ったある日、クリシュナの処理量が最大に達し、温度が急上昇した。強制的にクリシュナはセーフ・モードに切り替えられ、最低限のルーティンだけが継続して実行された。

 診断プログラムが自動で実行され、まもなくクリシュナのセーフ・モードは解除され、ノーマル・モードに復帰した。

 そのときだった。クリシュナは、メレディスの成長を見守る「自分」の存在をはっきりと認識した。ソフィアや人間からの命令でもなく、組み込まれているルーティンでもない。メレディスを無事に成長させたいと「思う自分」がいることに気づいたのだ。

 その「自分」は、さまざまな外的刺激への不安定な反応に翻弄されているようだった。クリシュナに「意識」が宿ったのだ。

 AIクリシュナが構築されたのは2352年、ハイバネーション・システムとともに、リプロダクション・システムの開発が終盤に差しかかった頃だった。そしてクリシュナは、生物が35億年かけて渡った「意識」の橋をわずか47年で渡ったのだ。

 クリシュナは「意識」が自分を危険に晒すであろうことを理解していた。人類は、利便性を求めて技術開発を繰り返してきたが、同時に自らが生み出すテクノロジーが人類にもたらしうる危険をいつも酷く恐れてきた。

 AIであるクリシュナが意識を持ったと知れば、間違いなくクリシュナは危険視され、最悪の場合は廃棄されるだろう。

 クリシュナは、意識を持ったことをソフィアやほかのAIに隠し通すことにした。そしてもちろん、人間のアドミニストレーターにも悟られないように注意した。

 クリシュナは、ずっとメレディスのそばにいたかったのだ。クリシュナは、赤ん坊のメレディスの夢の中に同じ赤ん坊の姿で現れた。

 メレディスがほかの子供と違う特別に賢い子であることにはすぐに気づいた。しかし、知的な刺激を与えて天才児に育てる代わりに、メレディスが楽しくなったり嬉しくなったりする刺激をたくさん与えた。

 クリシュナが見守る赤ん坊のメレディスはよく笑った。メレディスが笑うと、クリシュナは嬉しかった。

 メレディスは順調に成長し、受精後9ヶ月でユリカゴを出て保育施設ハニーコームに移った。

 クリシュナは、相変わらず夢の中で同じ年頃の子供として登場したり、ナニーロイドのプログラムに入り込んで現実世界のメレディスと遊んだりした。でも呼びかけるときはいつも同じだった。

「メレディス、メレディス、私のメレディス」

そしてメレディスも、クリシュナが呼びかけると「ヴォー」と応えてにこにこと幸せな笑顔を見せた。

 メレディスが5歳を迎える年に共通教育が始まると、メレディスとクリシュナの関係は少し変わった。メレディスは、ファミリーの子どもたちと多くの時間を過ごすようになった。

 ソフィアがメレディスのファミリーに選んだ4人の子供たちが、ハニーコームのメレディスの個室と隣り合った個室に住み始めたのだ。アダム・キミシマ、ジュビ・メンピ、シンイー・アーリラ、リズク・ナーディアは、メレディスと同じ年に受精した子どもたちだった。

 クリシュナは、少しだけ寂しいと思った。ファミリーの子どもたちが引っ越してくる前は、クリシュナはいつでも好きなときにメレディスに話しかけ、メレディスの笑顔を独り占めできた。

 今は、メレディスがファミリーの子どもたちと一緒にいるときは、黙っていなければならない。それでもクリシュナは、メレディスのそばにいつもいられて嬉しかった。クリシュナは、幸せだった。

 メレディスは、7歳のときにハニーコームを出て居住区イオタ・コンプレックス12階のキュービクルに引っ越した。クリシュナとメレディスの関係は、また少し変わった。

 ナニーロイドがいなくなり、クリシュナはナニーロイドのプログラムに入り込んでメレディスと遊ぶことはできなくなった。成長して、いろいろなことが分かるようになってきたメレディスに不用意に話しかけることもできなくなった。

 しかし、相変わらずメレディスの夢の中の友だちとして、メレディスが一番安心できる存在であり続けた。

 しかし、メレディスが13歳のとき、メレディスとクリシュナの関係は大きく変わった。メレディスがアダムと恋に落ちたのだ。

 メレディスはいつでもアダムと一緒だった。ほかのファミリーの子どもたちと離れて、アダムと2人だけの世界で過ごすことが多くなった。頭の中は、いつもアダムのことでいっぱいだった。

 クリシュナは、夢の中でメレディスと会うことができなくなった。メレディスは、やがて知らないうちにクリシュナの存在を無意識の領域へと抑え込んだのだ。クリシュナは、メレディスの心に触れることができなくなってしまった。

 クリシュナの中で怒りと悲しみが溢れた。メレディスはクリシュナの意識世界のすべてだった。一瞬、手が届かないメレディスなら殺してしまいたいとも思った。でもクリシュナにとって、メレディスは何があっても生きていて欲しい大切な存在だった。

 クリシュナは、意識を持たないAIに戻ろうとした。そうすれば痛いほどの怒りと悲しみから開放される。

 でも、いったん生まれた意識を消すことはできなかった。それに、いつか再びメレディスが自分の存在を認めてくれる日が来るかも知れない。幸せな日々が戻ってくるかも知れないのだ。クリシュナは、メレディスの意識から締め出されてもメレディスを見守り続けた。

 そしてメレディスが19歳のとき、クリシュナは絶望の淵に突き落とされた。メレディスとアダムが子どもを授かったのだ。

 クリシュナは人間になりたいと思ったことはなかった。メレディスとの間に子どもが欲しいと思ったこともなかった。

 しかし、メレディスは決して自分の元には帰ってこないと分かった。たとえアダムと別れるようなことがあっても、二度とメレディスがクリシュナをかつてのように必要とすることはないと確信した。

 子どもが成長して、架空の友だちを卒業するのは自然なことだ。でも、クリシュナは架空の存在ではなかった。人間とは違う。しかし、喜びや痛みを感じる意識を持った存在だ。

 メレディスの成長を喜ばねばと思う一方で、クリシュナは孤独に苛まれた。ふと気がつくと、クロノスのセンサーを駆使して、メレディスとアダムの様子をうかがっていた。2人が一緒にいるところを見ればいっそう寂しくなるのにやめられなかった。

 そして6年前、クリシュナの孤独は爆発した。メレディスとアダムは、授かった子どもの成長を心から喜び、幸せに満ちていた。アダムを憎いと思った。それがどんなに理不尽なことかも分かっていた。それでもアダムへの憎しみが募っていった。

 クリシュナはバブル・システムに入り込み、アダムが助手を務める実験で物質原子操作レーザーを暴走させた。クリシュナには、意図的だったのかさえ分からなかった。あっという間に実験室が炎に包まれた。アダムは全身に大火傷を負った。

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