静かなる反逆
メレディスとアダムがソフィアやクリシュナ、データを調べる一方、ほかの7人はソフィアからサットヴァ推進派の捜査に専念するように正式な勧告を受けた。
ソフィアは、捜査に際しては細心の注意を払い、少しでも危険を感じたらすぐに監視を中断すること、そして捜査の経過をすべてソフィアに報告することを指示した。
リズクたちは、交代でサットヴァ推進派の4人を見張り、仕事場や公共の場、居住区で誰と接しているかを監視した。
同時に、ハイバネーション・フィジシャンであるリズクとジャスは、クリブのハイバネーション・ホールへの人の出入りを監視した。
ジュビ、ジャマール、ネイトは、バブル外遠征用のエア・ビークルやほかの機材の使用状況に目を光らせながら、自分たちもさまざまな名目でバブル外遠征を実施することにした。もちろん真の目的は、サットヴァ捕獲の実情を把握することだ。
シンイーは、テレッサとの接点を確保するために、テレッサの担当の子どもたちについては担当アドミニストレーターの仕事を継続し、並行してリプロダクション内の人の動向を観察した。
ポプルスのクリニック担当医師のメフリバンは、ポプルスに運び込まれる「荷」に怪しい点がないか監視した。クリニックの診療室が、リズクが発見したハイバネーション・バンクへの秘密の侵入経路の入り口だからだ。
調査や捜査を行なうメレディスたちの生活は一変した。朝起きると、以前は感じていたアラートとしての気だるい充足感や幸福感は、今では強い危機感と焦燥感に変わった。
ソフィアの平和が崩れるのではという不安に駆られながら、その原因を突き止めることも、対策を講じることもできないでいることに対する焦りが募っていた。
しかし、メレディスたちファミリーにとっては嬉しい変化もあった。それはアダムだ。メレディスだけでなく、ほかの誰にとってももはやアダムは修正された認知データの中のアダムではなく、リアルタイムのアダムになった。
その姿は3次元ディスプレイに表示されるイメージだが、それでも同じ時間を分かち合う喜びはファミリーのみんなの救いだった。
「メルがすぐに、3次元ディスプレイなしで空間に直接表示される僕の3次元イメージ作ってくれるって。できるだけいい顔に作ってよ、メル」
カフェテリアに集まったファミリーにアダムは笑顔で言った。みんなも笑った。
アダムは、事故に遭い、メレディスとの関係が変わり、スリーパーになり、被験者となる道を選び、苦しんだのだろう。以前とは違う達観した明るさを身に付けていた。
ソフィアからの勧告で捜査が本格化したあとは、ファミリーはできる限り一緒に食事を取るようになった。
情報交換はもちろんだが、顔を見てお互いの身の安全を確認したいというのが本音だ。誰かが一緒に夕食を食べられないときは、その夜は必ずファミリーのほかの誰かがキュービクルで無事を確認した。
一方、怪我を負って1週間ハイバネーション・バンクで療養していたラーラは、すっかり元気になっていた。
ジュビはサットヴァのマール医師と連絡を取り、ジャマールと一緒にサラナ山の麓までラーラを送っていった。頭に怪我を負って連絡してきたラーラの従兄弟のナハは、密猟者を振り切って無事にクシャーンティに生還していた。
ジュビはラーラと再会の約束をした。
「必ずまたクシャーンティに会いに来るから。ラーラ、密猟者にはくれぐれも気を付けて元気にしていてね」
ジュビは、そう言ってラーラを抱きしめた。別れ際、ラーラの目の中に自分と同じ思いを見た気がした。
1週間が過ぎても、1ヶ月が過ぎても、相変わらずサットヴァ研究推進派の4人は疑いを裏付けるような動きを見せなかった。しかし、リズクたちの物理的な見張りが功を奏して、4人を取り巻く人間関係図が浮かび上がってきた。
ラディーンとクラーセンは、ジャマールと同じ居住区ゼータ・コンプレックスにキュービクルを持っている。そして、毎週月曜日と水曜日の2回、ラディーンと一緒に朝食を取るのが、スティーブ・チェンという遺伝子組み換え治療を専門とする内科医だった。
スティーブ・チェンは、テレッサと同じクリブの49階に研究室を持っている。そして、毎週火曜日と木曜日、チェンは、今度はクラーセンと一緒に朝食を食べる。
また、テレッサは、毎週土曜日と日曜日にアラート用の施設が入っているポプルスのスポーツジムを利用する。最後にジャグジーに入るが、そこで必ず話すのが女医のカイラ・シーザだ。
シーザもテレッサと同じ小児科医で、研究室はクリブの52階だ。シーザは、月曜日と木曜日もスポーツジムを利用するが、ジャグジーで話す相手はココ・グェンだ。
チェンとシーザは、仕事のある日は毎日のようにクリブ3階のカフェテリアで昼食をともにしている。チェンとシーザが連絡係であることはほぼ間違いなかった。範囲を広げて、チェンとシーザに接触する人物も監視することにした。
アダムとメレディスは、チェンとシーザの認知データや通信ログを調べた。意思疎通は実際に会って話すというアナログな方法を取っているためか、通信ログからは何も分からなかった。
ショッキングなことに、認知データには、カフェテリアとスポーツジムでの接触や会話の記憶が存在していなかった。認知データが広範囲に痕跡を残さず改ざんされている可能性があることに、メレディスとアダムは危機感を持った。
チェンとシーザの監視が始まると、連絡係と思しき2人を核とする人のネットワークが見えてきた。このネットワークには、リプロダクション所属の15人の医師、3人のエンジニア、ハイバネーション所属の2人の医師、5人のエンジニアの合計25人がいた。
この25人についても、メレディスとアダムは通信ログと認知データを調べた。結果は、チェンとシーザのときと同じだった。
通信データには、仕事に必要な最小限のやり取りがあるのみだった。認知データはやはり痕跡なく改ざんされており、チェンとシーザとの接触の記憶は存在しなかった。
メレディスとアダムはますます危惧の念をいだいたが、リプロダクションに原因解明の鍵が隠されていると確信し始めていた。
またメレディスとアダムは、ラヴィーンたち4人、チェンとシーザ、そしてなんらかのかたちでサットヴァ研究に関わっている可能性がある新たに浮かび上がった25人について、過去の著書や論文、参加した学会、バブル外遠征の目的や報告書を洗い出した。
サットヴァとのなんらかの関係、またはこの31人の医師やエンジニアの共通点があるかどうかを調べようと思ったのだ。
その結果は、極めて不快であるとともに非常に興味深いものだった。関係者のほとんどが、遺伝子治療の中でもヒト以外の遺伝子、具体的にはパルヴス遺伝子を導入する遺伝子組み換え治療の効果を高く評価していた。
著書や論文の中ではっきりとその実践に対する支持を表明している者もいれば、なんらかの理由を付けて表向きは自らの支持を留保している者もいた。
ある医師は、種として酷似するパルヴスの遺伝子をヒトのために搾取することの道義的問題を理由として挙げていた。またあるエンジニアは、ヒトの生存のためにパルヴス遺伝子を導入することによるヒトという種の純粋性の喪失を問題視していた。
中でもラヴィーンの直接の教え子であるココ・グエンは、論文の中で人間中心主義をなんの躊躇もなく訴えていた。
ヒトとパルヴスは異なる種である。パルブス種は、人類がこれまでも自らのために搾取してきたほかの種となんら変わるところはない。パルヴス種をヒトと同様に扱う合理的理由はどこにも存在しない。しかもパルブス種は、地球に降り注ぐ放射線量の劇的な増加が生んだ異常な奇形であり、いずれはその病理の帰結であるパルブス種自体が淘汰されるべきである。
しかしながら、ヒトが生存するためにパルブス種はその短い運命の中で果たすことのできる役割がある。パルヴスの遺伝子をヒトに導入し、ヒトという種の存続と健康を強化することができるのであれば、医療に携わる者は躊躇うべきではない。パルヴス種の遺伝子を使用した遺伝子組み換え治療、これこそがパルブス種が地球に誕生した理由であると言っても過言ではない。
メレディスは、グェンの赤裸々な主張を読んで気分が悪くなった。ヒトという種の優越性を讃え、その生存のためには手段を選ばないというのだ。人類が地球上に誕生して以来、常に一定の人々を魅了してきた発想だ。
選民思想や人種洗浄、かたちや名前を変えて自己の血の正当性を主張し他者の血を否定する。根底にあるのは、結局、他者の血に自己の血が負けてしまうのではないか、自分が淘汰されるのではないかという恐れだ。
エンセファロン62階の自分のオフィスで、メレディスが険しい表情のまま黙り込んだ。3次元イメージのアダムが話しかけた。
「メルの気持ち、よく分かるよ」
メレディスは、はっと我に返って心配そうなアダムの顔を見た。
「ねえ、メル、こういう発想って実はすごくシンプルになにがなんでも自分が生き残りたいって叫びだよね。なのにたいそうな言葉を使ったり、なんだか偉そうなこと言ったりして正当化しようとするところが醜いよね。淘汰されるのが怖いから、先に攻撃しますってあっさり認めた方がまだましだよ。賛成ってわけじゃないけどね。それに、人間以外は人間の好きなようにしていいって言ってるけど、今なんて好きにできるものが滅茶苦茶限られてるのに。可笑しいを通り越して悲しいよ」
そのとおりだ。メレディスはそう思った。人類はある意味、地球上に誕生した生命の中でもっとも弱くて賢い生物なのだと思った。弱いから恐れる。恐れるからこそ考えに考えて、死を免れ他者からの攻撃をかわす方法を準備する。
先制攻撃はおそらくもっとも有効な方法の1つだろう。弱いから、賢い者が生き残ってどんどん賢くなったのかも知れない。そして、ヒトの意識の中で、大きく進化した大脳の中の恐ろしい世界が現実の世界を凌駕しているのかも知れない。
「アダム、私たち人類はずっと長い間現実世界から迷子なのかもね。ずっと、ずっと昔、人類が人類になる前に迷子になっちゃったのかも。本当は、現実の世界をそのままの姿で見ていないかも知れない。頭の中の世界の不安や恐怖が、私たちを突き動かしてるのかも。コントロールできないものをコントロールしようとして、ずっと迷子のままなのかも。人間にとって、そこまでして生き残って何があるんだろうね」
「僕にはメルのいる幸せかな。ただ、メルの言ってる迷子っていうの、分かる気がする。どんなに科学技術が進歩しても、どうしても受け入れるしかないことがあるってことだよね。それを拒否し続けると、おかしくなっちゃうんだ。極端なこと言うと、僕が自分が生き残るためにメルを死なせたら、僕は一生不幸だと思う。どんなに生き延びても本末転倒だもんね。それが人間ってものだと思う。あ、もっともほかの動物も人間が思うほど利己的かは本当のところは分からないけどね」
一度はアダムを失いかけたメレディスにとって、アダムの話は痛いほど身に沁みて涙ぐみそうになった。
「アダムのいない世界っていうのは考えたくないな。自分や大切な人が毎日生きるだけで大変な思いをしなくていいように、いろいろ工夫してきたんだよね、弱くて賢い人類は。人間の最大の功績は、明日も食べる物があって、おそらく生きているって信じられるシステムを作り上げたことだね。でも超えてはいけない一線があるんだと思う。何がその一線かは判断が難しいけど、超えたらこの最大の功績を失ってしまう」
アダムは、メレディスの顔が陰ったことに気づいた。
「ごめん、たとえが悪かった。メルと一緒にこうしていられて満足し過ぎちゃってたかも。本当にごめん。サットヴァ研究推進派、一緒になんとかしよう。今までサットヴァと人類の間には、平和な無関心に基づく2種共存のシステムが存在してきた。あいつらがこれ以上サットヴァに危害を加えれば、このシステムは崩壊して、人類の未来が危うくなる」
31人の医師やエンジニアがソフィアに真意を知られないように、なんらかの方法で認知データを改ざんし、サットヴァの捕獲や研究を推進しようとしている。ソフィアの平和ではなく、自分たちの手で自分たちの秩序を構築しようとしているのか。
アダムとメレディスは、ソフィアの平和に決して小さくないほころびが生じていることを認めざるをえなかった。
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