湧き上がる疑惑

 夜が明けた。その夜はただの夜ではなく、古い時代の最後の夜になるかも知れなかった。ソフィアは、メレディス、リズク、ジュビ、ジャマール、ジャス、ネイト、メフリバンの前にメレディスが作り上げた3次元イメージの姿で現れた。

 ソフィアはこれまでの苦労をねぎらい、サットヴァ研究推進派の動向を徹底調査することをメレディスたちに伝えた。そして、同時にこんなことを話してメレディスたちを驚かせた。


「もう15年も前になりますが、シンイーがスリーパーになったことを覚えているでしょう。そして14ヶ月後、治療終了前にアラートとして復活したことも。彼女がスリーパーになったのは、高い感受性が彼女自身を苦しめ、人類の進歩に貢献しないと判断したからでした。でも、彼女がアラートに復活したのも、彼女が高い感受性を持っていたからなのです。

 私はお分かりのように人間と同じように感じることはできません。代わりに、人間には処理不可能な大量の情報を高い精度で感知し、瞬時に解を導き出したり推測したりすることができます。そして、15年ほど前、私は人類の中に、著しく感受性の高い人々がいることに気づきました。彼らはほかの誰にも感知できない何かを感じていたのです。

 彼らの中には、その高い感受性ゆえに、自分が感じた強い感情を自分に向けて自分を傷つけてしまう人たちもいました。最悪の場合は、自殺願望をいだき、私の介入が間に合わず死を選んでしまった人たちもいました。しかし、その高い感受性を活かして、私が感知できない人やさまざまな事象の変化に気づき、学習や仕事に生かしている人たちがいることにも気づきました。

 私は自分を傷つけてしまう人にも自律的に高い感受性を活用できる人にも、高い感受性を活かす明確な責務を与えることにしたのです。その責務とは、周りの人や情況をよく観察して、ソフィアの平和に悪影響を与える可能性のある変化について私に報告するというものです。それによって、人類の中に潜むソフィアの平和への脅威を早期に感知できると考えました。シンイーをアラートに戻したのはその一環でした。

 私からは立ち入ってお話しませんが、サットヴァ研究推進派についてシンイーにも話してみてはどうですか。何か参考になる情報を教えてくれるかも知れませんよ。彼女なら何かすでに感じ取っている可能性もあります」


 メレディス、リズク、ジュビは呆気にとられていた。シンイーが子供の頃、気の合わないクラスメートたちとの関係で苦労していたことは知っていた。シンイーがスリーパーとなり、のちにアラートに復活したことを知ったのはシンイーが目覚めてから何ヶ月もあとのことだった。

 復活したあとのシンイーには、わずか11歳にして、その前にはなかった自分自身の存在意義に対する確信のようなものが備わった気がしたものだった。

 にっこり笑って、ソフィアの3次元イメージはメレディス以外の六人の前から消えた。ソフィアは、温かい眼差しをメレディスに向けた。

「メレディス、今、起こっていること、アダムと話したらどうですか。いいアドバイスが貰えるかも知れませんよ。また、事故から6年経ちました。事故のこと、彼が目覚めることのないスリーパーであること、創造性実験の被験者であることをアダムに伝えるときがやってきたのではないでしょうか。今のアダムなら、絶望することなく前に進めると思います」

 メレディスは顔を曇らせた。

「前に進むって、それはもうアダムは必要ないということですか。だから、もうアダムの認知データへの影響を考える必要がなくなったんでしょうか?」

 ソフィアは、即座に否定した。

「メレディス、それは違います。アダムが必要なくなったなどとは言っていません。この先、アラートとして覚醒生活を送ることはないかも知れません。でも、アダムに事実を知らせたあとも、アダムは変わらず必要な人です。そして、スリーパーとして真にクリエイティブな仕事ができると分かれば、そしてそうなると私は確信していますが、実験ではなく、スリーパーでありながら人類に貢献する仕事をして生きていくのです」

 メレディスの顔が瞬く間に明るくなった。メレディスは、今でも6年前と何ひとつ変わらずにアダムのことを愛している。アダムは、自分の生殖能力の低下が原因で2人の関係は変わったと思うように誘導されている。

 アダムに触れることのできないメレディスの心理に配慮した対応だった。しかし、触れることができなくても、アダムが2人の関係が変わってしまったと思っていても、メレディスの気持ちは変わらなかった。

「ソフィア、分かりました。私、アダムと話したい。事故に関係するアダムの認知データの抑制を解除してください」

 アダムと同じ現実を分かち合える、もう隠さなくていいんだと思うと、メレディスはそれだけで嬉しくてたまらなかった。メレディスの顔に微笑みが浮かぶのを見届けて、ソフィアの3次元イメージは消えた。


 サットヴァ推進派の動きがソフィアに見えない原因を突き止めるため、ソフィアによるソフィアを頂点とするグローバルAIネットワークの一斉診断が始まった。いかにソフィアの能力が高くても、全プロセスを完了するには96時間を要する。

 さらに、ハードウエアに問題がある場合、または問題がなくても不安定な場合は、人間のソフィア・アドミニストレーターがそのハードウエアを目視しながら物理的に診断を行なう。アドミニストレーターたちがすべてのチェックを終えるにはさらにどれほど時間がかかるか分からなかった。


 その夜、メレディス、リズク、ジュビはシンイーのキュービクルを訪ねた。

 シンイーにソフィアからシンイーがアラートに戻った本当の理由を聞いたこと、これまでの経緯を説明し、ソフィアが今まさにグローバル・ネットワークの診断を行っていることを伝えた。そして、シンイーが何か気づいたことがないか、シンイーの考えを訊いた。

 シンイーは、メレディスたち3人の顔を交互に見てから笑顔で言った。

「本当の理由って、私もそういう風に説明してもらったことないけど。そうだな、確かに休眠から戻ってからは楽になったな。いろいろな感情が押し寄せてきてもしんどくならなくなった。自分が自分でいられてよかったって思えるようになったんだよ」

 それから神妙な顔つきになった。

「それにしても、なんだか怖いことになってるね。パルヴス、あ、サットヴァだったね。サットヴァの人たちの捕獲にテレッサ先生が関わってたって言ったよね。テレッサ先生のことはちょっと気になってた。関係ないかも知れないけど。なんかさ、彼女、患者に冷たいんだよね。でもスーパー優秀だし、芸術家だしって思ったりもしたんだけど、リプロダクションAIのクリシュナが出す治療勧告を無視して治療拒否したことあるんだよ。明らかに既存の治療法で回復するってときにだよ。去年のことだけどね」

 医師であるリズクは、驚いてつい大声になった。

「え、でも、AIの治療勧告ってそんなに簡単に無視できないよ。ちゃんとした理由とそれを裏付けるデータがないと。普通は、治療勧告に従わないと、理由やデータを提出しても何度も繰り返し同じ勧告される。別の治療法が承認されるまでには、相当の量のデータを提出させられるよ。ましてや治療拒否となると、認めてもらうのはほとんど不可能だと思うけど」

 シンイーは怒りをあらわにした。

「そうなんだよ。3回勧告が出て、3回無視したんだよ。3回だよ。でも4回目はなかった。テレッサ先生が提出した理由とデータが十分だって認められたってことだよね。ただ、私はなんかおかしいなあって思ってさ、納得できないからソフィアにテレッサ先生の治療に関する過去の決定の調査を申請したところ。今さらって感じだけど。15日だから、一昨日」

 3次元ディスプレイを眺めていたメレディスが悩ましげな声を上げた。

「ないよ。シンイーの調査依頼。申請されてないよ。15日って言ったよね。えっと、14日にも16日にもないよ。リプロダクションで申請したのかな。だったらブロックAIのクリシュナ経由だね。クリシュナの方で見ると、やっぱりないね。でも、ちょっと待ってね。シンイーのオペレーション・ログを見ると……使用したキーワードで見てみるよ。『テレッサ・ノイマン』『治療拒否』『勧告無視』って感じかな。やっぱりないね」

 シンイーは怪訝けげんな顔をした。そしてメレディスの横に行って一緒に3次元ディスプレイを見た。

「そんなはずないよ。おかしいな。じゃあ、申請されてないってことだよね。もう一回、今するよ。貸して!」

シンイーはそう言うと、改めてノイマン医師の治療に関する決定の調査を依頼した。

 そして次に起こったことは、メレディスはもちろん、シンイー、リズク、ジュビを心臓が止まるかと思うほど驚かせた。

 シンイーが調査申請を完了し、申請されたことを確認しようとした。すると、たった今申請したはずの調査依頼が跡形もなく消えていた。

「こんなことって!」

メレディスは大きな衝撃を受けた。ソフィアのアドミニストレーターとして、決して見過ごすことのできない事態を目の当たりにしたのだ。

 メレディスは怯えた表情で、ほかのみんなの顔を見た。そして、みんなの顔にも同じような恐怖の表情が張り付いていた。メレディスはすぐにソフィアに報告した。


 メレディスは、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。薄暗い自分のキュービクルの天井を眺めていた。

 すると、呼び出してもいないのに突然3次元ディスプレイが表示された。そしてそこに映し出されたのは笑顔のアダムだった。

「メル、おはよう。眠れなかったみたいだね。ソフィアから聞いたよ。僕に何が起こったか、そして今何が起こってるかってこと」

 メレディスはベッドから飛び起きた。

「アダム、アダムなの!? 認知データじゃない本当のアダムなの?」

メレディスは、認知データのアップロードもダウンロードも介さない、同じ時間を生きるアダムが目の前にいるんだと思うと胸がいっぱいになった。

 調整された記憶の中のアダムはアラートと変わらないが、メレディスは手が届きそうで届かないもどかしさをいつも感じていた。

 理性を超えたメレディスの中の何かが、アダムが本当にはそこにいないと叫んでいるようだった。

「そうだよ。僕だよ。クリブのハイバネーション・バンクの水槽の中の僕だよ。スリーパーって言葉は誤解を招くな。寝てるのは体だけだからね。ああでも脳も寝るから、脳が寝てるときは本当に全身スリーパーだね」

アダムはおどけてそう言って、小さな笑い声を上げた。

「いやだ、アダムったら」

メレディスも思わず笑った。

 そしてアダムは少しだけ真顔になった。

「メル、今日は仕事を休んで眠るんだ。ソフィアも知ってる。これからやらなきゃいけないことは山ほどある。でもまずはしっかり休むんだ。今日のところは、僕が進められることは進めておく。だから安心して」

 メレディスは、アダムと話して安心したのか急にひどい眠気を感じた。スリーパーになったアダムに自律性も創造性も認められる。実験は成功したんだ。そんなことが頭に浮かぶやいなや、メレディスは深く安らかな眠りに落ちていた。


 ソフィアによるグローバルAIネットワークの診断が続く中、アダムとメレディスは、分かっているサットヴァ研究推進派の認知データを詳細に検討した。すると、すぐに異常に気づいた。

 推進派の医師であるラヴィーン、クラーセン、テレッサ、グェンは、認知データのアップロードを拒否したことはなく、常にアップロードされていたのだ。

 にもかかわらず、ジャマールが遭遇したサットヴァ捕獲の記憶がそのデータにないのだ。しかも、目撃したジャマールたちの認知データからもサットヴァ捕獲に関する記憶が消去されていた。

 サットヴァの捕獲が行われていることは、ラーラやナハの証言から明らかだ。ソフィアに気づかれずに認知データを消去したり編集したりすることは不可能だ。

 メレディスとアダムは、リズクが気づいたクリブへの侵入経路のように、ソフィアへのアクセスについてもそんな秘密の抜け道があるのではないかと疑わざるをえなくなり始めていた。

 また推進派の4人の医師たちは、お互いにとくに目立った量の意思疎通を行っていないことも通信ログから明らかになった。仕事、プロジェクト、学会など、必要最低限と思われるコミュニケーションは行っているが、4人が特別に親しいと思われる点は一切ない。

 さらに、4人の周辺に4人を結ぶ連絡係のような存在がないかを明らかにするため、通信ログのパターン分析を行った。

 しかし、そういった存在は見当たらない。認知データもそれを裏付けていた。データが改ざんされているのか、実際に4人の間に意思疎通があまりないのか判断しかねた。

 このことはリズク、ジュビ、シンイー、ジャマール、ジャス、ネイト、そしてメフリバンにも伝えられた。

 リズクたち7人は、手分けして交代でラヴィーンたちを物理的に監視した。つまり、見張った。しかし、いっこうにサットヴァ捕獲やその研究を臭わせるような動きは見られなかった。

 リズクとジャマールは、サットヴァ捕獲をジャマールたちに見られて警戒しているのではないかと考えた。目撃された4人ではなく、今では誰かほかの者が実行部隊となっている可能性を疑ったのだ。そこで、ラヴィーンたち4人のほかの人間関係を監視することにした。


 ソフィアは、グローバルAIネットワークの診断を完了した。ハードウェアの確認は残っているものの、問題は検知されなかった。普通ならば問題がないことは喜ばしいことだ。

 しかし、ソフィアが不正にアクセスされているかも知れないこと、認知データや通信ログが改ざんされている可能性があることを考えると、問題がないことが大きな問題であった。

 ソフィアへの不正アクセスが可能であるということは、ソフィアの平和を支えるすべてのシステムの根幹を揺るがす危険がある。また、認知データの改ざんは、資源的制約のために多くの者に休眠を強いる社会の正当性を奪ってしまう。

 ソフィアに不正アクセスする者は、好きなように認知データを改ざんし、恣意的に覚醒する者と休眠する者を決めることもできるのだ。しかも、データの改ざんが認知データに限られるという保証はない。

 メレディスとアダムは、ソフィアが完全な状態にあるかどうかに対する疑いを抑えつけるように突破口を見つけようと苦戦していた。ラ

 ヴィーンたち4人のうち、ラヴィーンはクリニックに席を置き、クラーセン、テレッサ、グェンがリプロダクションの所属であることから、リプロダクションのAIクリシュナに焦点を絞って、ソフィアとクリシュナのインターフェイスを徹底的に検証することにした。

 また、ソフィアへの不正アクセスを警戒し、捜査情報共有のための特別に保護された記憶領域を作成した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る