メレディスの苦悩
ジュビとシンイーを見送り、メレディスはプールで泳ぐ子供たちをカフェテリアから眺めていた。
そして、自分たちファミリー5人が子供だった頃のことを切ない気持ちで思い出していた。なぜならそのうちの1人、メレディスの愛するアダムは、決して目覚めることのないスリーパーとなってしまったからだ。
6年前、メレディスとアダムが19歳のとき、授かった新しい命が無事に成長していることを知った2人は満ち足りた幸せな日々を送っていた。
そんなとき、事故は起きた。プロフェッショナル・スクールに入ったばかりのアダムは、新しい物質原子操作レーザーの実験を手伝っていた。ある日、レーザー照射が制御不能に陥り、実験室内にいたアダムは全身に重度の熱傷を負った。
培養皮膚が緊急移植されたが拒絶反応が生じ、アダムは血管から体液を失い続けた。そのままでは脱水症状による死は避けられなかった。
治療にあたった医師は、アダムを胎児や治療中のスリーパーと同じ培養槽に緊急避難させることにした。時間稼ぎをして、治療法を探ろうとしたのだ。
しかし、アダム自身の遺伝子情報を用いた培養皮膚でも拒絶反応が生じた。アダムは、脳になんの損傷も受けておらず意識がはっきりしているにもかかわらず、培養槽から出ることができなくなった。
通常こうした場合は、自ら生命維持できず人類に貢献できないことを理由に「排出」されることになる。医療的に意識を混濁させて不安を抑制した状態で、痛みを感じないように神経系を制御しながら安楽死に導く。
しかしアダムには異なる運命が待っていた。スリーパーの認知経験の研究が次の段階に進もうとしていたのだ。
ソフィアは、スリーパーが休眠状態でアラートと同じように自律的で創造的な活動が可能かどうか、スリーパーを被験者とする実験を行いたいという研究者たちにゴーサインを出したのだ。
スリーパーからソフィアにアップロードされる認知データを元に、被験者の選別が始まったばかりだった。被験者は、実験に値する覚醒時の高い自律性、創造性を持ち、なおかつ自分が休眠中に被験者となることに好感情をいだいている必要があった。
そして、アダムはスリーパーではないが被験者の1人に選ばれ、アダムは意識がある状態でそれを受け入れた。ただし、実験結果への影響を考慮して、アダムの同意のもと、事故や実験に関する記憶は抑制された。
メレディスは、当時すでにソフィアのアドミニストレーターとして働いていた。アダムが事故に遭い全身火傷を負ったとの知らせを聞いて、メレディスはショックのあまり口が利けなくなった。
治療中も培養槽に入ってからも、アダムに会うことはできなかった。メレディスは仕事を休み、自分のキュービクルに閉じこもった。
19歳のメレディスは、アダムを失うぐらいなら死んでしまいたいと思った。アダムのいない世界で、1人で生きていたくないと思った。
誰もが覚醒してアラートとして生きてられるわけではないことはよく分かっていた。自分は恵まれていると知っていた。それでもメレディスは、生きる力を失いそうになっていた。
毎日、夜になるとシンイーがメレディスを訪れた。何も言わず、30分か1時間ぐらいメレディスを抱きしめ、食事用ゼリーを食べさせて帰っていった。
リズクとジュビも毎日メレディスの様子を見に来た。メレディスは話すことも泣くこともできないでいた。悲しみ、苦しみ、怒りがメレディスの中にこもって、メレディスを開放してくれなかった。
事故から8日が過ぎ、アダムの遺伝子情報による培養皮膚移植が失敗したと聞かされた。その夜、訪れたシンイーの顔を見ると、メレディスはメレディスのものとは思えない獣のような声を上げて泣いた。シンイーにすがりついて泣きじゃくった。
シンイーはメレディスが泣き終えるまで、髪を撫で、ずっと抱きしめていた。途中でやってきたリズクとジュビもその夜はずっとメレディスと一緒にいた。
メレディスは泣き疲れて、その夜、アダムの事故以来初めて深く眠った。朝になるまで一度も途中で起きることなく眠った。
シンイーたち3人は、朝になったらメレディスがどうなっているか想像できないでいた。メレディスの寝顔を見て、寝ている間だけでも心も体もちゃんと休めていることを祈らずにはいられなかった。
翌朝、メレディスはまた自分のキュービクルから出てこなかった。しかし、シンイーが夜訪ねると、前日のメレディスと少しだけ様子が違っていた。
服を着替え、髪を整え、シンイーの顔を見ると「ありがとう」と言った。すっかり痩せて、表情は明るいとは言い難かったが、目にわずかながら生きる気力が戻っていた。
その夜、メレディスとシンイーは、アダムのことを話した。あとからリズクとジュビも加わった。
子供の頃の内気で不器用なアダム、いつも一歩離れたところでファミリーのみんなを見守り、必要なら躊躇うことなく助けてくれた優しいアダム、共通教育の勉強が嫌だと言い張った頑固なアダム、メレディスのことが大好きだったアダム。
メレディスだけでなく、シンイー、リズク、ジュビもアダムを思って涙を流した。
次の日も、また次の日も、夜になるとみんなでメレディスのキュービクルに集まった。アダムのことだけでなく、ファミリーみんなのいろいろな話をした。
アダムの事故があって、4人は、当たり前にあると思っている大切なものが突然奪われることがあるのだと痛感していた。だから、大切な人たちは明日も当然いてくれると思わずに、今一緒にいられること、一緒に話せることを大事にしていこうと思っていた。
事故後12日目、メレディスたちの元にアダムがスリーパーの自律性、創造性に関する実験の被験者に選ばれたとの知らせが届いた。
また、アダムは今後スリーパーとして培養槽で生きること、アダムに関わった者のアダムに関する認知データは修正され、事故と実験に関する記憶が抑制されることも知らされた。
メレディスたちは複雑な思いをかかえながらも、アダムが生き続けるというニュースを歓迎した。
シンイーも子供の頃に治療のためにスリーパーとなったことがあった。シンイーの休眠中、シンイー自身もファミリーのほかのメンバーも、ほとんど違和感なくあたかもシンイーがアラートとして生活しているかのように感じていた。
アダムも同じことだ。そう思おうとした。二度とアラートになることはないという1点を除いては。
メレディスは、自分の記憶が抑制される前に自分に向けたメモを書いた。アダムの事故、怪我、アダムがスリーパーとなること、アラートには戻れないこと、スリーパーの自律性、創造性の実験のことを書き留めた。
そうすることで、自分がつらくなることは分かっていたが、そうせずにはいられなかった。本当のアダムと自分のことを忘れないでいたかった。
5月15日朝6時半頃、メレディスがジュビとシンイーを見送ったあと、メレディスと会って話す。それが、アダムが培養槽の中で経験する認知だった。
そして、アダムの認知経験の中のメレディスは、事故のことも実験のことも知らない。メレディスの認知データでは事故や実験に関わる部分は抑制され、周辺データは認知データ処理エンジンが作成し、ソフィアを介してアダムに送られる。
メレディスはジュビからリズクの仕事のトラブルについて聞き、ジュビとシンイーを見送った。そしてカフェテリアで、1人でしばらく時間を過ごしたあと席を立って出ていった。
しかし、メレディスの認知経験は、一晩寝ると睡眠中にアダムの認知経験と整合性を保つように更新される。だから、翌朝には、メレディスはジュビとシンイーを見送ったあと、アダムと話したと記憶していた。
アダムの認知データも睡眠中に修正された。ジュビ、メレディスの認知データに基づき、リズクの仕事のトラブルのことがメレディスとのカフェテリアでの会話に追加された。
また、メレディスがスリーパーの認知と創造性について考えていたことから、スリーパーの創造性のことも話したとアダムの認知データが修正された。話の内容について、メレディスの記憶も同様に修正されていた。
しかし、メレディスには自分に宛てたメモがあった。認知データがどのように書き換えられようと、メレディスは毎朝起きると枕元に置いたメモを見て現実に直面した。
見る度に寂しさと悲しみが襲ってくるが、事故から6年が経ち、忘れることはできないが痛みはずいぶんと和らいでいた。
リズクとジュビからサットヴァの捕獲や実験、ソフィアの問題を聞いて、メレディスも不安になっていた。こんなときこそアダムに相談したかった。アダムに話を聞いて欲しかった。
ソフィアの平和に何かよからぬことが起これば、今の穏やかな日々は奪われてしまうかも知れない。そして、今のシステムが崩壊して、アダムの体ばかりか心にさえ二度と触れることができなくなるかも知れない。憂鬱な気持ちがメレディスに重くのし掛かった。
夜、ジャマールのキュービクルがある居住区ゼータ・コンプレックスのレクリエーション・ルームで小さなパーティーが開かれた。
しかし実際には、パーティーの名目でサットヴァ研究や捕獲についての調査に携わるジャマール、一緒にサットヴァの捕獲を目撃した医師のネイト・ガザノヴァとメフリバン・シマ、そしてリズク、ジュビ、メレディスが集まった。
ジャス・リボアは、リズクと交代してラーラに付き添っていた。
リズクとジュビは、ある意味ソフィアをあざむいてラーラを連れ帰ったことで事態は新たな局面を迎えたと判断した。
そして、今後どうしていくのかをしっかりと話し合うべきだと思い、調査の協力者が一同に介することを提案したのだ。顔を合わせることで、情報交換もできるし、誤解も避けられる。
ジャマールは、皆が精神的に疲れていること、そして不安な気持ちをかかえていることを見越していた。
そこで、カフェテリアAIのハヌマーンに20世紀の中華料理を模したクラッシック・ミールを注文しておいた。食事をしながら話すことで、リラックスして互いに打ち解けることができればよいと考えた。
中華料理を食べたことのなかったリズクとメフリバンは、色の濃い見た目にもしっかりした味付けにも大喜びだった。
食べながら、共通教育のテストが嫌いだったこと、同じフィジカル・アジャストメントのインストラクターに教わったこと、好きなエクササイズや音楽のことなど、サットヴァのこともソフィアのことも少しだけ忘れて楽しい時間を過ごした。
本題を切り出したのはジュビだった。
「ジャマールとリズクは知ってるけど、ほかのみんなに知らせることがあるんだ」
急に改まったリズクの口調に、少しだけ緊張した空気が流れた。
リズクは、メレディス、ネイト、メフリバンに向かって、人間に襲われたナハから連絡があったこと、ラーラも襲われて怪我を負ったこと、リズクの潜入仮説に従ってラーラをハイバネーション・バンクに収容して治療していることを話した。
3人は何も言わずに静かに聞いていたが、驚きと衝撃がはっきりと顔に現れていた。
ジュビはさらに続けた。
「ジャマール、リズク、ラーラのことは本当にありがとう。突然のことだったのに、協力してくれて。2人、そしてジャスの助けがなかったら、ラーラを連れてきて治療するなんて絶対無理だった」
ジャマールがジュビを見て、そして一同の顔を代わる代わる見ながら言った。
「いや、お役に立てて何よりだよ。ラーラも順調に回復してるってリズク君から聞いたよ。それにしても、サットヴァの捕獲や殺戮が現在進行形で行われていることがはっきりした。非常に残念だが。こういうことをしている輩は、自分たちがどれほど危険なことをしているか全く理解できてない。あれほどの科学技術力を持つサットヴァだ。その気になれば、私たちに大打撃を与える攻撃を仕掛けることも可能だ。彼らが好戦的でないからよかったものの」
リズクが同調した。
「本当に残念だよ。同じ人間がこういうことをするとは。人類は誕生して以来、何百万年経ってもこういうところは進歩しないね。欲なのか、恐れなのか、単に身勝手なだけなのか、まだ実情は分からないけど」
そして皆に問いかけた。
「ラーラはずいぶん安定してるけど、クリブのハイバネーション・バンクにいてもらって安全かなあ。ソフィアやサットヴァ研究推進派に知られることがないとは言い切れないよね。いずれにしても、いつかの時点ではクロノスから脱出させて、クシャーンティに送り届けるなりなんなりしなくちゃいけない」
応えたのはメレディスだった。
「そのことだけど、ラーラのこと、ソフィアに知らせた方がいいと思う。リズクの潜入経路のことと一緒に。サットヴァの捕獲や生きたサットヴァを使った研究のこと、改めてソフィアに調査してもらういい機会だよ。ラーラという生き証人がいるんだから。それに、ソフィアの目をあざむいて何かするって、私たち自身がソフィアと対立するようなことは避けるべきだと思う。自分たちの安全のためにも、ソフィアの平和を守るためにも」
これには皆が納得して頷いた。そして、メレディスがソフィアに直接事情を説明し、ジュビ、リズク、ジャマールは認知データのアップロードを再開することにした。
同時にサットヴァ研究推進派の調査を再び依頼し、ラーラについてもソフィアと相談することになった。
大きな変化の波がすぐそこまで来ていて、今にも自分たちを飲み込もうとしていることを皆が感じていた。ラヴィーンたちサットヴァ研究推進派の監視を続けること、ある程度定期的に集まることを約束して散会した。
パーティーのあと、メレディスは睡眠時間の認知データ・アップロードが始まる前に、自分のキュービクルからソフィアを呼び出した。
ソフィアのアドミニストレーターであるメレディスはどこからでもソフィアと意思疎通でき、そして必要に応じてメンテナンスすることができるという特権を持っている。メレディスはソフィアへの親しみを込めて、メレディス専用のソフィアの3次元イメージを作成していた。
メレディスがソフィアを呼び出すと、メレディスのキュービクルの空間に3次元表示されたのは腰までの黒髪とブロンズの肌を持つ美しい女性だった。
「メレディス、こんばんは。こんな時間にどうしましたか。何かありましたか。もう眠りに就く時間でしょう」
真夜中に呼び出されたソフィアの口調は、情況を考慮すると、極めて適切に優しく思いやりに溢れていた。まるで人間と話しているようだ。
「ソフィア、少しでも早く話したかったんです。報告と相談があります。まずはあなたに謝らなければ。私と私のファミリーのジョビとリズク、そして協力者たちは、あなたに内緒でパルヴス人をクリブのハイバネーション・バンクに収容して、怪我の治療をしています。ごめんなさい。あなたをあざむくような真似をして。アップロードされる認知データからではなく、どうしても直接伝えたくて」
ソフィアの反応はメレディスには少し意外であったが、同時にソフィアへの信頼がより大きくなった。
「何か私に見えないことが起こっているのは分かりました。あなたたち3人、そして、ジャマール・シエラ、ジャス・リボアですね。皆さんの最近の認知データから推測できました。でも私はあなたたちについてはなんの心配もしていませんでしたよ。ソフィアの平和に対するあなたたちの献身と責任感はよく分かっていますから」
ソフィアは続けた。
「詳細は、皆さんの認知データを拝見しましょう。でも、そのパルヴス人、ご本人たちはサットヴァと呼んでいるのでしたね。その方をどうするかという相談だと思いますが、しっかり治療して差し上げてください。それから、ジュビとリズクにクシャーンティまで送っていってもらったらいかがでしょうか。2人ともクシャーンティへの行き方は心得ていますね?」
メレディスは、ソフィアと意思疎通するといつもとても安心する。ソフィアが感情を持たないAIであると知っていても、まるでメレディスが一度も会ったことのない自分の母と話しているような気がしてくる。
「メレディス、今夜はもう遅いです。あなたも疲れているでしょう。いろいろな心配事をかかえていると思っていましたよ。さあ、あとは明日お話しましょう。今はしっかりお休みなさい」
そう言うと、ソフィアの3次元イメージは消えた。メレディスは、心に温かい安らぎが広がるのを感じた。
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