第116話 ネル視点 運命の人
「イブ! ネルと! 結婚する!」
イブが、わでの手を掴んで立ち上がってそう言った。
いつか、自分のことを誰より特別に思ってくれる人が現れないかって、願っていた。体は大きくても、いつも怖くて逃げることしかできなかった。
母ちゃんと父ちゃんがいなくなってから、わではいつも、特別にしてくれる誰かを求めていた。わでにとって、イブは運命の人だ。それを改めて、証明された気分だった。
わでは生まれた時から普通の赤ん坊より二回りも三回りも大きかったらしくて、わでを産んだせいで母ちゃんはしょっちゅう体調を崩していた。それでも母ちゃんも父ちゃんもわでにいっつも優しくしてくれた。
母ちゃんが死んじまう時、約束した。優しく生きるって、約束した。だから10歳になる前に父ちゃんが死んじまって誰も助けてくれなくなって、いじめっ子がわでに石を投げてきた時。
あの時、わではもう父ちゃんより大きくて、父ちゃんより力も強くて、全員にやり返すことだってできたけど、母ちゃんと約束したから、優しく生きるために村を飛び出した。
母ちゃんが死んじゃうちょっと前から、わでは父ちゃんの狩りに付いて行ってたくさんのことを教えてもらっていた。鳥や猪を狩ったり処理したり、生活に必要なことはある程度教えてもらっていた。
だから一人で生きられるって思った。
そうして、なんとかやってきた。困ったことも、嫌なこともたくさんあった。それでも帰り方もわからないし、帰りたくはない。
たどり着いた森で暮らし、季節が何巡かした頃、森に異変があった。わで以外の誰かがいる。同じように日が昇るより早い時間に、人目を避けて狩りをしている。
森の様子からそれはすぐに分かった。そっとその人を見に行った。
わではその時ライラ様を初めて見て、心底驚いた。見たこともない謎の力で空を飛び、手で触れることすらなく獲物を捕まえ殺している。何一つ理解できなかった。
そして次の瞬間目があって、化物だ。殺されると思った。だけどライラ様はその場から動けないわでに何一つ興味がないようで、顔をそらしてどこかに行ってしまった。
その姿が見えなくなって、呼吸ができるようになって、ようやくそれから、わでは、今まで自分が人にされて嫌だったことにを自分がしていることに気が付いた。
ただ強いだけで恐れるのはこういう気持ちだったのだ。と理解した。それと同時に、相手は自分を見ても怖がるどころか驚きもしなかったことに気が付いた。
強いから以上に、拒否されたらと思うと恐くてたまらなかった。それでも、わでは、誰かと仲良くなることを諦めなくなかった。
今日こそ、話しかける。そう思って付いて行った。その人は、立派なお家に住んでいた。見た目は普通の人だったから、当たり前かもしれない。だけどそうなると余計に話しかけることは難しくなってしまった。
どうしよう。今日はやっぱり帰ろうか。何か手土産を用意してくるべきだった。人前に出ても恥ずかしくない恰好をすることに気を取られて、そう言う当たり前の礼儀を忘れていた。
だけど、帰ろうとしたわでの前に、エストが現れた。
わでを見て大きな声を出したから、ああ、びっくりしたこの子を守るためにわでは殺されるんだと思った。だけどそうはならなかった。
エストはすぐに気を取り直して、当たり前みたいにわでに向かって手を伸ばしてくれた。
「驚かせてすみません。立てますか?」
当たり前みたいに、エストはわでに向かって微笑んだ。そうして、エストと友達になった。
それからずっと幸せだった。
旅をする中で、村の人はわでを見て、殺して食べされると本気で怯える人はいなかったし、避けられていて優しくなんてされなくても、人間扱いされていたのだと思っていた。
だけど、本当の人間扱いはこういうことだったのだとわからされた。
こんな生活をずっと求めていた。すぐ傍に住むことを許されて、たくさんのことを教えてもらった。
これ以上ないくらい、贅沢な生活だ。おしゃれなたくさんの服を用意してもらえて、狩りさえすれば毎日たくさん美味しいご飯をたべさせてもらえて、お風呂にもいれてもらえて、村でこんないい生活は村長だってしてないだろう。
だけど毎日楽しくて幸せであるほど、わでは時々、どうしようもなく、寂しくなった。夜、寝る前になって、時々エストの笑い声が聞こえることがある。昔はこんなに人の声なんて気にならなかった。でも何を話しているのかまではわからないけど、何かを話している楽しそうな雰囲気が声を聞いただけでわかるから、自分がそこにいないことが余計に寂しく感じられるのだ。
エストもライラ様もマドルさんも、みんな、わでを一人前の人間として扱ってくれる。それで十分すぎるほどなのに。幸せであればあるほど、心の奥に隠れていたもっとが顔をだしてしまう。
そんな自分を戒めていると、ある日、イブがやってきた。エストよりも小さくて、わでを見て飛び上がるほど驚いていたのに。すぐにわでになれてくれて、それからずっとわでと一緒にいてくれるようになった。
イブはわでにためらわずにくっついてくる。わでのせいで自分が傷つくかもとは少しも思わないのか、寝る時もずっとくっついてくる。
イブはわでより体温が高くて、ほかほかで、イブがくっついているとそれまで空いていたわでの心の穴を埋めてくれるみたいだった。
そのおかげで、夜に寂しくなることはなくなった。だけどそのあとすぐにやってきたお誕生日会の夜。わではまた寂しくなってしまった。
お誕生日会自体はすごく楽しかった。わでの為に特別な料理をつくって、特別な服を着させてもらえて、可愛い枕カバーをもらって、すごくすごく、嬉しかった。
でもだからこそ、自分の部屋に帰って、音が遠ざかって、二人で寝ようとして、寂しくなってしまった。
まるで夢みたいに楽しかったから、ほんとに夢だったんじゃないかって思えてしまって。夢が覚めてしまうんじゃないかってこわくなった。
イブがくっついてくれているのも、子供な今だけじゃないかって思えて、余計に寂しくなって、泣いてしまった。
ずっと一人きりだった時、一度も泣いたことなんてなかったのに。
「ネル? ネル……?」
「う、うう。イブ、ご、ごめんなぁ。ちょっと、今、変で。だ、大丈夫だからぁ、すぐぅ、泣き止むからぁ」
わでは目が大きいから、涙の粒も人より大きい。もらったばかりの枕カバーが、どんどん濡れていく。
すぐに気づかれてしまって、イブは起き上がってわでの頬を撫でるようにしてくる。慰めてくれるそのやさしさが、どうしてか余計に涙が出てくる。
「ごめんなぁ、イブ。イブの方が、子供で、寂しいよなぁ?」
「ん。ネル、十四、誕生日した。イブ、二十七、誕生日した」
「ああ、わで、十四歳になったのに、えあ? んう? 二十七ぁ? え? 間違えてるなぁ?」
イブがわでの頭を撫でながら優しい声をかけてくれるので、余計に悲しくなってくるのだけど、途中で訳のわからない数字が挟まって混乱した。
「ん? いち、にい、さん……」
単なる言い間違いと言うか、勘違いだとは思うけどあんまりな数字に思わず指摘すると、イブは首を傾げてから指をおって数字を数えていき、二十七までちゃんと数えた。
「ん、二十七。イブ、大きい。大丈夫。泣き止むない、大丈夫」
驚くわでに、イブは暗い中でも輝くような笑顔でそう言って、わでの頭を抱きしめるようにぎゅっとしてきて、涙をぬぐってなでてきた。
「ネル、かわいい、かわいい。いーこ。いーこ」
「い、イブ……」
そうされて、わでは言葉で何を言ってもどうしようもないくらい、自分の中の寂しさが消えていくのを感じた。イブはわでより年上で、そのうえでわでと一緒にいてくれるんだと思うと、なんだか急に、根拠もないのに、直接そんな言葉を言われたわけじゃないのに、本当にずっと一緒にいてくれるんじゃないかって。そんな気になってしまった。
イブと、ずっとずっと一緒にいたい。母ちゃんと父ちゃんみたいに、ずっと一緒にいたい。他の誰かじゃなくて、イブと一緒にいたい。
この時、そう思った。
でもその時はまだ結婚したいなんて思ってなかった。この日からもイブは変わらなかった。言葉が通じなくたって、イブがすごく優しくて気を使ってくれてるんだってことが今更分かった。
それまで以上に傍にいてくれた。イブの一緒の時間を重ねていって、気づかないくらい少しずつ思いが重なっていって、いつの間にかイブがいなくちゃ寂しいくらい大好きになっていた。
今年、わでは成人する。自分でもそれについて深く考えてなかった。
だけどエストに成人のお祝いをするって言ってもらえて、そうか。わではもう、ただ大きいだけじゃなくて、本当に大人になるんだって思った。
イブはあれからずっと毎日夜になるとわでが泣いてないか確認するように顔をなでて、いーこいーこって言ってくれる。それはすごく嬉しいけど、でもいつまでもそうやって甘やかされているのはおかしい年齢になるんだなって思って。
嫌だなって思った。いつまでも、イブの特別でいたい。わでが大人になっても、イブにはわでだけ見ていてほしい。もし他に年下の子がいたとして、イブにその子を抱きしめてほしくない。
「あの、イブ」
「ん? ネル、いーこ、いーこ」
「ちょ、ちょっと、あの、なぁ? その、寝る前に、大事な話、してぇんだけど」
お風呂にはいってベッドにはいる。前に朝日が昇る前に活動していたのもあり、わでもイブも早く寝る。いつもベッドに入ればすぐに寝てしまう。
だから今日もイブはわでの頭を胸に抱きしめるようにしてきたのだけど、今日は、話をしたい。イブがわでをどう思ってるのか。
「ん? 話? わかった」
イブはどんどん話が上手になっている。一年くらいしかたってないのに、わからない単語があっても前後の流れやわかる単語を聞き取って、ほとんど普通に話ができるようになった。
だから少なくとも、わでの気持ちが間違って伝わることはないだろう。
わでのお願いに、イブは頷くと抱き着くのをやめてわでの前に座ってくれた。
「あの………わで、今年のお誕生日、十五歳になって、成人になるって、意味、わかるかぁ?」
「うん。わかる。大人になる」
まずは昼間の会話がわかってたのかと確認したのだけど、どうやら伝わっていたみたいだ。じゃあ、ここからが本題だ。
「うん。その……け、結婚って、意味、わかるかぁ?」
「うーん。ライラ様とエスト、結婚、してる?」
「あの二人は……結婚の前の、恋人だなぁ」
「うん。わかった。意味、わかる」
結婚の意味もわかってしまった。あの二人はどう見ても恋人か夫婦にしか見えないから、どっちの単語が前か後かで伝わったみたいだ。
「その、イブも、次のお誕生日、二十八歳になるんだよな? 大人、だよな?」
「うん? うーん……うん。大人、かも?」
「そ、そうだな?」
何故か首を傾げられてしまった。眉間にしわを寄せて真剣に答えてくれているっぽいので、余計に不思議だ。でも、子供ってことはないよなぁ? エストみたいに、大人になっていても小さいってだけだよなぁ?
「その、だから……わで、その、イブとわでが結婚するとか、イブは、どう思う?」
「イブ、ネルと結婚?」
「お。おお。そうなんだけどよぉ」
わでの問いかけに、イブはきょとんとして繰り返す様に聞き返してきた。や、やっぱりイブにはまだそう言うのは早いのかぁ?
「……うん! イブ、ネルと結婚する」
と不安にドキドキしているわでを見てから、イブはにこっと笑顔になった。
「えっ!? ほ、ほんとか!?」
「うん。イブ、ネル好き。ずっと一緒にいる」
「! い、イブー!! わでも、イブが好きで、ずっと、一緒にいたいんだぁ!!」
イブがそう言ってくれて、わでと一緒の気持ちでいてくれたのが嬉しくてたまらなくて、わでは目の前のイブをぎゅっと抱きしめた。
「ん。ネル、いーこいーこ」
イブはそう言っていつもみたいにわでの頭を撫でてくれた。
そうして結婚の約束をしたわでたちは、夏のエストたちのお誕生日会の終わりにそのことを報告しようと話し合った。
言ったら言ったで結婚を祝わせてしまうけど、でも、知ってほしかった。何をしてほしいとかじゃないけど、言いたかった。全部エストのおかげだし、隠したくなかった。
だけどいざとなると、言葉にする勇気がなくてためらってしまう。そんなわでの手を、イブは引っ張って宣言してくれた。
イブの、そういうところが、本当に、わでは好きなんだ。
わでは驚いて大きな声をあげるエストを見ながら、イブへの思いをかみしめた。
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