第91話 新しい年が来る

 今年が終わる。今年も一年、いろんなことがあった。ネルさんと出会ってから一年と少し。もうすっかりネルさんとは毎日顔を合わせる、お隣さんを超えた大事なお友達だ。イブとも出会って半年ほどになるけど、もうネルさん以上になじんでいると言っても過言ではない。

 そして何より、ライラ様と夏に恋人になった。それからの日々と言ったら、毎日幸せすぎて怖いくらいだ。私の人生における頂点、メモリアルイヤーといってもいいだろう。いや、でも出会った時から始まっていた気もするし。まあその辺はいいか。


 年越しの日は好きな食べ物を海に投げ入れる。特に時間制限はなく、一年の最終日から年を越した初日の出までにすればいい。と言うことで、私たちは人目を避けて年をとっくに越したけど初日の出を見に来る人もまだこず、そもそも基本人が近づかないちょっとした崖の方に来ていた。海に面してはいるのでここで十分だろう。

 多くの人は安全で店も出ている港の方にいるので。こちらまで来ないだろう。ネルさんもいずれは人目を気にしなくていいようになる。ちょっと寂しい場所だけど、それまでは仕方ないだろう。


「好きな食べ物って、イブはほんとにそれでいいのかぁ?」

「? イブ、お肉好き」


 ネルさんが心配そうにイブの手元を覗き込んでいるけど、イブはどこまでこの儀式の意味をわかっているのかそう返した。だいぶ返事のバリエーションが増えてきたし、発音もマシになってきたけど、わかっている単語以外は全然通じないから、どこまで本当に通じているのかは不明だ。


 イブが持っているのは葉っぱで包んだ生肉だ。食べられるものならいずれは魚が食べるだろうけど、基本的に持ち運びできるものがおおい。パンとか串焼き肉とか、汁気のないものがおおい。好きな食べ物とはいえ、わざわざお皿で持ってくる人は少ないからね。

 だから最初はイブにもネルさんと一緒のクッキーにしたのだけど、渡したらそのまま食べてしまったので、さすがに食べられない生肉になった。好物で生肉? とネルさんはちょっと微妙な反応になっているけど、仕方ないだろう。


「まあまあ、いいじゃないですか。お肉はみんな好きじゃないですか。むしろネルさんはクッキーでいいんですか? 去年もそうでしたけど、お肉も好きですよね?」

「んあ? そりゃあなぁ。マドル先輩のケーキはもちろんうめぇけどよぉ、簡単なのに小麦も砂糖もつかってこんなに贅沢でうめぇもんねぇと思うけどなぁ」

「シンプルイズザベストってことですね」

「??? おー、そーだなぁ?」


 伝わってない反応にこれはさすがに私が悪いと遅れて気づいたけど、これ、どう訳せば? 簡単なのがいい? いやディスってるみたいでしょ。難しいな。よし。ネルさんも適当な相槌でスルーしてくれているんだし流しておこう。


 ちなみに私はマドル先輩が作ったパン。普通のパン作りを完全にマスターしたマドル先輩なのだけど、最近そのパンにドライフルーツやナッツを入れたりするだけではなく、ふわふわ甘くてそのまま美味しい食パンの開発に余念がない。

 と言うことでまだマドル先輩の納得はいっていないけど、今年はミルクたっぷりでしっとりした甘いパンをナンバーワンに選ばせていただきました。


 ライラ様は無難にお酒で、マドル先輩は水だ。めちゃくちゃガチでただの水。マドル先輩は唯一水分補給だけは普通にするので、何気に水は綺麗な水しか飲まないと言うこだわりがある。と言っても汚い水を飲みたくないのは生き物みんな同じなので、当たり前のことだけど。


 そんな感じで全員用意している。飲み物の場合は瓶ごと沈めてもいいし、中身だけでもいいそうだ。瓶事はそのうちどこかに流れ着きそうだし、ほんとにいいのか謎だけど。


「じゃあそろそろしましょうか。いきますよー、せーの!」


 と言うことでなんとなく私が音頭をとってみんなで一気に投げ入れる。位置が高いので投げて間が空いてからどぽんと落ちた音がした。うーん、暗くて何にも見えない。


 それでもこんな真っ暗な夜中に海に向かってみんなで立っていると言うだけで、なんとなく儀式めいた気持ちにはなる。これでまた新しい年が始めるのだ。と意識してみる。

 一昨年、あの家を出てこの街にやってきた。色んな出会いがあった。去年、イブとも出会ったし、何よりライラ様と恋人になった。今年はどんな年になるだろう。どんなことがあって、どんな出会いがあるだろう。


 何にもわからないけど、きっと、今年も幸せな一年になることだけはわかる。ライラ様と出会ってから、幸せじゃなかった年はないから。


「イブ、危ねぇからよぉ」


 なんて感慨にふけっていたのだけど、横では崖の下を覗き込むイブを心配そうにネルさんが手をうかせてすぐ掴めるようにしながらわたわたしていた。

 人数も増えたしせっかくなので全員でやってみたけど、イブはみんなが投げるのに合わせてあわてて投げてから、めっちゃ惜しそうに見ていたし、やっぱりよくわかってないのか微妙だ。


「そろそろ帰りましょうか。スープを用意していますので、体が温まるでしょう」

「そうですね。スープが待ってます。イブ、家に帰って、スープだよ」


 まだ崖の下を見ているイブに、そう言ってジェスチャーしながら単語を区切って声をかけると、イブはぱっと顔をあげ、薄暗い中でもわかるくらいはっきりと表情を笑顔に変えた。


「スープ、イブ、スープ食べる。ネル、出発する」

「はいはい。帰ろうなぁ」

「ん、イブ、かえろう」

「ふっ。お前たちは本当に、いつでも食欲旺盛だな」


 そう言ってイブはネルさんの手をとり、おてて繋いで帰りだした。可愛いなぁ。となごんでいると、私と手をつないでいるライラ様がそんな風にひとくくりにして笑った。いや、私も食欲旺盛な自覚はあるけど、美味しいものは大好きだけど。でも今の流れはイブだけで十分では? なぜ私まで。

 解せぬ、と思いながらも普段の行動からは否定できないので、私は気持ちをスープに切り替えてお家に帰った。


 そして具材が細かく切られた消化によさそうな優しい味のスープで体をあたためた。イブは途中から船をこいでいた。私はちゃんと夕方から早めに寝ていて日付が変わる前に起きたので、今も寝落ちしそうなほどの眠気はない。イブをおんぶしてネルさんは出て行ったので、私とライラ様もいったん仮眠をとることにしてベッドに入った。


 この後、初日の出を見に行くことにはなっている。でも別に強制じゃないし、ネルさんは特に眠そうじゃなかったけど起きてたらなぁって言ってイブを見ていたので、多分来ないだろう。


「……」


 うーん、眠くない。明日、まあもう日付は変わっているけど、初日の出のあとはまたちょっと寝て、お昼までには起きて新年あけましておめでとうの食事をとろうとは一応口約束になっている。そんな厳密な予定ではないけど。

 でもそんな感じなので別に起きていてもそんなに困らないはずだけど、かといってこのまま起きていてもちょっと暇だなぁ。


「どうした? 寝ないのか?」

「眠くないですねぇ」


 ライラ様に声をかけられたので閉じていた目を開けて横を見る。掛け布団ごしに私のお腹の上に手をのせて、肘をついて少し上体をあげた状態で優しく私を見下ろしている。うーん、これは寝かしつけ中のママ。

 恋人になってもこの寝かしつけの習慣は変わっていない。もちろん全然嫌じゃないし、気持ちよく眠れるし好きなのだけど。


「ライラ様、もっとくっついてもいいですか?」

「いいが、どうした?」

「えへへ。だって冬ですから、寒いんですもん」


 とりあえず言い訳しながらもう一押し、恋人の距離にまで近づく。こうして布団の中でくっついているとあったかい。冬なのでからかわれることなくくっつけるからいいよね。


「ふっ。かわいいやつめ。どうだ? 温かくなったら眠くなってきたか?」

「うーん、そうでもないです」

「そうか。昨日は変な時間に寝ていたからな。だがちゃんと寝ないと、体に悪いぞ」


 ほら寝ろ、とライラ様は私の鼻先をつんつんしてそう言った。言動までママすぎる。


 実際のところ、体は大丈夫だと思う。吸血鬼の花嫁になってから、気が付いたら少しずつ自分の体が変化してきた。いつの間にか体力とか色々ついている。花嫁になったらすぐ変わったと言うよりも、ライラ様にその血を吸われる度にちょっとずつさらに変わってる感じがしてる。

 最初はライラ様とベッドでいちゃいちゃしてると体力が持たなかったけど、今ではライラ様が満足するまでして今までと同じように夜遅くに寝ちゃっていても、翌朝普通に起きて仕事もできるようになったし、それで日中眠くなることもない。それに軽く転んだりぶつけただけで擦り傷とかできなくなったから物理的にも強くなってる感じがある。

 まあ、そんなしょっちゅう転んでないし、痛いのは嫌なのでどのくらい大丈夫とか全然試してないけど、とにかく睡眠とか体力とかそう言うのは多分大丈夫だと思う。


 それはライラ様もわかっているはずなのに、こんな風に寝させようとするの、過保護が過ぎると思う。甘やかされてるなぁ。そう言う心配性なとこも好きだけど、今は眠くないんだよねぇ。あ、そうだ。


「ライラ様、お母さんみたいに寝かしつけてもらうのも悪くないんですけど、今日はそれで眠れそうにないので、今日は恋人っぽく寝かしつけてくれませんか?」

「……くくく。ふふ、いつの間にか、ずいぶんおねだりがうまくなったな」

「え? そうです? えへへ」


 私のおねだりに、ライラ様は一瞬きょとんとしてから楽しそうににんまり笑って私の顎を撫でながら褒めてくれた。別にいつも通りだと思うけど、普段そんなおねだり下手だっけ?


「ああ、つい数日前まで、あんなに恥ずかしがっていた癖に、堂々と要求するとはな」

「え? えええ、えーっと」


 言いながらライラ様が私の服に手をかけたことで気がついた。これは、夜のお誘いをしたと思われている!?

 いや、私は単に恋人として軽くキスしたりぎゅってしたりいちゃいちゃしながらぽわぽわーっとしながら寝ようと思っただけで、いやでもだからってこの乗り気なライラ様に断るのも違うっていうか、私の言い方が紛らわしかったのは事実だし。


 と思いながら、結局この日は朝日が昇るまで眠らずに過ごすのだった。


 なお、終わってからライラ様にあれは実はお誘いではなく、今度また同じように上手にお誘いできる自信はないことを説明したら、わかってるが? って言われた。ライラ様、私で遊んでるのでは? いや、全然、嫌ではないんですが。


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