第89話 釣りデート1

 今日はライラ様と釣りに来ている。釣りデートである。折角海の街に来たのだし、前からしてみたいとは思っていた。おばあちゃんの知り合いからボートを借りて釣りができると聞いて、本日は釣りデートである。

 夏は大型船の出入りが頻繁だし、冬になると海が荒れ気味になって危ないと言うことで、程よい気候といい天気で、絶好のタイミングである。解禁されてからそこそこ時間がたち一段落ついたのか、他のお客さんもいなくて今の時間だと海を独り占めなのもベストタイミングといっていい。


 小舟にのってこぎだし、そこそこ離れて魚がいそうなところについたので、さっそく釣りを開始する。前世のようなリールは当然ないけど、そもそも前世でも釣り経験はないのであってもつかえないだろう。


「そーれ」


 針のさきに魚の切り身をつけて投げ込んだ。振り子の要領で投げたのがよかったのか、なかなかいい感じに離れたところに投げれたと思う。


「うん、いい感じですね」

「こうか。エストは前世では釣りをよくしていたのか?」

「いえいえ、全然ないですね。まあイメージです。ライラ様はあります?」

「魚をとったことならあるが、釣りはないな」

「なるほどー」


 まあライラ様はあの不思議パワーで魚をすくえるだろうし、釣りのほうが効率悪いだろう。そもそも釣りって趣味枠だしね。


「でも餌が魚でよかったです。気持ち悪い虫とかだと苦手なので」


 船と一緒に釣り竿やもろもろ借りた中にあった釣りの餌は魚の切り身だ。針の方をもってひっかけられるから手に匂いもつかないし、気持ち悪くもないので現代っ子にも優しい釣りセットだ。そう言うとライラ様は不思議そうに私とちらっとだけ見て釣り竿の先にまた視線を戻した。


「虫? 水中に住んでいるのに、陸上の生き物を餌にはしないだろう」

「え? あー、それはそうですけど、水中の虫もいるので、え、あれ虫なのかな? うーん、私の前世だと、ちっちゃなミミズみたいな細かい虫が餌って聞いたことあります。なので餌いれにびっしりミミズが蠢いているとか」

「ふむ。それは気持ち悪いな。その知識でよく釣りをしようと思ったな」

「あ、ライラ様もそう言うのは気持ち悪いと思うんですね。虫とか平気かと思ってました」

「お前は知らないだろうが、生き物を殺したまま放置すると、その肉には虫がわく。まさにちいさなみみずのような小さな虫だ。びっしりと肉にうごめき、とってもとっても湧き出ー」

「わーわーわー! も! もうそれ以上言わなくてもいいです!」


 ライラ様は強くて怖いものなし、みたいな感じで普段のピクニックでも虫がでたからってびっくりすることもないから意外だなーと軽い気持ちで言ったのに。とんでもない話が飛び出てきて、聞いてるだけでぞわぞわしてきたので話を遮った。

 いわゆるウジ虫と言うやつだろう。話には聞いたことがある。死体とか傷口にウジ虫がわくとか。でも、でもほんとに無理。


 思わず釣り竿を放置して隣に座っているライラ様の膝をバンバン叩いて苦情を言ってしまう。ライラ様は普通に迷惑そうに私に視線を向けつつも口を閉じてくれた。


「き、気持ち悪いこと言わないでください」

「お前が言い出したんだろうが。と言うか、目の前にいるわけでもないのに話だけでそうも怖がらなくてもいいだろう。あまり大声をだすな。魚が逃げたらどうする。む?」


 ライラ様は釣り竿をふりあげた。じゃっと軽い水音と共に、魚が飛んできた。ライラ様は黒いもやで魚を受け止め、にんまりしながらそのまま器用にもやで魚を針から外して船の中の魚を入れるスペースに落とした。


「おー、ライラ様さすがです」

「うむ。思ったより悪くない。釣り竿ごしに水中の様子をうかがうのはもどかしくも面白いものだな」

「よーし、私も頑張ります!」


 思った以上にライラ様は楽しんでくれているようだ。気を取り直して、私ももう一度釣りに挑戦することにする。釣り竿は手を離した流れで足元に転がっているけど、まだ先は海の中だ。一度持ち上げてまだついているのを確認してからまた海の中へ。


「……」


 黙ってじっとしていると、停泊していても揺れている波の動きや、釣り竿の先の動きがわかる。ライラ様はこれをいっていたのか。あ、今つつかれた気がする。引っ張ってみて、いや、軽い。駄目だ。引きかけた力をすぐに緩めるけど、魚はどこかに行ってしまったらしい。

 うーん、結構難しいな。のんびりとするのは悪くないけど……。


「……」


 ちら、とライラ様を見る。どこか機嫌よさげに竿を握ってじっとしているライラ様は、目を閉じている。どうやら目を閉じて五感を研ぎ澄ませて釣りに集中しているらしい。

 気に入ってくれたみたいで嬉しい。ライラ様は私の遊びになんでも付き合ってくれるけど、これが趣味と言うのがあんまりない。長い人生なのだから、趣味はいくらあってもいいはずだ。


 それはそれとして、ライラ様は顔がいいなぁとつい見てしまう。朝、ライラ様が寝ている顔は見ることはできるけど、起こさないようにすぐに離れるし、ちゃんとした状態で目を閉じている顔なんて見る機会はない。凝視してしまうのも仕方ないだろう。

 うーん、見れば見るほど、芸術品のように美しい顔だ。あの吸い込まれるような瞳がなくても、輪郭ひとつとっても完璧だ。角度を変えて下から見ても、顎のラインに鼻筋、唇のふっくら感。どれをとっても見とれてしまう。シルエットだけで見てもこんなに美しいとは。知ってたけど。


「……ふふ。エスト、お前は本当に私が好きだな」

「わっ、き、気づいてましたか」


 まじまじと見ていると、ライラ様はふっと噴き出す様に笑ってから、片目だけ開けてそう言った。ちょっと驚きつつ、いや、片目ライラ様可愛すぎるなとまた新たな魅力にやられてしまう。ウインクしてるみたいで可愛い。茶目っ気を感じる。


「当然だ。ふふ、どうやらお前が釣りの楽しさを理解するには十年早かったようだな。……おいで」

「はいっ」


 優しい声でライラ様が膝を叩いて促したので、私はぴょいとその膝に頭から滑り込む。釣り竿は足元にぽいした。うん。ほんとに十年早いかはともかく、ライラ様が横にいてじっと心静かに自然を楽しむとか無理。


「くくく、まったく、かわいいやつだ」

「えへへ」


 飛び込む瞬間だけ片手をあげて私を迎えてくれたライラ様は、私がお膝にセットされるとすっと頬を撫でてくれる。片手は釣り竿を持ったまま、にんまりと私を見下ろしてくる。下から見たライラ様も好きー。


「にしても、以前はこれほど私を凝視することはなかったと思うが、これはお前なりの恋人としての愛情表現なのか?」

「あー、と言うか、あんまり凝視したら不審と言いますか……気持ちがバレちゃったら恥ずかしいので」

「ん? エストが私を好きなのは出会った時からわかっていたぞ」

「それはそうですけど」


 不思議そうにされてしまった。単純に好きと言う意味ならね、はい。隠す気はないと言うか、隠せないと言うか。真顔で言われると私が馬鹿みたいで恥ずかしいな。


「その、恋とか、そう言うのは、恥ずかしいじゃないですか。それに、絶対に叶わない恋だと苦しいので、自分をごまかすためにも見とれすぎないようにしていました。でも今は遠慮する必要がないので」

「ふむ。なるほどな。お前も、色々と考えていたんだな」

「実はそうなんです」


 染々言われた。何にも考えてないように見えると言ってるようにも聞こえるけど、まあその自覚はあるのでうなずく。前世でも実は成績がよかったのだけど、知らない友達に、え!?って大袈裟にびっくりされたことがあるし。


「ふはっ。自分で言うか。しかしそうか……いつからそんな風に私を思っていたんだ? 気づかなかったな」

「えっ、い、いつから恋してたかってことですか?」

「ああ」


 私の相づちにライラ様は明るく笑ってから、どこか含みのあるように目を細め、色っぽく私を見下ろしながらそう尋ねてきた。

 そんなこと聞かれるなんて、恥ずかしいな。でも気にされるの嬉しい。と思いながら答えようとして、うん? いつから?


「う、うーん……」


 ライラ様のことは最初から大好きだった。それがいつから恋心かと言われたら、どうなの? 最初から恋に落ちちゃいそうとは思ってたから、ドキドキしてもこれはライラ様の顔がよすぎるからで、そう言うんじゃないって自分に言い聞かせてたよね?

 恋に落ちないようにしようとは思ってたし、実際に落ちてもいや落ちてないと自分に言い張ってたし、自分を誤魔化しきれないとは思っていても表面的には違うと言い張ってきたつもりだ。

 でもだからこそ、いつから落ちてたかと言われると、ピンと来ないと言うか。


「なんだ、自分でわからないのか?」

「難しいです。最初からライラ様は美人で優しくて大好きでしたし、恋しちゃいそーみたいに思って意識はしてましたけど、だから恋しないようにって言い聞かせてたとこあるので」

「そうか。お前は最初からませてたからな」

「ま、ませ、ううん、まあ、はい。私はほら、前世の記憶がありましたので。精神年齢的には今とかわってない感じなので」


 ませてるとか言われるとすごい恥ずかしい。そんな、そんなえっちなことばっかり考えてたわけじゃないんですよ? 前世との年齢をあわせて大人、と言う気はない。前世でも未成年だったし、今世でも甘やかされて子供生活満喫してたからね。立派な大人としてふるまってと言われたら困る。でもまあ小さい子供って感覚でもないので、そこそこ都合よく今の年齢相応でお願いします。


「精神年齢、か。確かにお前は出会った頃と比べ、特に成長しているようには見えないが」

「そ、それより、ライラ様こそ、いつから私のこと、そんなに特別に思ってくださってたんですか?」


 なんだか私の精神年齢が永遠の十歳みたいになりそうな流れなので、話題を戻すことにする。私の精神年齢は脇道にそれてるからね。そんなことどうでもいいよね。


「ん? そうだな……っと」


 ライラ様は釣り竿をあげて、かかった一匹を処理してまた次の餌をしかけた。ライラ様、こんな話しながらもちゃんと釣りしてたのか。真面目だなぁ。そういうとこ好き。


「お前は……そうだな、お前もまた、最初から特別な存在だったのは間違いない。だが、お前を私の花嫁にしようと決めたのは…………いや、やはりやめておこう」

「え? ちょ、なんでですか? 教えてくださいよ」

「お前も答えなかっただろう」

「えー」


 ライラ様は釣り竿の先を見ながら何か言いかけていたのに、途中でちらっと私を見てやめてしまった。言いかけたのに辞められるのは一番気になる! それにはっきりしているなら教えてくれてもいいのに、と思うけど、確かに私が先に濁したわけだけど。うーん。でも聞きたい。恋人と言う意味にはあの時まで考えてなかったんだろうけど、私のことを吸血鬼の花嫁にしようとは大人になるまで待ってたってくらいには前から考えてたってことだもんね。


「あ、じゃあ、最初っから一目ぼれでした」

「お前、それで本当に私が言うと思ったか? なんだ、じゃあって。ふざけるな」

「えー、駄目ですか? 実際にいつからか自信がないだけで、あながち嘘でもないんですが」

「駄目だ。全く」


 ライラ様は私の頬を挟んで文句を言ってから笑って手を離し、また前を向いた。そしてすっと目を閉じた。もうおふざけは終わりで、真面目に釣りをするみたいだ。

 あー、無視されたー、と言う気持ちもあるけど、そんなに楽しんでくれてるんだと嬉しくなる。ライラ様が気に入ってくれてよかった。

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