第80話 ライラ視点 エストへの思い
エストを私の花嫁にすると宣言したところ、とても可愛らしく喜んでいた。そんなに照れることもないだろうに、まったく可愛い奴だ。と思っていたのだが、どうやら恋人になるのだと思って照れていたらしい。
確かに単語としてはそうとれなくもないが、それならそれで私の花嫁と言うだろう。吸血鬼の花嫁と言っているのだから名詞だと理解してもいいようなものだ。しかしそれだけ私をそう言う意味で意識していたのだろう。そう思うと可愛いものだ。
それに、別に嫌なわけではない。エストは出会った頃はつまめるほど小さかったし、今だってそう大きくなったわけではない。人間の成長速度にはあまり興味がなかったし、エストは出会った時と変わらない態度なのでいつまでも幼体のような気さえしていた。
だけどそうではなくもう成長していて、大人になっているなら。性的に成熟してその体が求めているなら、応えるのはやぶさかではない。
「だから、お前がそう言う関係を求めるなら応えてやる。そういじけるな」
「……あの、でも、そ、そう言うのは好き同士ですることなので。その、無理やり付き合ってもらっても、その、仕方ないので」
だからそう言ってやると、エストは泣くくらい恋人と言う意味でなかったことがショックだったくせに、真っ赤にはれた頬でそう断ってきた。
生意気だ、と思うが、同時にそんなエストがいじらしくも可愛らしくて胸が締め付けられる。確かに、この言い方ではそのようにとらえられてもおかしくないと思った。花嫁の下りもそうだ。わかるだろうと思って、エストでもわかるように言葉を重ねなかった。
それは私の過失なのだろう。確かにエストが言い出さなければ、私から言い出すことはなかっただろう。エストを見て、積極的に性的なことで遊びたいとは思ってこなかった。だがそれは、別にエストを好きではないということではない。
恋だとかそんな風にエストへの思いを分類わけしたことはない。だが、私にとってエストが好ましく、エストが私にとって一番大切な存在であることは間違いない。
エストは私の一番で、そしてエストの一番も私でなければならない。そうではないことは許せない。エストが性的に興奮するならその相手も私しかありえないし、私以外に口づけをし体を許すなんてことは、絶対にありえないことだ。
それに今でさえこんなに可愛く愛らしいエストが、性的に興奮して私を求めるなんて、どのような顔をして、どのような声をだして、どんなふうになるのか。そう考えると私も気になってきた。
それに、私だってそんなことはしたことがない。血を飲むことはするが、それ以外に誰かと必要以上に肌を触れ合わせるなんて気持ちが悪い。だがエスト相手ならそうではない。触れ合うのは心地いいし、エスト相手ならずっと触れていたい。私の体に劣情を持って触れてもいいのはエストだけだ。
今まで私のエストへの感情に名前を付けてこなかった。だけどこれが愛であるなら、きっと恋でもあるのだろう。エストと私の関係はなんて名前であってもいい。エストがそうしたいなら恋人でいい。それはエストの遊びに付き合うとか、無理をしてとかいやいやなんてものではない。私がそうしたいのだ。エストが求める存在の全てが、私でありたいのだ。
「だったら、私と恋人になれ。いや……なってくれるな?」
「っ!? ……はい。ライラ様、私も、ライラ様が好きです。恋人になりたい、好きです。恋人になります。いえ、してください!」
だから私なりにエストにもわかりやすいよう言葉で伝えた。エストは私の言葉に驚いたようだったが、すぐに真っ赤になって喜んで悶えている。可愛い。私の言葉で一喜一憂して、いつだって全力で私を求めている。そんなエストが、可愛らしい。
エストに出会って私は変わってしまった。以前なら、どんなに美味しくても死んでしまうのは仕方ないと思っていた。でも今は、エストがいない世界は考えられない。
エストの血は確かに美味しい。生涯死ぬまでこの血だけを飲んでいきたい。それは吸血鬼の花嫁にするのに十分な感情だろう。だが、私のエストへの思いはその程度ではない。
エストの血が飲めなくなっても、エストが傍にいるならそれでいいとすら思ってしまう。美味しいからではなく、エストが私に笑顔を向けるから。当然のように私を愛しているから、私もエストを愛している。
この思いはただ一言の言葉で言えるものではない。恋でもあるし、愛でもあるし、そのほかどんな感情を表す言葉も当てはまるだろう。私の全てが、エストなのだ。
そんな自分を、以前の自分が見れば愚かしいと思うだろう。自分でもそう思う。ただの人間を、何の力があるわけでもない。ただ図太くて、図々しくて、私をまっすぐに見ている。ただそれだけなのに。
私は、もうエストなしではいられないのだ。エストの心が私を見ていないと、耐えられないのだ。
それから誕生日会まで、私は楽しみにしていた。たった数日先のことが楽しみでならなかった。おかしなペットが増えたりもしたが、エストが自分をペット枠と思っていたのが発覚したりしておかしかった。
確かにペットのように可愛がっていた節がないではない。だけどもうとっくに、ペットとか人間とか奴隷とか、そのすべて関係なく、エストはエストだった。恋人になりたがっているくせに自覚がないのが笑えた。
そうして誕生日会を迎えて、エストを花嫁にして、私の恋人にした。
その時のエストはとても愛らしかったが、それだけで私が感情的になってしまうことはなかったはずだった。だが、口づけてエストの口内を味わうと思っていた以上に美味だった。
今まで血液しか味わったことがなかったが、血液以外の体液も味がするようだ。ごく微量で、それだけで生きていく糧になるものではないが、しかしエストの味見として風味を見ることはできた。むしろ、ほんのわずかのうまみだからこそ、もっと口にしたくてたまらなくなる。
唾液も、汗も、エストの何もかもが甘露のように美味だった。ほんのすこし歯をつきたてれば、これ以上の美味が味わえる。そう少しだけ、欲望が顔をもたげた。
だが、エストのとろけたような顔を見ると、気持ちいいと喘ぐ声を聞くと、そんな無粋な感情はどこかに消えてしまう。エストは頭の先からつま先まで美味い。だけどそれ以上に、その反応がたまらなく可愛い。もっと、もっとエストを喜ばせたい。
エストの味で興奮した私は、その興奮をそのまま欲情に変えてエストをたっぷりと抱いた。
私も経験があったわけではないが、全身を味わっているうちにエストの反応でどこがどうすればエストが感じるのかだいたいわかったので、エストも満足したことだろう。
花嫁にする際にくすぐったいと笑っていたのは驚いたが、何においても規格外のエストなので一般的な人間と感性が違ってもそれほど驚くことではない。嫌悪する反応でなかっただけいいことだ。
そうして新たなエストとの生活が始まり、私は満足していたが、エストは「今すぐじゃないんですけど、いずれは引っ越しが必要になると思うんですよね」などとまたと妙なことを言い出した。
寿命が延びたからと言うならわからなくもないが、大陸の端まで来ていくところなんてこれ以上ないように私には思えた。
だが、エストは海の向こうにだって行こうと言う。
本当に、呆れてしまう。ここまで旅をしてきて、人間のエストには楽な旅路ではなかっただろう。この家に住んで嬉しそうに楽しそうにしていたのに。あっさりと、それを手放してその次を見ている。
どうしてそんなに簡単に、先を見られるのだろうか。馬鹿だからだろう。それももちろんあるだろう。だけどどうしてか、エストのそんな愚かな提案が、私にはまぶしくすら感じられた。
ましてその理由もまた、私の為でもあるのだ。今エストのおかげで私は毎日満ち足りていると言うのに、エストはもっとたくさんのものを私にくれようとする。
エストはいつも、私が想像できないことばかり言い出す。そして考えられないくらい簡単に、私を幸せにしてしまう。
エストがそう言うなら、そうしよう。もっといい場所を目指そう。エストが満足して、死ぬまで笑顔でいられる場所を探そう。
ネルもイブも連れて行きたいならそうすればいい。まとめて暮らせるような場所を用意してやろう。それがエストの望みなら、他の誰でもなく私がかなえなければならない。
もちろん、あてもなく船旅をするなんて、そんなことはエストにさせられない。エストは愚かなのでそれがどれだけ無謀なことか、想像もしていないのだろう。そんな幼子のような無謀さも、計画性のなさも、それで堂々と提案できる陽気さも、全て愛らしい。
何か、私の方で調べてやる必要があるだろう。前の旅とは違い、多少の目途も、何より時間がある。エストが危なくないように、エストが笑顔でいられるように、エストが望む道を探してやらなくてはならない。
と、考えて笑ってしまう。こう言う風に言うと、またエストは無理に付き合わせてるなどと言うだろうか。
だけど私がそうしてやりたくて、私以外にはその役を譲りたくないから、私がしなければならない。そしてそれは私にとっても嬉しいこと。それだけの話だ。
エストはあれだけ私が大好きで私しか見えていないくせに、自分がどれだけ愛されているかの自覚が全然ないのだ。そんな自分の尻尾も見えない子犬のような盲目的なところも、可愛らしいのだが。
「マドル、まずは貿易している海路図や地形、周辺国について調べろ。他の大陸とやらも存在が知られているのか、そう言ったところからだな。あとはそうだな、お前ひとりで下見ができるか、どの程度の船の確保ができそうかも調べておけ」
「かしこまりました」
「急ぎではないが、エストがぼーっとしている今のうちに調べておきたいところだ」
冬の間は船は出せない。そう思ってエストが油断している間に、最低限方向性は決めておきたいものだ。
この冬は忙しくなるかもしれない。そう思って、少しワクワクしている自分に気づいた。全く、本当にエストはおかしなやつだ。この私をこんな気持ちにさせるのだから。
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