第45話 マドル視点 変化

 ライラ・ガートルード・ヘイワード様によって私はこの世界に生まれた。主様にお仕えすることは私の喜びそのものだ。だけど最初からうまくできていたわけでははい。

 私が生まれた時、この館は一人の老婦人が管理していた。けれど、とてもではないけれど手が回らないと言うことで私がつくられ、ライラ様は彼女に従い館と奴隷の管理をするようにと指示をされた。


 彼女、ダイアナは元々、主様にこの館と地位を渡した元領主様の乳母であった、優秀な使用人だったそうだ。ダイアナは人型の何かだった私に様々なことを指導した。

 見た目を人間らしくすることも、言葉遣いも、あらゆる家事の全て。今思えばまるで人間を赤子から育てるように根気強く、一から丁寧に教えてくれていた。

 そんなダイアナのことを覚えているので、私は人間というのは愚かな者だけではないと知っている。主様のことを恐れながらも、元主に命じられるまま死ぬまで主様に忠誠を捧げたのだから。私はその忠誠を尊いものだと思う。私も彼女のように、主様に仕えたいと思っている。


 ダイアナは優秀でまさに理想的な使用人だった。家を管理するあらゆることに精通し、奴隷たちの管理にも優れていた。最初に無駄に奴隷を消費する主様に提言をしてまで、効率的に血を採取する仕組みをつくりだした。より美味しい血を作り出すため、言葉巧みに奴隷たちを生かし血を捧げさせていた。

 私もダイアナと同じように奴隷たちの生活環境を整え、よりよい血を捧げたいと思っているけれど、彼女が死んでからはなかなかそううまくはいかなかった。


 私はダイアナのすすめるまま、彼女の若いころに似ていると言う美しい娘の姿をして、ダイアナのすすめるまま丁寧な言葉遣いを学び、人間が快適に過ごせる環境をちゃんと提供している。彼女が生きていた時と同じ姿をして、同じように完璧な世話をして、同じようにふるまって、あの頃と同じで怖がらせることはしていない。

 だけどやはり私には人が何を思うのか、その心はちっともわからないからだろう。私はダイアナとは違って、私を見て奴隷たちがなぜ怯えるのか、その怯えを取るためになんと言葉をかければいいのか、わからなかった。


 時間がたって、ダイアナがいた時にいた奴隷はいなくなる頃には、余計に奴隷たちは怯えるようになった。最終的にダイアナの死後数年で、ダイアナがいなくなったことで不安定になった奴隷が5人は処分せざるを得なかった。自傷したり、昼夜問わず金切り声をあげては泣き続けたり、血液を採取する時に反抗したり逃げようとしたから仕方のないことだった。

 いくら主様がすべて飲んで有効活用するとは言っても、過剰に消費するのはいいことではなかったけれど、他の奴隷にも悪影響を与えて管理が困難な奴隷は処分するしかなかった。


 だがそれを見ていた他の奴隷はより怯えるようになった。従順で管理しやすくはなったけれど、協力的とはとても言えない状況になってしまった。いくら奴隷を新しく買っても、勝手に集まってしまう。だからと言って交流しないように個別に生育させるのは悪手だった。2人ほど試したところ、それはそれで人間はストレスを抱えるようで病んでしまった。

 そうなるくらいなら、同じ奴隷の立場の味方がいるのだと認識させて身を寄せさせていたほうがまだよかった。たまに言わなければ食事もとろうとしない奴隷はでてしまったけれど、それは悪影響とまではいかなかったし、血液の採取には支障がなかったので妥協するしかなかった。


 本当なら、もっといろいろなことを試したかった。どうすればもっと血が美味しくなるのか、試したいことはたくさんあった。色んな食事を与えて、パターンを変えて、健康状態を考えて、その上で主様の好みに合うように。そうしていきたいのに、奴隷たちは無気力に一つの部屋にかたまっているばかりだ。


 それでも、主様は文句は言わなかった。私の仕事に文句を言うことはなかった。私を信頼して仕事を任せてくださっている。だけど私にできるのは現状維持だけだ。


 そんな中、エスト様がやってきた。


 エスト様は、風変わりで、とても奴隷らしくなかった。私は彼女をどう管理すればいいのか、よくわからなかった。だけど、わからなかったけど、彼女の血はとても美味しいらしく、そして自分からどうすれば美味しくなるのかと考えていた。私と同じことを考えて、非常に協力的で、私が知らないようなことも教えてくれた。

 エスト様は主様にも気に入られた。私はそれが嬉しかった。主様が笑ってくれる。私のおかげでなかったとして、主様が喜んでくれる。それは途方もない喜びだった。そんな主様のお気に入りのエスト様を世話することは私にとって、主様のお世話の次に楽しくて嬉しいことだった。


 エスト様は主様と違って非常に手がかかる。あれこれと突拍子もないことばかり言うし、遠慮がちな態度と裏腹に贅沢なことも当然のように受け入れる。当然のように、優しくされることを受け入れている。

 そんな彼女のことを可愛らしい、と私も素直に思った。ライラ様に気に入られているのは大前提として、そのうえでエスト様はとても好ましい人間だった。


 かつて犬を飼ったことがあった。迷い込んできた捨て犬で、このまま放置すれば森にはいって殺されることは目に見えていたし、初対面から尻尾を振って愛想をふりまいてきた小動物は素直に可愛かった。

 奴隷とは違い、大きな責任や、育てなければならない理想もなく、ただ純粋に無責任に可愛がるだけだったのもよかった。一から十まですべて私の世話が必要なのもよかった。

 私自身の好みとして、主様にそうつくられたからだけではなく、世話を焼くのが好きなのだとこの時実感した。

 でもこんな風に可愛くて、好きだなと思うのは動物だからだろうと思っていた。奴隷は家畜であって、問題があれば処分しなければならないこともある。ダイアナも奴隷個人に対して親身になってみせてはいたけれど、必要以上に個人に心を寄せすぎないようにしていた。

 

 だけどそんなことは関係ないくらい、エスト様は可愛らしくて、とても好ましいと思った。ライラ様もとても気に入っているし、エスト様のことは処分する可能性を考えなくてもいいだろう。元々主様は明確な敵対行為などがない限り積極的に処分を考えるお方ではない。


 そう判断して、私は存分にエスト様のことを可愛がることにした。ついにはエスト様以外の奴隷もいなくなってしまったけれど、エスト様があれこれ提案してくれるので、私はやることがなくて暇になることはなかった。

 今まではすでにできることをより効率よくできるようにだとか、そう言ったことくらいしか目標がなかったけれど、エスト様との日々はどんどんやりたいことが増えて行った。

 そして何より、遊ぶと言う仕事以外の時間と言うのも存在することを知った。今まで私には休憩と言う概念はなかった。それは体力や気力に限界のある人間の為の制度だと思っていた。

 だけどそうではなかった。仕事以外のことを、自分がただ楽しいことをする。そう言う時間があってもいいのだ。


 エスト様と暮らすようになって、それまでの日々とは比べようもないくらい毎日やることがたくさんあった。楽しくて、それまでの何十年の記憶が薄く感じてしまうほどだった。ダイアナの教育もあって感情は理解できていた。

 だけどそれを本当の意味で実感したのも、嬉しい時に笑みをつくる意味を知ったのも、全部エスト様のおかげだ。


「マドル先輩、お誕生日おめでとうございます。プレゼントです」

「ありがとうございます。とても嬉しいです。エスト様も、お誕生日おめでとうございます」


 今日はお誕生日パーティの日だ。エスト様からお誕生日プレゼントをもらう。これもエスト様がはじめたことだ。誕生日を祝うと言う発想が私にはなかった。祝ってもらうこと、こんなにも嬉しくて、満たされることだなんてまったく知らなかった。

 エスト様は誕生日プレゼントとして、毎年お手紙をくれる。二年目にお手紙じゃないものをプレゼントしてくれて、それはそれで嬉しいけどお手紙が欲しくておねだりしたことで毎年お手紙をくれることになった。

 主様はそんな私を笑っていたけど、主様だって本当は喜んでいたくせに。いつも素直で一生懸命なエスト様だから、くれる言葉はいつも温かい。手紙でもらうと、読み返すだけでいつでもそれを思い出せる。

 毎年だと内容に困るかと思ったけど、今年はこんなことをしてあんなことをしてくれてありがとう、楽しかった、なんて風に一年を振り返るようなお手紙を書いてくれるようになった。私は記憶を失うことはない。だけど改めてその記憶は特別な記憶なのだと実感できて、とても嬉しい。


「今年も詩は書いてくれないのですね」

「うっ。そ、それは、恥ずかしいからもうないですって、言ったじゃないですかぁ」

「くくく。そうか? 私は好きだったがな」

「私もです」

「ライラ様笑ってるじゃないですか、もー」


 三年目は詩も書いてくれたのに、残念。自分で何かを新たに作り出すと言うのは非常に大変なことだ。エスト様があれこれとヒントを下さって私も真似事はできているけど、詩となるとまったくわからない。だからこそ、エスト様の独創的な詩は好きなのに。

 エスト様は少し身長が伸びたからと大人になったと思い込んで、以前よりちょっと反抗的なところがある。頭を撫でられるのも抱っこをされるのも照れながらも嫌がらないので可愛いものだけど、人間のエスト様はいくつになろうと子供だと言うのに。


 全員で試行錯誤した誕生日用のご馳走を食する。初回は一人だけの私がお祝いを受けていたけど、祝われる喜び、主様にあーんしてもらいあーんして差し上げる貴重な機会なので、二回目からずっと最低限の二人以外が参加している。

 食事をするのは面倒なものだけど、何度も食べていると多少は面倒くささが減ってきた。何より、一緒にたべるだけで本当にエスト様が嬉しそうにしてくれるので、誕生日くらいは普通に食べることにしている。


「ほう。今年のケーキはまた、美しいな」

「わー! すごい! すっごい綺麗で美味しそうですね!」

「お褒めいただき光栄です」


 しっかりしたタルト生地にフルーツを敷き詰め、上から薄くゼリーをぬってしあげているのだ。透明なゼリーがフルーツの色を透かしていて、光を反射した奥行のある色味が宝石のように美しい。

 これもまたエスト様の発想だ。骨によりゼラチンと言う、煮凝りのようにすることができる食用品が探すとあったのだ。エスト様がそう言うのがあるはずで、と言うから探したけれど、本当にあるとは。しかもそれをケーキにつかうだなんて。


「エスト様、あーん」

「あーん、んー! 美味しいです! さっすがマドル先輩! 最高です!」


 来た時と変わらない、無邪気に大きな口を開けて私からケーキを食べるエスト様は、ニコニコと笑って親指をたてた。ああ、可愛らしい。


「完璧なタルトですよー。ゼリーで表面が固まっていて食べやすくて、美味しいです」

「そうですか。それはよかったです」


 まるで本物のタルトを知っているかのような発言。お姫様だとして、こんなものを幼少期から食べている人がこの世にいるのだろうか。ここにはいろんな奴隷が送られてくる。多くは貧乏で売られた人間が送られてくる。だけど時折、様々な事情で裕福な生活をしていたであろう人間が送られてくることもあった。だが、そのどれもがエスト様とは違いすぎる。

 エスト様の知識はどこからきているのか謎だ。正直とても気になる。ただの村娘の知識ではないし、ご令嬢の知識でもない。だけど少なくともエスト様はぼろの服を着たガリガリの子供で、親に捨てられてきた子供なのだ。今の私ならダイアナの言葉がなくても、過去を詮索すべきではないとわかる。


 いつか、話してくれるだろうか。エスト様と過ごして、エスト様のことが好きになった。エスト様の好きなもの、好きなこと、たくさん知ったつもりだ。エスト様の言葉はいつもまっすぐで、何を考えているのかわかりやすい。それでもきっと、人間ではない私にはエスト様が何を考えているのかわかっていないのだろう。

 それでもいつか、もっと、エスト様の全てを知りたい。人間のことを知りたいとか、主様の奴隷運用の為だけではなく、私が知りたい。


「主様、あーん」

「ん。うまいな」


 主様もすっかりなれたご様子で、私の差し出すフォークから食べてくださる。何度味わっても、これ以上なく満たされる。あのプライドの高い主様が私から子供のように物を食べてくださるなんて。

 私は年に一度の幸せをかみしめた。


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