第14話 お祭りの気配
お昼を食べてライラ様の見回りについていった帰り、玄関をくぐる時に私は遠くから響く音を聞いて振り向いた。
「ん? どうした?」
「いえ、今何か、音がしたような気がして」
「ああ、太鼓の音だな。近くで祭りがあるんだろう」
「お祭りですか!」
お祭りと言えばもちろん前世の記憶のある賢い私は知っているけど、この世界では全く縁のないものだった。屋台がずらり、なんてのはさすがに高望みとしても、きっと音楽をならしたり、輪になって踊ったり、一つ二つくらいは屋台があって、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎなんだろう。
収穫祭、と言うのは昔からあるものだしこの世界にもあるだろうとは思っていたけど、全然私の村ではなかった。祝えるほど収穫できなかったんだろう。この辺りにはあるんだー。見に行きたいなぁ。とは思うけど、さすがにそれは高望みだよね。お金もないし、ランニングになれても半分もたどり着けていないから、お手軽に日帰りで行って帰れるものでもない。
「おめでたいですねぇ」
と言って濁しておく。行きたいって我儘を言って困らせたら駄目だもんね。ふふん。このくらいの気遣い、奴隷として当然なのです。
ライラ様は私を抱っこしたまま玄関をくぐり、下ろしてもらって上着をぬぐ。前より寒くなってきたので、室内でも脱ぐとちょっと涼しく感じる。
「おい、知っているか? 三日後が赤の満月だ」
「あ、そうなんですね。気づいてませんでした。と言うことは、吸血鬼の力が強まるんでしたっけ」
もうすぐ夕食の時間なのでそのまま食堂に向かいながら、ライラ様は私の一歩先で半分顔を振り向かせながらそう言った。横顔も綺麗だなぁと思いながら、ライラ様から聞いた吸血鬼情報を思い出す。
この世界にも月はある。普通に一つだけど色は赤くなったり青くなったりするので、前世より綺麗で好きだ。
「ああ。そうだ。最近は昼型の私だが、満月の夜は別だ」
「あ、そうなんですね。じゃあ、四日後は夜までお会いできないんですね」
「そうだな。だが、それよりも、祭りも三日後が本番だ。赤の満月に合わせて開催されるからな」
「へー、ライラ様もしかして参加されるんですか? 領主様ですし、挨拶したりとか?」
「くくっ。馬鹿め。そんなことをすれば大騒ぎになるだろうが」
言われてみれば、別にここが領内の首都ってわけじゃないんだもんね。地方の小さな村のお祭りに大臣とかのお偉いさんがきたらびっくりだよね。しかもこんな美女。自分も奴隷になって血を吸ってほしいと人が殺到してしまうかもしれない。
「確かにそうですね。なのにちゃんと把握されてるなんて、さすがです」
「ふっ。まあな。そして満月の夜だが……気分がいいから、散歩をする予定だ。お前も来るか? ついでに祭りの雰囲気をみるくらいはさせてやってもいいぞ」
「えっ、らっ、ライラ様好き! 行きます! 行かせてください! 私いつでも行けます!」
「くく。ああ、いいぞ」
「やったー!」
全く想像していなかった提案に私はとびついた。駆け出してライラ様の前に回って手を挙げて主張し、満足げにうなずいたライラ様に私は小躍りしてライラ様の周りを回った。
う、嬉しい! めっちゃ楽しみ! そして何より、ライラ様が私が行きたいの察してそんなにも優しすぎるお言葉をかけてくれるとか、嬉しすぎる! やったー!
「エスト様、落ち着きがなさすぎですよ。今日行くのではないのですから」
喜びがさめなくてぴょこぴょこ跳ねながら食堂に入って、席についてもひざ下をぶんぶん振って体を揺らしてしまう私に、見かねたマドル先輩がお皿を置きながらそう注意をしてくれた。
さっきのやり取りの間は特に近くにマドル先輩は誰もいなかったと思うけど、どうやら知っているらしい。さすがマドル先輩。ライラ様のことは何でも知ってるんだなぁ。有能すぎる。
「えへへ、ごめんなさい。つい。あ、マドル先輩は行かないんですか? お祭り!」
「どうぞお二人で楽しんでください。私は人間の集まりには興味がありませんので」
さすがマドル先輩、クール! 私ばっかりライラ様に構ってもらって、嬉しいけど先輩のマドル先輩からしたらいい気はしないのでは? と思ったけど、全然そんなことはないみたいだね。
マドル先輩のことももちろん大好きだし、三人一緒ならまるで家族みたいでそれはそれできっととっても楽しいだろう。だけど断られてしまったので、ライラ様と二人きりだ。
つまりデートである。ライラ様にそんなつもりはないだろうし、出会ったばかりだし私だってご主人様であるライラ様にガチ恋なんてそんな恐れ多いけど、でもね、こんな美人で優しくて気のいいライラ様と二人でお出かけなんてデート気分になって仕方ないだろう。
普段の見回りはお仕事だし、私もお仕事見学のつもりだし一歩間違うと危険だから、そんな風には思わない。でも今回は正真正銘のお遊び。しかもお祭りにお出かけなんて。デート以外の何物でもない。
浮かれた気分が収まらないのも仕方ないだろう。と自分に言い訳しながら鼻歌まじりにお風呂に入れてもらう。
「ご機嫌ですね」
「えへへ、ですです。だってお祭りに連れて行ってもらえるんですもん。楽しみで楽しみで。マドル先輩にもお土産買ってきますね!」
「その気持ちはありがたいですが、購入と言う行為には通常金銭を用いることを理解していますか?」
「ん? あっ」
なんだか非常にややこしい言い回しで一瞬ピンとこなかったけど、これ、お金持ってんの? って聞かれてる! もちろん持っているわけない。田舎でもたまーに行商人が来るし、お金を見たこともないわけじゃないけど、奴隷になる身でお金を持って送り出されるわけもなく、この生活に金銭が生じる隙がないのですっかり忘れていた。
いくら地元がド田舎でも前世の記憶があるので中身は文明人であると言う意識だったのに、文明の象徴のお金の存在を失念してしまうなんて。お願いすれば何でももらえて用意してもらえる甘やかされまくった贅沢生活にすっかりなれてしまっていた。
「え、えへへ。持ってないです」
「では用意しておきます」
「えっ!? お、お小遣いをいただけるんです!?」
「お土産を買うのでしょう? もちろん、主様や自分の分につかってもかまいませんが」
驚く私に、マドル先輩はごく普通の顔でそう言ってくれた。優しすぎん?
毎日何不自由なく、一日三食、デザートつきでたっぷり食べて、たっぷりのお湯で体をあらってもらって、柔らかなベッドで心行くまで寝させてもらい、お願いして勉強させてもらってるのにちょっと頑張れば褒めてもらい、美人で優しいご主人様に遊んでもらって、こんな生活、お金を払ってもいいくらいなのに。
さらにお金をもらえるって、……なんだかあまりにも贅沢をしすぎている、と改めて自覚して怖くなってしまう。こんなに甘やかされて、私ってこれからの生活どうなっちゃうんだろう。
「……ありがたいんですけど、とっても嬉しいんですけど、私、血を吸ってもらうのも、まだ一回しかしていないのに、こんなに甘やかされていいんでしょうか?」
「主様が甘やかしているのですから、問題ありません」
ライラ様が私に飽きてやーめた。もうこの血いらないから出て行っていいよ。と言ったら、私は追放されてしまうのか。この楽園≪エデン≫から……。いやまじで地獄では?
村にいた時は、いずれ独り立ちしてあの村をでて、身一つでなりあがっていい生活をしていきたい。なーんて野望を抱いたこともあるのだけど、今はもうそんなことは微塵も思わない。と言うかこれ以上に上の生活ある? もはやここが頂点。ペットでいいので置いておいてほしい。
「あの、ライラ様ってどういう血の味が好みなんでしょう?」
「……さあ、私には血液がありませんので」
かなり真剣に、真面目な質問をしたのだけど、マドル先輩にはちょっと呆れたようにすげなく流されてしまった。ていうか血液ないって、本当に人間じゃないんだなぁ。想像できない。どう見ても人間なんだけど。
なんてやりとりで自分の幸運な立場を改めて理解しつつ、それはそうとして全力で今の幸せを堪能すべく、お祭りってどんな感じかな。と楽しみにしていると、いつもと違うと思われたようで珍しく同室のナトリちゃんから声をかけられた。
「お姉ちゃん、何かあった?」
「! うん。実はね、今度お祭りに……」
あのナトリちゃんから話しかけてもらえた! 嬉しい! いっぱいお話しよう! と意気込むあまり、普通に「お祭りに連れて行ってもらえることになったんだ!」と言おうとして気が付く。
いや、これめっちゃくちゃ自慢じゃん。そんなんみんな行きたいでしょ。自分はライラ様に気に入られてますっていう自慢以外の何物でもないし、そうでなくてもお祭りに行きたくない子供なんている?
「お祭り? 近くのあの街の? 行くの?」
「う、うん。ライラ様と話していて、そういう話になってね。ライラ様が連れて行ってくれることになって、その、ナトリちゃんがよかったら、一緒に行けるようお願いしてみようか! 興味あるよね? 他の奴隷のみんなも誘ってさ」
マドル先輩がいかないならデート、と思っていた私をぶん殴りたい。そうだ。このお屋敷にいるのは私とライラ様とマドル先輩だけではないのだ。寝る前の短い時間しかいないし、挨拶しかしないからついつい忘れかけていたけど、ここにはほかにも奴隷の同僚たちがいるのだ。
残念だけど、でも考えてみたらこれは同僚の人と一緒に楽しいイベントをこなして、仲間にいれてもらう大チャンスでもある。学校でも、普段はない学校行事を一緒にこなすことで思いもよらない友達ができたりするもんね。これだ!
「いっ、いらないいらないっ! 絶対にやめて!」
「え、あ、うん。無理にとは言わないけど。夜だし、眠いよね。ごめんね?」
私は思いついたままそう誘ったのだけど、ナトリちゃんはあわてたように首を振って拒否をした。その強い拒絶にびっくりしつつ、何か地雷ふんじゃったのかな? と慌ててフォローを入れると、はっとしたようにナトリちゃんはすぐに落ち着いて顔を伏せた。
「……ううん。えっと、気持ちは、嬉しいよ? でも、その、そう、私、もだし、他の人も、ここからそんなに遠くないところからきてるから、お祭り、行ったことあるの。だから、大丈夫」
「そう? そうなの? もう飽き飽きしてる感じ? 何かお土産とかもいらないの?」
「うん、そう。だから、気にしないで」
「そうなんだ……」
えぇ。同じどこか遠くの貧乏庶民でみんな同じような立場、と思ってたら全然そんなことなかったのか。奴隷として集められる人買い道中も、一番最初に回収されたのが私だったけど、まさかそんなに差があったなんて。そこまで拒否するほどお祭りが嫌って。こっちはこんなに楽しみにしているのに。
別に? 私の魂は都会っ子だし? 全然気にしてませんけど?
「じゃあ、ライラ様と二人で行ってくるね。あ、夜遅いと思うから、その日は別の部屋で寝させてもらうから、普通に寝ていてもらって大丈夫だから」
「う、うん。ありがとう。お祭りの日は、三日後の満月の夜で、二人で夜遅くまででかけるんだね。わかった」
「うん、お祭り以外でまた楽しいことがあったら誘うね」
「う、うん……おやすみなさい」
「あ、うん。おやすみなさい、ナトリちゃん」
律儀に復唱までしてくれたので、物静かなタイプみたいだけど真面目に話を聞いてくれてるんだなぁ。と感心していたらあっさりおやすみのあいさつをされてしまった。まあナトリちゃんは私より子供だし、これでもいつもより起きてたほうだしね。
いやー、今日はいっぱい喋れちゃったな。これはナトリちゃんの心の氷が解ける日も近いかも。
いいことって続くなぁ、と私はいい気分で明かりを消してベッドに入った。
「……おねえちゃん、一個だけ聞いてもいい?」
「え? あ、なになに? 何でも聞いて?」
目を閉じた静かな空間に声がして慌てて目をあける。横を見るけどナトリちゃんは仰向けに寝転がったままみたいだ。
「うん……楽しい?」
「もっちろん、毎日楽しいよー」
「そっか……よかったね」
寝ながらお喋りするのも、リラックスした状態での会話だからいいかもね。促すと、ためらったようにどこか間を開けながら、いつもよりゆっくりした柔らかい声でナトリちゃんは私にそう尋ねた。即答すると、どっちが子供かわからないような、ほんとにほっとしたような声で肯定された。
もしかして、私が奴隷のみんなと仲良くなれてないの気にしてくれてたのかな? ナトリちゃんともまだ親しいとは言えてないのに、優しい! いい子! 好き!
「ありがとう。ナトリちゃんともまた今度でいいから一緒に遊びたいな」
「……うん。おやすみなさい」
「あ、うん。改めておやすみなさい」
心が温まり、私はぽかぽかしたまま今日もぐっすり眠りについた。
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