第6話 お屋敷探検

 洗面台に向いたところで、ほとんど無意識に歯磨きをしようとしてから、そんなものはないことに気がついた。

 あまりに生活が前世的過ぎて完全に感覚が麻痺していた。とは言え、なんにもしていなかったわけではない。空腹を紛らせるために色々口にいれていた私は、噛み続けるといい感じにブラシっぽくなる枝を持つ木を知っているのだ。

 とは言えここにはそれもない。そもそも世間はどうしているのだろうか。田舎だったのだしそもそもあんまり食べるものがなかったので、口をゆすぐくらいしか他の人はしてなかったけど、ここはすでに照明もあるのだし、歯ブラシくらいありそうだ。後で聞いてみよう。


 とりあえず部屋から出て、気を取り直して早速探検開始だ!


 まず私たちの部屋は建物の三階にある。この階は客間が多い。通路は内側なので窓が無いけど、明かりもあるし、内側の壁には壺や絵が飾ってあるのでそんなに圧迫感はない。内側にあたる館の中心部分にあたるところにドアがないので、なんだろう、この空間は。

 と思いながら四階にあがると、階段のすぐ前に窓があったので覗いてみると、どうやら三階の途中まで建物がなくなっているらしい。屋根が見える。屋根と言っても平坦だし、とっても広くて運動場みたいだ。洗濯物が干してあるけど、ひろすぎて一部しか使っていない。出入り口は左右に二か所ある。


 そうなると今度はその下が気になるので、二階に降りてみる。二階は三階と同じような作りだ。部屋数が違うので用途が違うんだろうけど、さすがに部屋の中を全部開けていくのは駄目だろう。勇者じゃないんだから。

 一応マドルさんからはどこに行ってもいいとは言っていたけど、例えば部屋でゆっくりしているところに鍵がかかってたとしてもがちゃがちゃドアノブを触れたらびっくりするし不愉快だろう。

 それでもし万が一、ライラ様の部屋だったら即クビになってもおかしくない。私はちゃんと空気が読めるのだ。


 二階は真ん中部分が窓から見えた。どうやら一階からの吹き抜けだったみたいだ。あれは、もしや最初にライラ様に挨拶したところか。はー、こうやってみるとほんと広いなぁ。

 その他には私が使ってた食堂、お風呂があるのはわかっている。あと匂いからして台所があるみたいで、残りもドアの間隔的に大きな部屋がいくつかある。扉の上にネームプレートみたいなのもあって、部屋の区別がつくようになっていると言うことは、この階層は個室はないのかな? だったらドアを開けてみても? うーん、でも使用中とかだったら。


「どうかされましたか?」

「わっ! ま、マドル先輩」

「はい、マドル先輩です。何やら悩んでおられるようでしたのでお声がけしました」


 ひと際大きな部屋は扉が気になってドアの鍵穴から見れないかな? 中から音するかな? と様子をうかがっていると後ろから声をかけられてめちゃくちゃびくりしたけど、普通にマドル先輩だった。


「悩んでたわけじゃないですけど、入ろうかどうしようかと」

「自由にして構わない、と説明したつもりなのですが」

「そうなんですけど、マドルさんとかライラ様の個室だったり、お仕事中のところだとまずいですよね」

「問題のあるところは鍵がかかっています」

「でも……がちゃがちゃされたら嫌ですよね?」


 一度死んだことで割と開き直ってるし、元々結構図太い性格をしているつもりだけど、さすがに昨日きたばかりの職場で我が物顔ができるほどじゃない。なのでいいよと言われたからって知らない場所を隅から隅まで家探しは難しい。

 とは言え、いいよって言ってるのに? みたいに不思議そうにされてしまうと、言うことを聞かずに迷惑をかけていて言い訳をしているような感じになってしまった。


「……ふむ。わかりました。私が館内の案内をしましょう」

「えっ、いいんですか? お仕事中じゃないんですか?」


 と、戸惑う私にマドル先輩は一瞬考えるようにしてからそう提案してくれた。その顔は迷惑、と言う感じもない。淡々としていて無表情だけど、悪く思われてるのではない?


「他の私がしますから。まずここですね。ここは書庫です」


 そう言ってマドル先輩は目の前の扉を開けた。ちょっと重厚な両開きの扉が開いた奥は本棚がずらっと並んでいた。


「うわぁ」


 その整然さに思わず中にはいる。本棚にはぎっしり本が入っているみたいだ。書庫と言うには立派で、真ん中にはテーブル席もあって単なる書庫と言うより図書室っぽい。いや、よく考えたら書庫って別に規模は指定してないから、大きくても本を保管してたら書庫なのかな? まあとにかく。


「本はお好きですか?」

「はっ、す、好きになりたいですけど、字が読めないので」


 はい好きです! と言いかけたけど、危ない。私はこの世界の文字がそこまで読めない。前世では読書は趣味の一つだったけど、ここは貧民まで文字教育が行き届いているような世界ではない。村長の家とかは読めたし、そこの子に多少教えてもらって生活に必要な単語など覚えているものもあるけど、本を読めるレベルには程遠い。


「不思議な物言いをしますね。ですが、興味があるなら文字を教えましょうか?」

「えっ、興味はありますけど、いいんですか? マドル先輩は仕事で忙しいのに」

「さっきも言いましたが、問題ありません。以前は全ての私が働いていましたが、今は人数も減りましたし、一人二人の私が遊んでいても問題ありませんよ」


 一人二人の私ってすごい表現だ。何人いるんだっけ。確か10人だよね。10人でこの大きいお屋敷を管理できるのすごいけど、じゃあ、マドル先輩も割と暇ってことなのかな? だったらお言葉に甘えてもいいのかな? うーん、でもそこまで至れりつくせりでいいのかな。他の人は部屋で大人しくしてるってことなのに私だけ手間をかけさせるってあんまりいい家畜じゃないような。


「嬉しいですけど、本当にいいんでしょうか?」

「構いません。奴隷とは言え、すぐに死ぬわけではありません。長ければ何十年とここで過ごすのです。文字を覚えることでできることも増えるでしょう」

「! そ、そうですよね!」


 これってつまり、できることが増えたら私にもお仕事をまわすこともあり得るってことだよね! そっか、私まだ子供だし足手まといだからこそ、ちゃんと教育を受けろってことだね!

 さっきいらないって言われたのちょっとショックだったけど、つまり大切にしてくれてるってことだったんだ。そうだよね! 家畜を美味しく食べるには大事にしないといけないもんね。


「私、頑張ります! マドル先輩、お願いします!」

「わかりました」


 マドル先輩はどことなく満足そうにうなずいた。


 それからさっそくマドル先輩から文字を教えてもらうことになった。ここで使われている文字はいわゆる表音文字。口にする音をそのまま表している。漢字じゃなくてひらがなみたいなものだ。

 でもなんというか、ひらがなよりは難しい。発音が微妙に違うと綴りもちがうし、音をそのまま文字にすればいいってものではない。だからこそ、教えてもらってもすぐわかるわけではない。母音と子音で絶対セットならわかるのに、なんで母音母音母音子音なんて並びがあるのか。そこに存在するのに実際に発音には出さないとか、ひっかけか。

 なので口では話せてもそのまま文字にすると綴りが違って別の意味になったりもするのだ。しかも本を読むとなると修飾語など私の日常で聞いたこともない言葉もたくさんでてくるだろう。


 最低限、母音と子音自体はわかっているので、難しい綴りのない単純な名詞やお金のやり取りの為の数字や生活に密着している単語は覚えているけど、長い文章はどれが修飾語でどれが動詞なのかすらかわからない。

 とにかく単語がわからないのだけど、なにから手をつけていいのかすらわからない。


 と言う私の現状を理解してくれたマドル先輩は、私に絵本と文字を練習する紙とペンをだしてくれた。


「まずは簡単な単語から覚えていきましょう」


 マドル先輩に絵本を読んでもらうと、思ったよりわかった。なるほど。子供向けの本は言い回しも簡単になっているからか、わかりやすい。知らなかった単語をメモして、自分の中に語彙を増やしていく。


「思ったより文字もちゃんと書けますね」

「ありがとうございます! でもこのペンって書きにくいですね。あ、村では枝で地面に書いて文字を覚えていたので」

「それよりはそうかもしれませんね。ですがちゃんとペンを持てていますよ」

「えへへ」


 褒められた。照れる。まあ、ペンが持てるとか前世の記憶のある私にとっては当たり前の事なんだけどね。


 それからしばらくマドル先輩に文字を教わっていると、最初にマドル先輩が持ってきた絵本は短い内容なので完璧に覚えてしまった。単語はまだちょっと不安なところもあるけど、少なくとも読む分には完璧だ。


「ふむ。では次の、いえ、そろそろ昼食の時間ですので、一旦終わりましょう。次、エスト様が望むのならまた明日この時間に続きをしましょう」

「はい! よろしくお願いします!」


 私もちょっと集中力きれてきたところだし、そう言われるとお腹も空いてきたので手をあげて返事をした。


「では私は昼食の用意がありますので」

「はーい」


 本や勉強道具を片づける。図書室が勉強室と言うことになったので、端っこにある棚に道具を片づけるスペースをもらった。好きな時につかっていいからねって優しいなぁ。

 と言う訳で二人で一緒に部屋を出て、おそらくキッチンにマドル先輩が向かうのでついていく。


「エスト様、お手伝いは危険ですし、必要ありませんとお伝えしましたよ」


 横目で見ながら言われた。うんうん。私も、まだまだ信用を得られているとは思ってないからね。弁えてますよ。


「見学させてもらおうかと。駄目ですか? 邪魔はしませんから」

「……火には近づかないように」

「了解であります!」


 ちょっと呆れられた感はあるけど許可をもらえたので、びしっと敬礼してついていく。


 台所だろうなと思ってたところがやっぱり台所だったみたいで、マドル先輩は図書室と反対側のエリアのドアを開けて入った。

 中に入るとまず複数人のメイド姿が目に入る。寒いと言うほどではないけどちょっと涼しめの廊下に反して部屋は暖かく空気の水分多めだ。

 どうしても背が低いので一気に部屋が見渡せるわけじゃないけど、入り口近くに食糧庫、真ん中に水場があって奥の壁際に火元があるみたいだ。メイドさんは誰も反応しないから顔を正面から見ていないけど、髪といい雰囲気といい、全員マドル先輩みたいだ。

 いや、聞いてはいたけど、ほんとに全員マドル先輩なのはわかっててもちょっとびっくりする光景だ。


「では、失礼します」


 入り口で立ち止まって中を見渡す私に、私がついてきたマドル先輩はそう言うとすっと離れていってしまった。

 とりあえず食糧庫の前を通過する。中が見えない棚はともかく、その隣は根菜とかが籠の中に入っている。でも棚の規模にしたら量はかなり少ない。昔はもっといて今はすくない、ってそう言えば言ってたっけ?

 この大きな建物がフル稼働するレベルをマドル先輩10人で管理してたこともあるってことか。それって大変そうだけど、それに比べたら今は余裕があるってことか。すごいなぁ。


 次に目を向けたのは部屋の真ん中の洗い場だ。蛇口がならんでいる。ここの水道はスイッチ式でONにすると水がでてくる。非常に現代的だ。私がいた村がど田舎にしたって、文明レベルに差がありすぎでしょ。

 マドル先輩の一人がキャベツを洗ってザルにあけ、シンクを半分隠すような蓋が台になっているところで千切りキャベツをつくっている。まあキャベツと言いつつちょっと黄色いし多分違う種類なんだろうけど。


「……」


 にしてもすごい包丁さばきだ。家にあった包丁なんてペティナイフくらいのものだったけど、まるで大きなこんにゃくの塊みたいな四角い包丁が上下してどんどん細切りキャベツが生まれ、まるでキャベツが膨らんでいくようだ。


「……エスト様、楽しいですか?」

「うん!」

「そうですか。それはよかった」


 この水場を回り込んで入ってきた側と反対側の壁は火がある。壁際から飛び出すようにして台があり、その下に穴があって煤汚れがこびりついていて、前は薪を入れて火をつける感じのかまどがあったんだろう。でも今は上の部分に現代コンロみたいなのが並んでいる。

 現代的だけど建物は昔からあるのかな。私の部屋とか自然だったけど、この辺は本当は見せるところじゃないからか、雑な感じだ。でもその感じが時代を感じられて面白い。

 火の所には三人のマドル先輩が並んで調理をしている。右側はスープを作っているみたいで大きな鍋をかき混ぜていて、どんどん器にいれている。左側の二人が焼き物をしているみたいだ。

 あー、焼いてるのはまさか、お昼もお肉を? いい匂いがするー! お腹空いてきたなぁ!


 と、見ていると右側の火の方のドアが開いてマドル先輩が入ってきた。台車を持っていて、そこにスープをのせていく。あ、もしかしてもうすぐご飯なのでは!? と思っているといつの間にか隣にいたマドル先輩は人参の千切りも入れて仕上げに何か白いものをかけたサラダをお皿にもりつけていた。

 てか早いな!


「マドル先輩、もうお昼ですか? 食堂に行った方がいいですか?」

「そうですね。場所はわかりますか?」

「はーい!」


 もう食べられると思うとお腹がなってしまったので、お腹を押さえながら私は食堂に向かった。


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