第33話
夕刻を迎え夕陽が校舎に差し込んでいる。
日中、あれだけ沢山の人で溢れかえっていたこの学校も閉幕式を終え各々片付けが終わり帰宅したということで閑散としている。
静寂に包まれた校舎の入り口。
そこに俺はポツンと一人で佇んでいた。
別に体育祭で体力を使い果たしてへたり込んでしまったわけでもなければ、ただ余韻に浸って立ち尽くしていたわけではない。
今日は、妹と一緒に帰る約束をしていたので、こうやって待っているのだ。
体育祭は、結局青軍の大逆転優勝で幕を下ろした。
午前では赤軍が独走していたが、青軍も100m選抜や午後の借り物競走で高得点と叩き出し、選抜リレーでは女子が2位で男子が1位という成績だった。
体育祭がより盛り上がるために毎年リレーの配点はとても高い。今回は青軍にとってそのシステムが功を奏した形だ。
そう考えると……惜しかったな。
結局のところ俺たちは、2位だった。女子のリレー選抜では1位を取れたから優勝は決まったと思っていたのに、男子で4位。この結果が大きく響いた。
けど、アイツの走り結構凄かった。
思い出すのは、あのリレーの最後のデットヒート。
完璧なバトンパスからドンドンと加速していってもう少しで2位でバトンを渡せそうだったのだ。
……よかったよ、ケガとかあまり気にしてる様子はないし。
軽快にそれでいて力強い走りだった。
あのミサンガで気が紛れた……
とかなら俺も渡した意味もあったのかな。
何も巻かれていない右手に視線を向ける。
ミサンガをアイツに渡す。
それをなにも考えずに渡したわけではない。
俺にとっては妹から貰ったものはどんな物よりも価値があって毎年の誕生日プレゼントだって今も大事に机の引き出しや棚にしまっている。
だけど、あの時。
普通なら葛藤の挙句きっと渡さなかったであろう妹から貰った大切なミサンガを何故かアイツに渡そうと思ったんだ。
あれは……なんでだったんだろう。
葛藤はしていたはずなのに。どうして、渡せたのだろう。
これは、おそらく初めての感覚だ。
いつもは、妹ファーストでこんな感覚に陥ったことにならなかったんだから。
「はぁ……だる」
無意識にポツリと呟く。
静寂に包まれている空間にその声は確かに響いていた。
「まったく……辛気臭い声ね」
背後からとても聞き慣れた声がした。
今日、一番喋っていたと言っても過言ではない彼女のあの声が。
声のする方に振り返ってみると、そこには星野が立っている。
「お前……まだいたのか?」
「いちゃ悪い?ケガの手当てで保健室に行ってから片付け始めたから遅くなっちゃったのよ」
そう言う彼女の膝には手当てされたのかガーゼが貼り付けられていた。
さっきと変わらぬ体操着の姿でこちらに歩いてくる。しかし、ポニーテールたった彼女の髪形はほどかれていて、風に揺れる姿は幻想的だった。
「もう膝は大丈夫なのか?」
「まあ、お陰様で大事にはならなかったわ」
「なら、よかったけど」
涼しい顔でそう答える彼女はいつもと変わらぬ様子だった。
身のうちに秘めていた不安が安堵に変わっていく。
「それとさ……」
もう別にこれと言って話すことはないはずなのに、彼女はまだ何か言いたげな様子だった。
「どうした……?」
「そ、その……ありがと。色々してくれて助かったわ……」
普段彼女がこうやって面と向かってお礼を言ってくることはあまりない。その珍しさゆえに俺は彼女が頬を染めながら「な、何か言いなさいよ……」と言うまで言葉が出なかった。
「いや、バカ素直でちょっと驚いてる」
「なっ……べ、別に私だって感謝してる時はちゃんとお礼ぐらい言うわよッ……」
「そんなところ見たことないんだが??」とか余計なことは口に出さない。別に軽口を叩き合いたいわけではないから。
視線を少し逸らし照れくさそうにする彼女に向かって俺はただこう言った。
「俺の方こそ今日はありがとう。お前にいっぱい助けてもらった」
彼女はこうやって感謝の言葉をを述べてくれているが、俺も今日はコイツがいなかったら多分この体育祭を楽しいと言えなかっただろう。
もし、あの場面でコイツに家庭部の助力を頼んでコイツが引き受けてくれなかったら……あれだけ、準備しながら成功させることができなかったと。ずっと悔やんでいたに決まっている。
だから、そう言う意味では俺の方がコイツに助けられていたんだ。
「ふふっ……変なの」
「なんでだよ…」
「だって、アンタが私にお礼を言うことなんて本当に数えるほどだったじゃない。」
「そうか?」
「そうよ」
主観より客観的に見る方が世間一般的には正しいとされているのだからコイツが言うなら多分そうなのだろう。
非常に不服だがな。
誰もいない玄関でクラスメイトの男女が互いにお礼を言い合う。
第三者が見ていたら少し恥ずかしい場面でもあるが……案外悪くない。
「あ、そうだ。これだけど、やっぱりアンタに返すわね」
思い出したように彼女は、自分の利き手から例のミサンガを取り外そうとした。
「いや、それはお前にあげたんだが??」
俺は確かに星野にあげると言ったはず。貸すとは言ってない。
「アンタはそう言うけど、本心では大切なものなんじゃないの?妹さんからもらったやつなんでしょ?」
「それは………」
まるですべての葛藤をお見通しだったかのように彼女は俺の複雑に絡まった自分でもよくわからない難しい心境を言い当てていた。
「それに、あの時は私も余裕がなくて……そのミサンガに縋っちゃって……思わず手に取っちゃったけど、せっかく妹さんがアンタに向けて作ってくれたんだから私がもらっちゃ悪いでしょ?やっぱり、私じゃなくてこれはアンタが持ってるべきだわ」
「………」
「……大事で大切なものなのなら尚更でしょ?」
手放したことへのちょっとした後悔と妹への罪悪感は残っている。
だけど、俺はこの選択を間違いだと思ったことはない。
しかし、自分の中では想いが決まっているのか星野は俺にミサンガを返そうとしていた。
ミサンガが巻かれている右手に自分の左手が触れた時、ふと彼女はポツリと呟いた。
「あのさ、最後にちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「ええと……その」
いつにもなく煮え切らないようだった。
「その……どうして、私の利き手にこれを巻いたの?」
その声は、いつもの彼女の声音と比較すると本当に弱々しかった。
こんなこと聞くべきなのか。彼女が声に出している時でもそのことを迷っている、俺の反応、返答を恐れるようなそんな声をしていた。
「それは……」
単純に俺の利き手に巻かれていたから同じように巻いたと言おうと思った。
あの時は、どちらに巻くとかそんな深いことを考えている暇なんてなかったのだ。
だけど、そんなことでいちいち彼女がこんな顔で聞いてくるだろうか。
もしかして……どっちに巻くとかで意味が変わってくるのかあるのか??
願掛けということもあり、そういう可能性は十分にあり得る。
もしかして、利き手に巻くことがタブーだったりしたのだろうか。
言っておくが、ミサンガの効果なんて詳しく知らない。
ただ、巻いておいてそのミサンガが切れたらお願いが叶う。
知識はこの程度。
だから、例えタブーを犯していたとしても俺は気付くことができない。
でも……あの時星野も特に反応してなかったよな。
アイツは、俺にミサンガを巻かれている間特に抵抗などはしてこなかった。
仮に知識があるとするならば、多分全力で拒んできただろう。
ということは、星野がミサンガを巻いているときに第三者に指摘されてミサンガの知識を得た可能性が高い。
もし利き手に巻くという行為がいい効能を生み出すというのならこうやっていちいち聞いてくることなんてないんだしこれは、間違いなくタブーを引いてしまったんだな……
ただ何か力になりたいと思ってやっていたら、タブーだった。
これを知った彼女の心境は容易に想像できる。
あれだけ自信満々に力説しておいてこんな惨事なら騙し討ちだと言われても仕方ないな。
取り敢えず、謝罪するか。
知らなかったとは言え、申し訳ないことをしたのは事実だし。
「あ、あのな……」
「う、うん……」
「別に揶揄ってやったわけじゃないんだ……」
これをまず言わないといけない。
俺は星野に少しでも自信を持って欲しくてミサンガが少しでも力になればって思って渡したんだ。
「そ、そうなの……?」
「あ、ああ……ただお前のことを想って……自分にはこれしかないと思ったから渡したんだ、もし不快だったのなら、謝る。悪かった」
「べ、別にッ!ふ、不快だなんてこれっぽっちも思ってないっ!謝罪なんていらないからっ!」
食い気味に星野が言葉を挟む。
その言葉は予想外で、俺は思わず視線を彼女の方に向ける。
夕陽が差し込みお互いの頬が紅く染められながら俺たちは、お互いを見ていた。
「わ、私はその……嬉しかった……から」
解かれた髪を指でくるくるしながら彼女はそう呟く。
「嬉しかったのか………?」
「うん……」
「そうか」
それは、ミサンガの効果よりも心遣いという意味で言っているのだろうか。
それならば、俺もこの決断は間違っていなかったって胸を張って言える気がする。
「何笑ってんのよ…?」
本当の意味で不安が解消されたのかもしれない。
無意識のうちに笑顔になっていたらしい。
「いや、わかってもらえてよかったよ。お前のことだから、また「なんでこんなことしたのよっ!!ばかっ!」ってガチギレすると思ってたから」
「は?私がキレるわけないでしょ?寧ろなんでガチギレするのよ?」
「え?しないのか?」
「するわけないでしょ……だってその……」
「なんだよ?」
「その…………」
「そんな小声で言われても聞こえないぞ?」
「わ、私もね。その、えっと……割とね、アンタのこと――」
彼女が何かを言いかけたその時だった。
「おにい!!いま、終わったよ!!」
優勝して機嫌が最高潮の妹が走って向かってくる。
内心では、えらい!さすが!よくやったぞ!と頭をなでなでしたい衝動を抑えて冷静な雰囲気を装う。
「おかえり、(待機中も応援も競技もセレモニーも)ちゃんと観てたぞ。凄かったな!」
「うん、まさか私も優勝できるなんて思ってなかったからホントに嬉しい!!あ、満華センパイもいっしょだったんですね!!こんにちは!」
「あっ……は、はい……こんにちわ……」
「そうか、確か一回会ったとか言ってたな。」
「うん、前にね。それにリレーの練習でも遠目でずっと観てたし!」
「あははは……そうだったのですね」
「はい!わたし、前にも言いましたけど、満華センパイをめちゃくちゃ尊敬してるので、こうやって接点が持てて嬉しいです!」
「あ、ありがとうございます。私も嬉しいです」
あの星野が麻里奈にペースを乱されている?マジか?クラスでも絶対的存在で相手が合わせることが多いのに。
やっぱり、ウチの妹は大物になるな。
星野に近づいて握手していた麻里奈がふと顔を歪めた。
「あれ?星野センパイ?なんか、手とか顔とか朱いし、なんだか体温も高くないですか?いつもは真っ白なのに……」
「べっ!別にアツいとか全然そんなこと私は感じませんけどね?ほらっ、今日は猛暑だったので気付かぬうちに脱水症状になってしまっているのかもしれませんし!別にこれは、全然異常なわけではありませんよ?」
「そ、そうなんですね……」
怒涛の捲し立て、麻里奈に付け入る隙を与えずに星野は何故か早口で言い切った。
なんか、オタクっぽかったし、別に熱くなってるくらい変なことじゃないんだし、特に問題ないのでは?
そう思っていると、妹がまた一つ発見していた。
「あ……これ、わたしが作ったやつですか?」
まずい……いや、別にまずくはないけど最悪妹が拗ねるかもしれない。
「あ、えっと……これは、その……」
星野も同じ気持ちだったのか動揺が見て取れた。
「あのな?それには、深い事情があって……」
「ごめんなさい……私も拓実くんにお返ししようかと……」
二人でどうにかして収めようとしていた。しかし、事態は予想外の方向へ進む。
「満華センパイ!うちの兄がすみませんでした!!!」
麻里奈が突然頭を下げたのだ。
「えっ……ちょっと……麻里奈さんっ?」
「待て!なんでお前が……?」
こっちからしてみれば、妹が作ってくれたミサンガを譲ってしまったので謝るのは当然こっちだと思っていたのだ。
しかし、現実は逆さまになっている。何故か麻里奈が星野に頭を下げている。
もう、何が何だかわからない。
「ごめんなさい……きっと、兄に押し付けられたんですよね?そうじゃなきゃ黒軍なのに青のミサンガなんて付けるはずありませんから!!」
「……これってなにかのご利益とかじゃないのか?」
「違うよ!!ご利益ももちろん含まれているけど、これはウチのクラスの団結の証みたいなやつなの!」
聞くところによると、妹のクラスは全員左右の腕に青いミサンガをつけていたらしい。
「待って?じゃあ、なんでそんなものを俺に渡したんだよ?」
「だって、おにいが余りにも応援団のことでショック受けてたからじゃん。知ってる?夜の寝言で「応援団……知らなかった」ってずっと言ってるの。これ聞いたら流石に罪悪感覚えちゃうじゃん」
「だ、だからって……青いミサンガ渡さなくたって……」
羞恥に悶えながらもなんとか、言い返す。
「青いミサンガには仕事と勉強が成功するようにっておまじないがあるの!本当は体育祭終わりに次のテスト頑張ろうねっ!って意味で私と同じやつ一つ渡そうと思ってたけど、今日の朝なんかちょっと疲れた感じだったからから体育祭と勉強って意味で先に渡しちゃったの!よく見て!満華先輩の着けてる物はクラスと同じで裏に「優勝、体育祭!!」って書いてあるでしょ?」
星野が慌ててミサンガを取り外すと確かにそこには麻里奈の言った通りの文字が刻まれていた。
「流石に黒軍だし……それに私から貰ったものだから汚さないようにカバンとかにしまっておいてるかなって思ったのになんで付けて体育祭出ちゃうの?これじゃあ、お兄は立派な裏切り者だよ!?」
「妹とお揃いだったら色なんて関係ない」
「はぁ……私の見立てが甘かったか……」
遥か遠くを見つめる麻里奈。
確かに普通に考えたら、敵軍の基調の色を付けないかもしれない。
だが、当日にサプライズプレゼントってこともあり、俺に自制心はなかったんだ。
許してくれ。
さっきからずっと黙っていた星野がここで口を開く。
「ちょ、ちょっと待ってください……青色のミサンガが仕事や勉強の意味を表しているとするのならば、利き手は!?利き手は恋愛の意味を表している。これはウソなんですか???」
「いえ、それは、本当ですよ?満華センパイ。だから、この体育祭中は青軍に夢中!って意味で利き手に付けるようにしようって話だったんですけど、どうせなら両手の方が良くねっ?って話になってウチのクラスは両手着けてます」
つまり恋人は青軍という意味を込めてということか。
「え?利き手に巻くのって、恋愛を意味してんの?なら、俺は大衆の前で思いっきり裏切り宣言してたってことじゃん」
重大な落ち度に今気付いた。
今日はやたら、注目される日だと思っていたが、あの大衆の中にミサンガに気づいて「アイツ裏切ってて草」とか言ってるやつがいたかもしれないということなのか?
「だから、そう言ったじゃん。因みに一部ではウワサになってるからね?お兄がいたから青軍は優勝できたって言ってる人もちらほらいるし」
「まずい……俺、自軍の槍玉に……」
「まあまあ……お兄だってちゃんと貢献してたんだし、本気で言ってる人はいないと思うよ??」
妹からの慰め。なんて、優しいんだ。妹よ。
やっぱり、世界一まであるな。
「た、拓実くん……ちょっと、聞き捨てならないことがありましたけど……」
「な、なんだ??」
星野の方を向くと、なんだか拳がプルプルと震えている。
とっても笑顔なはずなのに、何故だろう。
悪寒がする。
「アナタは意味も知らずに人の利き手にミサンガを巻き付けたんですか……?」
「え、だって……俺の利き手に巻いてあったし……」
「ばきっ」
「ひぃ」
星野がちょうど下にあった小枝を踏みつける。
ここで、妹がそれとなく後退していることに気付いた。
おい、ちょっと待て。
何故だ。どうして……?
「拓実くん、もう一度聞きます。アナタは何も考えないでわたしの手にミサンガを巻き付けたってことでいいんですよね?」
どんどんと距離を詰めてくる星野。
やばい、素の時よりもこっちの方が数百倍怖いんだけど。
でも、星野がいうようなことは決してない。
巻きつけたのは利き手だったかもしれないけど何も考えないってそんなわけないだろ。
「なにも考えないで、妹から貰ったミサンガをお前に渡すわけないだろ。いいか、俺は妹が本当に大事で大切なんだ。だから、それ同等の存在以外になんて俺の大事な宝物を譲るわけないだろ」
この数ヶ月で、確かなことがある。
俺と星野はもう他人という枠では括られないくらいに近い関係に。
アイツがどう思っているかわからないが少なくとも俺にとっては、
もう、こいつは――
―――――――――――――――――
すみません、終わりませんでした。
この後に続けてside満華を書くつもりでしたが一万文字を超える可能性が出てきたので次回に回します。
よろしくお願いします。
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