第10話

「ひったくりだー!」


バックを掴んだ女性が、狭い街並みをびゅんびゅんと走り抜けていく。


「追えー!捕まえろー!」


という声が彼女の背中から追いかけてくるが、女性は身軽で、追手を見る間に振り切っていく。


壁を走り、物干し竿を掴んで、窓の縁を蹴上がり、縦横無尽に駆けていく。


「はっ、ちょろいちょろい…」

「ふむ、なかなかのすばやさの持ち主のようだ」

「あったりまえよ。その辺の雑兵に負けるわけ…」


そこまで会話して、盗人の女性は私の存在に気づいて、ぎょっと目を動かす。


「なんだ手前は!?」

「私の名前はクリストス。汝、盗んだものは返しなさい」


「…ちっ」


盗人は舌を打つと、手のひらにマナを充填する。

自身のマナと自然界のマナを混ぜ合わせるそれは、黒魔術。


彼女の手が真っ赤に燃えていく。


赤々と燃え上がる炎は渦を巻き、風を焼いて膨れ上がり、あっという間に人を巻き込めるほどの巨大な火柱へと肥大した。


「でぇぇぇええええい!」


その炎を私めがけて力一杯投げつけた彼女は、私を振り切ろうとまた走り出す。


「ちっ。白魔道士ってことはギルドの差金か?俺も顔が割れたもんだ。そろそろ次の街に向かうしかないな…」

「そういえばギルドに顔出してなかったな」

「じゃ、なんだって俺を追うんだ」

「窃盗がノットビューティだからに決まっているだろう?」


「ノットビューティ……って、お前!?俺の魔術は食らったはずだ。なぜ無事でいる…っ!?」

「私のせいめいの高さならば、あれくらいの攻撃、受けてもへっちゃらだ」

「あれくらい、だと…?」

「あと、私のすばやさは君より早い。諦めて盗んだ物を返しに、謝りにいこう」


路地を並走しながら、盗人は確かに私を振り切れないと判断したのか、観念して適当なところで足を止める。


「…返してどうなる」

「どうもならん。そのバックがあるべき場所に帰るだけだ」

「それじゃ困るんだよ白魔道士さんよぉ。わかんだろ?金がねぇんだよ。この取り分を逃しちまったら、飢えて死んじまうよ。それともあれか?お前が金出してくれんのか?あ?」

「君の事情は関係ないだろう。お金がないなら働きなさい。バックは戻しなさい」


「こいつ…聞く耳がねぇのか」

「私の耳の問題ではない。人と人は、本来ビューティで繋がっている。君のそのノットビューティな振る舞いは、元来のビューティをノットビューティする危険を孕む。故に君のノットビューティをビューティにしてビューティをビューティのままビューティしてほしいビューティ…」


「ビューティビューティうるせぇな!耳じゃなくて口の問題じゃねぇか!」


むぐ、と口をつぐむ私。


「ちっ、これだから白魔道士は嫌なんだ!」

「私のことは嫌いになってもいいが、他の白魔道士のことは嫌わないでおいてくれないか」

「何ヒロインみてぇなこと言ってんだこいつ…」


会話の途中で、ふと彼女が足に怪我をしていることに気づく。


「逃げる途中に負ったか」

「ん?ああ、雑兵どもの魔術だろうな。大した傷じゃねぇよ」

「避けきれなかった君の技術を卑下しているのではない。治しておこう」

「は?い、いや、いらねぇよ!」


「大地は蒸気魔術の発展で汚れている。バイ菌が入れば後々困るぞ。運がいいことに、私は白魔道士だ」

「…ちっ、わかったよ」


舌を打ちながらも、小さな傷が大きな痛手になることを理解している様子で、素直に私のヒーリングを受け入れてくれた。


「…変わった白魔道士だな。いや、変わった白魔道士しか知らねぇけど」

「白魔道士は博愛主義だ。盗人も善人も、平等に愛する」

「はっ、愛?偽善だね。そんなものこの世のどこにもない」

「あるさ!ほら、ここに」


私は自分の胸に手を当てさせて、ニカッと微笑んだ。


「うえ、気持ち悪」


露骨に嫌な顔をされたので、しょんぼりしながら手を離す。


「…ほ、ほら、バックを返しに行くぞ」

「……」


盗人はひとしきり悩んだ後、私が動かないのを見て、はぁーやれやれと肩をすかす。


「わかったよ。あんたに従う。どの道それしか手がねぇ」

「いや、君の意志で、反省していると持ち主に伝えてくれ」


私がそう言うと、盗人はすごく嫌そうな顔で私を見て。


「…めんどくせー」


と言った。


しかし、私にはわかる。

彼女が本当に盗みを良しと思っていなかったことを。

きっとバックを持ち主に戻して、今までの悪行の精算も済めば、この街で暮らしていけることだろう。


私にはわかる。

なにせ、私はかしこいのだから。

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