8-1:黒い蝶

トヲルは、眠い目を擦る。


弁当の下ごしらえは終わっている。あとは軽く調理するだけだ。ついでに朝飯も作る。手の込んだものなどはないが、それでもそれなりの手間隙はかかる。だが、それももう慣れたもので、テキパキと当たり前のように作り終えた。


「おーい、永遠。準備できてるか?」


だが、返事をしたのは永遠ではなかった。


「う、うーん・・・、トヲルくん・・・、おはよう。」


「ごめん、起こしちゃった?香奈緒さんはもう少し寝てても・・・。」


彼女は、トヲルの義理の母親だ。永遠の実母であり、トヲルとは血縁関係にない。20代後半だが、もっと若く見える。トヲルと並んでいると、親子というより姉弟に見えてしまうだろう。朝が弱く、普段ならまだ寝ている時間だ。


「うーん、二度寝しても大して寝られないしなぁ。コーヒーでも飲もうかな。」


「あ、いいよ。座っててよ。俺が作るから。」


そう言うと、トヲルは慣れた手付きでコーヒーメーカーをセットした。香奈緒は、その様子を頬杖をついて見守る。口元に怪しい笑みが見えた。


「なに・・・?何か楽しいことでもあったの?」


「んーん。うちのトヲルくんは、良い子だなぁと思ってさ。ニシシ。」


「なんだよ、それ。」


正直、トヲルと香奈緒の距離感は微妙だ。義理の親子とは言っても、10歳程度しか離れていない。血縁関係のない男女である以上、どうしてもよそよそしさは発生してしまう。


「でも、トヲルくんも珍しく眠そうだね。夜ふかししてたの?最近、誰かと電話で話してるみたいだけど、ほどほどにね。」


「え・・・?」


トヲルはアナトたちと部屋で会話する時、なるべく大きな声は出さないようにはしている。だが、多少は聞こえてしまうのだろう。どこまで聞こえているか確認したいところだが、この話題はさっさと流してしまった方がいい。


「あ、うん。まぁ・・・、気をつけるよ。」


香奈緒の方も、トヲルの私生活を知りたいとは思っているが、深くは突っ込まない。以前に探り探りで言葉を交わし、あまり良い結果にはならなかったからだ。どの道、この年頃の男の子には、言えないことも多いだろう。


だから、香奈緒はそれ以来、程よい距離感で接するように心がけていた。


そんな風に、二人が取り留めない会話をしていると、ぼんやりとした顔で義妹の永遠が起きてくる。トヲルが声をかけるも、イマイチ反応が鈍い。だがそれは、いつものことだった。


「あ、起きた?・・・永遠、寝癖すごいな・・・。ご飯食べたら、ちょっと直してやるから、早く食べな。あー、ココアでいいかい?」


ぼーっとした顔で、立っている永遠。一応、着替えてはいるが、靴下がひっくり返っている。その上、髪の毛もぴょんぴょんとあちこち逆立っていた。学校に行く準備が整っているとは、正直言い難い。


「香奈緒さんも食べる?パン焼くけど。」


「あー、私はとりあえずコーヒーだけでいいや。食べたくなったら、自分で作るからいいよ。」


「分かった。・・・ああほら、永遠、座って。朝ご飯、一緒に食べるよ。」


慌ただしい朝の時間。それでも3人で過ごすこの時間は、ゆっくりと過ぎていくようにも錯覚する。それは、ある意味では幸せな時間なのかもしれない。


トヲルは食卓テーブルに着いて、ベランダを見た。一瞬何かが見えた。だが、何事もなく朝食を食べ始める。食卓には、白米・卵焼き・サラダ・味噌汁。トヲルは味噌汁をゆっくり飲み、喉を潤す。そして、ふぅっとため息をつく。


「今日はちゃんと寝られるんかな・・・。」


トヲルは、思わずボソッとそんなことを言った。香奈緒にその意味は分からなかったが、何も言わずにコーヒーを口に含んだ。


実はこのとき、トヲルの視界にはあるものが見えていた。


それはベランダの外の景色。


「遅ぉおおおおおおおおい!!!貴様は判断が遅いのだ!!!そんなことでヤツに勝てると思っているのか!!」


「ふぁい!!教官!!!」


外では、2体のギガントが、延々と"どつきあい"を繰り広げていた。・・・それも、昨日の晩からずっとだ。だが、トヲルは最早たったの一晩で、その光景に何も感じなくなっていた。


寝不足で、正直どうでも良くなっていた。



それから、その"どつきあい"は学校の校庭でも続く。そして、学校終わりのいつもの公園や、バイト先でも延々と続いていくのだった。


公園でシオンに会った時、トヲルが"昨日の夜からずっとだよ"と言うと、軽く引いていた。それは丁度、暗黒がアナトに一本背負いを決めていたところだ。


「うわぁ・・・。すげぇな。」


だが、ギガントが熱い戦いを繰り広げるのとは対照的に、トヲルの方は寝不足でひどくテンションが低い。


「なに、寝てないの?」


「寝てなくはないけど・・・。ずっとああだからなぁ。」


「なら、メガネ外しておけば?」


「え、でも・・・。」


そう言って、トヲルはメガネを外してみる。そして付け直してみる。すると、2体のギガントは変わらず戦い続けていた。


「ああ、これ。俺がメガネしてるかは関係ないのか。」


「うん。処理はたぶん、サーバー側とかでやってんじゃないの?まぁ、シルフに管理権限渡すってなかなかないけど。ちゃんとあとで返してもらえよ。」


「あー、たぶん大丈夫だと思うけど・・・。」


正直、トヲルは寝不足で頭が働いていなかった。ただ、暗黒の性格から言って、あまり卑怯なことはしないだろう、とは考えていたが。


「とりあえず、寝る時とトイレの時ぐらいは外すか・・・。」


「トイレであんな叫び声聞こえたら、さすがに途中で止まるわな・・・。」


テンションの低いトヲルとシオンを余所に、暗黒とアナトのひたすらテンションの高い特訓は続いていった。


「遅ぉい!!」


「ふぁい!!」



そして、ランキング戦の当日。準備万端のトヲル陣営。


トヲルは、すでにビルの屋上で待機していた。アナトと暗黒もまだシルフ状態で、トヲルのすぐ側にいた。特訓を乗り越えたアナトは、精悍な顔つきに変わっていた。気力十分で、自信に満ち溢れていることが窺える。


暗黒が鼓舞する。


「さぁ、アナト!特訓の成果を見せる時!貴様の力を存分に示すがいい!!」


「サーイェッサー!!」


「貴様は刃だ!ただ一片の研ぎ澄まされた刃だ!敵に己を突き立てろ!!」


「サーイェッサー!!」


以前とは違い、ハキハキと返答するアナト。だが、トヲルは逆に不安になり、アナトに声をかける。


「なぁ、アナト。」


「サーイェッサー!!」


「えっと、もう少し肩の力を・・・。」


「サーイェッサー!!」


「いやもう、変わり過ぎだろ・・・。これ、大丈夫なやつなのか・・・?」


「サーイェッサー!!」


そうしてランキング戦が始まるのだった。

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