5-1:黒の正体

とある喫茶店。ここはトヲルのバイト先。


紅緋はゴロツキに絡まれ、ひどく憔悴していた。紅緋を休ませるために、トヲルは一時的にバイト先へと彼女を連れてきた。バイト先の喫茶店はすぐ近くであったので、休ませるにも丁度良かった。


彼女に怪我はない。だが、ケアは必要だった。早く家まで送ってあげたいところだが、バイトの時間も差し迫っていた。幸い、バイト先の店長は理解のある人で、紅緋を快く向かい入れてくれた。


トヲルと紅緋は、お店の裏の控室にいた。パソコンが一台と、中央に大きいテーブルがあり、パイプ椅子が複数並んでいた。紅緋はそれに腰掛けている。カーテンで仕切られた奥に、複数のロッカーが垣間見えた。更衣室なのだろう。


店長は、紅緋の向かいのパイプ椅子に座り、冷たい麦茶を出した。


「大変だったねぇ。どうぞ、粗茶ですが。ああほら、これも食べて食べて。」


テーブルの上には、個装の焼き菓子が置いてあった。誰かの差し入れだろうか。店長は、それも一緒に紅緋へと勧めた。


彼は30代の雇われ店長ではあるが、妙に達観したような人だった。ただ優しそうな気のいい感じは、見た目からも滲み出ている。おかげで、紅緋もお茶を口に含むとすぐにホッとし、自分でも肩の力が抜けていくのを感じていた。


だが、本来は部外者の立ち入れない場所である。バイトもしたことのない中学生にとっては、なんだかとてもズルいことをしているような気分だった。


「・・・すみません。急にお邪魔してしまって・・・。」


「いいんだよ。トヲルくんから事情は聞いたから、ゆっくりとしていくといい。ぜーんぜん、遠慮は要らないよ。」


そんな風に店長と紅緋が話していると、カーテンの奥からトヲルが出てきた。


「店長、制服ちょっとほつれてきてるんで、あとで持って帰ってもいいです?直しときますんで。」


「ああ、いつも悪いね。私がやると、ボソボソになっちゃうからねぇ。」


「この制服、この辺りがちょっと弱いんですよねぇ。自分のは補強してるんですけど、それでも限界あるんで。構造的に、家で洗濯もできないですし。」


「以前は、洗濯も各自でお願いしてんだけどね。壊しちゃう子が多くてね。」


当たり前のように交わされるトヲルと店長の会話。だが、トヲルの格好を見た紅緋は、ギョッとしてしまう。


「トトトトト、トヲルさん!?ななななな・・・、なんで、そそそそそ、その格好・・・!?」


「え?・・・ああ、ここメイド喫茶だから。」


実は、この時のトヲルはメイドの格好をしていた。もちろん、女性用。白と黒のスタンダードな装いに、白いフリフリのフリル。ふんわりとしたスカートにニーソックス。あきらかに男性が着るような制服ではない。


しかも手には、大きいリボンの付いたヘッドドレスを持っていた。そして、紅緋の隣の椅子に座り、さも当たり前のように今度は化粧を始めた。


「え?・・・え?ええ!?」


紅緋は口をパクパクとさせ、混乱している。


店長はテーブルの焼き菓子をひとつ開封し、口の中に放った。いつの間にか、自分用にもお茶を淹れていたようだ。


「男の娘のメイド喫茶だよ。まぁ、最近は珍しくないかな。多様性多様性。」


「そそそそそ、そうなんですか・・・。」


トヲルは口紅を塗り、口をぱっぱと開閉させる。


「言っておくけど、俺、別に女装癖とかはないからね。・・・バイト代良いんだよ、ここ。執事喫茶とヘビメタ喫茶、どれがイイ?って言われたけど、こっちの方がバイト代良かったからさ。」


店長は、さらに別の焼き菓子を開封していた。


「相手が男の子だと、不用意にお尻を触ってくるお客もいるからねぇ。軽くあしらってくれるようなメンタルじゃないと。その分、バイト代は弾んでるかな。トヲルくんは厨房も入れるから、重宝してるんだよ。」


「へ、へぇ・・・。そ、そうなんですか・・・。」


トヲルは、紅緋の視線に気付く。彼女は、スカートとニーソの境あたりに見入っているようだ。なぜだか、ゴクリと唾を飲んだように見えた。


だが、トヲルがその視線に気付いていると分かると、さっと視線を伏せてしまった。耳が真っ赤だ。彼女には刺激が強過ぎたのかもしれない。


店長はトヲルに告げる。


「トヲルくん、今日は早めに上がっていいからね。彼女、ちゃんと家まで送ってあげてよ。大事な役目だよ。」


「え、あ、はい。」



バイト先からの帰り道。隣には紅緋がいた。だいぶ薄暗いが、トヲルにしては、今日のバイトはかなり早上がりな方だ。


しかし、二人で歩いていても、会話がもたない。共通の話題はギガントマキアぐらいだ。だが、日中にあんなことがあって、今その話題を出すべきだろうか。


トヲルが、そんな風にしばらく逡巡していると、紅緋が先に口を開いた。


「あの・・・、今日はありがとうございました。」


「え!?・・・あ、ああ。いや、俺は大して役に立てなかったし。」


「そんなこと!・・・そんなことないです。」


「俺も助けられちゃったしさ。あの・・・、ましろって人に。あの人、喧嘩も強かったし、ギガントも・・・。」


「そうですね、強かったですね。」


「あの制服って、金持ちが通うっていう名門高校のでしょ?やっぱああいうところのお坊ちゃんって、何から何まで違うんだねぇ。強くて、カッコ良くて。」


「有名な高校ですよね。私も知ってます。」


「だよね。やっぱ女の子って、ああいう男性って憧れるよね。うらやましいな。」


「そうですね・・・。」


「紅緋ちゃん。あのましろって人に、送って貰えば良かったのに。」


「え?」


「ほら、送ってくれるって言ってたじゃない?どうして断ったの?」


「・・・。」


「でっかい車・・・、あれリムジンって言うのかな?あれで送ってくれるって言ってたし、俺なんて徒歩だしさ、あっちの方がずっと・・・。」


トヲルが更に何か言いかけたところ、遮るように紅緋が口を開く。


「トヲルさん!」


「え!?・・・うん。なに?」


「ましろさんは確かに強かったです。格好良かったです。」


「・・・うん。」


「でも、トヲルさんも格好良かったですよ。」


「いやでも、俺は・・・。」


「格好良かったんです!!」


「・・・。」


「あ、そこ。家です。」


すぐ近くに大きな家が見えた。


大きな囲い、大きな庭。見るからに裕福そうな家だ。彼女は名門中学に通っている子だ。彼女自身は素朴な人柄ではあるが、それ相応の家庭環境なのだろう。


明らかに、トヲルと住む世界が違う。彼女はお嬢様だ。


「あ、うん。じゃ、じゃあ、ここでいいかな。・・・大丈夫かい?」


「はい。ありがとうございました。・・・では。」


そう言って紅緋は行ってしまった。トヲルは、彼女が去っていく背中を見届けた後、トボトボと帰路につく。


だが、後悔していた。なんだか自分の汚い部分が見え隠れしたような、陰鬱な感情が片隅にあったのだ。それでもトヲルは、なるべくそれを考えないようにした。それを口にしてしまえば、たぶんもっと後悔するだろう。


"劣等感"なんてものは、一文の得にもならないのだから。


・・・だが、その時。背後から声がした。


「あの!」


紅緋だった。


「トヲルさん、連絡先交換していいですか?」

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