111.クロガネの史 終
賢者エドワードと別れた勇者ラグナは、障壁に戸惑う民衆の合間を縫って王都城壁から外へ、障壁の外へと移動していた。
王都を覆っていた瘴気は一切無く、全てラグナの身体の中に移されたことは確かだった。
ポツリポツリと降っていた雨は次第に強さを増していき、土砂降りへ。
『――ぐ、ぐぁああああああああああああ!』
何かを洗い流すような雨粒の中、ラグナは地面に蹲って大声を張り上げていた。
今まで感じたことのない痛みにのた打ち回る。
『はぁ、はぁ! ちくしょう、ちくしょう!』
泥だらけになって、大声を張り上げて、痛みに耐える姿だが、何故か悲しそうに見えた。
『何が勇者だ! 何が勇者だ!』
何かに大きく後悔して、絶望したような、そんな声でもあった。
しばらく苦しんだ後、多少落ち着きを取り戻したラグナの元に上空から白銀の美しい竜が下りてきて語り掛ける。
『……可哀想に酷い状態。障壁の中でいったい何があったの?』
『遅かった』
『そう』
短く返したラグナの言葉に、状況を察したように頷く竜。
『また、貴方は過酷な道を選んだの?』
黙ったままのラグナに対して竜は言葉を続ける。
『わざわざそんな状態にならなくても、私とお兄様を頼ればどうにか状況を落ち着かせることくらいはできたかもしれないのに……馬鹿な人』
竜の炎は瘴気すら焼き焦がす。
だがラグナはそれを選ばなかった。
『嫌だった……俺だけのうのうと生きるのは……』
そっとしておいてくれ、という頼み。
もう勇者の存在は必要ない、邪魔だとはっきり言われてしまっていた。
それを受け入れ、蚊帳の外で何もなかったように生きていけというのは、非情にも思える言葉かもしれないが優しさでもある。
あの障壁をぶち破り、今すぐエドワードを殺す選択もラグナの中には存在していた。
王都に戻ってきてから嫌な予感はしていたのだ。
もし何かあれば、間違えていたのなら、その時は……とラグナは考えていたのだが、本人を目の前にしてどうしてもできなかった。
ラグナもパトリシアがどんな選択をするかわかり、エドワードの仕出かしたことも、罪を背負う覚悟も理解できたからだ。
ただ、到着が遅かった。
それだけだった。
この場に邪を喰らい闇を照らす竜を連れてきたとしても、彼が一番守りたかった存在はもう無いのである。
『そう……死ぬつもり……?』
『そうだな』
『情けない。お兄様が今の貴方を見たら声を上げて笑うかもね。それだけの瘴気を身体に取り込んでついに人じゃなくなったな、なんて』
『だろうな。でも笑われて当然だ』
『……まあ、人間やめるなら私が番になってあげてもいいけど?』
『メノウ、魅力的な提案だけどそれはできない』
フラフラになりながらもラグナは立ち上がった。
『まだ、やることがあるんだ。身体の中にある瘴気を遠いところに運ばないと……ぐっ』
歩き出すラグナは、まだ回復しきっていないのかすぐにふら付いてしまう。
白銀の竜は顔を寄せて心配そうに彼の身体を支えていた。
『今は休んで、歩くこともままならない身体だから』
『すまん……』
『貴方、再び悪魔に頼るだなんて愚かな判断をした国にまだ尽くすつもりなの? こんな国、今すぐにでも私とお兄様で焼き払ったっていい』
『こんな時に冗談はやめてくれ』
『本気』
『中で暮らしてる人たちはどうするんだよ。もう大丈夫。あの障壁のおかげで王都は安全だ。そして蔓延していた瘴気も俺が何とかする』
『一人で?』
『そうだ。一人でいい。お前の手を煩わせるようなことはしない。一人でいい。独りでいいんだ』
ブツブツと呟くラグナに、竜は何も言えなかった。
大切だと聞かされていたパトリシアとエドワードのことは知っている。
内一人を失って、もう一人とも決別したような状態。
そっとしておくことしかできなかった。
『これからどうするの? まさか本当に』
『大丈夫、死ぬつもりなんてない。まだ、まだ終わってないんだ』
ラグナは振り返って巨大な障壁に目を向ける。
『あの中で、あいつは……エドワードはずっと待ってる。生まれ変わってまた会いたいだなんて、夢みたいこと言ってたけどさ、あいつは本気でやっちまいそうなんだ』
だから、とラグナはさらに言葉を続ける。
『俺も待つ、――その時を』
『人の輪廻なんて、私たちからすれば些細な時間だけど、貴方にとっては途方もない時間。こちら側に来ると言うのなら歓迎する』
『それはない。警戒される。あいつは臆病で心配症で絶対俺に監視をつける。俺が力を持ちっぱなしだと、平穏が乱れかねない』
『子孫に頼むの? 意味がわからない』
『そうだな、賭けみたいなもん。でも俺の頭じゃそのくらいしか思いつかないわ。あいつの望むことは、俺がどこかでひっそりと死ぬことだろうし』
苦笑いするラグナに、竜は一言『優しい人』と呟いた。
『仕方ねえ、普通の人からすれば十分過ぎる許しかもしれないしな』
『そもそも、その規模の瘴気に侵されてしまえば、人間どころか普通の生き物だって貴方に近寄らなくなる。一種の呪いみたいなもの。味方すらいない、いつ死ぬかもわからない』
『ははは、婚活も前途多難だな』
『だったら私が人に堕ちて貴方と番になってもいい。それなら子孫の心配もしなくていい』
『俺なんかのためにそこまでしなくてもいい』
『本気』
『嬉しい話だけど、あいつは俺に普通になって欲しがってる。勇者としての何かを削いで。それが美人の白竜と結ばれましたなんて、悪目立ちし過ぎるからな』
『……むう』
『気持ちは嬉しいけど、ごめんな』
不満そうな顔をする竜の顔を撫でながらラグナは言う。
『ただ、そうだな……もし俺が何も残せず果てた時、遠い未来で、似たような存在が生れた時は無条件で力を貸してやって欲しい』
『やだ』
『手厳しい。なら絶対残すから、もし時が来れば導いてやってくれないか? その時が来れば……だけどな』
『当代の勇者がそう言い残すなら、きっと似たような未来を辿ると思う。お兄様にそう言っておく』
『うん。じゃ、俺はもう平気だから……ここに居ると外に出てきた人たちに見つかって騒ぎになりかねない』
『貴方はこれからどこに向かうの? 送っていく』
『ユーダイナだけど、道中で嫁さん探ししなきゃなんないからさ、さすがに一緒には無理だわ』
『……ふん、私以上にいい女なんていないと思うけど』
それだけ言って白銀の竜は飛び立ってしまった。
そんな様子を見送りながらラグナは独り言ちる。
『まあそうだけど、竜だろ……』
脳内に流れていた映像が止まる。
「以上が、この国に障壁ができたことの顛末でございます」
「地味に続きが気になるな……」
障壁ができた根幹であるエドワードとパトリシアの恋。
それを見ていたのだが、知らない内に勇者と竜の恋物語になっていた。
「初代勇者は何でイエスと言わなかったんだ?」
竜だぞ、竜の魔力を手に入れるチャンスかもしれないんだぞ?
それにオニクスだって?
あいつ、もしかしたら最初から俺のことを知ってたんじゃないか?
死に物狂いだった最初の戦いで、認められたのが俺の実力じゃなかったんじゃないかという事実に愕然とした。
結局血筋かよ、という話である。
「エドワード様は初代様に普通の死を望まれていましたからね。最後に見せた優しさなのか何なのか。しかしそれは初代様にとって、勇者にとっては苦痛以外の何物でもありません」
手を差し伸べたいのに払われた、そんなところか。
助けたい人がいるのに、助けを求められない。
頼って欲しいのに、頼られないのは苦痛か……。
「ここからは初代様のワクワク嫁探しの旅が始まりますな。日々身体に取り込んだ瘴気の苦痛に襲われて、色んな場所で人から憎しみを抱かれるという呪いを受けながらの過酷な婚活にございます」
「そ、そうなんだ……よく俺まで繋いだよな……?」
「わたくしめと出会ったのもその頃ですな。もっとも私自身の一部はずっと初代様の魂に居たんですけども。足掻く様子が面白くて力をお貸しすることにしたのです」
「なるほど」
「ご覧になられますか? 戦いにかけては天才的ですが、女性関係ともなれば手も足も出ない、そんな初代様の嫁探しの旅路です」
「いや、やめとくわ……」
ご先祖様のそんなところ見たくない。
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