110.クロガネの史 末②


『ほら、返して欲しいんだろ?』


『悪魔、テメェ……』


 嘲笑うような鬼畜の所業に、ラグナの髪がザワッと揺らめいた。


 怒りに呼応し溢れ出す魔力によって、空間が揺れる。


『そんなクソみたいな手段で俺を止めたつもりか?』


 全身の毛が逆立ち、放出された魔力によってオーラができていた。


 瞳の奥には、聖女の魔力と同じような青白い輝き。


『やはり貴様は私に届き得る』


 黙って見ていたベリアルは、それだけ言うと幽体離脱するようにスッとエドワードの身体から離れるのだった。


 もちろん心臓は保持したまま。


『エドワード!』


 元の姿に戻って倒れ込むエドワードを見て、ラグナは血相を変えて駆け寄っていく。


 怒りよりも心配が勝ったのか、身体を覆っていた魔力の迸りはいつの間にか消え去っていた。


『フン、くだらない掛け合いも面倒だ』


 そんな様子を鼻で笑いながら、ベリアルは消えていく。


『おい、話はまだ終わってねえ』


『いや終わりだ。貴様と戦うために呼ばれたわけではないのだから。それに今この場で貴様と戦い、契約の履行が出来なければ私の品位が落ちるだろう?』


『……どこへ逃げようが、絶対に仕留めるからな』


『クフ、やれるもんならな? 人はすぐ死ぬ、それはお前も同じだ』


 笑いながら消えていくベリアルの姿をラグナは黙って見ていることしかできなかった。


『くそっ』


 悪態を吐くラグナ。


 自分が居ない間に何があったのか。


 最悪のことが起こったことは確かだった。


『う、ぐ……』


 それからすぐエドワードは目を覚ます。


 心臓を抜かれたエドワードだったが、悪魔との契約による効果か生存していた。


 驚異的な回復力で、少しずつだが致命傷が治っていく。


『おいしっかりしろ』


 ラグナは本物のエドワードに何が起こったのかを聞くこととなった。


 ベリアルに憑依されていた時も恐らくエドワード本人の言葉だったのかもしれないが、いなくなった今、しっかりと本人の口から聞きたかったのだ。


 そうしてエドワードは話す。


『ラグナ、先に言っておくが……私は謝らない』


『馬鹿か、もう謝って済む問題じゃねえだろ』


 そう言いつつ、ラグナは大きく溜息を吐くと優しく問いかける。


『エドワード、俺がいない間に何があった?』


『……公爵四家は平民を切り捨て悪魔召喚に頼る案を採用した。その案を聞いたパトリシアがその身を捧げて浄化すると言い出したんだ』


 エドワードは話す、ラグナがいない間に何があったかを。


『止めれるはずもない。私自身が、少ない犠牲で多くを助ける案を受け入れ、彼女に泣きついて支えられていたのだから』


 迷っていた、絶望に支配されていた。


『それでも、その身を捧げたパトリシアの思いを無駄にしたくない想いは確かだった。騙されていたと知るまでは』


 本来の計画では、公爵四家によって悪魔召喚が行われるはずだったのだが、多忙を極めていたエドワードには一部情報を歪められてしまっていた。


 聖女の力を前にして野心に駆られる老獪たちを見て、最初からそのつもりでパトリシアを呼びに行かせたのだとエドワードは悟った。


『だから悪魔を呼んだ。聖女の力が、彼女の魂が、このまま消え失せてしまわないように』


『……それがこの障壁か』


『そうだ、理を書き換えるにはそれくらいしか手段がない。代償は青い血。穢れに塗れた私たちで賄う。囲いの中で溢れる魂はベリアルにくれてやる。その代わり、彼女の力だけは絶対に使わない。まあ悪魔如きにどうこうできる代物じゃないがな』


『……そしてお前は不死身の身体になって、この囲いの中でパトリシアの魔力を感じながら生き続けんのか?』


『待つ。再び同じ力を持つ人はきっと彼女の生まれ変わりだ』


『本気で言ってんのか?』


『本気だとも。何百年かかろうと、私はまた彼女と再会し、次は平穏な世の中で生きる。幸せな世界を作り出すんだ』


 今のエドワードにとって、王都はそのための箱庭。


 理想を掴むための箱庭。


『私自身が悪魔だと言われても構わない。ただまた会いたいんだ。ただそれだけなんだ。だから――』


 仰向けになって空を見上げるエドワードは、目だけをラグナに向けて言う。


『――そっとしておいてくれないか』


『……』


『もう終わったことなんだ。今更お前に頼むようなことはない。これで平和だ。もう勇者の力は必要ない』


『障壁の外はどうすんだ。王都の外は瘴気だらけだ。お前のその考えで上手く回ると本気で思ってんのか?』


『ひとまとめにして移し替える。あれも大元は悪魔の力だ。契約によって力を一部振るうことができる今、遠くの、そうだな……ユーダイナの地に捨て置くことも可能だ』


 完全に消し去る方法は、今もない。


 強い浄化の力を用いると言う手法は、エドワードの中には無かった。


『仮に何かがきっかけで再び瘴気が蔓延しても、ここだけは無事だ。世界が滅びようともこの王都だけは私が守る。守り続ける』


 決意なのか固執なのか。


 淡々と話し続けるエドワードに、ラグナは一言告げた。


『エドワード、俺も貴族にしろ……遅れた俺にも責任があるだろ? 一緒に代償を払ってやるよ』


『ふっ、無理だな。お前の力は箱庭ごと壊しかねない。だから頼んでるんだ、そっとしておいて欲しい……と』


『なら俺の身体に王都周辺の瘴気を全て寄越せ、移せ』


『ラグナ……お前』


『お前の中で、もう周辺の人たちはどうでもいいかもしれないが、俺は違う。お前がどうにもできずに放棄したもんくらいは守らせろ』


『不死身と言われたお前でも、明らかに過剰な瘴気を受けて生き延びられるかは知らん。もはや魔物と同じような扱いになる可能性もある』


『それでいい』


 ラグナは唇を噛みしめながら空を仰ぐ。


『それに賢者と勇者がまだ生きている。その事実だけで守れる命だってある。そっちの方がパトリシアだっていいはずだ』


 そして笑った。


『あの悪魔だって俺が苦しむ方を喜ぶだろうよ』


 エドワードは、少し考えてから要求を飲んだ。


 瞬間、ラグナの身体を黒い靄が包み込む。


『何ともないのか?』


『これが悪魔のもたらした禍の力か? 屁でもねえよ。俺は誰にも迷惑が掛からないように、ユーダイナの土地で過ごすさ』


 笑うラグナに、エドワードは言う。


『ならお別れだな。ユーダイナの地は端っこだがこの国の領内だ。くれてやるから、好きに余生を過ごすと良い』


『なら俺も貴族か? 根無し草の冒険者から偉くなったもんだ。各位は高くしとけよ。そうだな、パトリシアより少し上くらいで……じゃ、またな』


 それだけ言って、ラグナはこの場を後にした。


 エドワードは特に何かを告げることもなく、どこか寂しそうな目で彼を見つめていた。

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